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第十二章〜全てを失っても夢想を手に〜

12.先代の冠位

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 ハーヴァーンに殺されかけた後、俺はそこから少し離れた木陰で休憩をしていた。傷はもう塞いである。
 いくらハーヴァーンの工房の中とはいえ、あまりにも酷い負けっぷりだった。俺が本調子であったのならもっと良い勝負ができたはずだ。
 原因は分かりきっている。トラウマだ。人を殺してしまうのかもしれないという恐怖が、俺の魔法を鈍らせた。

「本格的に、なんとかしないとな。」

 今回は、たまたま見逃してくれる相手だから助かった。次も見逃してくれるとは限らない。
 それでも、俺の脳裏からあの時の、二レアを殺した感触が忘れられない。俺は幾度も魔物を殺してきた。人形の魔物を殺す事だって当然あった。それでもやはり、人は違う。
 日本人として培った倫理観はまだ生きている。その中でもやはり、人を殺すというのは最大の禁忌であり、普通の人が立ち入らない領域であった。それを俺は越えたのだ。
 俺は、人を殺したくない。例え罪人であっても裁かれる事によって刑を受けるべきだ。何よりもしも、俺が平気な顔をして人を殺せるようになってしまったら、それは――

「――名も無き組織と、何も変わらない。」

 俺はあいつらのように、相手の事情や考えを全て蔑ろにして蹂躙する輩であってはならない。単なる手段として敵を葬ってはならない。一人ずつしっかりとその目で見て、生かすか殺すかを決めなくてはならない。
 傲慢な考えであるかもしれない。それでも俺が俺である為には、これは必要な事なのだ。
 まあ、今の弱い俺には言う資格もない事だが。選ぶと言う行為は強者の特権だ。二レアと戦う前の俺ならば、言う資格もあったかもしれないがな。

「おやおやおや? 元気がないねえ、少年。」
「うわっ、びっくりした!」

 考え込んでいる内に接近されていたらしく、横から顔を覗き込まれるまでその人の存在に気付かなかった。俺は後退りながらその人と目を合わせた。
 茶色の髪で黒いローブを羽織った女性だった。この階にいるという事は恐らく生命科の人なのだろう。

「ああ驚かせてしまったか、それは失敬。そんなつもりはなかった。」

 何より印象的なのはその黒い瞳である。黒は英雄の色だ。それだけでも俺の目を引くには十分な要素だった。

「私の名前はロロス。あのハーヴァーンの工房から生きた人が出てくるなんて珍しくてね。君の事が気になったんだよ。」

 そう言って妖艶な笑みを彼女は浮かべた。
 ここが塔の外であるのならば、彼女の言葉をそのまま受け取れただろう。しかしここは賢神が跋扈する賢者の塔、さっき痛い目にあったし警戒するに越したことはない。

「……アルスだ。何か俺に聞きたい事でもあるのか?」
「いや、逆だ。私達の冠位が迷惑をかけたんだ。何か若人の悩みを解決できないかと、そう思った次第だよ。」

 怪しい。怪しいが、別にここで話す分にはタダだ。もしかしたら本当に単なる厚意で、優しいだけの人の可能性もある。それなら気になる事を聞かなければ損だろう。

「それなら、魂と希少属性についての研究をしている人を知らないか?」

 俺はここに来た理由の一つであるそれを口にした。当初の予定ではハーヴァーンに聞く予定だったが、こうなってはもう不可能だ。絶対に話を聞いてくれる状態ではない。
 むしろ今はプラスに考えよう。どうせあいつも知らなかったって事にしておけば、心労も幾分かマシになる。

「魂と希少属性の研究、ねえ……だけど君は見た感じでは生命科じゃなないだろ? 魂について知ってどうするんだよ。」
「俺は神秘科だ。主目的は希少属性の方にある。」
「なるほどなるほど、それなら君はラッキーだよ。その研究をしていたのが誰か私は知ってる。」

 ロロスは胸を張って自慢げにそう言った。そして両手の人差し指を己の顔へと向けた。

「――そう、魔導生命科の先代冠位にして魂のエキスパート! その研究していたのはこの私です!」

 え? 本当に言ってる?
 あまりにも痛い自己紹介の仕方と、経歴の強烈さで頭がおかしくなりそうだ。こういう時ばかりはエルディナが羨ましくなる。あいつは心の内までは読めないにしても真偽を見分けられるからな。
 俺のその反応が期待に添えたものだったのか、ロロスは余計に笑みを深めた。

「なはは、信じなくてもいいよ。君の研究に私が冠位であるか否かは関係ない、そうだろう?」
「いや、そうだけど……」

 関係ないかもしれないが気になってしまうものだ。こうなるんだったらもっとちゃんと調べてから行けば良かった。

「ハーヴァーンはプライドが高い奴でね。兎に角、自分が上に行くために手段を選ばなかった。私はその影響で冠位を追われて、こうして一介の魔法使いに戻ってしまったの。」

 確かにやりそうな事だ。他部門の親父に嫉妬するんだから、同部門の冠位なんて目の上のたんこぶでしかない。まあ、この人はあまり気にしてなさそうだけども。

「だから、ハーヴァーンに会うのはもうやめておきなさい。あいつは本当に性格が悪いんだから。」
「言われなくても行かないよ。わざわざ拾った命を捨てに行く趣味はない。」
「それは良かった。」

 わざわざ忠告してくれているし、良い人、なのか?

「それでそれで、君はお姉さんに何が聞きたいのかな?」

 俺は自分の研究の事を、一部は隠しながら説明し始めた。





「なるほど。それで希少属性が使えるかは魂によるんじゃないかって思ったわけか。」
「……まあ、概ねそうだ。」

 俺にしか見えなかったアレについては話さなかった。アレは俺の研究の軸になるだろうし、そう気軽に人に話せる事ではない。
 ロロスは悩み込むようにうーんと唸り始める。

「そもそも、魂というのは私達生命科でもよく分かってない。何故この魔力の塊は、他の魔力を統制する事ができるのか、何故世界と繋がってスキルを得ることができるのか。その原理は欠片も解き明かされていない。」

 地球とは違ってこの星は遥か太古から、魂の存在を身近に感じて生きてきた。魔法もスキルも、魂の力そのものだからな。
 しかしあまりにも身近過ぎるが故に、本格的に研究環境が整えられたのはここ数百年辺りの事だ。だからこそ生命科は今人気だし、盛んに研究が行われている。逆に言えば、未知数な事が多過ぎるのだ。

「そこでやったのが希少属性を持つ魂と、そうでない魂の比較になるわけ。魂が魔力以外のエネルギーを有するという仮説に基づいてね。」

 いわゆる対照実験というやつか。同程度の魔力量、同程度の技量の魔法使いを集めて、希少属性を持つか否かで分類する。その条件が及ぼす影響を知りたい時に使う、最もメジャーな実験法だ。
 どうやって魂の違いを調べるのかは専門外だから分からないが、確かに有用な方法と言えるだろう。

「だけど結果は大外れ。1日中計測器具をつけて過ごしてもらったんだけど、魂の動きに大きな差異はなかった。魔法を使う時も特に変化なし。この研究が上手くいかなかったせいで私は冠位を追われる事になるし、本当に散々な目にあった研究だった。」

 俺は少し落胆したが、そうだろうなとも思った。ここに来る前に色々と調べていたが、ロロスの論文は見つからなかった。つまり研究はしていたが、成果は出ていなかったという事に他ならない。
 そう考えていると、ロロスは「ただ、」と言葉を続けた。

「これは非常に感覚的で学術的ではないから人に言っていないんだけど、違和感はあった。」
「違和感って?」
「魔法を使う時に、魂はほんの少しの揺らぎを見せる。その揺らぎが希少属性と基本属性で違うような。上手く言語化できないんだけどね。」

 ただの魔法使いが言ったのであれば一笑に付すような事だが、ロロスは先代の冠位である。その感覚は馬鹿にできないものだ。

「もっと詳しい話を聞きたいなら、私の工房に案内してもいいけどどうする?」

 一瞬行こうかとも思ったが、今日は痛い目を見たばかりである。当分は人の工房に入る気にはなれない。ロロスともさっき会ったばかりだし、まだ大して信用していない。

「いや、またの機会に頼む。ありがとう、貴重な話だった。」
「それなら良かった。また気になる事があったら連絡してくれよ、少年。」

 俺とロロスはそう言って別れた。
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