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第七章~何も盗んだことのない怪盗~

20.馬鹿

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「通せ。僕を行かせろ。僕はきっと、そこで死ぬよりもここで行かない方が後悔する。」

 天は二物を与えず、という言葉があるが、アレは正確には正しくはない。天は万物を与えず、という言葉が、きっと正しいのであろう。
 満ち足りる何かを持っていたとしても、必ず理想には一つ足りない。完璧には、完全には一つ足りない。そういう風に人はできているのだ。

 そんな世界で、凡人から英雄へと変わるのは予想より容易であった。

 イデアは凡人だ。普通の家で生まれ、普通の環境で育ち、そして、劇的な恋をした。
 その恋が、彼を凡人ではなくした。
 人を変えるのは運命である。それまでの人生観を容易く書き換え、もう二度と同じ道には戻れない、そんな劇的な運命と出会えば、人はこうも変わるのだと、目の前のイデアに教えられたのだ。

「駄目だ、行かせられない。」

 それでも、俺はここを通せない。ここで無為な犠牲を増やす必要がどこにある。

「お前にも親とか友達がいるだろ。きっとお前が死んだら悲しむはずだ。」
「ああ、そうだろうね。だけど、生憎と既に話をつけた後だ。」

 言葉に詰まる。その先に出るであろう言葉が、喉に突っ掛かって外に出て行かない。

「僕を舐めるなよ。確かにお前に比べれば、僕は弱いさ。それでも十数年も生きた、ちゃんとした人だ。お前が言うであろう事なんて、全部考えた後だし、後腐れなんて一つも残しちゃいないよ。」
「違う、別に舐めてたわけじゃ――
「言い訳はやめろ。僕を憐れむな、侮辱するな。どうせ僕のこの行動は浅慮な、無鉄砲な考えだと思っていたんだろ。分かるさ。僕だって同じ立場なら、同じように思うだろうから。」

 俺は何も言えない。それがもう、答えのようなものであった。
 イデアは自嘲するように薄く笑い、その後にその曇りなき眼を、こちらへと向けた。その感情は怒りか、悔しさか、憐れみか、俺には分かりえない。
 ただ間違いなく、俺を敵視した瞳であったのには違いない。

「僕の人生の責任を、運命を、勝手にお前が持とうとするな。僕の人生は僕だけのものだ。」

 謝ろうとしても言葉は出ず、怒ろうとしてもそんな気力は湧かず、それを受け流そうにも俺は、余裕もなかった。

「それで例え、何も良い事が起こらなかったとしてもか?むしろ大きな犠牲が出たとしても、同じ事が言えるのか?」
「言えるさ。これが咄嗟の激情であったのなら、後悔もしただろう。だけどこの想いは、悩みに悩んで、出した結論だ。例えこの国の全てを敵に回しても、僕にはこれをやる価値がある。」

 覚悟がないのは、俺の方だった。無茶な事なんて、イデアはしていなかった。
 イデアは、命をかけた戦いをするつもりだったのだ。それに比べて俺は、現状維持に留める事しかできていない。

「どうして、そこまで……」
「恋をしたからだ。身を焦がしても足りない、姿を見る度に心奪われるような、劇的な恋をしたからだ。」

 それはそこまでの、命をかけられるものなのか。

「――お前は、どうするんだよ、アルス。」
「え?」
「お前が何かで悩んでいるらしいってことは、昨日知った。それが何なのかは分からない。僕がここまで覚悟を語ったんだ。お前も今ここで、覚悟を語れ。覚悟も持たない奴が、僕の前に立つんじゃない。」

 一番聞かれたくなかった質問、一番向き合いたくなかった質問、それをイデアに突きつけられていた。

「俺には、覚悟なんてねえよ。」
「なら、僕を止めるな。」
「それでも!人の命を救いたい気持ちが、間違ってるはずがないだろうが!」

 俺はイデアに死んでほしくない。いや、死んでいい人間なんて一人だっているものか。
 俺はそれを救うために、魔法をここまで積み上げたのだから。

「――間違っている。」

 だが、その俺の夢や想いを、イデアはまるで通り道を歩くように踏み潰した。

「人は時に、命を失うことに価値が生まれる時がある。命をかける事そのものに意味がある時がある。どうせ死ぬから何もしない、なんて事をしていれば、人は何も成せない。」
「なら、俺はどうすれば。」
「知らない。そんなの勝手に自分で考えろ。」

 俺がいくら止めても、きっとイデアは行くのだろう。突き進むのだろう。ならばいつか、止め切れない日がくる。
 俺にイデアは止められない。それに今の俺に、イデアを止める資格なんてない。

 ――それで、いいのか?

 自分自身の中の、何かが強く囁く。ただ見ているだけでいいのか。傍観者となっても良いのか。ただ悩むだけでいいのか。答えを出せないままで良いのか。

 ――いいはずがない。

 選択をしろ。選ばなければ、何も得られないのだから。

「……通して、くれるのか?」
「お前が言ったことだろ。」

 砂の拘束を解くと、イデアは砂を払いながら立ち上がる。
 だが通すわけじゃない。俺はイデアと、対等な視点で、聞かなければならないことができただけだ。

「もし、俺がやった事で、この国が滅びたとしたら、お前はどう思う?」
「それがお前の覚悟なら、僕は止めないさ。」

 五十年以上も生きているのに、俺の精神は全く完成しない。目の前の青年から学びを得るほど、俺は未だ子供のままである。
 だからこそせめて、俺は俺の責任を果たす。

「ふ、ハハハハハ!」
「……何で笑ってるんだよ。」
「いや、結局馬鹿なのは俺もだなってことに気が付いたから。」

 俺は馬鹿だ。いくら悩んだって、結論が出るはずがない。
 すこし、ツクモの意見に寄ってしまうのは癪だが、それが俺の、今の思いつく限りの最善だ。

「イデア、行くのはいい。だけど明日まで待ってくれないか?」
「理由は?」
「俺は頭は大してよくないって事を思い出したんだ。だから人に頼ろうって、そう思っただけだよ。」

 覚悟は決まった。目の前に、一目惚れしたという理由で命をかける奴がいるのだ。俺も、たかが血縁に囚われていてはいけない。
 ずっと前から結論は出ていたのだ。それを家族という枠組みが、ずっと邪魔をしていただけ。

「他人任せの、好きじゃない策が思いついたんだ。」

 犠牲になるのなら、それは他人じゃなくて自分がいい。だから人に頼るやり方はどこか遠ざけていた。

「イデア、頼む。俺の策に乗ってくれないか。」
「……そんな、申し訳なさそうな話し方をするなよ。それが最善だと思うなら、胸を張れ。僕はお前のこと、この短期間でだけど、結構信頼してるんだよ。」
「それは嬉しい事だ。イデアにそういってもらえるなら一層な。」

 今思えば奇妙な関係だ。出会ってからほんの数日、会話の回数なんて数えたことしかない。それでも俺達は、互いを信頼できるのだから。
 そうと分かれば、話しは早い。時間は有限だ。今日の夜に間に合うかどうか。

「それで、その策ってなんだよ。」
「ああ、いや、策って言えるほど大したものじゃない。」

 誰だって最初に思いつく。そして誰だって最初に否定するような、くだらない策だ。だが力があれば、そんな無茶苦茶な話も筋が通る。

「この国を、ぶっ壊せば全部解決する。それだけだ。」

 俺の言葉を聞いてイデアの表情が固まった。
 口をあんぐり開けて、信じられないことを聞いたからか言葉も発さない。徐々にその言葉に理解が及んで来たのか、平静を取り戻していく。
 そして開口一番叫んだ。

「お前何考えてんの!?」
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