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布石編
打ち上げ花火の音を聞きながら
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「ここ、防音なんですよねぇ」
「らしいねぇ」
「それでも聞こえるんですねぇ」
日本棋院5階大対局場にまた微かに「ドーン」という音が聞こえてきた。花火大会のシーズンで、そこかしこで花火を打ち上げている。今日は隅田川花火大会だ。高層ビルに遮られて打ち上げ音は聞こえなさそうなのに、それでも聞こえてくる。ただ、花火大会でなくても東京では花火を打ち上げる。神宮球場が結構近い。誰かがホームランを打ったのだろうか。
「京子ちゃん、東京の花火大会は見に行ったことある?」
「はい。去年、学校のバスケ部の皆と行きました」
「どうだった?」
「私、秋田の人間なんで。東京は狭い場所に上手に打ち上げるなぁ、と。浜口さんも茨城の人なんですよね?」
そう浜口に質問しながら、京子は目玉をギョロギョロと動かす。まるで将棋を指しているかのように。
「ん、まあね。初めて東京の花火大会を見た時は、正直「ショボっ!」って思ったね」
「私もです。土浦の花火、いつか見に行きたいです。確か10月なんですよね?」
「うん。全国の花火大会の総決算だからね」
「さぞ華やかでしょうねぇ」
「うん。すごいよぉ!いつか見においでよ。大曲の花火、僕も見たことないんだよねぇ」
「彼女さんとお泊まりデートなんていかがですか?」
「僕が彼女いるようなリア充に見える?」
四捨五入すれば30歳になる浜口。結婚していなくても彼女ぐらいはいるだろうという固定観念で、京子は失言してしまった。
「……それは大変失礼しました」
そう言うと京子は白石を持ち、15の5に打ちつけた。
対戦相手の浜口俊基三段は「ふぅ」と息を吐き、ポンと膝を叩いて観念したようにこう言った。
「負けました。はあー。参ったな。こんなにコテンパンにやられるとは思わなかった。このカケがマズかったかな?」
「でしたら、そのカケと交換で……」
京子は黒石を指差し、それから自身の白石を指差す。
「うわ。そっかー!この手、どっちみち無駄かぁ」
二人の対局を観戦していた野次馬達が興味を失せたように方々に散る。
この瞬間、金緑石戦本戦決勝進出者が決まった。
京子の対戦相手の浜口俊基は、準々決勝で第二シードの秋山宗介を破る大金星をあげ、一躍時の人となった。のも束の間、準決勝の相手、畠山京子に順当に木っ端微塵にされた。
「はぁー。今年で最後の金緑石戦だったのにな。でもよくやったよ、俺。去年まで本戦出場がやっとだったもんな」
と言って浜口は天を仰いだ。
「浜口さん。心の声が全部漏れてます」
「うん。誰かに聞いて欲しくて言ってみた」
彼女だけでなく、愚痴を聞いてくれる人もいないらしい。
二人は碁石を片付け、「ありがとうございました」と礼をして席を立った。
「畠山先生、お疲れの所すみませんが、取材をよろしくお願いします」
日本棋院職員雑誌編集部記者、元院生の福原聡だ。囲碁への情熱を捨てられないと、囲碁雑誌の記者になった経歴を持つ。
「はい。わかりました」
京子は対局場にある時計を見上げた。時刻は午後8時10分。いつもならとっくに夕食を終えている時間だ。京子は大急ぎで保冷剤で冷たくなった梅干しおにぎりを腹に詰めて、雑誌編集部へ急いだ。
●○●○●○
取材は小一時間かかった。
女性の金緑石戦本戦決勝進出者は5年ぶり3人目。市村聖良五段以来だ。しかも優勝している。
しかし市村が初めての金緑石戦女性棋士優勝者ではない。
市村の8年前に藤原羽那六段が女性では初めて金緑石戦を制している。
この時は相当なお祭り騒ぎだったと聞いた。
決勝には囲碁のルールすら覚えてきていないマスコミが棋院に溢れ、マナーを守らずに対局室に無断で入り込む者まで出たそうだ。そんな前列があるので、今回も警備は徹底してくれるそうだ。
この二人の金緑石戦優勝後の活躍は目を見張るものがあり、七大棋戦本戦トーナメント入りを果たすなど、この金緑石戦は女性棋士の将来を有望視される棋戦となった。
『魔術師・岡本幸浩の弟子』、『最強のアマチュア畠山亮司の娘』と、肩書きだけなら京子の右に出る者はいない。
ただ、そのぶん京子にのしかかるプレッシャーも他の棋士の倍以上だ。
しかも今回は『金緑石戦決勝進出した女流棋士は優勝する』というジンクスまで抱えている。
今回の取材も当然のようにその辺りの話題になった。
でも京子に答えられることは、「頑張ります」の定型文のみだ。
師匠が代わりに打ってくれるわけではない。対局中にアドバイスを貰えるわけでもない。『最強のアマチュア』の血が滾るわけでもない。
独り、畠山京子自身が淡々と碁を打つだけだ。
取材を終えて、京子はスマホの電源を入れた。
あきた轟新聞の佐藤渉記者からLINEが来ていた。
『決勝進出おめでとうございます。決勝三番勝負は全て取材させていただきたいと思います。どうぞ宜しくお願いします。お体にお気をつけて万全の体調で挑んで頂きたいと思います。最高の碁を取材させて下さい』
相変わらず真面目な文章だ。そして心の底からいい記事を書きたいと思っているのが伝わる。
京子はすぐさま返事を送った。
『ありがとうございます!頑張ります!
追伸 よし屋さんの温泉饅頭があったらもっと頑張れると思います』
と、ちゃっかり地元秋田角館の和菓子屋のお土産のリクエストをした。真面目な佐藤の事だ。きっと12個入りを3箱ぐらい買ってきてくれるだろう。
(さてと……)
京子は耳を澄ます。
(花火、終わってるかな……。チラッとでも見たい)
東京に出てくるまで毎年大曲の花火を見てきた京子にとって、花火大会はなくてはならないものだ。
夏の終わりに行われる大曲の花火大会。夏を締め括るに相応しい規模と華やかさ。
服装が残念なことからおわかりのように、芸術的な面はからっきしな京子だけれども、花火だけは譲れない。
花火に関する雑誌を読み漁り、ネットでも調べ、全国の打ち上げ花火の製造業者名まで頭の中に入っている。
京子にとって、花火はアイデンティティと言っても過言ではないのだ。
なので花火を打ち上げているのに見ないという選択肢は京子には無い。
(どうしよう。今から走ったって間に合わないだろうし……)
時刻は9時過ぎ。そろそろ終わる時刻だ。
ここで京子は勝負手を打つ。
(棋院の屋上から見えないかな?)
秋田ならこの距離からでも余裕で見える。しかし、高いビルに囲まれた東京ではおそらく見えないだろう。
でも花火の打ち上げ音が聞こえるくらいだ。ビルとビルのほんの僅かな隙間からチラッとでも見えないだろうか。
そんな一縷の望みに賭けて、京子はクーラーボックスを担いで階段で上に登り、屋上の扉を開けた。
屋上には沢山の人がいた。皆同じ方向を向いている。
その方向の先に、ビルとビルの間から花火が打ち上がり、スマホカメラほどの大きさの白い『菊』の花を咲かせた。
(ここからでも見えるんだ……!)
花火は音無く上り、花開き、消えた。そしてだいぶ遅れて「ドーン」という音が聞こえてきた。
「あ!京子ちゃん!取材、終わった?」
槇原美樹だ。手にはかき氷を持っている。
「ここからでも花火、見えるんだよ!すごいイイ場所でしょ?でも、花火の両脇はビルで見えないんだけどね」
今度は青い『紫陽花』が音を立てずに咲いた。
「え、ええ。すごいですね……。こんなに離れた距離から、これだけ見えれば充分です。あのぅ、その前にそのかき氷、どこで手に入れたんですか?」
「ああ、これ?あそこだよ」
と言って美樹は屋上の隅を指差した。
バーベキューをしている。かき氷機の他にも流しそうめんの装置やビールサーバーやらを持ち込んでいる。
「……もしかして皆さん、毎年ここで花火を見てるとか……?」
「うん!ほら、花火大会って、すごい人混みじゃない?みんな人混みが苦手だから、ここに来るんだよねー。
棋院の建て替えで、この場所から花火を見られなくなるかと思ったんだけど、見られてよかったねーって、みんなで話してたんだー」
京子は絶句した。そうと知っていれば去年、あんなにバスケ部のみんなに頼み込んで無理強いさせてまで花火大会に行かずに、独りでここに来たのに……!
「おー!京子ちゃん!来たかー!肉、焼けてるぞーっ!」
若様こと若松涼太が、トングを持って振っている。
「若様ーっ!こんないい場所あるなら、教えておいて下さいよーっ!」
京子はクーラーボックスを放り投げて若松に突進して行った。
「あれ?三嶋から聞いてなかった?」
「あのポンコツ、女とイチャコラするのに必死で、こんなに可愛い妹弟子のことは、ほったらかしですよ!」
その証拠に、金緑石戦決勝進出者が決まる今日、棋院に来ていない。
「ははっ!あいつらしー!まぁ、食べて!この肉、いい肉だから!野菜も!」
と言って、若松は京子に紙の皿と割り箸を持たせ、焼いた肉や野菜をどんどん盛っていった。
「ええ!食べますとも!お腹ペコペコで、取材中、気絶するかと思ったんだから!」
「気絶は大袈裟だろ」
大口開けて肉を頬張った京子の背後から、まだ声変わりしていない男の子の声が京子にツッコんだ。
立花富岳だ。丸ごと焼いた玉蜀黍に囓りついている。
「はひはなはんほいはひへらんへふね。……んん?」
と言うと、京子は口の中の肉を噛みながら富岳に近づき、まじまじと富岳の顔を見つめた。
「……な、なんだよ?」
富岳は京子の顔の近さに思わず後退りする。相変わらず京子の距離感はおかしい。
京子は肉を飲み込んでからこう言った。
「……立花さん。背、縮みました?」
今年1月韓国へ行った時、身長差は10センチほどだったのが、15センチくらいになっているように感じる。
「お前がデカくなったんだろ!この囲碁界の和◯ア◯子!」
「それはつまり、将来囲碁界を牛耳るほどの大物になるって事ですね!」
「自分の都合の良いように解釈すんなよ!」
「じゃあ僻みですか」
「僻んでねえ!」
「大丈夫ですよ。男性は高校生になってから急激に背が伸びるって話ですから。立花さんも一応男なんですから、これからですよ。たぶん」
「貶してるのか?フォローしてんのか?それとも喧嘩売ってんのか?」
「今度は右足を骨折したいんですか?」
京子にこう言われ、富岳は目を逸らす。
「あー、そうそう。私、金緑石戦決勝進出しました。よろしくお願いします」
立花富岳は先週、一足先に決勝進出を決めていた。
金緑石戦決勝戦は、大方の予想通り、この二人の戦いになる。
「知ってるよ。つーか急に話題を変えるなよ」
「思い出した時に言っておかないと」
「じゃあ、俺も今思い出したけど、お前さぁ、あんまり三嶋さんをいじめるなよ。こないだの研究会、半泣きだったぞ」
「あら。何故?」
「理由を聞いても、お前に口止めされてる、としか言わないんだよ。お前、三嶋さんに何したんだ?」
「ああ。それですか。もちろん、『どこでもドア』を作るための下準備、ですよ」
富岳はうっかり玉蜀黍を落としそうになった。
(まだ中学生のうちから『どこでもドア』を作るための下準備?一体、何を……?)
「その様子だと、立花さんはまだ何もなさっていないみたいですね」
そう言うと京子はまた肉を頬張り、超高速で噛み砕き、飲み込んでからこう言葉を続けた。
「随分のんびりしてますね。間に合うんですか?大人になってから行動を起こす、で。『人生百年時代』なんて言われてますけど、そんなんで間に合うんですか?いつ、どこで、何が起こるかわからない時代ですよ」
京子は今度は焼き椎茸を口の中に放り込む。そんな高速で噛んで、よく舌を噛まないな、と思わせる速さだ。
「まぁ、人それぞれのペースがあるでしょうし。立花さんはのんびりお茶でもしながら『どこでもドア』を作ってください」
マウント取りやがって!
いちいちムカつく言い方するな!
……と言いたいけど。いつ、どこで、何が起こるかわからないのは事実だ。
だからといって、今のうちから何が出来る?まだ子供なのに。やれる事は限られている。
俺には何も思い浮かばない。
将来の自分のために、今、やれる事。やっておいた方がいい事……。
やりたい事ははっきりとわかっているのに、何から始めたらいいのかさっぱりわからない。
俺には畠山のような、発想力も行動力も無い。
もしかして俺は心の奥で、まだ子供なんだからと、大人におんぶに抱っこして貰おうと考えていたんだろうか?
また花火が上がった。今度は何発も連続して上がっている。花火大会のフィナーレを飾るスターマインが始まった。
「8.4kmか……」
「8kmくらいかな?」
富岳と京子がほぼ同時に呟いた。
棋院から花火の打ち上げ場所までの距離だ。花火が花開いてから、爆発音が届くまでの秒数を計って、距離を導き出す。
「随分大雑把な数字だな。ちゃんと秒数、数えたのか?」
富岳が鼻でフンと笑う。
「あんた院生だったんだよね。前から正確な距離、知ってたんじゃないの?」
「院生の頃はそんな暇は無い」
「あーそっかー!友達いないんでしたね!ここにこんな場所があるって教えてくれる人がいなかったんだー!」
「この野郎……!」
「やりますか?年1で入院して体のメンテナンスしたほうがいいですよね」
「この脳筋が!」
「チビメガネ!」
(あーあ。やっぱりこうなっちゃうか)
若松を含む、富岳と京子のやりとりを見ていた観客は、
(この二人を仲直りさせることが出来るなら、この世から戦争を無くせるよな)
と思いながら、予想通り二人が子供の喧嘩を始めたのを眺めていた。
「らしいねぇ」
「それでも聞こえるんですねぇ」
日本棋院5階大対局場にまた微かに「ドーン」という音が聞こえてきた。花火大会のシーズンで、そこかしこで花火を打ち上げている。今日は隅田川花火大会だ。高層ビルに遮られて打ち上げ音は聞こえなさそうなのに、それでも聞こえてくる。ただ、花火大会でなくても東京では花火を打ち上げる。神宮球場が結構近い。誰かがホームランを打ったのだろうか。
「京子ちゃん、東京の花火大会は見に行ったことある?」
「はい。去年、学校のバスケ部の皆と行きました」
「どうだった?」
「私、秋田の人間なんで。東京は狭い場所に上手に打ち上げるなぁ、と。浜口さんも茨城の人なんですよね?」
そう浜口に質問しながら、京子は目玉をギョロギョロと動かす。まるで将棋を指しているかのように。
「ん、まあね。初めて東京の花火大会を見た時は、正直「ショボっ!」って思ったね」
「私もです。土浦の花火、いつか見に行きたいです。確か10月なんですよね?」
「うん。全国の花火大会の総決算だからね」
「さぞ華やかでしょうねぇ」
「うん。すごいよぉ!いつか見においでよ。大曲の花火、僕も見たことないんだよねぇ」
「彼女さんとお泊まりデートなんていかがですか?」
「僕が彼女いるようなリア充に見える?」
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「……それは大変失礼しました」
そう言うと京子は白石を持ち、15の5に打ちつけた。
対戦相手の浜口俊基三段は「ふぅ」と息を吐き、ポンと膝を叩いて観念したようにこう言った。
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「でしたら、そのカケと交換で……」
京子は黒石を指差し、それから自身の白石を指差す。
「うわ。そっかー!この手、どっちみち無駄かぁ」
二人の対局を観戦していた野次馬達が興味を失せたように方々に散る。
この瞬間、金緑石戦本戦決勝進出者が決まった。
京子の対戦相手の浜口俊基は、準々決勝で第二シードの秋山宗介を破る大金星をあげ、一躍時の人となった。のも束の間、準決勝の相手、畠山京子に順当に木っ端微塵にされた。
「はぁー。今年で最後の金緑石戦だったのにな。でもよくやったよ、俺。去年まで本戦出場がやっとだったもんな」
と言って浜口は天を仰いだ。
「浜口さん。心の声が全部漏れてます」
「うん。誰かに聞いて欲しくて言ってみた」
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「畠山先生、お疲れの所すみませんが、取材をよろしくお願いします」
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「はい。わかりました」
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●○●○●○
取材は小一時間かかった。
女性の金緑石戦本戦決勝進出者は5年ぶり3人目。市村聖良五段以来だ。しかも優勝している。
しかし市村が初めての金緑石戦女性棋士優勝者ではない。
市村の8年前に藤原羽那六段が女性では初めて金緑石戦を制している。
この時は相当なお祭り騒ぎだったと聞いた。
決勝には囲碁のルールすら覚えてきていないマスコミが棋院に溢れ、マナーを守らずに対局室に無断で入り込む者まで出たそうだ。そんな前列があるので、今回も警備は徹底してくれるそうだ。
この二人の金緑石戦優勝後の活躍は目を見張るものがあり、七大棋戦本戦トーナメント入りを果たすなど、この金緑石戦は女性棋士の将来を有望視される棋戦となった。
『魔術師・岡本幸浩の弟子』、『最強のアマチュア畠山亮司の娘』と、肩書きだけなら京子の右に出る者はいない。
ただ、そのぶん京子にのしかかるプレッシャーも他の棋士の倍以上だ。
しかも今回は『金緑石戦決勝進出した女流棋士は優勝する』というジンクスまで抱えている。
今回の取材も当然のようにその辺りの話題になった。
でも京子に答えられることは、「頑張ります」の定型文のみだ。
師匠が代わりに打ってくれるわけではない。対局中にアドバイスを貰えるわけでもない。『最強のアマチュア』の血が滾るわけでもない。
独り、畠山京子自身が淡々と碁を打つだけだ。
取材を終えて、京子はスマホの電源を入れた。
あきた轟新聞の佐藤渉記者からLINEが来ていた。
『決勝進出おめでとうございます。決勝三番勝負は全て取材させていただきたいと思います。どうぞ宜しくお願いします。お体にお気をつけて万全の体調で挑んで頂きたいと思います。最高の碁を取材させて下さい』
相変わらず真面目な文章だ。そして心の底からいい記事を書きたいと思っているのが伝わる。
京子はすぐさま返事を送った。
『ありがとうございます!頑張ります!
追伸 よし屋さんの温泉饅頭があったらもっと頑張れると思います』
と、ちゃっかり地元秋田角館の和菓子屋のお土産のリクエストをした。真面目な佐藤の事だ。きっと12個入りを3箱ぐらい買ってきてくれるだろう。
(さてと……)
京子は耳を澄ます。
(花火、終わってるかな……。チラッとでも見たい)
東京に出てくるまで毎年大曲の花火を見てきた京子にとって、花火大会はなくてはならないものだ。
夏の終わりに行われる大曲の花火大会。夏を締め括るに相応しい規模と華やかさ。
服装が残念なことからおわかりのように、芸術的な面はからっきしな京子だけれども、花火だけは譲れない。
花火に関する雑誌を読み漁り、ネットでも調べ、全国の打ち上げ花火の製造業者名まで頭の中に入っている。
京子にとって、花火はアイデンティティと言っても過言ではないのだ。
なので花火を打ち上げているのに見ないという選択肢は京子には無い。
(どうしよう。今から走ったって間に合わないだろうし……)
時刻は9時過ぎ。そろそろ終わる時刻だ。
ここで京子は勝負手を打つ。
(棋院の屋上から見えないかな?)
秋田ならこの距離からでも余裕で見える。しかし、高いビルに囲まれた東京ではおそらく見えないだろう。
でも花火の打ち上げ音が聞こえるくらいだ。ビルとビルのほんの僅かな隙間からチラッとでも見えないだろうか。
そんな一縷の望みに賭けて、京子はクーラーボックスを担いで階段で上に登り、屋上の扉を開けた。
屋上には沢山の人がいた。皆同じ方向を向いている。
その方向の先に、ビルとビルの間から花火が打ち上がり、スマホカメラほどの大きさの白い『菊』の花を咲かせた。
(ここからでも見えるんだ……!)
花火は音無く上り、花開き、消えた。そしてだいぶ遅れて「ドーン」という音が聞こえてきた。
「あ!京子ちゃん!取材、終わった?」
槇原美樹だ。手にはかき氷を持っている。
「ここからでも花火、見えるんだよ!すごいイイ場所でしょ?でも、花火の両脇はビルで見えないんだけどね」
今度は青い『紫陽花』が音を立てずに咲いた。
「え、ええ。すごいですね……。こんなに離れた距離から、これだけ見えれば充分です。あのぅ、その前にそのかき氷、どこで手に入れたんですか?」
「ああ、これ?あそこだよ」
と言って美樹は屋上の隅を指差した。
バーベキューをしている。かき氷機の他にも流しそうめんの装置やビールサーバーやらを持ち込んでいる。
「……もしかして皆さん、毎年ここで花火を見てるとか……?」
「うん!ほら、花火大会って、すごい人混みじゃない?みんな人混みが苦手だから、ここに来るんだよねー。
棋院の建て替えで、この場所から花火を見られなくなるかと思ったんだけど、見られてよかったねーって、みんなで話してたんだー」
京子は絶句した。そうと知っていれば去年、あんなにバスケ部のみんなに頼み込んで無理強いさせてまで花火大会に行かずに、独りでここに来たのに……!
「おー!京子ちゃん!来たかー!肉、焼けてるぞーっ!」
若様こと若松涼太が、トングを持って振っている。
「若様ーっ!こんないい場所あるなら、教えておいて下さいよーっ!」
京子はクーラーボックスを放り投げて若松に突進して行った。
「あれ?三嶋から聞いてなかった?」
「あのポンコツ、女とイチャコラするのに必死で、こんなに可愛い妹弟子のことは、ほったらかしですよ!」
その証拠に、金緑石戦決勝進出者が決まる今日、棋院に来ていない。
「ははっ!あいつらしー!まぁ、食べて!この肉、いい肉だから!野菜も!」
と言って、若松は京子に紙の皿と割り箸を持たせ、焼いた肉や野菜をどんどん盛っていった。
「ええ!食べますとも!お腹ペコペコで、取材中、気絶するかと思ったんだから!」
「気絶は大袈裟だろ」
大口開けて肉を頬張った京子の背後から、まだ声変わりしていない男の子の声が京子にツッコんだ。
立花富岳だ。丸ごと焼いた玉蜀黍に囓りついている。
「はひはなはんほいはひへらんへふね。……んん?」
と言うと、京子は口の中の肉を噛みながら富岳に近づき、まじまじと富岳の顔を見つめた。
「……な、なんだよ?」
富岳は京子の顔の近さに思わず後退りする。相変わらず京子の距離感はおかしい。
京子は肉を飲み込んでからこう言った。
「……立花さん。背、縮みました?」
今年1月韓国へ行った時、身長差は10センチほどだったのが、15センチくらいになっているように感じる。
「お前がデカくなったんだろ!この囲碁界の和◯ア◯子!」
「それはつまり、将来囲碁界を牛耳るほどの大物になるって事ですね!」
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「僻んでねえ!」
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「貶してるのか?フォローしてんのか?それとも喧嘩売ってんのか?」
「今度は右足を骨折したいんですか?」
京子にこう言われ、富岳は目を逸らす。
「あー、そうそう。私、金緑石戦決勝進出しました。よろしくお願いします」
立花富岳は先週、一足先に決勝進出を決めていた。
金緑石戦決勝戦は、大方の予想通り、この二人の戦いになる。
「知ってるよ。つーか急に話題を変えるなよ」
「思い出した時に言っておかないと」
「じゃあ、俺も今思い出したけど、お前さぁ、あんまり三嶋さんをいじめるなよ。こないだの研究会、半泣きだったぞ」
「あら。何故?」
「理由を聞いても、お前に口止めされてる、としか言わないんだよ。お前、三嶋さんに何したんだ?」
「ああ。それですか。もちろん、『どこでもドア』を作るための下準備、ですよ」
富岳はうっかり玉蜀黍を落としそうになった。
(まだ中学生のうちから『どこでもドア』を作るための下準備?一体、何を……?)
「その様子だと、立花さんはまだ何もなさっていないみたいですね」
そう言うと京子はまた肉を頬張り、超高速で噛み砕き、飲み込んでからこう言葉を続けた。
「随分のんびりしてますね。間に合うんですか?大人になってから行動を起こす、で。『人生百年時代』なんて言われてますけど、そんなんで間に合うんですか?いつ、どこで、何が起こるかわからない時代ですよ」
京子は今度は焼き椎茸を口の中に放り込む。そんな高速で噛んで、よく舌を噛まないな、と思わせる速さだ。
「まぁ、人それぞれのペースがあるでしょうし。立花さんはのんびりお茶でもしながら『どこでもドア』を作ってください」
マウント取りやがって!
いちいちムカつく言い方するな!
……と言いたいけど。いつ、どこで、何が起こるかわからないのは事実だ。
だからといって、今のうちから何が出来る?まだ子供なのに。やれる事は限られている。
俺には何も思い浮かばない。
将来の自分のために、今、やれる事。やっておいた方がいい事……。
やりたい事ははっきりとわかっているのに、何から始めたらいいのかさっぱりわからない。
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もしかして俺は心の奥で、まだ子供なんだからと、大人におんぶに抱っこして貰おうと考えていたんだろうか?
また花火が上がった。今度は何発も連続して上がっている。花火大会のフィナーレを飾るスターマインが始まった。
「8.4kmか……」
「8kmくらいかな?」
富岳と京子がほぼ同時に呟いた。
棋院から花火の打ち上げ場所までの距離だ。花火が花開いてから、爆発音が届くまでの秒数を計って、距離を導き出す。
「随分大雑把な数字だな。ちゃんと秒数、数えたのか?」
富岳が鼻でフンと笑う。
「あんた院生だったんだよね。前から正確な距離、知ってたんじゃないの?」
「院生の頃はそんな暇は無い」
「あーそっかー!友達いないんでしたね!ここにこんな場所があるって教えてくれる人がいなかったんだー!」
「この野郎……!」
「やりますか?年1で入院して体のメンテナンスしたほうがいいですよね」
「この脳筋が!」
「チビメガネ!」
(あーあ。やっぱりこうなっちゃうか)
若松を含む、富岳と京子のやりとりを見ていた観客は、
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表紙:むにさん
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