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襲撃と討伐 01

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 基本的に転移陣は一領一箇所と定められており、領都と呼ばれる中心地に置かれるものだが、ラトウィッジ侯爵領には、例外的に転移陣が二箇所設けられている。
 一つは領都ラトウィンに、もう一つは討伐の前線基地が置かれているセイラックという村にある。
 これは、魔の森からの魔物の大暴走スタンピードに備えたものだ。

 私兵団の所持に加えて、二つの転移陣を所有している事は、ラトウィッジ侯爵家の国内における特別な立ち位置を示すものだ。



 マリーは侯爵家の面々と共に、この転移陣を使って一旦セイラック村に向かう事になった。

 移動の時間は気まずかった。シャールはエレノアとユトナ村やら討伐関係の難しい話をしていて、自然馬車の中でも歩く時にもユベールと並ぶ事になるのだが、話しかける気にはとてもなれない。

(前から好きだったですって? なんでそんな嘘つくのかしら)

 出発直前のユベールの言葉が、ずっと心に引っかかっていた。

(顔が地味でドレスが似合ってないだとか、胸元が開きすぎだとか)

 あれが好意から出た言葉であるはずがない。あるはずが……

(……何だか既視感を感じるわ)

 似たようなフレーズをごく最近何かで見かけたような気がする。

 と言っても最近は読んだ本なんて、ミラが持ってきたいかがわしい官能小説ぐらいで……

 そこまで記憶を探ったマリーは、硬直した。
 そうだ。官能小説だ。それに出てくる男が、女主人公に対して似たような言葉を夜会で投げ付けるシーンがあった。

 その小説では確か、ドレスに関するあれこれの発言は、綺麗に着飾った姿やら、ちらちらと見える胸の谷間やらを、別の男に見せたくないという下らない嫉妬と独占欲の裏返しだということが最終的に明らかになった。

(まさかユベール様もあの小説の登場人物と同じ思考回路だったりして……)

 問い詰めたい。どういう意図で目が気持ち悪いだとか地味だとか発言したのか。
 しかし聞けない。同じ馬車の中にはシャールやエレノアがいるからだ。



「怖いわよね。マリーちゃん、侯爵家の内情を知って、お嫁に来るのが嫌になってしまったかしら」
「いえ……」

 エレノアに話しかけられて、その通りですと言えない自分が恨めしかった。

 領地持ちの貴族に嫁げば多かれ少なかれそういう事は有り得る。しかしラトウィッジ侯爵家は魔の森に隣接しているため、その頻度が多すぎる。

 マリーにとっての理想は、やはりコートニー子爵家と同じような宮廷貴族か商家である。
 しかし、侯爵家から望まれている以上、こちらからの反故は出来ない婚約だ。エレノアに睨まれたら実家の商売が大きな損失を受ける可能性がある。

 それに付け加えてユベールとマリーは上手くいっているとは言い難い。言い難いのだが――

 前ほどユベールと共にいることが苦痛ではなくなっている自分に気付き、マリーは愕然とした。

(あれ、なんで……)

 自分の心の動きに動揺するマリーをよそに、馬車は自警団の基地へと到着した。

 ここは、春と秋の大きな討伐の際の前線基地になるだけではなく、魔の森の監視や観測を行う拠点でもある。

 そこで一行が知らされたのは、今のところ確認されたユトナ村の生存者は五名だけで、非常に無惨な状態になっていたという事だった。

「生存者の治療はどうなってるのかしら?」
「幸い軽傷で、先に到着されたクラリス様が診られています」

 エレノアの質問に答えたのは、状況説明の為にやってきた自警団の団員だった。

 クラリス、というのは、領地管理人ランドスチュワードを務めるシャールの弟の妻だ。
 外部からお嫁にやってきた人で、ユベールの叔母にあたる人物である。

「村を襲った特異種ですが……生存者の証言によると魔人の可能性があります。それも、恐らく元村人が変異したものだと」

「……魔人か」

 シャールが呟くと、場の雰囲気が一気に重たくなった。

 魔の森は時に人も魔物へと変える。そうして生まれた者を魔人と呼ぶ。人の知識と理性を残したまま魔物化した場合、魔人は極めて厄介な外敵となる。

 しかし人が魔物化するには、数ヶ月という単位で森の濃密な《マナ》を取り込み続ける必要がある。

 それだけの期間、魔物が闊歩する魔の森で過ごすのは、戦闘訓練を受けた貴族ならともかく普通の人間には不可能だ。
 そして、魔法の使い手である貴族はまず魔物化しない。これは、魔力器官に取り込まれた《マナ》を、魔法という形で体外に放出する経路が刻まれているからだ。

 この国では、かつて、囚人や捕虜を使って魔人を作る研究が行われた時代があった。
 魔人化の法則については、その時期に行われた様々な実験により判明した事実である。

 尚、この研究は、人を魔人化させる魔道具を生み出すのだが、最終的にとんでもない大災厄をもたらした為、現在では禁呪に指定され、厳重に封印されている。

「ここ最近の《マナ》の乱れが影響したのか、それとも別の要因があるのか……」

 シャールの推測に答える者はいなかった。



   ◆ ◆ ◆



「二十年前まではこんなに苦しくなかったんだがなぁ……」

 大人達がそう口にするのを、セレストは物心ついてから何度も何度も聞いて育ってきた。

 二十年前と言うのは、地主でもある前の村長が亡くなり、代替わりをした年だ。

 高齢だった前の村長の記憶はおぼろげにしかないが、優しいおじいちゃんだったのは覚えている。

 ユトナ村の村長は実質世襲制だ。
 実際は領主に任命されて初めて村長となるのだが、ユトナ村の大部分を所有する大地主である事、そして、人格者だった前村長の長男ということで、今の村長が簡単に承認されてしまった。

 代替わりした村長は、小作料の取り立てに厳しかった。
 天候が悪くても、魔物に農地が荒らされても、容赦なく小作料を取り立てていく。
 そのせいでセレストの家はいつもカツカツの生活だった。

 領主であるラトウィッジ侯爵家に訴える事は出来なかった。気が付いたら村には村長を中心とした小さな独裁国家が出来ていたからだ。

 まず村長は領主から派遣されてくる徴税官を抱き込んだ。その上で小作料の滞納を盾に取り、村人同士が相互に監視しあう密告社会を作り出した。
 領主に訴えようとする者を告発すれば小作料が免除される。そういう仕組みを作り出し、ユトナ村を蟻地獄のような村へと変えてしまった。

 村長の息子のニールは、そんな村長の元で育ったせいか、ひどい乱暴者だった。
 思い通りにいかないとすぐに暴れる上に癇癪を起こす。権力者の息子だから誰も逆らえない。

 セレストは器量に恵まれなかったのが幸いしたのかあまり絡まれる事はなかったが、村でも一、二を争う美少女に生まれたジャンヌは可哀想だった。

 何度も何度もニールに絡まれて難癖をつけられて――成人した今ならわかる。ニールはジャンヌの気を引きたくて、ことさらにジャンヌに突っかかっていたのだと。

 思春期に入るとそれは露骨に酷くなっていき、結果的に耐えきれなくなったジャンヌは誰にも行き先を告げず家出した。

 逃げる直前、一番の友達だったセレストにだけ打ち明けてくれたのだが、小作料の滞納を盾に取って、体を触らせろだの裸になれだのという要求があり、耐えきれなくなったそうだ。

 ジャンヌがニールを拒否して逃げた事で、村長からのジャンヌの両親への締め付けは厳しくなった。
 小作料が払いきれない場合、小作人には地主の元での労役が課される。

 そしてジャンヌが逃げ出した二年後の冬――村長の家での奴隷まがいの扱いに耐えかねたジャンヌの両親は、揃って首を吊った。



 だからセレストは、ジャンヌの顔を持った魔物が村に現れた時、ああ、復讐をしに現れたんだなと思った。

 その魔物は、胸までが人でそこから下は鳥の姿をした、半人半鳥の化物だった。

 異国の神話に出てくる妖鳥ハーピーを連想させる外見で、ジャンヌの髪と同じ漆黒の羽毛に覆われていた。

 ジャンヌの顔をした黒いハーピーは、上空からずっとその機会を待っていたのか、ニールが自宅から外に出た瞬間を狙い、一直線に舞い降りると、彼をまず血祭りに上げた。

 くびがあらぬ方向に曲がり、明らかに絶命したニールの体を鋭い鉤爪で掴むと、ハーピーは上空に舞い上がり、村で一番背の高い建物である礼拝堂の尖塔に突き刺した。

 その光景は見せしめのようであり、百舌鳥もずのはやにえの様でもあった。

 セレストは、その一部始終を村の他の女たちと一緒に井戸端で目撃した。

 誰かが絹を裂くような悲鳴を上げた。それからの村人の行動は多種多様だった。
 逃げるもの、子供を抱き寄せるもの、硬直するもの。
 セレストは、恐怖のあまりその場にへたり込んだ。

 ハーピーが再び地上に舞い降りた。と同時に暴風が吹きすさび、血の雨が降った。

 殺戮をもたらす漆黒の御使いは、舞い降りるたびに一人、また一人と村人を順に屠っていった。
 そしてついにセレストの番が来た。風の刃がセレストの肩口をすっぱりと切り裂いた。

 右肩が燃えるように熱かった。
 ああ。自分はきっとここで死ぬんだ。セレストは覚悟を決めた。
 次の瞬間、

「せ……レす、と……?」

 ハーピーの動きが止まり、しわがれた声がセレストの名を紡いだ。

 ――ジャンヌだ。
 セレストはこの化物が、やはり友人の成れの果てなのだと思った。



   ◆ ◆ ◆



 生存者の一人であるユトナ村出身の女性、セレストの証言を聞いて、シャールは苦虫を噛み潰したような表情をした。

「ユトナ村がまさかそんな状態になっていたとは……」

 領主であるシャールの失策、そう言われてもおかしくないような状況である。他人事ながらマリーの心は痛んだ。

 残りの生存者は村の子供達で、たまたま礼拝堂の地下を探検する遊びをしていた為に難を逃れたという事だった。

「鳥型魔人は風の魔法を使うようで、村中がズタズタに切り裂かれていました。魔人は村で一通り暴れたら満足したのか、森に戻ったようです。所々木の上に村人の遺体がはやにえのように……」

 報告する団員は言葉を詰まらせた。それはさぞかし惨たらしい様子だったのだろう。想像するだけでも吐き気がする。

「魔人が出たとなると早急に討伐隊を組む必要がある。申し訳ないがマリー嬢、ルカリオ殿には連絡をしておくから引き続きご協力いただけないだろうか?」
「あ……私……」

 シャールから要請され、マリーは即答できなかった。

「マリーちゃんにしてもらう事は普段の討伐と変わらないのよ。この基地で待機して、戻ってきた怪我人を私と一緒に治療するだけなの」
 エレノアの期待の眼差しが向けられ、心がずきりと痛んだ。

「父上も母上もマリーに無理強いしているのと同じです。そういうのはもうやめて下さい」

 侯爵夫妻の間に割り込んできたのはユベールだった。

「マリー、嫌なら断っていい。急な討伐だ。人手が集まらない可能性がある。しかも討伐対象は特異種である魔人。これまでのように軽傷者だけを回すような客人対応は出来ないかもしれない。そもそも俺の事を良く思ってないマリーに、こんな風になし崩しに手伝わせるのはいかがなものかと」

「ユベール様……」

 こんな風にユベールが、マリーを気遣うような発言をするのを初めて聞いた。

 視界の端に、何やら口を開きかけて、エレノアから肘鉄を食らうシャールの姿が見えた。

 マリーは一度目を閉じると、深呼吸をする。

 脳裏に、これまでの討伐で出会った自警団員達の顔が浮かんだ。
 自警団に所属する面々は基本的に気のいい人達だ。
 その気質は、コートニー商会で働く船乗り達にどこか似た部分がある。

 ……その顔が浮かんだ瞬間に、マリーの心は決まった。

「ご協力させていただきます」
「マリー、無理する必要は……」
「ここで帰ったら寝覚めが悪くなりそうです」
「本当にいいのか?」

 ユベールの確認にマリーはしっかりと頷いた。
 これが情が湧くということなのだろう。

「父には私から連絡します」

「……ありがとうマリー嬢。感謝する」

 シャールに礼を言われ、マリーは再び頷いた。
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