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絡まる思惑 01
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アリスティードは、エリックが待機する部屋へと移動すると、ネージュが意識を取り戻したことを報告した。
するとエリックはほっと息をつく。
「良かった……」
そして、アリスティードに頭を下げた。
「ネージュ様に付いて下さってありがとうございました。ほとんど眠られていないのではありませんか?」
アリスティードは首を振った。
周囲の「休んで下さい」という声を振り切ってネージュの傍にいたのは、ただの自己満足だ。
自分が無傷で生還できたのは、彼女のお陰と言っても過言ではない状況だったから、どうしても何かしたかった。
「……まさかネージュに銃が扱えるとは思わなかった」
それだけでなく彼女は人を撃った。
厳しい訓練を受けた兵士でも、敵兵を目の前にして躊躇なく実弾を撃ち込める者は実は一握りだ。
銃は重い。銃自体の重量もさることながら、引き金を引くと、強い反動がくる。
手元で火薬が爆発し、とんでもないエネルギーが銃口から射出されるのが感覚でわかるのだ。それが人に当たったらどうなるのかも。
過去の戦争において、前線に送り込まれた兵士の銃使用率は二割以下だったと聞いた事がある。
銃は人を殺すために最適化された道具だ。だから、生半可な覚悟では人に向けては撃てない。
「護身術の訓練の賜物ですね。ネージュ様はあの容姿ですから、嫌な思いや危険な目に遭われる事が多々ございました」
エリックはどこか物憂げな様子で発言した。
「………………」
ネージュから聞いたばかりの壮絶な過去を思い出し、アリスティードは沈黙した。
「体の傷痕の話を聞いた。子供の頃の……」
ぽつりと告げると、エリックは目を見張った。
「そうですか。ダニエル様の事をお話しになられたのですか……」
「……さっき多々って言ったよな。マルセル爺さんに引き取られた後も何かあったのか?」
「はい。攫われかけたり、物陰に連れ込まれそうになったり……。上流階級の子女には珍しい事でもないのですが」
そう告げると、エリックはため息をついた。
「………………」
ネージュが感情表現に乏しいのは、恐らく過去の経験のせいだ。
ここに来るまで腹を割って話してくれなかったのも、どこか自己肯定感が低く見えるのも、その生い立ちが原因に違いない。
あれだけネージュがマルセルを慕っているという事は、祖父は大きな愛情で彼女を包み込み癒したのだろう。
その想いの強さは、マルセルの話をする彼女の顔からも明らかだ。
表情の変化に乏しい人物なのに、あの時の彼女は――。
「……俺は、思い込みであの人を誤解していたんだな」
アリスティードはネージュの顔を思考の中から追い出しながら、小さな声でつぶやいた。
エリックは、何度も辛抱強くネージュの噂を否定し、本質を見て欲しいと説き伏せてきた。
その彼の前で非を認めるのは恥ずかしかった。
「ネージュ様に対する世間の噂が酷いのは承知しております。元が孤児であのお顔立ちなので、嫉妬があの悪評に繋がったのかと……」
侯爵家にやってきてからのアリスティードには、様々な負の感情が向けられた。
様々な種類のものがあったが、その中には、女中から生まれた庶子でありながら、美しい花嫁とレーネ侯爵家を手に入れた事に対する嫉妬が含まれていたのを思い出す。
それをアリスティードに最もあからさまに向けてきたのは、結婚式に現れたフェリクス王子だ。
「……エリック、一つ確認しておきたい事があるんだ」
「何でしょうか?」
「家令という立場のあなたから見て、ナゼール卿はどういう人なのか」
「ナゼール卿? 顧問弁護士の?」
エリックはアリスティードの質問に眉をひそめた。
「法曹一家の出身で、当家とは二代に渡るお付き合いになりますね。まだお若いですが、優秀で信頼できる方ですよ」
「……エリックの目にそう見えているのなら、あいつは二枚舌の大嘘つきだ」
「えっ……」
「俺のところにマルセル爺さんの遺言を伝えに来た時、あいつ、俺に、悪女に食い物にされてる侯爵家を助けてくれって言ってきた」
そう告げると、エリックは大きく目を見開いた。
アリスティードがナゼールと初めて出会ったのは、当時勤務していた陸軍基地の面会室だった。
マルセルの遺言状を携えて訪れたあの男は、侯爵家がネージュという悪女に滅茶苦茶にされていると嘆いた。そして、大恩ある侯爵家のために、ネージュを追い出して救って欲しいと。
「ジャンヌはナゼールが用意した偽物の恋人だ。悪女は人の心に入り込むのがうまいから、盾を用意しておいた方がいいって言われて……」
「なっ……」
エリックは絶句した。
「それが本当なら性質が悪すぎます! ナゼール卿は一体何が目的でそんな事を……」
つぶやいたエリックは、ハッと目を見開いた。
「ジャンヌさんは……。彼女もグルですか?」
エリックに言われ、アリスティードは愕然とした。
自分はジャンヌの事を何も知らない。
(そうか、グルという可能性もあるのか……)
彼女を紹介してきたのはナゼールで、金に困っていたからこの仕事を受けたと言っていた。
だが、こうなると、直前までお針子として働いていたという触れ込みも怪しく思えてくる。
「確認しましょう」
エリックの発言に、アリスティードはジャンヌを視察に同行させていた事を思い出した。
襲撃からこちら、襲撃者の素性や目覚めないネージュの心配など、考える事が多すぎてすっかりと忘れていた。
アリスティードは、エリックと一緒にジャンヌにあてがったホテルの一室に向かう。
しかし、そこは既にもぬけの殻になっていた。
◆ ◆ ◆
ホテルの中で、ジャンヌは奥様気取りで過ごすつもりだったらしく、分不相応にも何着もの豪華なドレスや宝石を持参していた。
それらを詰めたトランクケースも、ジャンヌ自身も見当たらない事に、アリスティードもエリックも絶句した。
「ホテルのスタッフが何か見ているかも……いや、彼女を追うだけではなくてナゼールの身柄も押さえないといけませんね。失礼します!」
自失から立ち直ったのはエリックの方が早かった。彼はバタバタとジャンヌの部屋を退出した。
――襲撃の黒幕はナゼールだったのだろうか。
一人部屋に残されたアリスティードは、呆然と立ち尽くした。
◆ ◆ ◆
同時刻――。
ジャンヌは、首都に向かう汽車の中にいた。
逃げ出した理由は簡単だ。嫌な予感がした。
こういう時はさっさとずらかるに限る。それを、街娼として夜の世界で生きてきたジャンヌは肌で知っている。
視察中に襲撃事件があったとかで、急遽周囲が騒がしくなり、不安を覚えつつ待機していると、エリックに連れられてアリスティードと一緒に負傷したネージュがホテルに帰ってきた。
不穏な気配を察知したのはこの時である。
その時のアリスティードの様子がこれまでと違った。
彼は、自分の寝食すら疎かにして、意識を失ったネージュに付き添い、周囲がどれだけ説得しても離れようとしなかった。
しかも、ネージュが怪我をしたのは、命懸けでアリスティードを助けようとしたかららしい。
そして、ネージュが運び込まれた部屋から、何かの用事があって出てきたアリスティードの顔を見かけた時、ジャンヌは確信した。
これはダメだ、と。
その瞬間、ジャンヌはキッパリと何もかも諦めた。そして手元にある金目の物をかき集めて逃走したのである。
元々無理のある計画だったのだ。
アリスティードとネージュが、何かのきっかけで対話するだけで簡単に瓦解する。
ジャンヌはその対話を妨げるために用意された駒である。
ネージュが好きで好きで仕方ないナゼールは、彼女の思考回路を熟知していた。
ネージュはマルセル至上主義者だ。だから彼の血を受け継ぎ、後継者として指名されたアリスティードの為なら何でもする。
どんな酷い言葉にも冷たい態度にも耐え、恋人を愛人として迎えたいと伝えたら受け入れ、アリスティードが幸せになる道を探すはず――。
事は面白いほど彼の考え通りに進んだ。
だけど襲撃事件が発生してしまった。
強盗か、それとも何者かの意図があったのかはわからないけれど、二人揃って命の危機に直面して、距離がぐっと近付いたのは間違いない。
(がっつり稼がせてもらったから、一報だけは入れてあげようかな)
ジャンヌは汽車の車窓から流れていく景色を見つめ、目をついっと細めた。
するとエリックはほっと息をつく。
「良かった……」
そして、アリスティードに頭を下げた。
「ネージュ様に付いて下さってありがとうございました。ほとんど眠られていないのではありませんか?」
アリスティードは首を振った。
周囲の「休んで下さい」という声を振り切ってネージュの傍にいたのは、ただの自己満足だ。
自分が無傷で生還できたのは、彼女のお陰と言っても過言ではない状況だったから、どうしても何かしたかった。
「……まさかネージュに銃が扱えるとは思わなかった」
それだけでなく彼女は人を撃った。
厳しい訓練を受けた兵士でも、敵兵を目の前にして躊躇なく実弾を撃ち込める者は実は一握りだ。
銃は重い。銃自体の重量もさることながら、引き金を引くと、強い反動がくる。
手元で火薬が爆発し、とんでもないエネルギーが銃口から射出されるのが感覚でわかるのだ。それが人に当たったらどうなるのかも。
過去の戦争において、前線に送り込まれた兵士の銃使用率は二割以下だったと聞いた事がある。
銃は人を殺すために最適化された道具だ。だから、生半可な覚悟では人に向けては撃てない。
「護身術の訓練の賜物ですね。ネージュ様はあの容姿ですから、嫌な思いや危険な目に遭われる事が多々ございました」
エリックはどこか物憂げな様子で発言した。
「………………」
ネージュから聞いたばかりの壮絶な過去を思い出し、アリスティードは沈黙した。
「体の傷痕の話を聞いた。子供の頃の……」
ぽつりと告げると、エリックは目を見張った。
「そうですか。ダニエル様の事をお話しになられたのですか……」
「……さっき多々って言ったよな。マルセル爺さんに引き取られた後も何かあったのか?」
「はい。攫われかけたり、物陰に連れ込まれそうになったり……。上流階級の子女には珍しい事でもないのですが」
そう告げると、エリックはため息をついた。
「………………」
ネージュが感情表現に乏しいのは、恐らく過去の経験のせいだ。
ここに来るまで腹を割って話してくれなかったのも、どこか自己肯定感が低く見えるのも、その生い立ちが原因に違いない。
あれだけネージュがマルセルを慕っているという事は、祖父は大きな愛情で彼女を包み込み癒したのだろう。
その想いの強さは、マルセルの話をする彼女の顔からも明らかだ。
表情の変化に乏しい人物なのに、あの時の彼女は――。
「……俺は、思い込みであの人を誤解していたんだな」
アリスティードはネージュの顔を思考の中から追い出しながら、小さな声でつぶやいた。
エリックは、何度も辛抱強くネージュの噂を否定し、本質を見て欲しいと説き伏せてきた。
その彼の前で非を認めるのは恥ずかしかった。
「ネージュ様に対する世間の噂が酷いのは承知しております。元が孤児であのお顔立ちなので、嫉妬があの悪評に繋がったのかと……」
侯爵家にやってきてからのアリスティードには、様々な負の感情が向けられた。
様々な種類のものがあったが、その中には、女中から生まれた庶子でありながら、美しい花嫁とレーネ侯爵家を手に入れた事に対する嫉妬が含まれていたのを思い出す。
それをアリスティードに最もあからさまに向けてきたのは、結婚式に現れたフェリクス王子だ。
「……エリック、一つ確認しておきたい事があるんだ」
「何でしょうか?」
「家令という立場のあなたから見て、ナゼール卿はどういう人なのか」
「ナゼール卿? 顧問弁護士の?」
エリックはアリスティードの質問に眉をひそめた。
「法曹一家の出身で、当家とは二代に渡るお付き合いになりますね。まだお若いですが、優秀で信頼できる方ですよ」
「……エリックの目にそう見えているのなら、あいつは二枚舌の大嘘つきだ」
「えっ……」
「俺のところにマルセル爺さんの遺言を伝えに来た時、あいつ、俺に、悪女に食い物にされてる侯爵家を助けてくれって言ってきた」
そう告げると、エリックは大きく目を見開いた。
アリスティードがナゼールと初めて出会ったのは、当時勤務していた陸軍基地の面会室だった。
マルセルの遺言状を携えて訪れたあの男は、侯爵家がネージュという悪女に滅茶苦茶にされていると嘆いた。そして、大恩ある侯爵家のために、ネージュを追い出して救って欲しいと。
「ジャンヌはナゼールが用意した偽物の恋人だ。悪女は人の心に入り込むのがうまいから、盾を用意しておいた方がいいって言われて……」
「なっ……」
エリックは絶句した。
「それが本当なら性質が悪すぎます! ナゼール卿は一体何が目的でそんな事を……」
つぶやいたエリックは、ハッと目を見開いた。
「ジャンヌさんは……。彼女もグルですか?」
エリックに言われ、アリスティードは愕然とした。
自分はジャンヌの事を何も知らない。
(そうか、グルという可能性もあるのか……)
彼女を紹介してきたのはナゼールで、金に困っていたからこの仕事を受けたと言っていた。
だが、こうなると、直前までお針子として働いていたという触れ込みも怪しく思えてくる。
「確認しましょう」
エリックの発言に、アリスティードはジャンヌを視察に同行させていた事を思い出した。
襲撃からこちら、襲撃者の素性や目覚めないネージュの心配など、考える事が多すぎてすっかりと忘れていた。
アリスティードは、エリックと一緒にジャンヌにあてがったホテルの一室に向かう。
しかし、そこは既にもぬけの殻になっていた。
◆ ◆ ◆
ホテルの中で、ジャンヌは奥様気取りで過ごすつもりだったらしく、分不相応にも何着もの豪華なドレスや宝石を持参していた。
それらを詰めたトランクケースも、ジャンヌ自身も見当たらない事に、アリスティードもエリックも絶句した。
「ホテルのスタッフが何か見ているかも……いや、彼女を追うだけではなくてナゼールの身柄も押さえないといけませんね。失礼します!」
自失から立ち直ったのはエリックの方が早かった。彼はバタバタとジャンヌの部屋を退出した。
――襲撃の黒幕はナゼールだったのだろうか。
一人部屋に残されたアリスティードは、呆然と立ち尽くした。
◆ ◆ ◆
同時刻――。
ジャンヌは、首都に向かう汽車の中にいた。
逃げ出した理由は簡単だ。嫌な予感がした。
こういう時はさっさとずらかるに限る。それを、街娼として夜の世界で生きてきたジャンヌは肌で知っている。
視察中に襲撃事件があったとかで、急遽周囲が騒がしくなり、不安を覚えつつ待機していると、エリックに連れられてアリスティードと一緒に負傷したネージュがホテルに帰ってきた。
不穏な気配を察知したのはこの時である。
その時のアリスティードの様子がこれまでと違った。
彼は、自分の寝食すら疎かにして、意識を失ったネージュに付き添い、周囲がどれだけ説得しても離れようとしなかった。
しかも、ネージュが怪我をしたのは、命懸けでアリスティードを助けようとしたかららしい。
そして、ネージュが運び込まれた部屋から、何かの用事があって出てきたアリスティードの顔を見かけた時、ジャンヌは確信した。
これはダメだ、と。
その瞬間、ジャンヌはキッパリと何もかも諦めた。そして手元にある金目の物をかき集めて逃走したのである。
元々無理のある計画だったのだ。
アリスティードとネージュが、何かのきっかけで対話するだけで簡単に瓦解する。
ジャンヌはその対話を妨げるために用意された駒である。
ネージュが好きで好きで仕方ないナゼールは、彼女の思考回路を熟知していた。
ネージュはマルセル至上主義者だ。だから彼の血を受け継ぎ、後継者として指名されたアリスティードの為なら何でもする。
どんな酷い言葉にも冷たい態度にも耐え、恋人を愛人として迎えたいと伝えたら受け入れ、アリスティードが幸せになる道を探すはず――。
事は面白いほど彼の考え通りに進んだ。
だけど襲撃事件が発生してしまった。
強盗か、それとも何者かの意図があったのかはわからないけれど、二人揃って命の危機に直面して、距離がぐっと近付いたのは間違いない。
(がっつり稼がせてもらったから、一報だけは入れてあげようかな)
ジャンヌは汽車の車窓から流れていく景色を見つめ、目をついっと細めた。
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