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定石編

立花富岳と畠山京子(13歳1ヶ月)1

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 今年もこの日がやってきた。

 七大棋戦の中で唯一の早碁戦、翠玉エメラルド戦の第一次予選。

 この翠玉戦は予選から独特である。他の七大棋戦の予選は組み分けされるのだが、この翠玉戦は組み分けされない。


・第一次予選
 日本棋院・関西棋院所属の全ての初段から五段までの低段者が日本棋院東京本院に会し、スイス方式で対局日当日にコンピュータでランダムに対戦相手を決定、対局。一人十回戦行い、上位成績者が第二次予選進出。


・第二次予選

 第一次予選を勝ち抜いた低段者と六~八段の棋士が、同じくスイス方式で対局。上位成績者が第三次予選進出。


・第三次予選

 第二次予選を勝ち抜いた者と九段の棋士が、四~五人一組のリーグ戦で対局。一位のみが本戦進出。


・本戦

 第三次予選を勝ち抜いた棋士三十二人によるトーナメント戦。勝者が前回優勝者への挑戦権獲得。


・持ち時間十分。一手打つごとに五秒追加。使い切り負け。


 開始から一時間後には勝敗が決する超早碁だ。

 その第一次予選が今日と明日の二日間で行われる。つまり一日に五局打たなければならない、超ハードスケジュールだ。



「酔狂ですねぇ。こんな予選方式、考えるなんて。しかも対局場は二階の大広間なんて、アマチュア棋戦じゃあるまいし。どこのお偉いさんなんですかねぇ」

 なぜか受付が一階で、しかもいつまでたっても前に進まずに棋院入口に出来てしまったこの人集りと、詰め詰めの対局日程と、文化祭の準備と、バスケ部の練習とで、時間的余裕の無さが精神的余裕の無さに繋がってイライラしている畠山京子が、この棋戦のスポンサーには聞かせられない愚痴をこぼした。

「シーッ!京子ちゃん!受付やってるの、スポンサー企業から派遣されてきた人達なんだよ!下手すれば棋戦ひとつ消滅しちゃうから!絶対言っちゃダメ!」

 JR市ヶ谷駅でクーラーボックス二つにバックパックを担いだ美少女にばったり会い、一緒に列に並んで受付を待つ木幡翔が京子を咎めた。

「それは前フリという認識でいいですか?」

 彼女いない歴=年齢の木幡には、美少女の扱い方がイマイチわからない。でも言わなきゃいけないことはハッキリ言っておかないと。

「違うから!本当やめて!棋戦が無くなったら俺達生活できなくなるから!翠玉エメラルド戦の対局料、知ってるだろ⁉︎」

 翠玉エメラルド戦。以前は生命保険会社がスポンサーだったのだが、四年前に契約解除。噂によると、ある棋士がこの企業は棋士に生命保険に加入するよう強要するとネットに書き込み炎上したからだとか(真実は未だ闇の中)。

 そこで名乗りを挙げたのが今のスポンサー。IT関連の企業だ。「ネット中継しやすい」という理由で、早碁戦に変えられた。

 新体制になって今年で三年目のこの棋戦は、優勝賞金だけでなく対局料も破格の値段だ。低段者には少なくとも十局分の対局料と勝った分の勝ち星が懐に入るので、この棋戦を『稼ぎ場』と呼んでいる。

「不景気不景気と聞くけど、景気のいい人はいるんですねぇ」

 何故これだけ破格の対局料を出すのかというと……。

「すみません。なんか僕の父がご迷惑をおかけして……」

 京子と木幡が振り返るとそこにいたのは体格のいい高校三年生秋山あきやま宗介そうすけ三段だった。京子と共に来年一月に韓国で行われる瑪瑙めのう戦出場メンバーに選ばれている。

「あら。これはこれはスポンサー様の御令息。いらっしゃったんですか」

 京子の口振りはまるで「お前影薄くて存在に気づかなかったよ」と言っているようなものだ。だが京子は不機嫌を隠そうともしない。そして自分の無礼な態度を謝罪しようともしない。

「うわぁ!いっ、今のは冗談!冗談です!ね?京子ちゃん!」

 木幡は御令息のご機嫌を損なわないよう、年下相手に敬語になっている。

 そう。親馬鹿の金持ちが可愛い息子のために棋戦のスポンサーになったのだ。

「やっぱり、みなさんもこの棋戦の対局方式、不満みたいですね……。僕もそう言ったんですけど、人の意見なんか耳を貸そうとしない人ですから……」

「秋山さんも親で苦労してるんですね」

「え?僕って?」

「なんでもありません。独り言です」

「ほら、京子ちゃん。受付の順番が来たよ」

「あ。はい」

 木幡は好戦的な京子の性格を知っているので、一悶着起きないうちになんとかこの二人を引き離そうと躍起になったが、素直に応じてくれて安堵した。


 受付は簡単だ。同じ番号の書かれた紙が十枚入った名札ホルダーを受け取るだけ。

 受付係はその番号の名札ホルダーを受け取った人物の性別のみ入力して終了。男性棋士が女性棋士とばかり、もしくは女性棋士が複数回女性棋士との対局とならないようバランス良く割り振るためだ。名前は入力しない。不正が行われる可能性があるからだ。

 京子は『44』と書かれた名札ホルダーを受け取ると、大荷物を抱えたまま飛び跳ねた。

「やった!ラッキー!『四合わせ幸せ』だぁ!」

 木幡は136番、秋山は59番だった。どうやらこの名札ホルダーは番号順に並べられている訳ではなさそうだ。おそらくこれも不正対策だろう。


 木幡や秋山を含む他の棋士達はエレベーターで二階に向かったが、京子はいつも通り大荷物を抱え名札ホルダーを首に掛け、階段を使って二階に上がっていった。 



 ●○●○●○



 京子達が受付を済ませた直後、立花富岳は受付の列の最後尾に着いて呼吸を整えた。

 昨日、なかなか寝付けず、気づいたら目覚まし時計は八時三十分を指していた。家を出る予定の時間だ。とりあえず顔だけ洗い、寝癖はそのままで、着替えて財布だけ持って家を出てきた。

(腹減った……。まだこれだけ並んでる人がいるってわかってたらキオスクで何か買ってきたのに……)

「おはよう富岳」

 振り返ると若松涼太が悠々と現れた。

「おはようございます、若松さん。僕で最後だと思ってました」

「人集りが嫌いだから、三嶋達に混んで無い時間帯を聞いたんだけどさ、去年まで棋院は建て替え工事でスポンサーさんの社屋で対局だったんだろ?今年から棋院で対局だから、どうなるかわからないって言われてさ。なら受付時間ギリギリに来るのが一番よさそうだと思って。俺は富岳はもっと早く来てると思ったよ」

「何故ですか?」

「京子ちゃんに会えるんじゃね?」

 富岳は詰碁の話をした時のように、ピクッと動いたきり動かなくなってしまった。

(ああ、また始まった……。なんかデジャヴ……。言わなきゃ良かったかも)

 木幡は富岳が今日寝坊した理由を言い当ててくれた。

 どのタイミングで、なんと言って京子に謝罪しようかと布団の中で対策を練っていて、寝付けなかったのだ。

 寝付けなかった理由はそれだけではない。


 金緑石アレキサンドライト戦の対局直後、富岳は急いで記者室に行ってみたが、結局どこにも畠山はいなかった。

 家に帰り、風呂に浸かりながら川上との対局内容を思い出すうちにある疑問が湧いてきた。


『畠山はなぜ川上さんから結婚話を聞きだしたのか。なぜ三嶋さんにその話をしたのか』


 畠山は新初段。七段の川上と対局することは当分無いだろう。

 では畠山にとって不必要と思われる川上の情報を手に入れて、畠山はどうするつもりだったのか?ただ間を持たせるための世間話をするタイプとは思えない。

 畠山も、川上さんの結婚話を三嶋さんに言えば、埼玉研で三嶋さんが皆に言うのは予測できたはず……。

 あの時点で川上さんの結婚の情報を得て一番得したのは、間違いなく俺だ。ただその情報を対局に活かせずに負けたけど。

 それに俺の骨折の情報だ。川上さんは俺が畠山に投げられて骨折させられたのを知っていた。では誰から得た情報なのか?

 もし、畠山が川上さんに話していたのなら、骨折したのは左足だと知っていただろう。しかし川上さんのあの様子からして畠山は言っていない。

 となると俺の骨折の情報を漏らしたのは畠山じゃない。棋士伝手づてに噂として聞いたのだろう。

 何故畠山は俺の骨折は左足だと伝えなかったのだろう?それとも川上さんは骨折したのを知っていたから、どちらの足とまでは言わなくてもいいと判断したのか?会話の流れではそう判断してもおかしくはないだろう。

 畠山のやつ。もしかして裏から金緑石アレキサンドライト戦決勝を操ってた?

 どんな情報を誰に与えれば、どんな結果をもたらすか。メンタルコントロールに長けた棋士は誰なのか、弱い棋士は誰なのか。その組み合わせは?

 世間話程度の些細な情報で、棋士を心理戦で操るマッドサイエンシスト……。

 そう考えると畠山との初対局の時の、畠山の不自然な行動も疑問に思える。

 答えの間違えたノートを俺に押し付けてきた時だ。

 畠山はわざと答えを間違えて、俺は訂正できる頭脳の持ち主なのかどうか、試したのではないか?俺はどのタイプに当てはまる人間なのか、グループ分けするために……。考えすぎだろうか?



「おーい富岳ちゃーん!受付の順番、来たぞー!現実世界に戻ってこーい!」

 若松に目の前で手を振られて、やっと我に返った。気づいたら受付に並んでいるのは、若松と富岳の二人だけだった。

 富岳が受け取った番号は『4』だった。

「お。よかったなー。子孫繁栄の『4』だな」

「それ、中国での話でしょ?日本では『死』ですよ」

「いいねぇ。相手の石が『死』ぬ」

「自分の石が『死』ぬとは考えないんですね」

「当たり前だよ!さあ行こうぜ、富岳ちゃん!」

「ちゃん付け、やめてもらえませんか?恥ずかしいんで」

「えー。ダメ?可愛いのにー」

「野郎に可愛さを求めないで下さい」

「じゃあ、ふーちゃん」

「余計やめて欲しいです。普通に名前を呼んで下さい」

「ふーちゃん、ちっちゃくて可愛いから、思わず」

「これでも春から三センチ伸びました」

「それでもこれかぁ~」

 若松が子供をあやすように、自分の胸の高さ位にある富岳の頭をポンポンと叩いた。

「わかりました。対局で当たったら、殺しまくるんで」

「石のことだよね⁉︎」

 富岳の言い方があまりにもキツい言い方だったので、木幡は思わず確認してしまった。


 壁を作らず誰とでも仲良くなれる若松さんのようなタイプ。畠山はこの人をどのタイプにグループ分けしてるんだろう……?
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