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次の一手編

「手を回す」か「手を下す」か【後編】

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 金緑石戦のために新調した紺色のスーツに身を包んだ富岳の目の前に、大豪邸が聳え立つ。

 (なんかデジャブだ……)

 2ヶ月前、豪華客船をこんなふうに眺めていたのを思い出す。


 東京の一等地・田園調布に、何百坪あるんだという敷地の中に部屋数何室あるのか住居人すら把握してないんじゃないかと思われるほどズラリと並んだ扉の数を設えた屋敷。調度品もヨーロピアンで統一されていて、ここは日本ではないのでは?と疑うほど豪華だ。

 (この家、実はVRなんじゃないかな?)

 と思いながら、富岳は使用人に案内されて通された部屋のソファに腰かける。ちゃんと実体がある。実体はあるが、体験したことのないほど座り心地の良いソファで、やっぱりVRなんじゃないかと思う。

 生まれて始めてメイドから飲み物は何にするか訊かれ、お品書きが渡された。

 (メニュー!?ここ、店じゃないよな。人が住んでる家だよな。こういう家では何を頼めばいいんだ?やっぱりコーヒー?苦手だ。じゃあ紅茶?すげー高そうなカップとかで出されて割ったらどうする?じゃあ無難に緑茶?ほうじ茶?あれ?緑茶とか頼んだら、本格的な茶道が始まるのかな?こんな事なら茶道を習っておけば……。いや、メイド喫茶か?でも、ああいう店は未成年者は入れるのか?)

 かなりテンパっている富岳は、思考もハチャメチャになっている。予想はしていたが、予想以上の金持ちの家で、すっかり御上りさんのようになっている。

 大長考した末、結局、富岳はコーラを頼んだ。

 富岳は(こんな金持ちの家にもコーラがあるんだな)と訳のわからない事を考えながらストローに口をつける。しばらくして今日、富岳を呼び出した人物がやってきた。先週交わした平塚囲碁祭りでの約束通り、岩井司は指導碁を受けるという名目で富岳を自宅に招いた。

「お待たせしました」

 普段から家の中でもキッチリした服装でいるのか、はたまた着替えたのか、司はそのまま外出できそうな服装で、富岳の前に現れた。

 (待たされました)

 指導碁というていなので碁盤と碁石が用意されてあった。暇潰しに先週打ったお坊っちゃまとの碁を並べ終えられる時間は待った。およそ一般家庭で人を呼びに行った待ち時間ではない。


 お坊っちゃまが優雅にソファに腰かける。身のこなしも美しくて、富岳は思わず見惚れる。

「早速ですが、畠山京子二段に関する情報が欲しいのです。協力願えませんか?」

 ソファに腰かけるなり岩井司は世間話も前置きもすっ飛ばして、いきなり本題に入った。

 (いきなり本題に入るなんて、失礼だろ!)

 舐められている。同い年なのに、たかが中学生だと思われたのか、それとも棋士は一般常識に欠けた人間だから擅に操れるだろうと思っているのか。

 先週、いい人だとか言ったやつ、前言撤回。こいつ、やっぱ日本の一流企業の跡取りのお坊っちゃまだわ。


 富岳はコーラの入ったグラスをコースターの上にそっと置き、司を見据えた。

「残念ながら、個人情報は教えられません。法律に触れますから」

 富岳は棋院の研修で受けた定型文をそのまま述べる。富岳の人権や人格を無視したお坊っちゃまの先制攻撃に、あれだけ舞い上がっていた富岳は冷静さを取り戻していた。

 やられたらやり返す。勝負師の常だ。富岳は言葉を続ける。

「まずは順を追って説明して頂けませんか?何がどうなって、私が畠山二段に関する情報を貴方に教えなければならないのか、その経緯を。私には説明を求める権利があると思いますが」

「ああ、失礼。言葉が足りませんでしたね。畠山さんの好みを知りたいだけです」

 (何が「言葉が足りなかった」だよ。人を見下してるのがバレバレなんだよ!)

 司はゴールデンウィーク明けに洋峰学園で行われた交流会について、話し始めた。所々主観の視点の違いだろうと思われる部分はあったものの、ほぼ三嶋から聞いていた内容と一致した。

「……それで、ひどく彼女を怒らせてしまいまして、なんとか謝罪したいのです」

 うわぁ。あいつを怒らせたのか。じゃあ、俺はアドバイザーに不向きだな。俺もだし、未だに許してもらえてないし。でも、これはお坊っちゃまには言えないな。あの事件は箝口令が引かれてるし(つーか俺が絶対知られたくない。女に投げ飛ばされて怪我したなんて)。

 司は話を続ける。

「未成年の女性棋士を自宅に招いての指導碁は出来ないと、断られてしまいまして。なので謝罪の手紙と共に彼女にプレゼントでも送ろうかと。それで彼女の好きなものを知りたいのです」

 (だったら手紙だけでも先に送ったらどうだ?)と思った富岳だったが、とりあえず話を先に進めたいので、ここはスルーする。

 ここまで話を聞いて、富岳は疑問に思った事を質問する。

「失礼ですけど、私を呼び出すより成人している女性棋士から話を聞いたほうが良かったのでは?」

「それも考えたんですけど、畠山さんが女性棋士のどなたと仲が良いのか知らないものですから」

 それもそうか。

「岡本一門でSNSのアカウントを開設しているのは知ってますが、他の棋士の方の個人情報に繋がるためか、個人名までは書かれて無いんですよ。フォローしている棋士の方の投稿を見ても、めぼしい情報は手に入らないし」

 なるほどな。情報漏洩防止か。畠山らしい。っていうか、お坊っちゃま、ネットストーカー化してない?

「それで、畠山さんの兄弟子からお話を窺おうかと思ったのですが、やっぱり同い年の立花先生のほうが相談しやすいかな、と思いまして」

 三嶋さんより俺のほうが手懐け易いだろうと思ってたから、と聞こえるぞ。

「なにより立花先生は畠山さんとの対局数が多いですから、それなりに畠山さんの為人を御存知なのではないかと」

 そんな理由で俺!?

 まぁ、外部の人間からしたら、これより手が無いんだろうな。なんせ、送った刺客探偵が悉く捕まってるしな。

 もしかして俺のことも探偵を使って調べたりしたのかな?そりゃそうか。これくらいの金持ちになると、家に招く人間の素行調査ぐらいやってから家に招くだろうしな。やっべぇ。俺、尾行されてるの、全然気付かなかったぞ。もしかして、暴力騒動の件も調べられたのかな?だったら、俺を呼んでも解決しそうにないとわかるだろうに。ということは棋院関係者はちゃんと箝口令を守ってるんだな。


 司がコーラに口をつける。一通りの説明が終わったようだ。

「なるほど。そういう経緯でしたか」

 富岳は納得したように頷いてみせる。

 (さて、どうするかな?)

 富岳には司に協力するメリットが全く無い。「指導碁の仕事が入るんだからプラスだろ」と思われそうだが、今、富岳は殆どの棋戦を二次予選まで勝ち上がっていて、指導碁に時間を潰されるのは本意ではない。学校に行っている時間以外は囲碁の勉強に時間を使いたい。

 (……いや、考え方を変えよう。俺がここに来た理由は、金持ちとのコネが出来ればと思って来たんだ。メリットが無ければ、作ればいい)

 盤面を90度、180度回転させる。ひっくり返す。白黒反転させる。

 盤面を広く見渡す。

 相手よりも更に何手も先を読む。

 どれもトップ棋士になるためには、必要な技術だ。

 そしてある手に辿り着く。

 『お坊っちゃまと畠山をくっつけちゃえば、面白い事にならね?』

 謝罪だのなんだの言ってるけど、とどのつまり、このお坊っちゃまは畠山と付き合いたいから、こんなに必死になってるんだよな、はっきり言わないけど。言わないか、こういうことは。「言わなくても察しろ!空気読め!」ってやつか。日本人、面倒臭いな!(俺も日本人だけど)

 (ん?そもそも畠山のやつ、彼氏とかいるのかな?)

 いないだろうな。クマと付き合いたいなんて物好きは、お坊っちゃまだけだろ。

 三嶋さんからもそんな話は聞いた事がないし。もし、いたら三嶋さんが話題にして揶揄っていそうだ。ということは、畠山に彼氏はいないで確定だろう。

 いないんだったら、畠山とこのお坊っちゃまが付き合っても、なんの問題は無いな!

 しかし、畠山京子という人物が男といちゃこらして恋愛に溺れているのを想像出来ない。男を顎で使って、召し使いのように利用するだけ利用してゴミのように捨てる場面だったら容易に想像がつくけど。

 (いや。むしろ、そういう性格のほうが好みの男に出会ったら、のめり込むんじゃないか?)

 面白いかもな!畠山が男に溺れて調子を落としたら!

 そして作戦が上手くいけば、畠山京子ライバルを蹴落とせる!

 (うん!やってみる価値はある!)

 富岳は笑顔でこう司に言った。

「そういう事情でしたら、私に出来る限り、協力しましょう!」

「そうですか!ありがとうございます!」

 司はソファから立ち上がり、笑顔で富岳に握手を求める。握手にいい思い出の無い富岳は一瞬、躊躇うが、富岳も立ち上がって司と握手を交わした。

 ここまでは良かった。

 富岳は握手をしたまま突然、黙り込む。この計画には致命的な欠点があった。

 富岳自身の恋愛スキルのレベルは0だ。

 どういう手筋なら、このお坊っちゃまと畠山京子をくっつけられるのか。使えるスキルが全く無い。

 まず、富岳自身が畠山京子という人物を「女性として」どころか「人間として」認識していない。富岳の中では京子は「山から下りてきて人里を荒らすクマ」だ。だから当然、こういう思考になる。

 (野生動物を手っ取り早く懐柔するには、餌付けが一番だろうな。でもお坊っちゃまには食事に誘うまでの伝手がないから、俺を相談相手に選んだわけで)

 富岳の脳裏におにぎりを頬張る京子の姿が浮かんで、頭を振る。

 (こうなったら、お坊っちゃまの望みを段階を経て叶えていくしかないな。まずは、畠山へのプレゼントか。畠山の好み?あいつ、何が好きなんだ?)

 富岳は畠山京子に関する記憶を引っ張り出す。

 そういえば鞄に『はしっこせいかつ』のロールケーキのキーホルダーを付けていた。

 でも、畠山からしてみれば、探偵を三人も送り込んでくるストーカーからぬいぐるみとか送られても気持ち悪いだけだろうな。盗聴器とか仕込まれていそうだし。うん。無し。

 あとは……。そうだ。韓国に行った時に飛行機の中で読もうとしていた推理小説『紅の薔薇』シリーズ!(俺が犯人を言っちゃったやつ)。先日新刊が発売されたんだっけ。

 ……ちょっと待て。あのシリーズ、たしか金持ちがわんさか殺される話だったな。

 お坊っちゃまにお薦めするの、気が引けるんだが。うん。これも無しで。

 あと、何かあるか!?何も思い浮かばないぞ!俺自身が畠山をそういう目で見たこと無いからな!どうする!?


「立花先生、どうかされましたか?」

 手を握りしめたまま、富岳がずっと黙り込んでいるのを司が不信に思い、声を掛けた。

「ああっ!し、失礼しました!」

 富岳は慌てて手を離す。

 (やばい。またやってしまった……。そっち系の性癖だと確定されそうだ。気をつけないと)

 富岳はまたソファに腰かける。

「畠山の好みはなんだったか、思い出してたんですよ。ただ、プライベートでは彼女とは全く話をしないもので、思い出すのにちょっと……」

「そうでしたか」

 司が心配そうに富岳を見つめる。

 (こんな表情もできるのか。演技半分、本気半分だろうな。まぁ、お坊っちゃまからしたら、俺しか頼りになる人間がいないんだしな)

 富岳は目を瞑る。

 思い出せ!何かあるはずだ。なにか……。

 そうだ!今年の棋道賞の時!江田先生に黄色い歓声を上げてた!「江田さんカッコいい!」って!

 畠山の好きなものは、江田先生!

 あっ!これダメじゃん!お坊っちゃまと付き合える可能性、ほぼゼロじゃん!

 いいや。探せば可能性はあるはずだ。

 畠山は江田先生のどこが好きなのか、それを知れれば……。

 江田照臣先生。ぽっちゃりしていて、いつもニコニコ人柄は朗らか。でも対局になると、ガラッと表情が変わる。

 畠山が江田先生を好きな理由は、人柄?外見には拘らない?

 ……うーん。手詰まりだな。好きなものは一旦置いといて、嫌いなものを思い出してみるか。

 棋道賞で思いだしたけど、丸山翼を散々扱き下ろしてたな。ショボい碁とかあんな碁を打つ奴でも棋士になれるなんて世も末とか、だいぶ酷い事を言ってたな。

 そうだ。畠山は豊本先生も嫌いだった。去年の金緑石戦の時、突然豊本先生から大盤解説に呼ばれて、畠山は鳥肌立ててたんだ。でも、丸山の時とは違って、面と向かって悪口言わずに鳥肌立てながらも我慢してたな。

 んー。豊本先生と丸山の違いってなんだ?それから豊本先生と江田先生の共通点。それから丸山と江田先生との相違か。

 丸山と豊本先生の違いなんて、ありすぎだろ。

 豊本先生と江田先生との共通点は、二人ともトップ棋士だ。

 丸山と江田先生との相違点は、……これも、ありすぎてわからないな。

 となると、畠山は『囲碁の強い人が好き』ってことか!?そういえば、三嶋さん、最近畠山からの扱いが雑過ぎるとかなんとか。理由が、「対局そっちのけで女に現をぬかしてる」からだとか。

 (うん。もう他に思い当たるフシがない!これで行こう!)

 目を瞑っていた富岳は、目を開けた。

「岩井さん。ひとつ思い出したことがあるんです」

「はい。なんでしょうか」

 富岳は前のめりになる。

「畠山の好きな男性のタイプです」

「それは知りたいですね」

 司の反応が薄い。富岳のように前のめりになる事も、顔を紅潮させる事もない。

 (まぁギャーギャー騒がないように、教育されてるんだろうしな)


「来月、畠山の学校で文化祭があるそうですよ。行かれてみたらどうですか?」


 突然の富岳の提案にも、司はポーカーフェイスだった。
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