女王様と犬、時々下克上

吉川一巳

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女王様と犬、時々下克上 9

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「車出してもらってごめんね、奈緒ちゃん」

「今の季節バイクじゃ寒いですからね。私結構運転好きなので気にしないで下さい」

 私は正面を向いたまま、助手席の恭平さんに返事をした。

「女の子に運転してもらうって、なんか気が引けるというか……夏と冬はきついから次の車検切れたら車に代えるつもりではいるんだけど……」

 本当は運転すると申し出てくれたのだが、任意保険の関係で丁重にお断りした。

 何事もなければいいが、事故った時に困る。家族以外に運転させてはいけないと、親からきつく言われているのだ。

「バイクだとヘルメット被らなきゃいけないですからね。折角やってもらった髪型も崩れちゃいます。でも二人乗りってちょっと憧れるので、もう少し温かくなったら乗せてくださいね」

 今日は月曜。結構楽しみにしていた初デートの日である。この日までの二日間、注意したおかげか恭平さんからのライン攻撃は、頻繁ではあったが控えめになった。まだちょっぴりうんざりするペースではあるが、初日の事を思えば許容範囲内だ。

 発進前、バックミラーの位置を微調整すると、いつもよりキレイになった自分がちらりと映った。

 髪もメイクも昼に家に来た恭平さんにやってもらったものだ。

 サイドの髪を編み込んで、後ろに一つにまとめた髪型は、凝っていてとても可愛い。短時間で劇的に変身させてくれる恭平さんは、シンデレラに出てくる魔法使いみたいだ。



 アパートから車で十五分ほど走らせると目的地である水族館に着いた。

 ここなら寒くても大丈夫だということで、二人で相談して決めたのである。

 水族館に遊びに来るなんて何年ぶりだろう。ちょっぴりドキドキしながら私は恭平さんと手を繋いで、幾何学模様の建物へと向かった。

(恭平さんの手、大きい)

 やだな、私、緊張に手汗をかいている。恭平さんに伝わらなければいいんだけど。

 ちょっぴり不安を抱えながら館内に入ると、薄暗く、青い空間が広がっていた。

 大きな水槽の中を、ゆったりと魚が泳いでいて、とても神秘的だ。

 平日だけあってお客さんの数もまばらで、静かでキレイな光景に心が癒される。

 私たちは順路に従って順番に水槽を覗いて行った。







 恭平さんの意外な一面を知ったのは、ペンギンのコーナーに差し掛かったときだった。

「あー、ペタペタ歩いて可愛いなぁ……あの何考えてんのかわかんない顔といいホント可愛い」

「ペンギン好きなんですか?」

「うん。泳いでるところは素早くてあんまりなんだけど、地上にいてのたのたしてるところはめっちゃ好き。あっ、今の見た? ずりってなった!」

 恭平さんの目はペンギンに釘付けである。

「後二十分後にお散歩があるみたいですね」

「ホントだ。見なきゃ」

「始まるまでここで休憩します? ちょうど椅子もあることですし」

「え? 奈緒ちゃんいいの?」

「ちょっと疲れたので座りたいなって思ってたんです」

「じゃあ俺飲み物買ってくる。何がいい?」

「じゃあ温かいお茶で。お茶ならなんでもいいです」

 財布を出そうとすると制された。

「入場料ワリカンだったからいい。これくらい奢るよ」

「そうですか? じゃあありがたくご馳走になります」

 近くの自販機に向かう恭平さんを見送ると、私はベンチの空いているところに腰掛けた。

「あれ? 仁科さん!?」

 こちらに戻ってこようとしている恭平さんを見て、すれ違った女のお客さんが大きな声を上げた。

 若い女性の二人連れで、そのうちの片方が恭平さんと顔見知りのようだ。

「やだ、どうしたんですか? 奇遇ですね。あっ、今日月曜だからお店はお休みなんですね。どうしたんですか? もしかしてデート?」

 ショートカットのすらりとした女の子と、ふわふわとした髪の小柄な女の子と。小柄な女の子の方がきゃぴきゃぴとした声で恭平さんに話しかけている。

「うん、実はそうなんだ。アイちゃんは?」

「私は残念ながら女子会なんです。タダ券もらったんですけど使いどころに困っちゃって」

 女の子はてへへと笑った。あざとい。媚を含んだその表情に私は眉をひそめた。高校時代、男子にだけあからさまに態度が違う子がいたのを思い出してしまう。

「ごめんねアイちゃん。彼女待たせてるから。またご予約の際はご指名お願いします」

 恭平さんはそう断ると、私のほうに向かってきた。

 女の子からの鋭い視線を感じる。同性同士だからわかる。これは値踏みされている。

「お知り合いですか?」

「お店のお客さん。俺の事いつも指名してくれるんだ」

 恭平さんはぺこりと女の子に会釈をした。ふわふわの子は、連れの女の子に促されて去っていくが、なんだか心にざらざらしたものが残る。

 ちらりと見えただけだったが可愛い子だった。キレイ系の派手美人だったユキちゃんとはまた違う、甘いお菓子のような印象の女の子だ。

 美容師さんで指名を取って行こうと思ったら、腕だけじゃなくて接客能力も要求されるはず。

 中身は残念でも恭平さんはイケメンだ。そんなイケメンに愛想良くされたら、好きになってしまう女の子がいてもおかしくないと思うのだ。

「ただのお客さん?」

「何? もしかして嫉妬?」

 恭平さんは、にやにやとどこか嬉しそうだった。むかつく。

「そんなんじゃないです」

 私はぷいっとそっぽを向いた。







 ちょっぴりイラっと来る事はあったけど、初めての水族館デートは楽しかった。

 夕食は、宿代と言い張る恭平さんの好意に甘えることにした。その恭平さんは、今日も泊まるつもりのようである。嫌でも夜を意識して、車のハンドルを握る手に力がこもった。

「はー、ペンギンかわいかったぁ……」

 普段からヘラヘラとした印象の恭平さんは、お酒が入ってよりヘラヘラ度が増している。

 運転手は私だし、支払いは恭平さんだからという理由で飲みたかったら飲んでもいいですよ、と許したのだが、生中一杯でへべれけになっているところを見ると、あまり強くないらしい。

 いくら飲んでも理性を失う飲み方はできない私としてはちょっぴり羨ましい。一度くらいこんな風に気持ちよく酔ってふにゃふにゃになってみたいものである。

「ねー奈緒ちゃん、きいてるー? 俺、ペンギン触ったの初めてだよ。まだ感触残ってるぅ」

「はいはい聞いてますよ。お散歩ペンギン良かったですね」

「うん。この写真宝物にするー」

 そう言うと、恭平さんはスマホ見てにまにまと笑った。

 水族館でのペンギンのお散歩は、人が少なかったせいかしっかりと触れ合うことができたのである。

 背中なら触ってもいいですよ、と飼育係のお姉さんが言ってくれたので、私も恭平さんも生まれて初めてペンギンに触った。

 イルカのようなツルツルの触感かと思いきや、しっかり羽毛で、鳥なんだなということを実感できたし、一緒に記念撮影までさせてもらえたのはなかなかの収穫だったと思う。

「行って良かったです。連れて行ってくれてありがとうございました」

 ……うるさいくらいにハイな状態なのに返事がない。

 不審に思い、信号に引っ掛かったタイミングで私は助手席の様子をうかがった。

「どうしたんですか? 気分悪いんですか?」

 青ざめ、うつむく恭平さんに私は慌てる。

「ちが、トイレ……」

「ええっ? あと五分くらいで着きますけど、我慢できます?」

「結構限界……かも」

「大の方ですか」

「ちがっ、小だけど……ごめんどこかで降ろして」

「降ろしてどうするんですか。立ちションは軽犯罪ですよ?」

「そ、それでも奈緒ちゃんの車に漏らすよりいいよ。ごめん、マジで我慢できそうにない」

 この人は……なんでこんなに切羽詰まるまで言わないのか。

 私はため息をつくと、人通りの少ない路地に入り路肩に車を停めた。

「行って来る!」

「待ってください。袋、ありますから」

「えっ?」

 戸惑う恭平さんに、助手席のグローブボックスからエチケット袋を取り出すと差し出した。前に乗り物に弱い友達を乗せた時に購入したもので、吸水剤が入っていて簡易トイレとしても使えるというものだ。

「それにしてください。見ててあげますよ」

 くすりと笑いながら告げると、恭平さんの瞳が揺れた。

「こんな……奈緒ちゃんの前で」

「立ちションするつもりだったんでしょ? じゃあ変わらないですよ。どっちにしろ私の目の前でするんだから」

 ほら、早くしないと漏らしちゃいますよ。

 続けて囁くと、恭平さんはごくりと生唾を飲み込んだ。

「手伝ってあげましょうか?」

「い、いいっ」

 伸ばしかけた私の手を制すると、恭平さんはためらいがちにズボンに手をかけた。

 私はエチケット袋を包装から取り出し、使用方法を確認する。

「へえ、一応女の子でも使えるんですね。男の人の方が圧倒的に使いやすそうだけど。ほら、ここからちんちん入れれるようになってますよ」

 袋を差し出すと、恭平さんはおずおずと受け取り、下着から性器を出すと、恥ずかしそうに中に差し入れた。

「みないで……」

「嘘つき。ホントは見て欲しいくせに。恭平さんはMの変態ですもんね」

「……っ」

 恭平さんは唇を噛み締め、ぎゅっと目を閉じるとうつむいてしまう。

 ――じょろじょろと排泄の音が聞こえてきた。と、同時に車内にはおしっこのにおいが立ち込める。

 私は匂いを逃がすために少しだけ窓を開けた。

「ごめんなさい……」

 消え入りそうな声での謝罪に、色々な気持ちがこみ上げる。

 可哀想。可愛い。楽しい。

 そんなものがない交ぜになって、私は笑みを浮かべた。

「終わりましたか? じゃあ漏れないように蓋をしてこっちの処理袋に入れてください」

「…………」

 車内のオレンジ色のライトが、羞恥に涙を浮かべる恭平さんの横顔を照らし出している。

「勃っちゃいましたね。やっぱり変態だ」

「……すぐ、おさまると思うから」

「出さなくていいんですか? 今日はそのつもりでしたよね?」

 首をかしげながら尋ねると、恭平さんの頬が赤みを帯びた。

「ここで、してくれるの」

「……ここじゃダメです。狭いですし、もう少しで家だから我慢しましょうね」

 子供に言い聞かせるように言うと、潤んだ瞳が揺れる。

「はい、これで拭き拭きしてきれいにしておいて下さい。家に着いたらすぐにしてあげますから、そのままおっきおっきさせておいてくださいね。わかってると思うけど、ズボンの中にしまっちゃダメですよ」

「……はい」

 恭平さんは素直に頷くと、私が渡したウェットティッシュでそこを拭き清めた。

 それを確認してから車内の明かりを消し、私は車を発進させる。

 ちらりと横目で恭平さんを見ると、堪えるように眉を寄せながらゆるゆると自分のものをしごきあげていた。



「着きましたよ、恭平さん」

 私は外側から助手席のドアを開けると、恭平さんに降りるように促した。

「やっぱりこのまま降りるの……?」

 恭平さんは言いつけ通りまだ硬さを保ったままの局部をむき出しにし、涙目になっている。

 そうだよね。時刻はまだ八時を少々回ったばかり。駐車場から私の部屋までの距離は短いとは言え、誰かに出くわす可能性が全くない時間じゃない。

「大丈夫ですよ。きっと誰も来ませんから」

「でももし誰か来て見られたら……」

「恭平さんの趣味が色んな人にばれちゃいますね。でもいいじゃないですか。そういうのも興奮しちゃうんでしょ?」

 畳み掛けると恭平さんはびくりと身を震わせた。

「想像してみてくださいよ。私以外の人にも変態ってバレて、蔑まれるとこ。ここは正直ですね。さっきより大きくなってるじゃないですか」

 先端をつん、とつつくと恭平さんは小さくうめいた。

「わかった、から。触らないで。くるま、よごしちゃう」

 はあはあと荒い息をつき、よろめきながら恭平さんは車を降りた。

「はい、これ持って。恭平さんが出したものなんだから、ちゃんと自分で始末してくださいね」

 私は使用済みのエチケット袋を恭平さんに手渡す。恭平さんは目を見開くと、泣きそうな顔でそれを受け取った。

 ねえ、今どんな気持ち?

 悔しい? 情けない? 恥ずかしい? でも興奮してるんだよね?

 恭平さんの息子は外気にさらされても萎えるどころかそそり立ち、透明な液をにじませている。先走りはまるで涎だ。欲しい欲しいと更なる刺激を求めているように見える。

「それで前を隠していけばいいんですよ。誰かが来ても大丈夫、きっと気付かれませんから」

 私はふらつく恭平さんを支えながら囁いた。
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