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第二十六話 復讐
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「美味しいね~、アリスくん!」
「そ、そうね……」
あの時、豹変した彼はいったい何だったのか。
ナイフとフォークを上手く使い手元の料理を口に運ぶ蜘蛛男は始終機嫌が良さそうな笑みを浮かべ続けており、拍子抜けしてしまう。なにかのきっかけで再び「本物のアリスではない」と否定されてしまうのではないかという不安を抱いていたが、どうやらただの杞憂に過ぎなかったようだ。
(良かった……)
――……何が?
(……?)
いちいち彼の機嫌を伺うだなんて、私は何に怯えているの?
「あ、そうだ~!」
「!?」
びくり、無意識に肩が跳ねる。
なぜかすんなりと彼の姿を捉えたがらない眼球をむりやり動かしてその顔を見やれば、蜘蛛男は食器を皿のはしに置きながら少し首を傾けてみせた。
……ああ、ほら。おかしい。ほっとしている理由を教えて?アリス。
「俺、まだ君に名乗ってなかったよね~」
「え? あ、そうね……言われてみれば……」
目が覚めてから奇跡だの『呪い』だのの話題に盛り上がっていたせいで、今この瞬間まで名前を聞くタイミングがなかった事に初めて気がつく。
いいえ、もしかして。“そう”なるように会話をコントロールされていた……?
(……まさか、そんなわけないわ)
雲のようにふわふわと漂って掴めない人物ではあるが、彼はそこまで計算できるような腹の黒い蜘蛛には見えない。さすがに勘繰りすぎだろうとこっそり自身を戒めた。
「こほんっ! え~、じゃあ改めて。俺はみんなから『白の王』って呼ばれてるんだ~! よろしくね、アリスくん」
「王様……?」
ああ、そういえば。『奇跡』の話を聞く過程で、彼の口から「俺の城」というワードが出ていたことを思い出す。あの時は気に留める余裕がなかったせいで右から左に流してしまったが、彼“も”王様でここが城なら、民家とは明らかに違う建物の立派さにも合点がいった。シェフが居るのも当たり前だろう。
……しかし、
「あの……貴方の言う事を疑う気はこれっぽちもないのだけれど、一国に『王』が二人存在しているのはおかしいんじゃない?」
法を従え国家を統治する王が二人もいては、治まるものも収まらない。こればっかりは「ワンダーランドだから」の一言で納得できない問題だった。
なぜなら、
「そうだね~。普通なら、俺か王様のどっちかが嘘を吐いてるんじゃないかって思うよね~」
「……っ!」
私の心を見透かしたかのようなそのセリフに思わず呼吸が止まる。
二秒の間を置き生唾を一つ飲み込んだ私を見て、蜘蛛男――もとい、白の王は機嫌を損ねるでもなくただくすりと小さく笑うだけだった。
無言は肯定と同義だというのに、やっぱり出会った時から変わらず温厚で心の広い人じゃない。きっとあの時は私の失言がたまたま彼の地雷を踏んでしまっただけとしか思えないわ。
「ふふっ。アリスくんは、チェスって知ってる?」
「チェス? ええ、もちろん。あまり詳しくはないけれど……」
「それと同じだよ~このワンダーランドは、ね~」
「……?」
チェスと同じ。たしかにあのゲームではキングと呼ばれる駒が二つ存在しているが、この世界に来てからそれらしいモノクロの地面を見かけたことは一度もない。
いまいち彼の言葉を理解しきれず首を傾げると、白の王は片手でフォークを持ちその先でレタスをちょんとつつきながら口を開いた。
「この国そのものは厳密に言えば少し違うけど……まあ、似たようなものだよ~。赤と白で陣取り合戦してるんだ~」
赤と白。今の話から率直に整理すれば、赤の王と彼――白の王を指している。
「陣取りって……? なんのために?」
「復讐のため」
短く相槌でも打つように自然と落とされたその言葉を、脳が上手く飲み込むためには少し時間がかかってしまった。
「復讐……」
「うん」
「……でも……貴方は、赤の王と仲良しだって……」
「そうだね~けど、それとこれとはあんまり関係ないよ~。恨みは恨み、親愛は親愛! そうでしょ?」
どんな恨みがあるというの?
おもむろに前髪をかき上げた白の王を見た瞬間、問いかけた唇を引き結ぶ。
「これが俺の『恨み』だよ~」
今までバター色のカーテンで隠されていた彼の左目は、まるでアイスクリームディッシャーでくるりとえぐり取られたかのように陥没しており、包む物を失ったまぶたが大人しく暗闇を覆い隠していた。
こういう時にかけるべき適切な温言が、私には本当の意味ではわからない。
「……そ、れ……」
「これは王様にやられちゃったんだ~……むか~しの話だけどね」
なんてひどいことをするのかしら。可哀想に、大丈夫?
どれも、思っていないのに表面上だけで他人に投げたことはあるセリフだ。そう……心の芯まで感じた経験なんて、生まれてから十八年間ただの一秒も無かった。
今日、今この瞬間まで。一度も、だ。
「……」
「……あっ! ごめんね~! 急に見せられて良い気分のするものじゃなかったよね~!」
「……いいえ、大丈夫よ。気にしないで」
ああ、もしかしたら本当に。彼なら、白の王だけは私を普通の少女に戻してくれるんじゃないかしら。
恐怖も、不安も、安心も、怒りも。みんなにとっての『当たり前』を、きっと私に教えてくれる。希望に照らされたそんな未来が、はっきりと頭の中でイメージできた。
「……ねえ、白の王様。陣取り合戦って、相手は『呪い』を使うでしょう? いくら貴方がついているとは言え、圧倒的に不利じゃない?」
「そうでもないよ~? だって、俺は王様の“弱点”を知ってるから」
にこり、ふわり。暖かな笑みが咲く。
その背後で、ウミガメに似たシェフがカシャリとお皿を割っていた。
「そ、そうね……」
あの時、豹変した彼はいったい何だったのか。
ナイフとフォークを上手く使い手元の料理を口に運ぶ蜘蛛男は始終機嫌が良さそうな笑みを浮かべ続けており、拍子抜けしてしまう。なにかのきっかけで再び「本物のアリスではない」と否定されてしまうのではないかという不安を抱いていたが、どうやらただの杞憂に過ぎなかったようだ。
(良かった……)
――……何が?
(……?)
いちいち彼の機嫌を伺うだなんて、私は何に怯えているの?
「あ、そうだ~!」
「!?」
びくり、無意識に肩が跳ねる。
なぜかすんなりと彼の姿を捉えたがらない眼球をむりやり動かしてその顔を見やれば、蜘蛛男は食器を皿のはしに置きながら少し首を傾けてみせた。
……ああ、ほら。おかしい。ほっとしている理由を教えて?アリス。
「俺、まだ君に名乗ってなかったよね~」
「え? あ、そうね……言われてみれば……」
目が覚めてから奇跡だの『呪い』だのの話題に盛り上がっていたせいで、今この瞬間まで名前を聞くタイミングがなかった事に初めて気がつく。
いいえ、もしかして。“そう”なるように会話をコントロールされていた……?
(……まさか、そんなわけないわ)
雲のようにふわふわと漂って掴めない人物ではあるが、彼はそこまで計算できるような腹の黒い蜘蛛には見えない。さすがに勘繰りすぎだろうとこっそり自身を戒めた。
「こほんっ! え~、じゃあ改めて。俺はみんなから『白の王』って呼ばれてるんだ~! よろしくね、アリスくん」
「王様……?」
ああ、そういえば。『奇跡』の話を聞く過程で、彼の口から「俺の城」というワードが出ていたことを思い出す。あの時は気に留める余裕がなかったせいで右から左に流してしまったが、彼“も”王様でここが城なら、民家とは明らかに違う建物の立派さにも合点がいった。シェフが居るのも当たり前だろう。
……しかし、
「あの……貴方の言う事を疑う気はこれっぽちもないのだけれど、一国に『王』が二人存在しているのはおかしいんじゃない?」
法を従え国家を統治する王が二人もいては、治まるものも収まらない。こればっかりは「ワンダーランドだから」の一言で納得できない問題だった。
なぜなら、
「そうだね~。普通なら、俺か王様のどっちかが嘘を吐いてるんじゃないかって思うよね~」
「……っ!」
私の心を見透かしたかのようなそのセリフに思わず呼吸が止まる。
二秒の間を置き生唾を一つ飲み込んだ私を見て、蜘蛛男――もとい、白の王は機嫌を損ねるでもなくただくすりと小さく笑うだけだった。
無言は肯定と同義だというのに、やっぱり出会った時から変わらず温厚で心の広い人じゃない。きっとあの時は私の失言がたまたま彼の地雷を踏んでしまっただけとしか思えないわ。
「ふふっ。アリスくんは、チェスって知ってる?」
「チェス? ええ、もちろん。あまり詳しくはないけれど……」
「それと同じだよ~このワンダーランドは、ね~」
「……?」
チェスと同じ。たしかにあのゲームではキングと呼ばれる駒が二つ存在しているが、この世界に来てからそれらしいモノクロの地面を見かけたことは一度もない。
いまいち彼の言葉を理解しきれず首を傾げると、白の王は片手でフォークを持ちその先でレタスをちょんとつつきながら口を開いた。
「この国そのものは厳密に言えば少し違うけど……まあ、似たようなものだよ~。赤と白で陣取り合戦してるんだ~」
赤と白。今の話から率直に整理すれば、赤の王と彼――白の王を指している。
「陣取りって……? なんのために?」
「復讐のため」
短く相槌でも打つように自然と落とされたその言葉を、脳が上手く飲み込むためには少し時間がかかってしまった。
「復讐……」
「うん」
「……でも……貴方は、赤の王と仲良しだって……」
「そうだね~けど、それとこれとはあんまり関係ないよ~。恨みは恨み、親愛は親愛! そうでしょ?」
どんな恨みがあるというの?
おもむろに前髪をかき上げた白の王を見た瞬間、問いかけた唇を引き結ぶ。
「これが俺の『恨み』だよ~」
今までバター色のカーテンで隠されていた彼の左目は、まるでアイスクリームディッシャーでくるりとえぐり取られたかのように陥没しており、包む物を失ったまぶたが大人しく暗闇を覆い隠していた。
こういう時にかけるべき適切な温言が、私には本当の意味ではわからない。
「……そ、れ……」
「これは王様にやられちゃったんだ~……むか~しの話だけどね」
なんてひどいことをするのかしら。可哀想に、大丈夫?
どれも、思っていないのに表面上だけで他人に投げたことはあるセリフだ。そう……心の芯まで感じた経験なんて、生まれてから十八年間ただの一秒も無かった。
今日、今この瞬間まで。一度も、だ。
「……」
「……あっ! ごめんね~! 急に見せられて良い気分のするものじゃなかったよね~!」
「……いいえ、大丈夫よ。気にしないで」
ああ、もしかしたら本当に。彼なら、白の王だけは私を普通の少女に戻してくれるんじゃないかしら。
恐怖も、不安も、安心も、怒りも。みんなにとっての『当たり前』を、きっと私に教えてくれる。希望に照らされたそんな未来が、はっきりと頭の中でイメージできた。
「……ねえ、白の王様。陣取り合戦って、相手は『呪い』を使うでしょう? いくら貴方がついているとは言え、圧倒的に不利じゃない?」
「そうでもないよ~? だって、俺は王様の“弱点”を知ってるから」
にこり、ふわり。暖かな笑みが咲く。
その背後で、ウミガメに似たシェフがカシャリとお皿を割っていた。
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