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第一章
6、短い手紙と長い空白
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フランツがある日突然居なくなった。
『エレオノーラ様、今まで大変お世話になりました。申し訳ございません。どうぞお元気で』
そんな簡素を通り越して素っ気ない書き置きを残して。
「いかがわしい薬なんて盛られたら、逃げたくもなるわよね……」
エレオノーラはどんなに簡潔で、読む度に悲しくなっても、フランツに初めてもらった手紙を捨てられず、引き出しから取り出しては何度も読み返し、再び奥にそっとしまった。
「まさかエレオノーラ様とお見合いして頂けるなんて光栄です」
目の前のルイス侯爵はエレオノーラの遠い親戚に当たる。
家柄も申し分無いし、これまでに特に目立った悪い噂も聞かない。
性格は無難そうだし、見掛けも悪くない。
何も悪い所はない。なのに心が頑なに拒んでしまう。
背が高いせいでいつも上から聞こえてくるばかりだったフランツの低くて穏やかな声が懐かしい。
エレオノーラが大きくなってからはあまり目線を合わせてくれなくなってしまった漆黒の瞳も、いつも触れたいと思っていたさらさらの髪も、思ったよりよく微笑む形の良い唇も、全てが恋しくて、虚しさが心を覆いつくす。
このお見合いで何人目だろう。
次々と現れる求婚者達は別に親子ほど年の離れた人も居なければ、とんでもなく非常識で失礼な人もいなかった。
それなのに誰とも一緒になんかなりたくないと心が悲鳴をあげる程フランツが恋しかった。
「エレオノーラ、いくらなんでもそろそろ決めなさい。もう三十人もお見合いしたんだ。それともこのまま一生この家で暮らすのか? それならそれで私はいいが、そのつもりならもうこれ以降の縁談の話は断る」
父にそう言われて、エレオノーラは何も言えなかった。
フランツが屋敷を去って三ヶ月たった時に、このままではよくないと思い父親にお見合いのセッティングをお願いして、一年の間沢山の男性と出会った。ほとんどの人は皆優しく、礼儀正しく、好感を持てる紳士だったけれど、フランツ程に好きになれる人はいなかった。
侯爵家の娘として生まれて、大恋愛の末に結婚出来る訳がないとは知っていたけれど、会えなくなってなお日に日に大きくなるフランツへの気持ちが自分でもコントロール出来ない。
「──しばらく考えてみます」
そう答えて父の部屋を後にする。
小さい頃から実際に貴族だの王子だのを見飽きる程見て来たエレオノーラは、おとぎ話の中の白馬に乗った完璧な王子様を、何とも思わなかった。
でも自分が誘拐されかけた時に助けてくれた騎士のフランツは最高にかっこ良くて、強くて、頼りになって、ちょっと素っ気ない所もあるけど、人一倍優しくて大好きだった。
フランツはおとぎ話で魅力的に描かれた王子様よりも、本物の見目麗しい王太子達の何倍もエレオノーラをドキドキさせた。
いつかフランツが自分を攫って、何処かで自分と一緒に生きてくれたら良いのに。そんな風にずっと願っていたのに、まるで逃げ出すように自分の前からいなくなってしまうなんて。
自分がした事を考えたら当たり前だけれど、せめて顔を見てお別れを言ってから去って欲しかった。
今頃は綺麗で可愛いくて大人しい、自分とは全然違うタイプの女性と付き合うなり結婚するなりしているのだろうか。
「エレオノーラ様がそんな風に泣いているなんて知ったら、彼はきっと悲しむだろうね」
フランツといつか雨宿りをした庭のガゼボに一人佇んでいると、背後から声を掛けられた。
エレオノーラはそっと涙を拭ってから振り向く。
「シーモア公爵、女性が独り泣いていると分かっていらっしゃるなら、わざわざ声を掛けるなんて失礼じゃありません?」
ほぼ自分のせいだが、一割程『こいつ(シーモア公爵)のせいでフランツは居なくなった』とエレオノーラは思い込みたい気持ちがある。
「でもエレオノーラ様は最近、と言うかフランツ大佐が居なくなってからは泣いてない時が無いから、今日は思い切って話し掛けてしまおうと思ったんだ」
「大佐……フランツはもう大佐なのですか!? 去年入団したばかりなのに……」
「意外でも何でも無いだろう? 彼の実力なら遅い位だ」
「でも……王立の騎士団はコネの出世ばかりと伺っていましたから……」
「それも嘘では無いけどね、そればかりでは国家の軍事力が衰退してしまう。真の実力者は常に必要とされているよ」
エレオノーラは、フランツのめざましい活躍を喜ぶ反面、長い間、自分の隣にいさせてフランツの人生の大切な時間を奪ってしまっていたことが悔やまれた。
「エレオノーラ様が心配しなくても、フランツはこれからどんどん出世すると思うよ」
エレオノーラの心を見透かしたかの様にオズワルドが告げる。
「そうですか……それなら良かったです……」
「実は、フランツから手紙を預かってきたんだ」
ホッとするエレオノーラにオズワルドは真っ白な封筒を渡す。
(フランツの字……)
エレオノーラは無意識に差出人の名前を指でなぞった。
「来週の火曜日にはまたこちらに伺うから、良かったら返事をフランツに渡すよ。それでは、また」
「ありがとうございます、シーモア公爵……」
エレオノーラはもう目の前のオズワルドの事は見えていなかった。
一刻も早く部屋に戻ってこの手紙を読みたい。
『エレオノーラ様、今まで大変お世話になりました。申し訳ございません。どうぞお元気で』
そんな簡素を通り越して素っ気ない書き置きを残して。
「いかがわしい薬なんて盛られたら、逃げたくもなるわよね……」
エレオノーラはどんなに簡潔で、読む度に悲しくなっても、フランツに初めてもらった手紙を捨てられず、引き出しから取り出しては何度も読み返し、再び奥にそっとしまった。
「まさかエレオノーラ様とお見合いして頂けるなんて光栄です」
目の前のルイス侯爵はエレオノーラの遠い親戚に当たる。
家柄も申し分無いし、これまでに特に目立った悪い噂も聞かない。
性格は無難そうだし、見掛けも悪くない。
何も悪い所はない。なのに心が頑なに拒んでしまう。
背が高いせいでいつも上から聞こえてくるばかりだったフランツの低くて穏やかな声が懐かしい。
エレオノーラが大きくなってからはあまり目線を合わせてくれなくなってしまった漆黒の瞳も、いつも触れたいと思っていたさらさらの髪も、思ったよりよく微笑む形の良い唇も、全てが恋しくて、虚しさが心を覆いつくす。
このお見合いで何人目だろう。
次々と現れる求婚者達は別に親子ほど年の離れた人も居なければ、とんでもなく非常識で失礼な人もいなかった。
それなのに誰とも一緒になんかなりたくないと心が悲鳴をあげる程フランツが恋しかった。
「エレオノーラ、いくらなんでもそろそろ決めなさい。もう三十人もお見合いしたんだ。それともこのまま一生この家で暮らすのか? それならそれで私はいいが、そのつもりならもうこれ以降の縁談の話は断る」
父にそう言われて、エレオノーラは何も言えなかった。
フランツが屋敷を去って三ヶ月たった時に、このままではよくないと思い父親にお見合いのセッティングをお願いして、一年の間沢山の男性と出会った。ほとんどの人は皆優しく、礼儀正しく、好感を持てる紳士だったけれど、フランツ程に好きになれる人はいなかった。
侯爵家の娘として生まれて、大恋愛の末に結婚出来る訳がないとは知っていたけれど、会えなくなってなお日に日に大きくなるフランツへの気持ちが自分でもコントロール出来ない。
「──しばらく考えてみます」
そう答えて父の部屋を後にする。
小さい頃から実際に貴族だの王子だのを見飽きる程見て来たエレオノーラは、おとぎ話の中の白馬に乗った完璧な王子様を、何とも思わなかった。
でも自分が誘拐されかけた時に助けてくれた騎士のフランツは最高にかっこ良くて、強くて、頼りになって、ちょっと素っ気ない所もあるけど、人一倍優しくて大好きだった。
フランツはおとぎ話で魅力的に描かれた王子様よりも、本物の見目麗しい王太子達の何倍もエレオノーラをドキドキさせた。
いつかフランツが自分を攫って、何処かで自分と一緒に生きてくれたら良いのに。そんな風にずっと願っていたのに、まるで逃げ出すように自分の前からいなくなってしまうなんて。
自分がした事を考えたら当たり前だけれど、せめて顔を見てお別れを言ってから去って欲しかった。
今頃は綺麗で可愛いくて大人しい、自分とは全然違うタイプの女性と付き合うなり結婚するなりしているのだろうか。
「エレオノーラ様がそんな風に泣いているなんて知ったら、彼はきっと悲しむだろうね」
フランツといつか雨宿りをした庭のガゼボに一人佇んでいると、背後から声を掛けられた。
エレオノーラはそっと涙を拭ってから振り向く。
「シーモア公爵、女性が独り泣いていると分かっていらっしゃるなら、わざわざ声を掛けるなんて失礼じゃありません?」
ほぼ自分のせいだが、一割程『こいつ(シーモア公爵)のせいでフランツは居なくなった』とエレオノーラは思い込みたい気持ちがある。
「でもエレオノーラ様は最近、と言うかフランツ大佐が居なくなってからは泣いてない時が無いから、今日は思い切って話し掛けてしまおうと思ったんだ」
「大佐……フランツはもう大佐なのですか!? 去年入団したばかりなのに……」
「意外でも何でも無いだろう? 彼の実力なら遅い位だ」
「でも……王立の騎士団はコネの出世ばかりと伺っていましたから……」
「それも嘘では無いけどね、そればかりでは国家の軍事力が衰退してしまう。真の実力者は常に必要とされているよ」
エレオノーラは、フランツのめざましい活躍を喜ぶ反面、長い間、自分の隣にいさせてフランツの人生の大切な時間を奪ってしまっていたことが悔やまれた。
「エレオノーラ様が心配しなくても、フランツはこれからどんどん出世すると思うよ」
エレオノーラの心を見透かしたかの様にオズワルドが告げる。
「そうですか……それなら良かったです……」
「実は、フランツから手紙を預かってきたんだ」
ホッとするエレオノーラにオズワルドは真っ白な封筒を渡す。
(フランツの字……)
エレオノーラは無意識に差出人の名前を指でなぞった。
「来週の火曜日にはまたこちらに伺うから、良かったら返事をフランツに渡すよ。それでは、また」
「ありがとうございます、シーモア公爵……」
エレオノーラはもう目の前のオズワルドの事は見えていなかった。
一刻も早く部屋に戻ってこの手紙を読みたい。
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