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第八章〜少女はそれでも手を伸ばす〜

15.眠れない夜

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 アルスは程なくして、城へ帰ってきた。全てを無題の魔法書の、空間収納に仕舞い込んでいるから、あいも変わらず手荷物はない。
 そのまま、特に異常もなく、夕方をも過ぎていった。時としては、人々が寝入る頃である。

「そう言えば、昼間テルムが来てたと思うんだが、何かあったか?」

 そろそろ寝る前、というタイミングでアルスはヒカリにそう聞いた。
 アルスはこの部屋に結界を張っている。人の出入りは把握していたし、それが誰の魔力かまで分かっていた。
 だからこそ、アルスが急いで戻ってくることもなかったわけだ。

「いえ、私は話せないッスから。何か用はあったみたいッスけど、帰っていったッスよ。」
「なら明日辺りに聞いてみるか。分からない所でもあったんだろうし。」

 アルスは、ヒカリが何を言われたのかも知らない。そして、ヒカリはそれをわざわざ言うような人間でもなかった。
 必然、その抱く感情を察する事はアルスには難しいことであったのだ。

「ちょっと、お手洗いに行ってくるッス。」
「ああ、気をつけてな。」

 ヒカリは、その感情を抱えたまま眠れる気がせず、部屋の外に出た。
 窓の外からの三日月の光だけが夜の光源であり、この夜の間に部屋の外にいるのは警備兵だけであるので、人の気配は欠片もなかった。
 物音もしない、薄暗い廊下をヒカリは一人で歩く。特に行き先もなく、理由もなくヒカリは歩き続けた。

「どうやってアテナに言い訳しよう。まさか、女に有り金全部取られたなんて言えるわけないし……」

 すると、明らかに警備兵でもない男が、対面からぶつくさと言いながら現れた。
 ヒカリは何か悪いことをしている気分になり、咄嗟にどこかに隠れようとしたが、当然ながら廊下に隠れるような場所はありはしない。

「……うん?」

 そうやってじたばたしている内に、当然向こうもこっちへ気付く。
 そこにいたのは、昼間にアルスが遭遇した男。アテナと共にこの国へ来た冒険者、アポロンであった。

「――美しい。」
「え?」

 突然の言葉にヒカリは動きを止める。
 昼間に会ったアルスであるのなら、その言葉の軽さに迷わず「嘘だ」と断言できただろう。

「やあ、オレはアポロンって言うんだ。突然だが君、オレの妻にならないか?」
「え、あ、いや。」
「安心してくれ。見た目通り、オレは優秀な冒険者だ。公開させないと約束しよう。」

 色々と過程というものの全てを消し飛ばしてしまった物言いが、彼のモテない理由の全てを簡潔に表している。
 別にアポロンは顔が悪いわけではないし、冒険者としても不出来なわけではない。ただ、相手を高望みし過ぎる癖と、単純な会話の下手糞さが招いた結果である。
 普通、言語が通じないなら多少は引く意思を見せるかもしれないが、アポロンはそれ故に引き下がらない。となれば最も困るのはヒカリである。

「さあさあ、それじゃあ早速ついてきてくれ。オレの部屋に案内し――」
「一体、何をしているのですか?」
「げ。」

 だが幸運にも、それを止める者がここにはいた。
 メイド服を着た、黄色い髪の女性がその後ろから、音もなく現れる。黒いメイド服は月明かりしかない今だと、まるで暗殺者のようであった。

「悪い、この話はなかった事にしてくれ。じゃあな!」

 そう言ってアポロンは一目散にその場を去って行った。メイド服の女性、アテナはアポロンが逃げて行った方を一瞬見て、ヒカリを見た。

「うちの者が失礼しました。良い夜をお過ごしくださいませ。」

 深い一礼をして、アポロンの方へアテナは足を進めた。その流れを、終始ヒカリは、ポカンとした表情で見つめているだけであった。

 その場にヒカリが立ち尽くしていると、また人の足音が聞こえ始めた。今度は足音だけでなく、ランプの光も一緒であった。
 それは髭を蓄えた、白髪の老人であり、杖をつきながら暗闇の中から現れた。

「アテナ殿が走っているのを見て追いかけてみれば、まあ、なるほど。アポロン殿を追っていたんじゃな。」

 それは国王、クラウンであった。この時点でのヒカリには知る由もない事であるが。
 先程とは違い、落ち着いた老人であったからか、ヒカリの心には幾許かの余裕が生まれる。しかし言語が通じないという問題は尚、続いてはいる。

「確か、アルス殿の御付きの者じゃったか。こんな夜更けにどうかしたのかな?」

 ヒカリは何も返さない。返せない。それを見て一瞬、怪しむようにクラウンはヒカリを見るが、ヒカリの不安そうな目の色を見て態度を変える。

「……ついてきなさい。気晴らしに良い場所がある。」

 そう言って、クラウンはヒカリの横を通り過ぎて歩いていった。ヒカリはついていくか悩んだが、最終的にはその後に続いた。
 廊下を渡り、階段を登り、そして進んでいくと、あるバルコニーへと辿り着いた。王城の最上階、4階に備え付けられており、そこからは城下町を一望できた。

「綺麗じゃろう。この景色が、わしの一番好きな景色なのじゃ。」

 城下を月と星々だけが照らし、まるで物語から切り取ったかのような景色であった。夜でも光に溢れる生活を送る日本人にとって、それはあまりにも幻想的に見えた。
 風が空を切る音だけがその場には響き、その景色を、ヒカリはただぼーっと眺めていた。

「何かを悩んでおるのか?」

 ヒカリは、軽く頷いた。

「わしが節介を焼くものではないのかもしれん。じゃが、この歳になれば、迷っている人がいれば自然と手を貸したくなるものなのじゃよ。だから、戯言だと思って聞いとくれ。」

 ヒカリは、今度は深く頷いた。

「わしは、若い頃に剣術をやっていた。そしてそれを、今も続けておる。大した腕ではありはせんが。」

 王族が武術を嗜むというのは珍しいというわけではない。むしろ、教養の一つとして選ばれるものである。
 貴族会では万能人というのが一種の完成点として存在するのだ。ありとあらゆる事に精通し、それを理解するというのが優れた貴族であるとされる。
 そうでなくては、どうやって領民の心を理解できようか、という精神から来たものである。

「しかし、若い頃は剣術が嫌いじゃった。アルス殿のように魔法をやりたかったが、その自由は、わしにはなかった。」

 城下町に向けていた視線を、ヒカリはクラウンの方へ向ける。クラウンはその瞳に、城下を映したままだった。

「今となれば逆に剣術が趣味みたいなものじゃ。生きていれば、案外見方も変わってくる。やる事を一つに絞るのが良いと、よく言われはするが、わしはそうは思わん。全てを中途半端にやっていれば、本当に好きなものだけが、最後にしっかりとできるようになる。嫌になったらそれを止めればいいのじゃ。足を止めさえしなければ、どこかには辿り着く。」

 クラウンは振り返り、王城内へ戻っていく。ヒカリとは、目を合わせることもなかった。

「何かあれば頼ると良い。わしの名はクラウンと言う。適当な使用人に聞けば、きっと案内してくれるじゃろう。」

 バルコニーには、ヒカリだけが残った。肌寒い夜風が、音を立てて流れ込んでいる。
 ヒカリは上を向いた。空には星がある。どんな時でも変わることなく、輝き続ける星が。

「『星のように、誰かを照らせる光であって欲しい。』」

 そうして、ポツリと呟いた。
 ヒカリの心は妙に落ち着き始め、そして逆に熱く、魂が揺れていた。
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