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プロローグ

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 王宮の舞踏室ボールルームは、シャンデリアの光でキラキラと煌めき、淑女達の色とりどりのドレスが熱帯魚の尾びれのようにひらめいていた。

 今が盛りの薔薇の花輪があちこちに飾られ、華やかさに更なる彩りを添えている。

 その中でマリー・コートニーは、内心に憤りを募らせていた。

「マリー。何だその格好は」
「はあ、何か問題がございますでしょうか」
「お前は地味なんだからそれなりの装いをしろ。そのドレスは胸が開きすぎだ」
「そうでしょうか? 今の流行はこんなものですよ」

 その証拠に、あちらのご令嬢も向こうのご婦人も、マリーが今着ているものと、大差ない型のドレスを身に着けている。
 おまけに季節は初夏だ。胸元の詰まったドレスなんて着たら、暑いに決まっている。

「……お前にはそのドレスは似合っていない。もう少し慎ましい格好をするべきだ」

(アーハイハイソウデスネ)

 マリーは聞き流しながらも内心で舌打ちをした。

 マリーに対してぶつぶつと悪態をついているのは、マリーの婚約者のユベール・ラトウィッジだ。

 ユベールは、外見だけは女の子の理想を体現したかのような貴公子である。

 混じり気のない金髪に、最高級のサファイアをはめ込んだかのような青い瞳、しみひとつない白皙の肌。
 それでいて怜悧に整った容貌は、まるでおとぎ話の世界から抜け出してきた王子様だ。

 更に、建国以来の名門である、ラトウィッジ侯爵家の嫡子という地位を持ち、国内最高峰の名門ロイヤル・カレッジを飛び級で卒業した秀才である。また、優れているのは頭脳だけでなく、大貴族らしく高い魔力の持ち主でもあった。

 魔の森と呼ばれる魔物の生息地に隣接するラトウィッジ侯爵領では、定期的に魔物討伐という名の間引きを行うのだが、春に行われたそれで、ユベールは誰よりも戦果を上げていた。

 そんな彼に比較すると、確かにマリーは容姿も能力も、ついでに家格だって見劣りする上に、年齢も二つ上だ。

 しかし、面と向かって文句を言われる程では無いはずだ。

 焦げ茶色の髪は、確かに髪色の美しさと希少さでは、金髪には負けるかもしれない。しかし毎日しっかり侍女に手入れをしてもらっているからつやつやだし、絹糸のような手触りなのは密かな自慢だ。

 ユベールには、かつて大きすぎて怖いと言われた、つり目がちの瞳の色は琥珀色。
 しかしマリーとしてはこの瞳は気に入っている。父ルカリオから受け継いだ色だし、領地で飼っている猫のミュウと同じ色でもあるからだ。

 容姿はユベールほど美形じゃない。でも充分可愛いと言える範疇の顔立ちのはずだ。何しろマリーの顔は、大好きなお母様であるベアトリスにそっくりなのだから。

 その顔を地味だの目が怖いだのと言われるのはものすごく気分が悪い。そんなにマリーが気に入らないのなら、婚約の解消を申し出ればいいのだ。

 マリー側からは言い出せないのが辛いところだ。
 マリーの実家、コートニー子爵家とラトウィッジ侯爵家では、大きな家格の差というものがある。

 この婚約が整った背景には、ユベールの母であるラトウィッジ侯爵夫人エレノアの、少女じみた夢と希望があった。



   ◆ ◆ ◆



「た、大変だ! ラトウィッジ侯爵家からマリーに婚約の申し込みが来た!」

 そんな大声とともに、マリーの父であるルカリオが邸の居間に飛び込んできたのは、今から二年前、マリーが十八歳になった時の事だった。

 その時マリーは弟のグエンことグエナエルとチェスの勝負をしている時で、よし、今からグエンを追い詰めるぞ、と気合いを入れた所だった。

「何ですかそれ、詐欺じゃないんですか」

 開口一番の若干失礼なグエンの言葉に、ルカリオはずい、と手にした書面をこちらに見せてきた。

「本物だ。ほら、ここにラトウィッジ侯爵家の紋章が」

 書面に刻まれた金色の輝きを放つ紋章は、確かにラトウィッジ侯爵家の魔法紋だった。

 魔法紋は魔力によって刻まれる紋章なので偽造が非常に難しい。紋自体の複雑さもさることながら、魔法紋には刻んだ当人の持つ、最も強い魔力属性がそのまま色となって現れるからだ。
 ラトウィッジ侯爵家は雷属性が強く出る家系として知られている。
 現当主であるシャール・ラトウィッジ侯爵の魔力属性もその例に漏れず雷で、それ故の金色の輝きだ。

 これを水属性の強いマリーやルカリオが刻んだら、青色に、風属性のグエンが刻めば緑色に輝くことになる。

「なんで姉上にラトウィッジ侯爵家みたいな名門から申し込みが……」

 グエンの疑問はもっともだった。
 こちらは子爵家、向こうは侯爵家、その間には深くて大きな家格の差という溝がある。

「うーん、もしかしたらお母様からのご縁かもしれないなぁ……」

 マリーとグエンの母、ベアトリスは、五年前に流行病にかかり、既に儚くなっている。
 その為本人には確認できないのだが、ルカリオによると、そのベアトリスと、ラトウィッジ侯爵夫人のエレノアは、学生時代、大親友とも言える間柄だったそうだ。



 結果的にルカリオの推測は当たっていた。婚約にあたっての両家の顔合わせの場で、他でもないエレノア夫人からそうにこやかに告げられたからである。



   ◆ ◆ ◆



 顔合わせは、ラトウィッジ侯爵家の領地にあるマナーハウスで行われた。

 各地に配置された転移陣でひとっ飛びなので、一昔前とは違い便利になったものである。その分使用料はぼったくりかと思うくらい取られるのだが。

 アライン王国建国以来の名門なだけあって、ラトウィッジ侯爵家のお邸は立派だった。

 外観もだが内装も、歴史的価値のありそうな絵画やら壺やらがあちこちに飾られている。そしてそれらが上品にまとめられているのが凄い。これが上級貴族のセンスというものか、とマリーは内心で感心した。

 執事バトラーと思しき男性使用人に案内されたのは、侯爵夫人ご自慢の温室コンサバトリーだった。熱帯のものと思われる観葉植物の鉢が、これまた上品に飾られている。

 マリーとルカリオが中に入ると、当主のシャール、夫人のエレノア、そしてユベールが待っていた。

「まあ、なんて可愛らしいお嬢様。話には聞いていたけど本当にビビそっくりなのね! 昔、ビビと約束したのよ。お互いに年回りの近い子供が産まれたら結婚させましょうって」

 ふわふわとした笑みを浮かべ、エレノアはコートニー家の親子にそう告げた。
 ビビというのは、母ベアトリスの愛称だ。

 エレノアは、もう四十代後半のはずなのだが、妖精の様な細く可愛らしい女性だった。
 まだ二十代後半の容貌を保ち続けるその姿は、美魔女と呼びたくなる。

 ユベールの優れた顔立ちはエレノアにそっくりだった。この時、二つ年下の彼は十六歳で、エレノアの発言をどこか憮然とした表情で聞いていた。

 彼とは対照的だったのはシャールである。
 渋い印象の素敵なおじ様で、にこにこと穏やかな眼差しでエレノアを見つめていた。
 同じ父親なのに、どこにでも居そうな普通のおじさんであるルカリオとは全然違う。特に腹部の引き締まり方が。マリーは少しドキドキした。

「見ての通り妻がこう言うからね。そちらにお話を持って行ったんだ。それに、ルカリオ殿の経営手腕も有名だしね。マリー嬢さえ良ければ、是非この話を受けて頂きたい」

「うちとしては過分のお申し出なので……」
 ルカリオは完全に緊張した表情で返事をした。

(侯爵家からの申し出じゃ断れないわよね)

 なにしろコートニー家は新興貴族。曽祖父の代に海運事業で巨万の富を築き上げ、その功績を認められて叙爵されたという、歴史の浅い木っ端貴族なのだ。
 お金はたっぷりあるけど社交界では成金と見下される、そんな家である。

「とりあえず婚約の成否に関しては置いておくとして、若い二人で少しお話してきたらいかがかしら」

 うふふ、と笑ったエレノアの勧めにより、マリーはユベールと二人きりで庭を散策する事になってしまった。



   ◆ ◆ ◆



 ラトウィッジ侯爵家の庭園は、これまた品よく整えられていて綺麗だった。
 今流行りの風景式の庭園というやつで、ガゼボや水車小屋を模した装飾建築フォリーなどを上手に活用し、田舎の農村風の景色を作り出している。

 薔薇やラベンダーといった今が盛りの夏の花々が綺麗に咲いていた。

 その中をユベールに案内され、マリーは途中にあったベンチに座るよう促された。
 この間ずっとむっつりとした表情なので、非常に話し掛けづらい。いくら美形でも心象はイマイチである。

「おい、お前、マリーとか言ったな」
「はい」

(いきなり呼び捨て……)

 少しカチンと来たが、マリーは顔に出さないよう努力した。
 相手は名門の跡取りで、しかも二つ年下だ。ここは年上の余裕をもって流すべきだろう。

「お前はこの婚約についてどう思ってるんだ」
「はあ、正直戸惑っています。ユベール様もお困りなのでは? うちは子爵家ですし私の方が年上ですし」
「嫌そうだな。地味女のくせに」

(あ゛?)
 マリーは顔を引き攣らせた。
(今こいつ、地味って言った?)

 地味……。そりゃあきらきらしい容貌のユベールと比べれば地味かもしれないが、面と向かって言われるほど地味だろうか、とマリーは思わず自問自答した。

「こっちだって願い下げなんだ。お前みたいな年上の地味女。しかも新興貴族の子爵家の出身だし、俺と釣り合いが取れると本当に思っているのか」

「釣り合いませんね。認めますよ。私は魔力もさほど高くありませんし」

 何しろ曽祖父の代までは平民だった。
 祖父の代に没落貴族の娘を金で買い、ルカリオが伯爵令嬢だった母と恋に落ちた事で、マリーとグエンの姉弟は、貴族としての体裁が取れる程度の魔力を備えているが、ユベールから見ると物足りないにも程があるだろう。

 ちなみにこの国においての魔法は、富裕層と貴族のものである。
 魔力は誰もがある程度備えているものだが、それを体外に放出するためには、肉体に経路を刻む必要があり、その経路を作るのにとってもお金がかかるからだ。
 また経路を作った後、様々な種類の魔法を学ぶのにも学費という名のお金がかかる。

「私がお気に召さないのなら、どうかこのお話は無かった事にするようご両親に働きかけてください。当家からは格上のラトウィッジ侯爵家からのお申し出を断るのは難しいですから」

 マリーがそう告げると、ユベールの顔がこれまでになく凶悪な物に変化した。

「無理だ。母上が乗り気過ぎて止められない」

(マザコンか)

「ベアトリス殿は母上の相当なお気に入りだったようだ。その娘のお前を絶対嫁にすると息巻いている。不本意でも我慢してもらうしかない」

「そうですか」

 それはマリーにとっても災難だが、ユベールにとっても何とも気の毒な事だ。
 マリーは、心の中でこれからの事を思いやり、深くため息をついた。



 そしてその時に抱いた不安は見事に的中し、今に至るという訳である。
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