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第九章〜剣士は遥かなる頂の最中に〜

35.陽が沈む頃

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 夕暮れ時、空は赤ばみ夜が姿を現し始める頃。未だカリティとの戦いが続く最中の事である。

「……何のつもりや。」

 ジフェニルの入る刑務所の中に、鍵が投げ入れられる。鍵は二本で、一つは牢屋の鍵、二つ目は手枷の鍵だ。
 それを投げ入れた当人は、ジフェニルの疑問に答えない。地面に座りこむジフェニルをぼーっと眺めるだけだ。

「わざわざ皇帝陛下が、自分を殺そうとした暗殺者を護衛もなしに尋ねる。正直言って意味が分からん。」

 その男、皇帝シロガネは一言も発さなかった。人払いを既に済ませているからか、看守が寄り付く気配もない。
 だが、時間を空けていきなりシロガネは口を開いた。

「……俺は生まれてからずっと、鬼人族の強さを証明するために育てられた。」

 鬼という国家元首がいながら、国民の殆どが鬼人族であるにも関わらず、世界中の誰も皇国を鬼の国とは呼ばない。
 ここは竜の国だ。そう言われる事がどれほど屈辱的だったか、それはシロガネ自身が一番に体現していた。
 これは一族が綿々と受け継ぐ怨念に近い。

「そう望まれた。だから、今までどんな事だってできた。」

 シロガネは周囲の人が言う事を、血縁の言う事を欠片も疑わずに生きてきた。
 その結果が、これである。
 他ならぬ鬼人に、シロガネは自分の命を狙われたのだ。自分の使命が鬼人全体の悲願であると疑わず、異端を排してきたというのに。

「俺はいつだって、この国の繁栄の為に尽くしてきた。今でも鬼人の繁栄の為には、鬼人族としての強さを知らしめる必要があると思っとる。」

 そう言われ続けて幼少を過ごし、誰にも否定される事なく大人になった。
 凝り固まった考えを捨て去るのは簡単な事ではない。それは皇帝として育てられたシロガネだって変わりはない。

「やけど最近は、それが本当に正しいのか分からん。」

 自分に植え付けられた苗、張り付いた根に抗い戦うのは並大抵の精神ではできない。
 それは今までの自分の全てを否定し、その上で今まで築いたものを少なからず壊してしまう事だからだ。大人になれば尚の事である。

「何故、それが良くないのかを理解はできん。しかしここまで否定されれば、それがおかしいのは、理解できる。」

 シロガネは未だに自分の行いは正しいと思っている。
 しかしヘルメスに否定され、ジフェニルに殺されかけ、それでも自分を信じ続けては、それは狂王である。
 それが、今まで払い続けてきた犠牲に裏切る行為としても、シロガネは受け入れる覚悟をする必要があった。

「俺には、恐らく永遠にお前を理解できない。今だってフリーデルを殺したのは、正しかったと思っとる。」

 だから、と言葉を続けた。

「その牢から出ろ。そして、俺を殺すか逃げるか選んでくれ。皇族そのものが皇国の癌と思うならば、お前には殺す大義も権利もある。」

 全ては皇国の繁栄の為に。その為に、自分を切り捨てる事となったとしても。

「そんな事を、オイラに頼みに来たのか。」
「後にも先にも、自分の命を犠牲にしてでも俺を殺してくれるのは、お前ら兄弟だけや。」

 ジフェニルは鍵を手に持って、器用に手枷を外す。そして鉄格子を挟んで、シロガネと対面した。
 人器はまだ、そこにあった。黒い煤が集まり、それは黒い剣を成す。

「俺はもう、臣下も、家族も、自分でさえも信じられん。自分すら信じられない王に、国は重過ぎる。」

 ジフェニルは大剣を両手で握り、地面と水平に構えた。

「俺は、高くへ行き過ぎてしまった。」

 シロガネは目を閉じた。本当に命を諦めたのだと、ジフェニルは理解する。
 ジフェニルは両腕に力を込め、闘気を纏わせる。
 人器の力も合わせれば、苦しむ暇まもなくシロガネは消し炭になるだろう事は間違いなかった。

 横に一閃、大剣は振るわれた。





「オイラに……」

 鉄格子は焼き切れ、それを強引に押し曲げてジフェニルは牢から出る。

「オイラに、お前を斬る資格はない。」

 そしてシロガネの横を通り過ぎた。牢を叩き斬って疲れたのか、ジフェニルはそこら辺の壁に背を預ける。
 それを唖然としたようにシロガネは眺めた。

「友を裏切ったオイラに、人を罰する資格はない。」
「……恨んでいたんじゃないんか?」
「ああ、恨んどる。今だってお前を殺したい。やけど、俺はそれ以前に大事な物を取り零してしまった。罪人に罪人を裁く資格はないんや。」

 ジフェニルは目の前の復讐に囚われて、目の前の友の信頼にすら気付かなかった。剣を交えた相手にすら、この本心をひた隠しにしてきた。
 そして、こんな状況になってまで信じてくれた友を、他ならぬ自分のエゴで拒絶したのだ。
 自分が碌な人でないと分かったというのに、それでも尚、人の悪行を責め立てる事はジフェニルはできなかった。

「それに死にたいんなら自分で腹を切ればいい。介錯ならやってもええで。」
「皇帝が暗殺された、っていう事実が大切なんや。自殺なんかしても誤魔化して病死とかにすれば、別に大事にもならん。」

 その言葉を最後に、沈黙が響く。重苦しい沈黙であった。

「……おやおや、二人とも陰気臭いね。」

 その沈黙を破ったのは、第三者であった。他ならぬジフェニルを打ち倒した、ヴィーアがそこにいた。
 暗い牢獄に足音が鳴り響く。既に戦いによる傷などは一切残さず、微かな笑みを浮かべながら二人の下へと足を進めていた。

「諦めが早い。それだから上手く行かないんだ。ま、陛下には今回の一件は良い薬かな。」

 ジフェニルは反射的に剣を持つ。昼間に戦ったばかりで、未だにヴィーアに対する敵愾心は残っていた。何より昼間とはどこかヴィーアの様子も違った。

「随分と都合の良い展開になったものだ。一人ずつやる手間が省けた。ここまで場を整えたんだから、これぐらいの幸運はあって然るべきかもだけど。」

 ヴィーアの体は、一歩ずつ変質していった。鬼人の象徴とも言える角が縮んでいき、赤い肌も白く薄まっていく。
 次第にそれは、エルフの容姿に近付いていった。

「いや、今まで騙していて悪かったね。それも今日までだ。」
「騙していた?」
「しょうがないだろ。私だってどうしても果たさなくてはならない大義がある。かなり遠回りはしてしまったけど、これはこれで楽しかった。」

 距離を取ろうと後ろにジフェニルは下がろうとしたが、光の壁が現れて退路を塞ぐ。

「逃げてもらっては困る。」
「どういうつもりや。一体敗者に何の用があって来た。」
「ジフェニル、私の行動指針は常に一つだよ。」

 二人の前に辿り着いて、ヴィーアは足を止めた。

「私は、私の目的を果たしに来た。ただそれだけの事だ。悪いが協力してもらおう。」
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