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次の一手編

リアクションは「したほうがいい」のか「しなくてもいい」のか

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 漸く木枯らし一号が吹いた12月の始めの日曜日、『圃畦塾』に通う小学2年生の女の子から京子に相談があった。

「あのね、フィギュアスケート、やりたいの。でもママはお金がないからダメだって」

 この子は大竹未来みらい。母子家庭で、両親は離婚している。離婚後父親は生活費を未来の母に渡していなかったらしく、見かねた京子が新井弁護士に相談し、元夫の給料から母子の生活費を天引き出来るよう手を回した経緯がある。それでも生活は一杯一杯で、京子は母子に何か困った事があればいつでも相談してと言ってあった。

 テレビでフィギュアスケートを見て、やってみたいのだという。京子は塾の子供達に「やりたいことがあったら、じゃんじゃんやろう!」と言ってある。夏にはオリンピックを見た男の子が「クライミングをやってみたい」と言うので、同じくクライミングをやってみたいという子を京子自ら連れて行き、自分もちゃっかり楽しんで来た。

 普段はどこにいるのか名前を呼ばなければ存在がわからないほど大人しい未来が、必死でスケートをやってみたいと京子に訴える。可愛い衣装が、幼いながらも女心を擽るのだろう。

 フィギュアスケートは金がかかるスポーツだとは聞いている。スポンサーの付きづらいスポーツだとも聞いた。

 京子は顎に手をやり、暫く思案する。そして教室にいた生徒全員に聞こえる大きな声で、こう言った。

「スケートやってみたい子、この指とーまれ!」



 ●○●○●○



 東京には沢山のスケートリンクがある。そのうちの圃畦塾に一番近いスケートリンクに、京子は8人の生徒を連れてやってきた。女の子が多いかと思いきや、男の子が7人、女の子は未来1人だけだった。男の子は好奇心から、とにかくなんでもやってみたがる。女の子はスケートには興味はなく、可愛い衣装には興味があるようだった。

 子供達は早速スケート靴を履き、手袋にヘルメットを被ってリンクに飛び出した。みんな初めてだと言っていたが、物怖じせず、壁にも掴まらずに滑り出す。早速派手に転んだ子がいたが、そんなことはお構いなしに、また立ち上がり滑り出した。

 未来も男子に遅れをとらず、リンクの上に立つ。最初のうちは壁に掴まり、おっかなびっくり滑っていたが、5分としないうちにコツをつかみ、すいすいと滑っていた。

「すごいじゃん未来!もうコツをつかんだんだ!」

 子供達と一緒にリンクで滑っていた京子が未来に声をかける。未来は頬を赤く染めた。

「ありがとう!京子先生も上手だね。スケートやった事あるの?」

 一度だけある。正月に京子の父の実家に行った時、伯父が従弟と一緒に連れていってくれたのだ。スケートはその時が初めてだった京子だが、すぐにコツをつかんだ。なぜなら……。

「私が生まれた秋田県って、冬になるとすごく寒くて道路がカチンコチンに凍るの。その凍った道路の上を長靴で滑りながら学校に通ってたんだよー」

「えー?うそだー!」

 東京生まれ東京育ちの子供には、理解しがたいのかもしれない。

「本当だよー。雪が沢山積もる所なんだよー」

「雪!?そんなに沢山降るの?」

「うん。私の身長なんて軽く越えるよ」

「へぇー。すごいねー。いいなー。雪」

 近年の温暖化で東京に雪が降る日数も量も減っている。それに、京子にいわせれば東京に降る雪は「雪」ではなく「みぞれ」だ。

「あのね、京子先生。わたしね、雪の上に「ばふーん」ってやってみたい」

 そう言って未来は両手を大きく広げてリンクの上にうつ伏せに倒れ込む仕草をした。降ったばかりのふわふわの雪の上にダイブしたいらしい。

 京子もやった事はある。はっきり言って痛い。ふわふわで軽くて熱で溶けてしまう儚いもの。雪と共に生活したことの無い者は「雪」にそんな幻想を抱くのだろうが、所詮元は「水」だ。今現在降っている雪の上にダイブしなければ、プールに飛び込むのと同じ衝撃を喰らう。晴れた日の朝などもっての他、雪が凍って最悪だ。だからおすすめしたくはない。もし「それでもやりたい」という者がいたら、充分地元住民から説明を聞いてから判断、決行して欲しい。雪の下が空洞になっていて、そのまま地面まで何メートルも真っ逆さま、レスキュー隊を呼ばなくてはならなくなる可能性もあるからだ。雪山や、スキー場でコースを外れた人間がニュースに報じられる羽目になるアレだ。

 が、京子は未来にはそんな夢を潰すような事は言いたくない。

「そっかー。じゃあ、冬休みになったら秋田に来てみる?」

「うん!行きたい!雪合戦とか、雪だるまとか、かまくらとか作ってみたい!」

 京子がうんうんと頷く。

 (いい子だなぁ。未来は。このまま真っ直ぐ素直に大人になって欲しい)


 スケート場には軽食を取れるコーナーがあり、京子達はそこで昼食を取った。そして午後からは小学生の初心者向けスケート教室に参加した。

 付き添いの京子は、リンクを3分1に区切った三角コーンの外側から子供達を見守る。

 基本的なスケーティングから指導は始まった。未来達はすでに午前中に滑れるようになっていたので、問題無かった。

 指導の内容をあげる。後ろ向きに滑る。指導についてこれない子が増えて、能力別に分けられる。圃畦塾の子も何人かここで分けられた。

 最後の指導はスピンだった。たった数時間の指導でここまで上達出来る子は元々飲み込みの早い子ばかりのようで、先生が手本を見せただけで全員クルクルと回っていた。

 京子が驚いたのは、その中に未来もいた事だ。時々圃畦塾で体育館に運動しに行っても、みんなに遅れを取っていた未来。

 その未来が、他の誰よりも一番速くスピンを回っている。

 京子は思わず三角コーンの外側から拍手する。

「すごい!すごいじゃん、未来!」

 スケート教室に参加している子供の親だろうか。京子と一緒に子供達を眺めていた女性達も拍手している。それほど未来のスピンは見事だった。

「よし。決めた」

 京子はある決心をする。



 ●○●○●○



『で、未来のスポンサーになる事を決めました』

 株式会社KーHOの重役・加賀屋伸行は一言、「ふーん」と言ってコーヒーを啜った。

 定例のオンライン会議だ。京子は今日の出来事を加賀屋に話して聞かせていた。

『とにかく凄かったんですよ、未来!あの後「やる気があるならウチのスクールに来ないか」って、インストラクターからスカウトされたんです!でも未来のお母さんに了解を得ずに勝手にスクールの申し込みは出来ないんで、返事は保留しましたけど』

 加賀屋はふんふんと気の無い返事をする。

『それで未来、「オリンピックに出たい」って。あんなに大人しい子がこんなに大きな夢を語るなんて、嬉しくて』

「なんかお前がお母さんみたいになってるぞ」

 思わず加賀屋はツッコんだ。京子がすぐに言い返すかと思ったが、一瞬間が空いた。画面の向こうで京子が俯く。

『母親になるって、こんな感じなんですかね』

 加賀屋はハッとする。京子の家庭の事情を知っていれば、言ってはいけない台詞だった。

「悪い。無神経だった」

『あ!すみません!気を使わせて!そういう意味で言ったんじゃないですから!お気になさらずに』

 本当に変なところで気を回す子だ。春には高校生になるとは言っても、まだ子供なんだから泣くなり喚くなりしてもいいのに。

 空気を悪くさせないようにか、京子が話題を買えた。

『ところで加賀屋さん、お元気でしたか?』

 相変わらず変なタイミングでこの挨拶が出てくる。

「ああ。こっちは変わらないよ」

『落ち着かれましたか?』

 7月末に父が亡くなった。相続の手続きが漸く全て終わり、父親の居ない新しい生活にやっと慣れ、人心地ついた所だ。

「ああ。それでさ、ボス。年が明けたら真珠戦と紅水晶戦の就位式っていうのを同日にやるんだろ?」

 画面の向こうの美少女の背筋がシャキンと伸びる。

『はい!そうですけど、東京ですよ』

「ああ。暫く振りに東京に行こうかと思う」

 京子が勢い良く椅子から立ち上がった。

『キャー!うれしーい!!来てくれるなんて!』

 イヤホンから超大音量の京子の声が響く。加賀屋は慣れたもので、京子が椅子から立ち上がる直前にイヤホンを耳から外していた。

 小躍りしている京子が画面に映る。踊りながら話しかけて来た。

『あ、そうだ。その日は後援会会長も来て下さるんです』

 加賀屋が硬直する。『アラクネ』の正体は誰にもバレてはいけない。江田会長なら尚更だ。

 行かないほうがいいのか?と、言いそうになる。でもそうじゃない。ボスがもし来ないほうがいいと判断すれば、おそらくこんなに小躍りしていない。これは俺に「江田が来るから警戒しろ」という意味で間違いないだろう。

「そうか。派手な就位式になりそうだな」

『はい!食事も奮発して貰いますから、楽しみにしていて下さいね!』

 秋田ふるさと村で待ち合わせの時、いつも何かしら口に入れている。食べることが大好きなボスの事だ。会長にねだって都内の三ツ星レストランをするのかもしれない。


「それはそうとボス。もうそろそろアンケートの集計が出たんじゃないか」

『あ!そうでした!結果を報告します!』

 画面から京子の姿が暫く消えて、また姿を現した。京子が手に持っているのは、文化祭で行ったあるアンケートの結果だ。そしてそのアンケートは圃畦塾でも行ったのだが、その集計は京子の頭の中にしかない。

『あのですね、面白いことに学校で行ったアンケートでも圃畦塾で行ったアンケートでも、1位は同じだったんですよ』

「へー」

 加賀屋がまた気の無い返事をする。

『それでは発表します』

「そこからやるのか」

 加賀屋が面倒臭そうにツッコむ。

『雰囲気大事じゃないですか』
「たった二人で雰囲気も何もないだろ」
『まぁいいか』
「いいんかい!」

『では発表します。「あなたが行ってみたい外国のお城」一位は……ドコドコドコ……』

「自分でドラムロール入れるんかい!」
『すみません。準備してませんでした』
「いや。必要ないけどな!さっさと発表してくれ」

『はい!第1位はノイシュヴァンシュタイン城でしたー!なので秋田にノイシュヴァンシュタイン城を建てちゃいまーす!』


 そうだろうなと思っていた加賀屋は、全くのノーリアクションだった。
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