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布石編
気合いの入った新入生(囲碁部の場合)
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「本当に女子がいる……!」
洋峰学園は入学式から2週間経ち、新入生は部活を決める、仮入部期間になる。
●○●○●○
仮入部2日目。畠山京子は放課後、囲碁将棋部の部室に来ていた。
今朝、クラスメイトで囲碁部の石坂嘉正から「将棋部に2人、囲碁部に1人、女子が仮入部を申し込んだ」と聞き、居ても立っても居られず「30分だけ」という条件で、女子バスケ部中等部部長の山内真梨から時間を貰ってきた。
で、冒頭の台詞である。
中等部2人、高等部4人(全員将棋部希望)の新入生男子と少し離れ、中等部の女子新入生3人は部屋の隅に追いやられたように居た。
(う……嬉しいっ!女子が3人も……!)
唯一の囲碁将棋部女子部員・高等部2年生で日本棋院院生の田村優里亜と目が合った。京子と優里亜は同時に頷いた。
(先輩、今年こそは合宿に行けますね!)
(うん!めっちゃ嬉しいっ!)
優里亜は毎年夏休みに行われる囲碁部と将棋部の合同合宿に一度も参加した事が無いのだ。学校側が示す理由は『女子が1人しかいないため』。
優里亜が入学する前の年まで将棋部に2人女子部員が居たらしいが、優里亜が入学した年に入れ替わるように2人は卒業したのだ。
昨今の将棋ブームで、将棋部に1人ぐらい女子がいても良さそうだが、どういうわけか優里亜が入部してからというもの、この3年間、洋峰学園将棋部には女子は1人も入部してこなかった。(囲碁部は言わずもがな)
もしこの3人が正式に入部してくれれば、優里亜を含めて女子は4人になる。
安全上だの、部屋割りだの、様々な問題がクリアになり、優里亜も合宿に参加出来るようになる。
ただ、ちょっと気になるのは、京子の雰囲気が『私も囲碁将棋部の合宿に参加したい!』感がダダ漏れになっている。
まあ、いつも無料で指導碁を打って貰ってるし。その辺は部長や顧問と要相談といったところか。(去年、仕事でバスケ部の合宿にも参加出来なかったと言ってたし)
京子は早速仮入部の新1年生女子を値踏みする。が、そのうちの1人は、これだけ京子がガン見しているのに全く気に留める様子もなく、ある男子部員の方を見つめている。
その視線の先にいたのは、中等部2年の西木湊人。京子や嘉正と同じクラスだ。
(はぁ~。男目当ての入部かぁ~)
はっきり言って、西木は一目惚れされるような外見ではない。性格に惚れたんだろうか。同じ小学校出身なのか、いつ西木に目をつけたのかは知らないが、理由はどうあれ、将棋部に正式に入部してくれれば京子と優里亜的には問題無いので、放っておく事にする。
そしてもう一人。男目当てで入部してきた子の連れだろう。あからさまに『将棋なんて興味無い』という表情をしている。
仮入部期間内は色々な部を見て回っていいのに今日も来たということは、男目当ての女子に無理矢理連れてこられたのだろう。
この人はたとえ正式に入部したとしても、1ヶ月もしないうちに辞めそうだ。
基本、京子は将棋部にはノータッチなので、たとえ女子同士の何かしらの問題が起こっても囲碁部に影響を及ぼさない限り、京子は傍観するつもりだ。
そして最後に囲碁部に仮入部の女子の新1年生。背は低く、肉付き良く、一見愛玩動物の様な風貌だが、何故か京子を見つめる眼光が鋭い。
この「目つきの悪さ」だけで、京子はこの新1年生が何者なのか、大体見当がついてしまった。
「初めまして。東京本院所属棋士の畠山京子です」
京子はこの新入生に対し、学年を名乗らなかった。そしてわざと『日本棋院』の部分を省いて職業で自己紹介した。
「初めましてじゃないですよ、畠山先輩。去年の原石戦で会ってますから。私は院生の解良鈴菜です。よろしくお願いします」
京子は思わず舌打ちしそうになるのをグッと堪えた。
(やっぱり院生だったかー!身内じゃねーか!囲碁の競技人口が増えたと思ったのにーっ‼︎)
面白くない。初心者でも上級者でも、アマチュアなら手取り足取り教えようと思っていたのに。
「あー、ごめんね。覚えてなくて。原石戦、出てたっけ?」
一応、京子はフォローしたつもりなのだが、相手からしたら喧嘩を売っているようにしか思われない言い方をしたのに気づかない。
「いいえ、出てません。去年の10月に院生になったばかりなので」
鈴菜はやたら「院生になったばかり」の部分を強調した。
『もうちょっと早く院生になっていれば原石戦に出られた。それだけの実力はある』と、言いたげだ。
「それより畠山初段。囲碁部員じゃないのに、どうして囲碁部にいるんですか?バスケ部なんでしょ?バスケ部の練習サボっていいんですか?」
初段と言われて、京の眉が子がピクリと動いた。京子の『戦闘モード』が一気にフルチャージされる。
(はぁー……。こんな子とキャットファイトするつもりはないけど、お望みとあらばお相手して差し上げましょうかね)
「ちゃんとバスケ部部長から30分だけ時間を貰ってきたから。心配しないで」
「心配なんて、してません。なんで部外者がここにいるのかと思って」
あからさまな喧嘩腰の鈴菜に気付き、2人を仲裁しようと囲碁部高等部部長3年生の久保田亨が間に割って入ってきた。
「畠山さんには、囲碁部側からお願いして月イチで指導して貰ってるんだ。だから畠山さんは部外者ではないんだよ」
正確に言えば「最初は囲碁部からお願いされたが、二度目からは京子から頼み込んで」が正解だ。でもこの場では都合が悪いので黙っておくことにする。
「ふーん。で、素人相手にコテンパンにやっつけて憂さ晴らししてるんだ」
誰の目にも喧嘩を売ってるとはっきりわかるこの物言いに、京子より先に反応したのは優里亜だった。
「は?京子がそんな三流棋士みたいな嫌がらせ、する訳ないでしょ!あんたも原石戦、見たならわかるでしょ?京子の実力を。それに韓国での瑪瑙戦の李夏準との棋譜、見てないの?もし見てないなら勉強不足ね。あんな凄い碁を研究してないなんて」
何故か京子よりも優里亜のほうがヒートアップしている。
(あの温厚な田村先輩が⁉︎)
部員全員がざわめきだす。嘉正も狼狽える。物覚えの悪い嘉正に根気強く囲碁のルールやマナー、基礎を教えてくれたのは優里亜だ。
その温厚な優里亜が、喧嘩好きなあの京子よりも前に出て、売られた喧嘩を買っている。信じられない光景だ。
優里亜からしたら、お昼休みの時間を割いて稽古をつけてくれている京子に、喧嘩を売る鈴菜が許せない。
しかし、この解良鈴菜という新入生。なんの恨みがあるのか、高校生の優里亜に喰ってかかってきた。
「Bクラスは黙っててください」
「私はAクラスよ!あんたはCクラスじゃない!」
「院生になって半年でCクラスまで上がったんですよ、私。凄くないですか」
「半年でCならざらにいるわよ!それに半年っていうなら、京子なんて、プロになろうと思ってから半年で女流試験に合格してるし!」
踏ん反り返って、京子より優里亜のほうが偉そうだ。
「あー、正確に言うと7ヶ月……」
「京子は黙ってて!」
当事者だったはずの京子が、何故か蚊帳の外に放り出されてしまった。
京子は自分より熱くなっている優里亜を見て、『戦闘モード』がオフになってしまった。
(あれぇ?私、いらない?帰っちゃおうかな?)
鈴菜があまりにも好戦的なら躾をして帰ろうかと思ったが、これなら大丈夫そうだなと、京子はこの場を優里亜に任せて、自分はバスケ部の練習に行こうかと思い始めた時だ。また鈴菜が京子に噛み付いてきた。
「この人なんて、たまたま運良く岡本先生の弟子になれたから、プロになれただけじゃないですか」
あー、またコレか。プロになってから低迷している棋士からよく言われるやつだ。察するに、この人もCクラスに上がってから棋力が頭打ちになって伸び悩んでいるんだろう。
こういう阿呆は放置するに限る。
帰りかけた京子に、さらに解良鈴菜はこう投げかけた。
「立花富岳も言ってたそうじゃないですか。『岡本先生はボケ始めた』って。最近のあの人の碁を見るたび、私も『この人、頭ボケ始めたんだろうな』と思うんで。何かの間違いで弟子にしたんじゃないんですか」
この一言でオフになった京子の『戦闘モード』が再び一瞬でフルチャージされた。
「…………あ?お前、今なんつった?」
部室内に低く、ドスの効いた男の声が響き渡る。
京子が放つ殺気に、部員全員が恐怖で体を強張らせる。
(え?畠山さんの声……?)
教室では聞いたことのない京子の低い声と、今まで感じたことのない殺気に、石坂嘉正もまるで蛇に睨まれた蛙のように身動きが出来なくなる。
部員全員が動けなくなった中、いち早く動いたのは優里亜だった。中舘英雄門下の優里亜は、この程度の殺気なら慣れている。
(ヤバい!京子が立花富岳をぶん投げて怪我させた時も、岡本先生の悪口が原因だと聞いた。学校で暴力騒動を起こしたら退学になる確率が高い!)
私が京子を止めないと‼︎
「なぁんだ。私と打ちたいなら、そう言えばいいのに」
あれだけの殺気を放っていた京子は、一瞬で表情を変え、ヘラヘラと笑いながら鈴菜にこう言った。
「「……え?」」
優里亜と鈴菜の声が揃った。
京子を羽交い締めにして喧嘩を止めようと手を伸ばした優里亜は、所在なく空中で手をプラプラとさせた。
「あのね、解良さん。お手合わせ願いたい相手には、喧嘩を売るんじゃなくて、「一局、お願いします」って頭を下げるもんだよ」
え⁉︎京子が人として成長してる⁉︎
誰彼構わず、売られた喧嘩を高価買取する、あの京子が⁉︎
「別に私、あんたなんかと打ちたくないんですけど」
この鈴菜の先輩に対する口の利き方に、部員全員がドン引きする。
タメ口ならまだいい。相手を敬う心があれば、相手は不快に思わない。事実、女子バスケ部でも、練習中・試合中では先輩相手に渾名でタメ口だ。しかし鈴菜のこの口の利き方は、明らかに相手に不快感を与える言い方だ。
だから優里亜を含めた全員がこう思った。
(あー、これはもう、囲碁部員には手に負えないから、畠山さんに指導を任せていいかも)
「遠慮しないで。その口の利き方から稽古をつけてあげるから」
こう言った京子の目は笑っていない。ヘラヘラと笑顔で怒っている。
(うん。京子、さっきの部員全員のアイコンタクトで全てを悟ってくれたな)
「だから、あんたなんかから、け」
「星目風鈴中四目、置け」
鈴菜が言い終わらないうちに京子が喋り出して、鈴菜の台詞を潰していく。
「は?」
「私が今、なんて言ったか聞こえなかった?その若さで耳が遠いんだね。イヤホンの音量に気をつけた方がいいよ。ってか、岡本先生をボケ老人呼ばわりした割には、あなたも老人じゃん」
「ちゃんと聞こえたっての!17子なんて、馬鹿にしてるの?私、半年でCクラスに上がった実力者だって、さっき言ったの忘れたの?あんたもボケてんじゃないの?」
最初のうちは敬語を使っていた若菜の口調が、とうとうタメ口になった。明らかに京子を見下している。
「打つの?打たないの?それとも、そんなに私と打つのが怖い?そりゃそうだよね。たかがCクラスぐらいでイキってるぐらいだもんね」
「は?イキってなんか、いな」
「もし私が負けたら、方々に言いふらしていいから。「あの畠山京子に勝った」って。もちろん17子局だったってのは伏せて。もし私が負けても「院生の解良若菜に負けた」って言って回るよ」
この破格の条件に、若菜は食いついた。
「それ、本気?私に負けたって言うの」
「もちろん。だからさっさと17子、置け。今からプロの世界の厳しさを教えてやる」
●○●○●○
入浴後、石坂嘉正は自室のベッドに横になり、今日の部室での出来事を思い出していた。
文化祭の時も感じたが、畠山さんが本気で怒った時の殺気。本当に殺人を犯すんじゃないかと思わせるほどだ。
(畠山さんに、女子の新入生が仮入部に来たって、言わなければよかったかも……)
あれは「プロの世界の厳しさ」なんかじゃない。ただの折檻だ。もしくは公開処刑だ。
最後は黒石が蓋に入らないくらい、黒石を殺しまくった。
(なんだか大量殺人にしか見えなかった……)
時には爆発物で一気に、時にはナイフを使い人間離れした速さで一人一人殺していくような。
あれだけ黒石が死んだのに、それでも解良若菜は投了しなかった。明らかにマナー違反だ。
しかし京子は鈴菜のマナー違反を咎めなかった。むしろ面白がって、さらに強烈な手を打ち相手を全滅させるまで攻撃の手を緩めなかった。
(怖かった……)
打たれた碁の内容と、悪魔に取り憑かれたかのような京子の表情を思い出し、身震いする。
(畠山さんに対するこの感情、なんなのかよく分からなくなってきたな……)
入学式後の初めてのホームルームで、畠山京子という美少女に出会い、一年が経った。
この一年で畠山京子という人物を知れば知るほど、頭が混乱する。
美人だと思う。可愛いと思う。
デートしてみたいと思う。
と同時に、怖い人だとも思う。
できれば関わり合いたくないと思う時もある。
(どちらが本当の畠山さんなんだろう)
教室でニコニコとクラスメイトと会話する畠山さんと、囲碁部で殺気を放ちながら碁を打つ畠山さんとでは、別人だ。
(ううん。そうじゃない。きっとどっちも同じ畠山さんだ)
ヘラヘラしながら碁は打てない。
あんな怖い顔してたらクラスで浮く。
たぶんバスケしてる時も、畠山さんは違う表情をしてるんだろう。
でも頭ではわかっていても、心が追いつかない。
「あれ?よく考えてみたら僕、畠山さんのどこを好きになったんだっけ?」
こう考えて、嘉正はますます混乱したのだった。
洋峰学園は入学式から2週間経ち、新入生は部活を決める、仮入部期間になる。
●○●○●○
仮入部2日目。畠山京子は放課後、囲碁将棋部の部室に来ていた。
今朝、クラスメイトで囲碁部の石坂嘉正から「将棋部に2人、囲碁部に1人、女子が仮入部を申し込んだ」と聞き、居ても立っても居られず「30分だけ」という条件で、女子バスケ部中等部部長の山内真梨から時間を貰ってきた。
で、冒頭の台詞である。
中等部2人、高等部4人(全員将棋部希望)の新入生男子と少し離れ、中等部の女子新入生3人は部屋の隅に追いやられたように居た。
(う……嬉しいっ!女子が3人も……!)
唯一の囲碁将棋部女子部員・高等部2年生で日本棋院院生の田村優里亜と目が合った。京子と優里亜は同時に頷いた。
(先輩、今年こそは合宿に行けますね!)
(うん!めっちゃ嬉しいっ!)
優里亜は毎年夏休みに行われる囲碁部と将棋部の合同合宿に一度も参加した事が無いのだ。学校側が示す理由は『女子が1人しかいないため』。
優里亜が入学する前の年まで将棋部に2人女子部員が居たらしいが、優里亜が入学した年に入れ替わるように2人は卒業したのだ。
昨今の将棋ブームで、将棋部に1人ぐらい女子がいても良さそうだが、どういうわけか優里亜が入部してからというもの、この3年間、洋峰学園将棋部には女子は1人も入部してこなかった。(囲碁部は言わずもがな)
もしこの3人が正式に入部してくれれば、優里亜を含めて女子は4人になる。
安全上だの、部屋割りだの、様々な問題がクリアになり、優里亜も合宿に参加出来るようになる。
ただ、ちょっと気になるのは、京子の雰囲気が『私も囲碁将棋部の合宿に参加したい!』感がダダ漏れになっている。
まあ、いつも無料で指導碁を打って貰ってるし。その辺は部長や顧問と要相談といったところか。(去年、仕事でバスケ部の合宿にも参加出来なかったと言ってたし)
京子は早速仮入部の新1年生女子を値踏みする。が、そのうちの1人は、これだけ京子がガン見しているのに全く気に留める様子もなく、ある男子部員の方を見つめている。
その視線の先にいたのは、中等部2年の西木湊人。京子や嘉正と同じクラスだ。
(はぁ~。男目当ての入部かぁ~)
はっきり言って、西木は一目惚れされるような外見ではない。性格に惚れたんだろうか。同じ小学校出身なのか、いつ西木に目をつけたのかは知らないが、理由はどうあれ、将棋部に正式に入部してくれれば京子と優里亜的には問題無いので、放っておく事にする。
そしてもう一人。男目当てで入部してきた子の連れだろう。あからさまに『将棋なんて興味無い』という表情をしている。
仮入部期間内は色々な部を見て回っていいのに今日も来たということは、男目当ての女子に無理矢理連れてこられたのだろう。
この人はたとえ正式に入部したとしても、1ヶ月もしないうちに辞めそうだ。
基本、京子は将棋部にはノータッチなので、たとえ女子同士の何かしらの問題が起こっても囲碁部に影響を及ぼさない限り、京子は傍観するつもりだ。
そして最後に囲碁部に仮入部の女子の新1年生。背は低く、肉付き良く、一見愛玩動物の様な風貌だが、何故か京子を見つめる眼光が鋭い。
この「目つきの悪さ」だけで、京子はこの新1年生が何者なのか、大体見当がついてしまった。
「初めまして。東京本院所属棋士の畠山京子です」
京子はこの新入生に対し、学年を名乗らなかった。そしてわざと『日本棋院』の部分を省いて職業で自己紹介した。
「初めましてじゃないですよ、畠山先輩。去年の原石戦で会ってますから。私は院生の解良鈴菜です。よろしくお願いします」
京子は思わず舌打ちしそうになるのをグッと堪えた。
(やっぱり院生だったかー!身内じゃねーか!囲碁の競技人口が増えたと思ったのにーっ‼︎)
面白くない。初心者でも上級者でも、アマチュアなら手取り足取り教えようと思っていたのに。
「あー、ごめんね。覚えてなくて。原石戦、出てたっけ?」
一応、京子はフォローしたつもりなのだが、相手からしたら喧嘩を売っているようにしか思われない言い方をしたのに気づかない。
「いいえ、出てません。去年の10月に院生になったばかりなので」
鈴菜はやたら「院生になったばかり」の部分を強調した。
『もうちょっと早く院生になっていれば原石戦に出られた。それだけの実力はある』と、言いたげだ。
「それより畠山初段。囲碁部員じゃないのに、どうして囲碁部にいるんですか?バスケ部なんでしょ?バスケ部の練習サボっていいんですか?」
初段と言われて、京の眉が子がピクリと動いた。京子の『戦闘モード』が一気にフルチャージされる。
(はぁー……。こんな子とキャットファイトするつもりはないけど、お望みとあらばお相手して差し上げましょうかね)
「ちゃんとバスケ部部長から30分だけ時間を貰ってきたから。心配しないで」
「心配なんて、してません。なんで部外者がここにいるのかと思って」
あからさまな喧嘩腰の鈴菜に気付き、2人を仲裁しようと囲碁部高等部部長3年生の久保田亨が間に割って入ってきた。
「畠山さんには、囲碁部側からお願いして月イチで指導して貰ってるんだ。だから畠山さんは部外者ではないんだよ」
正確に言えば「最初は囲碁部からお願いされたが、二度目からは京子から頼み込んで」が正解だ。でもこの場では都合が悪いので黙っておくことにする。
「ふーん。で、素人相手にコテンパンにやっつけて憂さ晴らししてるんだ」
誰の目にも喧嘩を売ってるとはっきりわかるこの物言いに、京子より先に反応したのは優里亜だった。
「は?京子がそんな三流棋士みたいな嫌がらせ、する訳ないでしょ!あんたも原石戦、見たならわかるでしょ?京子の実力を。それに韓国での瑪瑙戦の李夏準との棋譜、見てないの?もし見てないなら勉強不足ね。あんな凄い碁を研究してないなんて」
何故か京子よりも優里亜のほうがヒートアップしている。
(あの温厚な田村先輩が⁉︎)
部員全員がざわめきだす。嘉正も狼狽える。物覚えの悪い嘉正に根気強く囲碁のルールやマナー、基礎を教えてくれたのは優里亜だ。
その温厚な優里亜が、喧嘩好きなあの京子よりも前に出て、売られた喧嘩を買っている。信じられない光景だ。
優里亜からしたら、お昼休みの時間を割いて稽古をつけてくれている京子に、喧嘩を売る鈴菜が許せない。
しかし、この解良鈴菜という新入生。なんの恨みがあるのか、高校生の優里亜に喰ってかかってきた。
「Bクラスは黙っててください」
「私はAクラスよ!あんたはCクラスじゃない!」
「院生になって半年でCクラスまで上がったんですよ、私。凄くないですか」
「半年でCならざらにいるわよ!それに半年っていうなら、京子なんて、プロになろうと思ってから半年で女流試験に合格してるし!」
踏ん反り返って、京子より優里亜のほうが偉そうだ。
「あー、正確に言うと7ヶ月……」
「京子は黙ってて!」
当事者だったはずの京子が、何故か蚊帳の外に放り出されてしまった。
京子は自分より熱くなっている優里亜を見て、『戦闘モード』がオフになってしまった。
(あれぇ?私、いらない?帰っちゃおうかな?)
鈴菜があまりにも好戦的なら躾をして帰ろうかと思ったが、これなら大丈夫そうだなと、京子はこの場を優里亜に任せて、自分はバスケ部の練習に行こうかと思い始めた時だ。また鈴菜が京子に噛み付いてきた。
「この人なんて、たまたま運良く岡本先生の弟子になれたから、プロになれただけじゃないですか」
あー、またコレか。プロになってから低迷している棋士からよく言われるやつだ。察するに、この人もCクラスに上がってから棋力が頭打ちになって伸び悩んでいるんだろう。
こういう阿呆は放置するに限る。
帰りかけた京子に、さらに解良鈴菜はこう投げかけた。
「立花富岳も言ってたそうじゃないですか。『岡本先生はボケ始めた』って。最近のあの人の碁を見るたび、私も『この人、頭ボケ始めたんだろうな』と思うんで。何かの間違いで弟子にしたんじゃないんですか」
この一言でオフになった京子の『戦闘モード』が再び一瞬でフルチャージされた。
「…………あ?お前、今なんつった?」
部室内に低く、ドスの効いた男の声が響き渡る。
京子が放つ殺気に、部員全員が恐怖で体を強張らせる。
(え?畠山さんの声……?)
教室では聞いたことのない京子の低い声と、今まで感じたことのない殺気に、石坂嘉正もまるで蛇に睨まれた蛙のように身動きが出来なくなる。
部員全員が動けなくなった中、いち早く動いたのは優里亜だった。中舘英雄門下の優里亜は、この程度の殺気なら慣れている。
(ヤバい!京子が立花富岳をぶん投げて怪我させた時も、岡本先生の悪口が原因だと聞いた。学校で暴力騒動を起こしたら退学になる確率が高い!)
私が京子を止めないと‼︎
「なぁんだ。私と打ちたいなら、そう言えばいいのに」
あれだけの殺気を放っていた京子は、一瞬で表情を変え、ヘラヘラと笑いながら鈴菜にこう言った。
「「……え?」」
優里亜と鈴菜の声が揃った。
京子を羽交い締めにして喧嘩を止めようと手を伸ばした優里亜は、所在なく空中で手をプラプラとさせた。
「あのね、解良さん。お手合わせ願いたい相手には、喧嘩を売るんじゃなくて、「一局、お願いします」って頭を下げるもんだよ」
え⁉︎京子が人として成長してる⁉︎
誰彼構わず、売られた喧嘩を高価買取する、あの京子が⁉︎
「別に私、あんたなんかと打ちたくないんですけど」
この鈴菜の先輩に対する口の利き方に、部員全員がドン引きする。
タメ口ならまだいい。相手を敬う心があれば、相手は不快に思わない。事実、女子バスケ部でも、練習中・試合中では先輩相手に渾名でタメ口だ。しかし鈴菜のこの口の利き方は、明らかに相手に不快感を与える言い方だ。
だから優里亜を含めた全員がこう思った。
(あー、これはもう、囲碁部員には手に負えないから、畠山さんに指導を任せていいかも)
「遠慮しないで。その口の利き方から稽古をつけてあげるから」
こう言った京子の目は笑っていない。ヘラヘラと笑顔で怒っている。
(うん。京子、さっきの部員全員のアイコンタクトで全てを悟ってくれたな)
「だから、あんたなんかから、け」
「星目風鈴中四目、置け」
鈴菜が言い終わらないうちに京子が喋り出して、鈴菜の台詞を潰していく。
「は?」
「私が今、なんて言ったか聞こえなかった?その若さで耳が遠いんだね。イヤホンの音量に気をつけた方がいいよ。ってか、岡本先生をボケ老人呼ばわりした割には、あなたも老人じゃん」
「ちゃんと聞こえたっての!17子なんて、馬鹿にしてるの?私、半年でCクラスに上がった実力者だって、さっき言ったの忘れたの?あんたもボケてんじゃないの?」
最初のうちは敬語を使っていた若菜の口調が、とうとうタメ口になった。明らかに京子を見下している。
「打つの?打たないの?それとも、そんなに私と打つのが怖い?そりゃそうだよね。たかがCクラスぐらいでイキってるぐらいだもんね」
「は?イキってなんか、いな」
「もし私が負けたら、方々に言いふらしていいから。「あの畠山京子に勝った」って。もちろん17子局だったってのは伏せて。もし私が負けても「院生の解良若菜に負けた」って言って回るよ」
この破格の条件に、若菜は食いついた。
「それ、本気?私に負けたって言うの」
「もちろん。だからさっさと17子、置け。今からプロの世界の厳しさを教えてやる」
●○●○●○
入浴後、石坂嘉正は自室のベッドに横になり、今日の部室での出来事を思い出していた。
文化祭の時も感じたが、畠山さんが本気で怒った時の殺気。本当に殺人を犯すんじゃないかと思わせるほどだ。
(畠山さんに、女子の新入生が仮入部に来たって、言わなければよかったかも……)
あれは「プロの世界の厳しさ」なんかじゃない。ただの折檻だ。もしくは公開処刑だ。
最後は黒石が蓋に入らないくらい、黒石を殺しまくった。
(なんだか大量殺人にしか見えなかった……)
時には爆発物で一気に、時にはナイフを使い人間離れした速さで一人一人殺していくような。
あれだけ黒石が死んだのに、それでも解良若菜は投了しなかった。明らかにマナー違反だ。
しかし京子は鈴菜のマナー違反を咎めなかった。むしろ面白がって、さらに強烈な手を打ち相手を全滅させるまで攻撃の手を緩めなかった。
(怖かった……)
打たれた碁の内容と、悪魔に取り憑かれたかのような京子の表情を思い出し、身震いする。
(畠山さんに対するこの感情、なんなのかよく分からなくなってきたな……)
入学式後の初めてのホームルームで、畠山京子という美少女に出会い、一年が経った。
この一年で畠山京子という人物を知れば知るほど、頭が混乱する。
美人だと思う。可愛いと思う。
デートしてみたいと思う。
と同時に、怖い人だとも思う。
できれば関わり合いたくないと思う時もある。
(どちらが本当の畠山さんなんだろう)
教室でニコニコとクラスメイトと会話する畠山さんと、囲碁部で殺気を放ちながら碁を打つ畠山さんとでは、別人だ。
(ううん。そうじゃない。きっとどっちも同じ畠山さんだ)
ヘラヘラしながら碁は打てない。
あんな怖い顔してたらクラスで浮く。
たぶんバスケしてる時も、畠山さんは違う表情をしてるんだろう。
でも頭ではわかっていても、心が追いつかない。
「あれ?よく考えてみたら僕、畠山さんのどこを好きになったんだっけ?」
こう考えて、嘉正はますます混乱したのだった。
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見知らぬ街でセーラー服を着るはめになったほぼニートのおじさんが、『乙男女《おつとめ》じぇねれーしょん』というアイドルグループに加入し、神戸を舞台に事件に巻き込まれながらトップアイドルを目指す青春群像劇! 怪しいおじさん達の周りで巻き起こる少女誘拐事件、そして消えた3億円の行方は……。
小説家になろうは現在休止中。
夏休み、隣の席の可愛いオバケと恋をしました。
みっちゃん
青春
『俺の隣の席はいつも空いている。』
俺、九重大地の左隣の席は本格的に夏休みが始まる今日この日まで埋まることは無かった。
しかしある日、授業中に居眠りして目を覚ますと隣の席に女の子が座っていた。
「私、、オバケだもん!」
出会って直ぐにそんなことを言っている彼女の勢いに乗せられて友達となってしまった俺の夏休みは色濃いものとなっていく。
信じること、友達の大切さ、昔の事で出来なかったことが彼女の影響で出来るようになるのか。
ちょっぴり早い夏の思い出を一緒に作っていく。
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