上 下
30 / 41

新しい生活 01

しおりを挟む
 メルヴィナの一日は、祖父セオドアとの散歩から始まる。

「メル、そろそろ休むか?」

 一緒に歩いていたセオドアが声を掛けてきたのは、庭園の中央に設置された四阿ガゼボの前に差し掛かかった時だった。

「はい、お祖父様」

 メルヴィナは頷くと、セオドアと一緒に四阿に向かう。
 セオドアは紳士的にメルヴィナをエスコートすると、中のベンチにメルヴィナを座らせた。

「今日は休憩なしでここまで歩けたな」

 セオドアは、メルヴィナの隣に腰を掛けながら話しかけてくる。

「そうですね。少し歩くだけでもすごく疲れてしまいますが」

 メルヴィナはセオドアに微笑みかけた。

 四阿のベンチからは、アンブローズ侯爵家の首都屋敷タウンハウスの様子がよく見えた。
 灰色で重々しい雰囲気の建物は、二百年ほど前の祖先が著名な建築家に依頼して建てたものらしい。

 メルヴィナは現在この屋敷にて、祖父の庇護を受けて療養生活を送っていた。

 ニコラス最高司祭の力を借りるために、父リチャードは、母ドロシーとの離婚を覚悟して、絶縁状態だったセオドアを頼った。

 幸いと言っていいのか、力を貸す代わりにセオドアが出した条件は、妻子を引き連れて侯爵家に戻る事だった。

 しくも、ずっとリチャードとの和解方法を模索していた祖父にとって、メルヴィナの自殺未遂はきっかけになったのである。

 メルヴィナが目覚めたら、姓が『グレンヴィル』から『アンブローズ』に変わっていた。

 更に、リチャードはアンブローズ侯爵家の法定推定相続人になり、ドロシーはその奥様に、メルヴィナはお嬢様と呼ばれる身分になっていたのだから驚きである。

 一家離散を覚悟してセオドアを頼った両親の方が、メルヴィナ以上に驚きが大きかったかもしれない。
 だが、祖父がその心境に至るまでには、彼なりの葛藤が色々とあったようだ。



 何もかもが豪華な侯爵家の生活にはまだ慣れない。メルヴィナは小さく息をつくと、ぼんやりと庭園の景色を眺めた。

 体に戻ってから既に三か月が経過しており、庭園は秋の装いを見せていた。

 四阿の周辺は今流行りの東洋風に整えられていて、貿易商を経由して取り寄せたモミジという植物が、鮮やかな真紅に染まっていて美しい。

 魂が体に戻る前、完全な健康体に戻るまで時間がかかる、とニコラスから言われたが、その言葉は本当だった。

 一か月以上も飲まず食わずで眠り続けていた体は衰弱しきっており、寝たきりの生活からのスタートだったのである。

 メルヴィナの体を持たせていたのはニコラスの神気と点滴だ。輸液治療が発明され、一般的になったのはここ二、三十年の事だから、一昔前だったら死んでいたかもしれないと思うとゾッとする。

 最初は固形物を受け付けなかった体は、今も脂っこいものを食べると気分が悪くなってしまう。

 それでもこうして散歩ができる状態まで回復したのは大きな進歩だ。何しろ最初は横になった状態で手足を持ち上げてもらい、筋力を付けるところからのスタートだったのだ。それでもまだまだ万全とは言い難い状態なのだが。

 幽体離脱の後遺症は、実は肉体だけでなく魂にも残っている。
 ぼんやりと庭園を観察していたメルヴィナは、ふわふわと上空を漂う人影を目撃し、さりげなく目を逸らした。そしてドレスの胸元に触れる。すると、硬い金属の感触が指先に触れた。

 そこには、ペンダントに加工されたロザリウムがある。これはギルバートが持っていたものと同じで、ニコラス最高司祭に聖別してもらった護符だ。

 今のメルヴィナは、霊感がギルバート並に上昇している状態で、かつ魂が体から分離しやすくなっているらしい。

 これは言い換えると、幽体離脱しやすくなっているだけでなく、亡者に体を奪われやすい状態になっているという事だ。ニコラスから貰った護符は、亡者から身を隠し、幽体離脱を防ぐための神術が込められている。

 護符があるとはいえ、時折亡者が見えてしまうのは精神的に負担がかかる。メルヴィナはギルバートの苦労を現在進行形で思い知らされていた。

 時が経てばいずれ魂は肉体に定着するらしいが、鋭敏になった霊感が元に戻るかどうかはニコラスにもわからないらしい。
 もしかしたら、ギルバートのように一生護符を手放せない生活が待っているかもしれないと考えると憂鬱になる。

 この状態の唯一の収穫を挙げるとすれば、微弱な神気を放出できるようになったという事だろうか。

 神気は、王族と違って普通の人間の場合、神への強い信仰心と厳しい修行を経て初めて会得できるものと言われている。
 ニコラスによると、祖先に降嫁した王女を持つ侯爵家の血筋と臨死体験が影響している可能性があるそうだ。

 神気覚醒者は希少だ。これは言い換えると聖職者への道が開けたという事でもある。ニコラスからはその気があるなら歓迎するとも言われたのだが――。

 自分の魂の状態や神気を使えるようになった事は、家族にも報告済みだ。
 しかし、神気について伝えた時、祖父や父は渋い顔をしていた。メルヴィナが教団に取られるのではと心配したらしい。

(……聖職者になるのは無いわね。お祖父様やお父様がきっと寂しがるもの)

 そして、メルヴィナ自身も、家族との時間を大切にしたかった。

 メルヴィナに限らず王家の血が混ざった高位貴族には、稀に王族同様に特別な修練をしなくても神気が使える者が産まれるが、その全てが聖職者になる訳ではない。
 貴族には貴族の領地を守るという義務があるため、教団や王家が司る、重要な祭祀への協力義務を果たせば許された。

 ちらりと隣のセオドアの様子を窺うと、視線に気付いた祖父と目が合った。

「今日は天気がいいし暖かいから、ボートに乗らないか? お祖父様が漕いであげよう」

 セオドアはニコニコと穏やかな笑みを浮かべてメルヴィナに提案してきた。
 この屋敷の敷地は広大で、庭の池ではボート遊びができるようになっている。

 祖父はようやく対面を果たしたメルヴィナに非常に甘い。子供の頃可愛がれなかった分を埋め合わせるかのようにメルヴィナを可愛がってくれる。

 これまでとは格段に違う裕福な生活に心苦しくなる時もあるが、優しい祖父をメルヴィナはすっかり好きになっていた。

「ありがとうございます、お祖父様」

 メルヴィナはセオドアに向かって微笑みかけると、その手を取ってベンチから立ち上がった。




   ◆ ◆ ◆




 雲行きが怪しくなってきたのでセオドアとのボート遊びを切り上げ、一緒に屋敷に戻ってくると、何かの書類を抱えたドロシーと出くわした。

「お義父様! 探していたんです。メルと一緒だったんですね」

 ドロシーが声を掛けると、それまで笑顔だったセオドアの顔から表情がすっと消えた。

「……なんだろうか」

「冬支度の概算を家政婦長ハウスキーパーと相談して作成したのですが、これで本当にいいのか今一つ自信がなくて。お義父様に見て頂きたいなと……」

「……わかった。執務室で待っていなさい。メルを部屋に送り届けたら向かう」

 セオドアの返事に、ドロシーはほっとした表情を見せた。

「あの……いつもメルの散歩に付き合って頂いてありがとうございます」

「私がやりたくてやっているだけだ」

 ドロシーとセオドアの関係はどこかぎこちない。
 いや、ドロシーだけでなく、祖父の後継者となるべく勉強中のリチャードとも同じような感じなのだが。

 祖父が自分を特別に甘やかすのは、そのよそよそしい空気感も関係しているのだろう。メルヴィナはなんとなく察していた。

 いつか時間が解決してくれればいいのだが……。
 メルヴィナは祖父と母の間に流れる微妙な空気に眉を下げた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

もしも○○だったら~らぶえっちシリーズ

中村 心響
恋愛
もしもシリーズと題しまして、オリジナル作品の二次創作。ファンサービスで書いた"もしも、あのキャラとこのキャラがこうだったら~"など、本編では有り得ない夢の妄想短編ストーリーの総集編となっております。 ※ 作品 「男装バレてイケメンに~」 「灼熱の砂丘」 「イケメンはずんどうぽっちゃり…」 こちらの作品を先にお読みください。 各、作品のファン様へ。 こちらの作品は、ノリと悪ふざけで作者が書き散らした、らぶえっちだらけの物語りとなっております。 故に、本作品のイメージが崩れた!とか。 あのキャラにこんなことさせないで!とか。 その他諸々の苦情は一切受け付けておりません。(。ᵕᴗᵕ。)

ラヴィニアは逃げられない

恋愛
大好きな婚約者メル=シルバースの心には別の女性がいる。 大好きな彼の恋心が叶うようにと、敢えて悪女の振りをして酷い言葉を浴びせて一方的に別れを突き付けた侯爵令嬢ラヴィニア=キングレイ。 父親からは疎まれ、後妻と異母妹から嫌われていたラヴィニアが家に戻っても居場所がない。どうせ婚約破棄になるのだからと前以て準備をしていた荷物を持ち、家を抜け出して誰でも受け入れると有名な修道院を目指すも……。 ラヴィニアを待っていたのは昏くわらうメルだった。 ※ムーンライトノベルズにも公開しています。

【R18】幼馴染の魔王と勇者が、当然のようにいちゃいちゃして幸せになる話

みやび
恋愛
タイトル通りのエロ小説です。 ほかのエロ小説は「タイトル通りのエロ小説シリーズ」まで

貧乏令嬢、山菜取りのさなかに美少年を拾う

千堂みくま
恋愛
貧乏ゆえに自給自足の日々を送っていた令嬢リヴィは、ある日山の中で行き倒れた美少年を拾う。美少年はアーサーと名乗り、悪魔のような賢さで家庭内の頂点に君臨し、学校での女子よけにリヴィを仮の恋人にしたりする。弟だと思って我慢していたリヴィだが、一年経ったころに美少年の迎えが来て彼女の生活は一変した。 「君はもう僕の婚約者になったから逃げられないよ」……だまされた!! こうなったら逃げてやる!! こうしてリヴィの逃亡生活は始まったのだった。 (注:ヒーローはやや変態です)

【完結】女当主は義弟の手で花開く

はるみさ
恋愛
シャノンは若干25歳でありながら、プレスコット伯爵家の女当主。男勝りな彼女は、由緒ある伯爵家の当主として男性と互角に渡り合っていた。しかし、そんな彼女には結婚という大きな悩みが。伯爵家の血筋を残すためにも結婚しなくてはと思うが、全く相手が見つからない。途方に暮れていたその時……「義姉さん、それ僕でいいんじゃない?」昔拾ってあげた血の繋がりのない美しく成長した義弟からまさかの提案……!? 恋に臆病な姉と、一途に義姉を想い続けてきた義弟の大人の恋物語。 ※他サイトにも掲載しています。

【完結】婚約破棄されたと思ったら、今度は成金男爵と婚約することになりました

水仙あきら
恋愛
王子殿下の婚約者だった私は、一方的な婚約破棄を受けて新たな相手をあてがわれることになる。 アメデオ・ヴィスコンティ男爵。美しい容姿と経歴に似合わぬ若さを持った彼は、元平民ながら一代で財を成し、爵位を拝命した遣り手だ。 しかし残念ながら常識が欠如しているようで、会うたびにとんでもない金遣いで私を困らせてくる。 「わかった、この美術館を買おう!」 「いりません、やめてください」 ようやく王妃教育から解放されて楽になると思ったのに。どうしてこうなったの!?

婚約者様は大変お素敵でございます

ましろ
恋愛
私シェリーが婚約したのは16の頃。相手はまだ13歳のベンジャミン様。当時の彼は、声変わりすらしていない天使の様に美しく可愛らしい少年だった。 あれから2年。天使様は素敵な男性へと成長した。彼が18歳になり学園を卒業したら結婚する。 それまで、侯爵家で花嫁修業としてお父上であるカーティス様から仕事を学びながら、嫁ぐ日を指折り数えて待っていた── 設定はゆるゆるご都合主義です。

【R18】ひとりで異世界は寂しかったのでペット(男)を飼い始めました

桜 ちひろ
恋愛
最近流行りの異世界転生。まさか自分がそうなるなんて… 小説やアニメで見ていた転生後はある小説の世界に飛び込んで主人公を凌駕するほどのチート級の力があったり、特殊能力が!と思っていたが、小説やアニメでもみたことがない世界。そして仮に覚えていないだけでそういう世界だったとしても「モブ中のモブ」で間違いないだろう。 この世界ではさほど珍しくない「治癒魔法」が使えるだけで、特別な魔法や魔力はなかった。 そして小さな治療院で働く普通の女性だ。 ただ普通ではなかったのは「性欲」 前世もなかなか強すぎる性欲のせいで苦労したのに転生してまで同じことに悩まされることになるとは… その強すぎる性欲のせいでこちらの世界でも25歳という年齢にもかかわらず独身。彼氏なし。 こちらの世界では16歳〜20歳で結婚するのが普通なので婚活はかなり難航している。 もう諦めてペットに癒されながら独身でいることを決意した私はペットショップで小動物を飼うはずが、自分より大きな動物…「人間のオス」を飼うことになってしまった。 特に躾はせずに番犬代わりになればいいと思っていたが、この「人間のオス」が私の全てを満たしてくれる最高のペットだったのだ。

処理中です...