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豊穣祈念祭 03

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 奉納舞用の聖別された扇を武器として使う事に、わずかなためらいがあったのがいけなかったのだろうか。ネージュの突きは、ナゼールの首を掠めただけで終わった。

 しかし、彼に捕まれた腕を振りほどくのには成功する。

「ネージュ様……?」

 戸惑いの表情を見せるナゼールに向かって、ネージュは扇を構えた。

(せめてこれが鉄扇だったら……)

 鉄扇は、貴婦人に好まれる護身用の仕込み武器である。
 だが、生憎今手にしているのは祭事用の木製の扇なので心許ない。
 
「抵抗はやめて下さい、ネージュ様。あなたを傷付けたくはないんです」

(だから何?)

 銃口を突きつけながら脅迫してくるナゼールに、ネージュは冷ややかな眼差しを向けた。
 銃が怖くないと言えば嘘になる。だけど、撃たれて命を失う可能性以上に、他人に自分の意思を捻じ曲げられる方が耐えられない。

 ネージュは無言で再び突きを繰り出した。
 今度の狙いは銃を持つ右手首だ。

 しかし、打ち据える事には成功したものの、動きにくい神子装束を身に着けていたのが裏目に出て、袖を取られて腕をねじり上げられてしまった。

「意外に勇ましいですね。いつも冷静で穏やかなあなたにこんな一面があったとは……」

 ナゼールはネージュの体をそのまま床に押し倒した。
 必死に抗おうと藻掻いてみるが、根本的な力の差があるせいでびくともしない。
 悔しい。単純な力比べになると、どうしたって男には敵わない。

 せめて武器があれば。身軽な格好だったら。
 ネージュは唇を噛んだ。

「ずっとこうしてあなたに触れたかった……」

 ナゼールの吐息が首筋にかかり、ネージュはおぞましさに震えた。
 すぐにでも振りほどいて洗いたい。しかし、がっちりと押さえ込まれているせいで全く身動きが取れない。

「あなたの狙いは私……? だからアリス様を殺そうとしたの……?」
「……愛称で呼ぶほど親しくなったんですか」

 ぐっとこちらを押さえつける力が強くなった。肺が圧迫され、息苦しさにネージュは顔をしかめる。

「視察の時の襲撃の事を仰っているのなら、私ではありません。むしろそのせいで迷惑を被りました。計画が崩れましたからね……」

「計画……?」

「はい。アリスティードに冷遇され、屋敷を去ったネージュ様を、慰めて特別な関係になるという計画です」

 ネージュはナゼールの発言に呆気に取られた。

「平民の私があなたを手に入れようと思ったら、それしかないじゃないですか……。アリスティードは私にとって必要な駒だ。いなくなったら、別の高貴な男があなたに求婚しに来る」

 言われてみれば確かにそうだ。
 アリスティードが亡くなれば、ネージュはレーネ侯爵家の相続人に戻る。
 この国の法律では、女が爵位を継ぐのは不可能ではないが、要件を満たすのがかなり難しいので、婿を取るのが一般的である。
 ネージュが未亡人になった時、真っ先に求婚しに現れるのは、恐らくフェリクス王子だ。彼が求婚者として現れたら、次こそ断れない。

「分の悪い賭けなのはわかっていました。噂や嘘に惑わされず、あなたの本質を見抜く男だったら諦めようとも。……でも、ダメでした。あなたから離れてよくわかりました。どんな手を使ってでもあなたが欲しい。愛しています、ネージュ様」

 ナゼールは、熱に浮かされたようにつぶやくと、ネージュのうなじに口付けてきた。
 その瞬間全身に悪寒が走った。吐息とは比べ物にならないほどの嫌悪感が湧き上がる。

 十近く年上の男から見せられた突然の執着は、ネージュにとって恐怖以外の何ものでもなく、触られたところの全てが気持ち悪かった。

(どうしてこんな……)

 じわりと涙が滲んで視界が歪む。

 ――その時だった。
 大きな破砕音とともに窓ガラスが破られ、人影が室内に飛び込んできた。

 ネージュは目を見開いてそちらに視線を向けた。背後のナゼールからも動揺が伝わってくる。
 人影は一目散にナゼールに突進し、ネージュから引き離した。
 かと思うと、殴打の音だろうか。鈍い音が聞こえてくる。

 ネージュが体を起こす間に、人影は鮮やかな体捌きでナゼールを制圧していた。
 更に彼は、ナゼールの右手を捻りあげると、銃を奪い取る。

「アリス様……?」

 ネージュは呆然とつぶやく。
 窓からの侵入者はアリスティードだった。
 こちらに向けられたマルセルそっくりの深緑の瞳に、助かったのだと実感する。

「何か縛るものを!」

 切羽詰まった表情で言われ、ネージュは慌てて神子装束の帯を解いた。紐状のものというと、それしか思いつかなかったのだ。
 アリスティードはひったくるように帯を受け取ると、制圧したナゼールを後ろ手に縛り上げた。

 そのナゼールは、殴られた時に気絶したのか、白目をむいて泡を吹いていた。

 アリスティードはそんなナゼールを一瞥してから、放心状態でその場に座り込んでいたネージュに向き直る。

「ネージュ、怪我は!」

「大丈夫です。少しぶつけたくらいで。でも、どうして……? 火災の対応にあたられていたのでは……?」

「あらかた落ち着いたからこっちに。ネージュの神子姿を見る機会だからってエリックが……」

 アリスティードはネージュに近寄って来たかと思ったら、目を逸らした。

「その、帯が……。目のやり場に困るので……」

 その発言に、ネージュは帯を解いたせいで前がはだけている事に気付き、慌てて前を掻き合わせた。

 アリスティードは、上着を脱ぐとネージュの肩にかけてくれる。
 彼が愛用する香水の匂いと、ほのかに残る温もりにほっとした。

「近道をしようと庭を通ったら、カーテンの隙間からネージュが襲われているのが見えたんです。なんとか間に合ったようでよかった……」

 アリスティードは安堵の表情でその場に膝を付き、ネージュと視線を合わせてきた。

「えっと……、私の神子装束は、練習の時に何度もご覧になってますよね……?」
「練習と本番では違います。今日の方がずっと華やかで綺麗です」

 褒められて、ネージュは顔が熱くなった。
 ナゼールと揉み合いになったから、髪も服もぐしゃぐしゃになっているに違いないのに。

「……ひとまず別の部屋に移りませんか? こいつと同じ部屋にいるのは嫌ですよね?」

 その視線の先にいるのは、昏倒したナゼールだ。
 確かにその通りだったので、ネージュは頷いた。
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