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第十一話 酸欠

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 私の身に何が起きたのか、やっと思考が状況に追いついてきた。
 指の間をすり抜けて絶えず滴る血は頬の怪我から溢れ出しており、上手く唇の開閉を行えないことから恐らく口輪筋は断裂してしまっているのだろう。
 そして、凶器は目の前にいる自称・ユニコーンの爪である……ということまで理解することができても、“それ”で怪我が瞬間的に治癒されたり彼の機嫌が直るわけではないのだ。

(痛い、痛い……っ! なんで私がこんな目に!?)

 このまま出血が止まらなければ、確実に死んでしまう。しかし、彼に対して何か主張したくても、少し口を動かそうとしただけで激痛が脳を突き刺し言葉を奪ってくる。
 どうしよう、どうしようどうしよう……!!

「おい、小娘よ……芋虫の老いぼれが過去、私の元へ寄越した『アリス』を名乗る凡夫共がその後どうなったのか。教えてやろう……」
「……っ!!」

 強い怒りの滲む声音と反して、彼――ユニコーンは、ゆっくりとした優雅な足取りで私の元へ近づいてきた。
 当たり前の話だが、『こんな目』に遭わされた直後にその場でぼうっと彼の到着を待つわけもなく、逃げるために踵を返したところで髪を鷲掴みにされる。

(なん……っ、)

 初めて出会った時と同じで音も無く目の前に現れたユニコーンの姿を認識した瞬間、脳みそは再び混乱し始めてしまった。
 自称・ユニコーンは無表情のまま一切の加減なく私の髪をぐいと引っ張り上げ、首を少し傾けながら言葉を紡ぐ。

「皆、同じじゃ。貴様と同じ。己の無知蒙昧むちもうまいさを滑稽にひけらかし、浅薄せんぱくを後悔し、無様に命乞いしながら死んでいった」
(!?)

 死んでいった?私と同じ?
 死ぬ、の?私はただ正論を突きつけただけなのに……?今からこのイカレたバイコーンに、殺される……?そんなの嫌よ!嫌!嫌、嫌……!!

「ああ……中には、『体を好きにしてくれて構わないから、どうか命だけは奪わないでくれ』と、泣いて縋る女もおったな……」

 その時のことを思い出しているのかどこか遠くを見ながらそう語ったユニコーンは、まばたきを一つしてこちらへ目線を戻し、空いている片手で私の手の上から両頬を掴み顎を持ち上げた。
 ぐにゅん、ぷちゅり。傷口の肉が押し潰され、血の泡が弾ける音。そして、言葉では表しきれない激痛が背骨を叩き体が跳ねる。

「ン゛ン゛ヴーッ!?」
「何故この誇り高きユニコーンである私が、汚らしい人間の小娘なんぞを抱かねばならない? 欲情すると一瞬でも思われたのなら、これ以上ない侮辱の言葉じゃと思わんか?」
「ン゛グッ、ッヴ……!!」
「あの時は……ああ、そうじゃ。腹を裂いて、子宮と卵巣を引きずり出してやった」

 嘲笑混じりに言葉を並べつつ、彼は髪から手を離し爪先で私の下腹部を服の上からついとなぞった。
 たったそれだけでゾワゾワとした感覚が背筋を駆け抜け、先ほどまで「美しすぎる生き物だ」と感じていたはずの彼に対して湧き上がった嫌悪感が心の中を満たしていく。

(頭がおかしいんだわ……!!)

 このバイコーンは、きっと“私よりも”狂っている。

「はあ、まったく……脳みそが腐り果てた思慮の浅い『アリス』のなり損ない共には心底辟易へきえきする……」
「ふーっ、ふーっ……!!」
「……おい、小娘。学の無い貴様にも、私から良い事を教えてやろう」

 お前みたいな気狂いに教わることなんて何もないわと言ってやりたいのに、言葉が喉で詰まって出てこない。手足にも力が入らず「恐怖で体が動かない」とは、まさに今の私の状況を指すのだろうか?
 この国に来るまでは、産まれてから十八年間……今まで“そんな感情を抱いた経験は一度も無かった”のに――……。

(逃げなきゃ、逃げなきゃ……っ)

 気狂いユニコーンはいったん両手を離し、今度は片手で私の両手首を掴み頭上で縫い付けてきた。
 めちょ、にち。ミシミシ、ピリ……筋肉の支えを失っている下顎が重力に引っ張られ、頬の裂け目が少しずつ広げられていく音がする。
 筋が切れているせいで開いた口を閉じることすらままならず、このまま耳まで裂けてしまうのでないだろうかという恐怖に襲われる私など意にも介さずに、気狂いユニコーンは空いている片手の指先で私の舌を摘んだ。

(な、に……? 今度は、何をする気……?)
「口は災いの元、という言葉がある……私の気分を害するだけの舌なんぞ、必要無いじゃろが……」

 無表情でそう言い終えるなり、彼は力任せに舌を引っ張り始める。
 いったい何がしたいのだろうかなどと考えている間にピリッとした感覚が一瞬口内を駆け、

「!?」

 ブチブチという音が直接耳の奥で響いた次の瞬間には、口の中をバーナーで焼かれるような激痛が脳みそを掻き回した。

「ア゛ッ……!? ア゛ア゛ーッ、ア゛ェ……ッ!!」
「やかましい、喚くな。災いの元を“断って”やったんじゃ、感謝くらいせんか」

 気狂いユニコーンの指先からぶら下がる、グミによく似た薄紅色の『何か』。断面から滴る液体はどう見ても血で、口内を侵す痛みと彼の言葉から嫌でも“理解してしまった”状況は、

(舌……舌を、引き千切られ……っ、)

 ありえない、ありえない……!!狂っているにも程度というものがあるわ……!!
 こんな目にあわせたこの気違いバイコーンを今すぐ殺してやりたい!!

「ちっ、汚い……」
「ア゛ーッ……! ア゛ッ、エ゛ッ……、ッカ……!」

 勝手に人の舌を千切っておいて、実に嫌そうな顔でその辺りにポイと投げ捨てる目の前の畜生へ抱いた強い殺意は脳髄まで焦がしているというのに、突然気管に何かが詰まり上手く呼吸できなくなる。

「ははは……息ができんか?」
「……ッ、ア゛……カッ、ア゛……ッ、」
「舌の筋肉は喉まで繋がっておるが……舌を失うと、痙攣した筋肉が強く収縮する。さらに、溢れ出た血液が気管に入り凝固すると……呼吸ができなくなる。また一つ賢くなれたじゃろう? 良かったなぁ?」

 片手で私の両手首を拘束して吊るしたまま、機嫌が良さそうな笑顔を浮かべつつ頭を撫でてくる気狂いユニコーン。
 ひたすら酸欠に喘ぐだけの私は、そんな生き物に構っている余裕など微塵も無かった。

「……ア゛、ッエ゛……ッ、」
「通常であれば、血を吐き出してしまえば死には至らん。この程度の出血では、失血死すら望めん……あー、そうか。貴様は失言により頬の筋肉が裂けて、満足に咳き込むことすら出来んのじゃったな?」
「……ッ、……ッア゛ッ……」

 苦しい、苦しい。息が吸えない。喉に何か張り付いて、凄まじい嘔吐感が込み上げるのに吐き出せない。
 自分の意思では口を閉じることがままならず、骨だけは繋がっているはずの下顎すら言うことを聞いてくれなかった。

「ふっ……いい光景じゃな?」

 気違いユニコーンは地面へ放り投げるようにして私の拘束を解き、美しい銀髪をふわりと揺らしながら顔を覗き込んでくる。
 対して私は仰向けのままで、起き上がるために気力を割く余裕すら失っている状態ではあるが、せめてこの男に一矢報いたいと震える手を伸ばしユニコーンの足首を掴んだ。

「……ッオ゛、ェ……ッカ……」
「……」

 おもむろに、ユニコーンは自由な片足を軽く持ち上げ、直後に足元を強く踏み鳴らす。
 ダンッ!と小さな音が響いて微かな振動が体を伝い、次の瞬間――地面から出現した大きな針が、私の腕を貫いた。

「~~ッ!? オ゛ッ!! オ゛ェエ゛ッ!!」
「……誰の赦しを得て私の体に触れたんじゃ?」

 冷たい紫の瞳に私を映し、もう一度同じ仕草をするユニコーン。再び出現した二本目の巨大針は、今度は私の腰椎から臍までの道を天に向かって通過していく。

「……ッ、コ゛……ッ!?」
「大人しくしておれば、酸欠で眠るように死ねたというのに……呆れるほどに愚かな小娘じゃのう。頭の悪さに同情すら覚える……」

 痛い、痛い。息ができない、下半身の感覚が無い。痛い。死にたくない。死ぬ。死ぬ?嫌、嫌。殺してやりたい、痛い、苦しい、殺してやりたい。死ぬ。
 私、死ぬ?嫌よ、嫌。まだ、殺せてないのに。……あれあれ? 縺ゅl�まだ隱ー繧、殺せ縺ヲ縺ない繧薙□縺」け……?

「……私は『アリス』のなり損ないが死ぬ直前を見るのだけは大好きじゃ……貴様らが後悔と共に撒き散らす血を見ていると、心が穏やかになる」

 ああ、さんけつで……意識、縺、朦朧と、縺励※……な縺ォも、か繧薙′え、繧峨l、な……

「ああ……実に良い眺めじゃ……」
(繧ッ繧ス繧ュ繝√ぎ繧、繝舌う繧ウ繝シ繝ウ縺……)

 谿コ縺励※繧�j縺溘°縺」縺溘�縺ォ……。
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