上 下
405 / 435
第十二章〜全てを失っても夢想を手に〜

29.冠は堕ちる

しおりを挟む
 魔法陣という技術は、遥か古代から存在する魔術の原点である。事前に複雑な形の陣を作る必要はあるが、高度な魔力制御を要する魔法でも確実に発動する。
 ここに大量に刻まれた魔法陣は全てが必殺級の大魔法だ。アルスが巨神炎剣レーヴァテインを使う時に他の魔法を満足に使えないように、大魔法とはそれを制御するだけで苦労する代物である。しかし魔法陣であれば制御に気を回す必要もない。この工房内に限り、ハデスはあらゆる魔法使いを凌駕する。

「転移の魔法で自分の工房に連れ込む。確かにそうだね。それは考えうる限り、唯一の勝ち筋だ。」

 ああ、凌駕するとも。あのレイ・アルカッセルよりも高速で同時に大魔法を行使する事ができる。しかし、それはあくまで魔法を扱う能力に限った話だ。

「さあ、僕を詰ませてみろよ。できるものならね。」

 戦いは技術だけでは決まらない。ハデスはようやくレイと戦えるステージに立っただけだ。まるで詰将棋の如く、ここからは相手の退路を立ち王手をかける必要があった。
 レイは一瞬の隙を見せれば全ての魔法を掻い潜り、ハデスの首を落とすだろう。有利であってもハデスに油断は許されない。
 言ってしまえば単純な話だ。一度もミスをしなければハデスが勝ち、たった一度でもミスをすればレイが勝つ。工房の中にレイを連れ出してやっと、ハデスはその条件を叩きつける事ができた。

「『流星シューティングスター』」

 目を開けていられないほどの極光が部屋を覆い尽くす。それが何であるか理解される前に、球体の光が真っ直ぐとハデスへと襲いかかる。しかし当然、ハデスはそれを結界で防ぐ。
 この程度の魔法は小競り合いに過ぎない。一度防いでも必ず次がくる。

「……眩しいな。」

 今度は一発ではない。十数発が同時に、多方向からハデスへと襲い来る。ハデスは魔力を一部の魔法陣にだけ器用に流し、魔法を発動させた。

 ――『闇の帷シャットアウト

 空から闇が。魔法だからこそ存在できる闇という物質が、重力の塊となって天井から部屋の中を暗く染め上げる。回避は不可能な上に並の結界なら意味をなさない超質量、通常なら体がぐちゃぐちゃになって死ぬだけだが――今回ばかりは相手が悪い。
 闇が晴れた先で、いつも通りの薄ら笑いを浮かべながらレイは立っていた。

「この部屋は魔力濃度が薄い。僕は強力な魔法を使えば使う程に、魔法の出力がどうしても下がっていく。対して君は、この部屋の外から直接魔力を供給して貰っているだろ。君が契約する土の大精霊カーキウによってね。本当にジリ貧な戦いだ。」
「だから言ったろう。儂の工房で勝てるイメージが湧くか、とな。」

 追撃が来る。火炎が、岩石が、紫電が、一斉にレイへと迫る。結界によってそれらを全て防ぐが、その分だけ部屋の魔力濃度は薄くなる。特に精霊であるレイにとって、魔力が薄くなるというのは空気を薄められているのと一緒の事だった。それは体にも負荷が訪れる。
 休みなく次々と魔法が襲い来る。ハデスにとって重要なのは反撃の隙を与えない事だ。長期戦はハデスの方が必ず有利である。兎に角、戦いを長引かせる必要がハデスにはあった。

「『猛獣星プロキオン』」

 だからレイも、奥の手の一つを切る。
 大魔法を食い破るようにして、光輝く巨大な狼が飛び出た。それはハデスのもとへと一直線に迫る。ハデスは複数の結界を構築しながら攻撃魔法を放つが、それを真正面から食い破りハデスの眼前まで狼は迫る。
 もう少しでその爪が届くというところで、狼は地面から生えた岩の槍に刺されて消えた。その隙にレイはハデスまで2、3メートルの所へ近付いていた。

「『武神星アケルナル』」

 光が再びレイの手のひらへ集い、その光は剣の形を成す。狙いは魂の在り処にして急所である心臓。一瞬の迷いもなく、吸い込まれるようにその切っ先はハデスの心臓部へと撃ち込まれた。
 無論、ハデスの周囲には常に結界がある。本来なら避ける必要はないし、ハデス自身もそう考えていた。ただハデスの本能はそれを否定した。

 ――『暴風テンペスト

 荒れ狂う風の息吹が、ハデスの体を真横に突き飛ばす。そのほんの僅か後に、光の剣はハデスの肩へと突き刺さった。
 風で体をズラしていなかったら、きっとこの剣は心臓に刺さっていただろう。
 ハデスがその光の剣の刀身に触れるとその光は消えていった。流れる血は簡単な回復魔法で止める。そうしている内にも、更にレイに時間が与えられてしまう。

「――遥か遠き寒空へ。」

 レイは唱える。ハデスが少し目を離した間に、無数の結界がレイを囲んでいた。

「目を開く事は許されず、四肢を動かす事は叶わず、その命の鼓動は音を消す。」

 結界は四方八方から迫る魔法によって壊された。しかしもう遅い。
 もう如何なる魔法も、レイの場所へは届かない。その手前で力を失って消えるだけだ。

「天然の彫刻、永遠の世界、全ての行き着く先の終わりへ。今、全天が究極の終焉を欲している。」

 この部屋の魔力を全て食い尽くして、魔法は顕現する。

「『厳寒星リゲル』」

 全てが停止する。音もなく、魔力もなく、生命もなく、レイを除いた全てがその運動する力を失っていく。これはただ全てを止めるだけの魔法だった。
 レイの口元から白い息が漏れ出る。

「僕の、勝ちだ。」

 氷の彫像と化したハデスの目の前で、レイはそう一言呟いた。





 ――その心臓を、炎が穿つ。

 終焉の炎ムスペルと言われる炎の魔法である。ただ強力なだけの炎を発する魔法だ。故にこそ他の魔法を圧倒する強さがある。

「なるほ、ど。」

 レイはその場に崩れ落ちる。魂さえも焼け焦げている。肉体的なダメージならともかく、魂の傷はレイでさえも治す事はできない。
 部屋は燃え始め、ハデスの体も動き始めた。

「……儂の体が死んだ瞬間に、魔法が動くようにしておいた。使うとは思わなかったがな。」

 流石に体力の消耗が激しかったのか、ふらふらと足が覚束ない様子で立ち上がる。それでも立っているのはハデスだった。
 あらゆる状況にハデスは勝てるように用意した。自分がやられた時ですらも想定していたのだ。
 レイは見誤った。だって自分が死んだ時に発動するように魔法陣を組むなんて普通は考えない。そんな事を試す奴はいないし、上手くいかなったらただ死ぬだけだ。
 ハデスの覚悟が、レイを上回ったのだ。

「安心しろ、殺しはしない。永遠にここで封印されるだけだ。」

 もうこの部屋の中に魔力はない。レイも如何なる魔法を使う事はできない。ハデスは部屋の外の魔力を一方的に利用できる。勝敗は決していた。
 レイの足元が光り、その体は結界に覆われる。それだけではなく、その体を地面から生えた鎖が縛り付けた。レイの魔力が奪われ、その意識が遠のいていく。
 レイは頭を下げて全身から力を失った。そこでやっと、ハデスは警戒を解いた。

「危なかったが、これで終わりか。次はオーディンを始末せねばな。」

 ハデスはレイに背を向けた――その瞬間の事だった。

「『終焉の炎ムスペル』」

 レイを追い詰めたのと同じ、意趣返しのような同じ魔法がハデスを背後から襲った。その右腕を炎は穿つ。

「な――!」
「ありゃ、外れちゃった。流石に封印されてる最中の魔法は上手くいかないか。」

 顔をあげて、レイは楽しそうに笑った。

「殺すんじゃなくて封印を選んだのは正解だよ。そうじゃなきゃ今ので君を殺していた。」
「何故、だ。何故魔法が使える……?」
「これぐらいの魔法なら自分の魔力で使えるよ。」

 これぐらい、とレイは言った。しかしあの魔法は並の魔法使いであれば一発で魔力がなくなるような大魔法だ。それを体外の魔力を使わずに体内の魔力だけで賄った。
 それは、レイの体には常人の数百から数千倍を越える魔力がある証拠である。

「……化け物め。」
「ふはは、言われなれてるさ。」

 血は止まる。だが、その腕が二度と生える事はない。魂を灼かれたからだ。

「組織に何を言われたか、大体想像がつく。その上で言っておくよ、君の願いは叶わない。」
「――お前に何が分かる。」
「いいねえ、初めて僕に人らしいところを見せたじゃないか。僕は分かるんだよ。君の行く末だって、ね。」

 今度こそやっと、レイは意識を失った。ハデスは一分、二分と警戒を続けて、そこでやっと再び警戒を解いてレイに背中を向けた。
 扉を開けて部屋を出て、何もない天井を眺める。

「ペルセポネ、儂は必ず――」

 壁を伝って、ハデスは歩いた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

辺境の契約魔法師~スキルと知識で異世界改革~

有雲相三
ファンタジー
前世の知識を保持したまま転生した主人公。彼はアルフォンス=テイルフィラーと名付けられ、辺境伯の孫として生まれる。彼の父フィリップは辺境伯家の長男ではあるものの、魔法の才に恵まれず、弟ガリウスに家督を奪われようとしていた。そんな時、アルフォンスに多彩なスキルが宿っていることが発覚し、事態が大きく揺れ動く。己の利権保守の為にガリウスを推す貴族達。逆境の中、果たして主人公は父を当主に押し上げることは出来るのか。 主人公、アルフォンス=テイルフィラー。この世界で唯一の契約魔法師として、後に世界に名を馳せる一人の男の物語である。

拝啓、お父様お母様 勇者パーティをクビになりました。

ちくわ feat. 亜鳳
ファンタジー
弱い、使えないと勇者パーティをクビになった 16歳の少年【カン】 しかし彼は転生者であり、勇者パーティに配属される前は【無冠の帝王】とまで謳われた最強の武・剣道者だ これで魔導まで極めているのだが 王国より勇者の尊厳とレベルが上がるまではその実力を隠せと言われ 渋々それに付き合っていた… だが、勘違いした勇者にパーティを追い出されてしまう この物語はそんな最強の少年【カン】が「もう知るか!王命何かくそ食らえ!!」と実力解放して好き勝手に過ごすだけのストーリーである ※タイトルは思い付かなかったので適当です ※5話【ギルド長との対談】を持って前書きを廃止致しました 以降はあとがきに変更になります ※現在執筆に集中させて頂くべく 必要最低限の感想しか返信できません、ご理解のほどよろしくお願いいたします ※現在書き溜め中、もうしばらくお待ちください

残滓と呼ばれたウィザード、絶望の底で大覚醒! 僕を虐げてくれたみんなのおかげだよ(ニヤリ)

SHO
ファンタジー
15歳になり、女神からの神託の儀で魔法使い(ウィザード)のジョブを授かった少年ショーンは、幼馴染で剣闘士(ソードファイター)のジョブを授かったデライラと共に、冒険者になるべく街に出た。 しかし、着々と実績を上げていくデライラとは正反対に、ショーンはまともに魔法を発動する事すら出来ない。 相棒のデライラからは愛想を尽かされ、他の冒険者たちからも孤立していくショーンのたった一つの心の拠り所は、森で助けた黒ウサギのノワールだった。 そんなある日、ショーンに悲劇が襲い掛かる。しかしその悲劇が、彼の人生を一変させた。 無双あり、ザマァあり、復讐あり、もふもふありの大冒険、いざ開幕!

気がついたら異世界に転生していた。

みみっく
ファンタジー
社畜として会社に愛されこき使われ日々のストレスとムリが原因で深夜の休憩中に死んでしまい。 気がついたら異世界に転生していた。 普通に愛情を受けて育てられ、普通に育ち屋敷を抜け出して子供達が集まる広場へ遊びに行くと自分の異常な身体能力に気が付き始めた・・・ 冒険がメインでは無く、冒険とほのぼのとした感じの日常と恋愛を書いていけたらと思って書いています。 戦闘もありますが少しだけです。

異世界王女に転生したけど、貧乏生活から脱出できるのか

片上尚
ファンタジー
海の事故で命を落とした山田陽子は、女神ロミア様に頼まれて魔法がある世界のとある国、ファルメディアの第三王女アリスティアに転生! 悠々自適の贅沢王女生活やイケメン王子との結婚、もしくは現代知識で無双チートを夢見て目覚めてみると、待っていたのは3食草粥生活でした… アリスティアは現代知識を使って自国を豊かにできるのか? 痩せっぽっちの王女様奮闘記。

『付与』して『リセット』!ハズレスキルを駆使し、理不尽な世界で成り上がる!

びーぜろ@転移世界のアウトサイダー発売中
ファンタジー
ハズレスキルも組み合わせ次第!?付与とリセットで成り上がる! 孤児として教会に引き取られたサクシュ村の青年・ノアは10歳と15歳を迎える年に2つのスキルを授かった。 授かったスキルの名は『リセット』と『付与』。 どちらもハズレスキルな上、その日の内にステータスを奪われてしまう。 途方に暮れるノア……しかし、二つのハズレスキルには桁外れの可能性が眠っていた! ハズレスキルを授かった青年・ノアの成り上がりスローライフファンタジー! ここに開幕! ※本作はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

異世界転生したらよくわからない騎士の家に生まれたので、とりあえず死なないように気をつけていたら無双してしまった件。

星の国のマジシャン
ファンタジー
 引きこもりニート、40歳の俺が、皇帝に騎士として支える分家の貴族に転生。  そして魔法剣術学校の剣術科に通うことなるが、そこには波瀾万丈な物語が生まれる程の過酷な「必須科目」の数々が。  本家VS分家の「決闘」や、卒業と命を懸け必死で戦い抜く「魔物サバイバル」、さらには40年の弱男人生で味わったことのない甘酸っぱい青春群像劇やモテ期も…。  この世界を動かす、最大の敵にご注目ください!

転生したらただの女の子、かと思ったら最強の魔物使いだったらしいです〜しゃべるうさぎと始める異世界魔物使いファンタジー〜

上村 俊貴
ファンタジー
【あらすじ】  普通に事務職で働いていた成人男性の如月真也(きさらぎしんや)は、ある朝目覚めたら異世界だった上に女になっていた。一緒に牢屋に閉じ込められていた謎のしゃべるうさぎと協力して脱出した真也改めマヤは、冒険者となって異世界を暮らしていくこととなる。帰る方法もわからないし特別帰りたいわけでもないマヤは、しゃべるうさぎ改めマッシュのさらわれた家族を救出すること当面の目標に、冒険を始めるのだった。 (しばらく本人も周りも気が付きませんが、実は最強の魔物使い(本人の戦闘力自体はほぼゼロ)だったことに気がついて、魔物たちと一緒に色々無双していきます) 【キャラクター】 マヤ ・主人公(元は如月真也という名前の男) ・銀髪翠眼の少女 ・魔物使い マッシュ ・しゃべるうさぎ ・もふもふ ・高位の魔物らしい オリガ ・ダークエルフ ・黒髪金眼で褐色肌 ・魔力と魔法がすごい 【作者から】 毎日投稿を目指してがんばります。 わかりやすく面白くを心がけるのでぼーっと読みたい人にはおすすめかも? それでは気が向いた時にでもお付き合いください〜。

処理中です...