上 下
10 / 39

第十話 ユニコーン

しおりを挟む
 芋虫さんに指示された道へ足を踏み入れてから、一体どれくらいの時間が経っただろうか?

「ヘンテコ森……」

 いや、もはや『ヘンテコ』などという言葉では足りない。こればっかりは『摩訶不思議』の称号を与えるべきだ。
 なんせ、どれだけ歩き続けても周りの景色が一切変化を見せないのだから。

(どうなってるの……?)

 はじめこそ「森なんてどこも似たようなものよ」と自身を納得させられていたのだが、風景画をぺたりと貼り付けたように“変わらない”ため私はその場でずっと足踏みし続けているだけなのではないだろうかという不安に襲われるほどだ。

(……もしかして、私……)

 自称・芋虫を名乗る奇人に騙されて、二度と帰ることができない魔の領域へ来てしまったのかしら?
 そんな考えが頭をよぎった時、

「――!?」

 突然、刺すような光が視界に飛び込み咄嗟に目を閉じる。
 少ししてから恐る恐る瞼を持ち上げてみると、

「……!! わあ……」

 眼前には、どこまでも澄み渡り陽光を弾いてきらきらと輝く大きな湖が広がっていた。
 畔には名も知らない桃色の小さな花が咲きほこり、四つ葉のクローバー畑で青い鳥が楽しげにじゃれあっているその場所は、おとぎ話の世界を隔離したみたいに幻想的。

「素敵……」

 水中を観察したくて一歩足を進めた瞬間、

「……誰じゃ? 貴様は……」
「!?」

 地を這うような低い声が鼓膜を揺らし、反射的に大きく跳ねてしまう肩。
 いつの間にか私の背後に居たらしい『それ』の影は全身に覆い被さり、頭上から降ってきたシルクのような長い銀髪がカーテンを真似て私の視界を遮った。

(……甘い、匂いがする……)

 いや、そんなことを考えている場合ではない。
 今この瞬間『それ』に声をかけられるまで、気配を全く感じなかった。足音どころか、服の擦れる音も、呼吸音も、何一つ聞こえなかったのである。

「……おい、小娘。耳が聞こえぬのか? いったい誰の許可を得て、私の湖に立ち入った?」
「……っ、あの、私……」

 威圧的な声音が言葉を紡ぎ落とすたび、膝がガクガクと笑い始めていることに気がついた。これも『恐怖』という感情によるものなのだろうか……?
 心を落ち着かせるために一度深呼吸をしてから、改めて口を開く。

「私……い、芋虫さんに言われて、ここへ来たの」
「なに……?」
「彼に指示された通りの道を進んでいたら、いつの間にかこの場所に辿り着いて……貴方のテリトリーに無断で侵入するつもりはなかったのよ、ごめんなさい」
「……なるほど。あの老いぼれめ……“また”か……」

 カサリと草を踏む音が耳に届き、同時に銀髪のカーテンから解放されたことで『それ』は一歩後ろへ下がったのだと理解した。
 声の主を確認するため恐る恐る振り返ると、

(……なんて、綺麗なの……)

 そこに立っていた“もの”は、この世の生き物とは思えないほど美しく思わず見惚れてしまう。
 腰まで伸びた艶やかな銀髪が太陽の光を浴びて真珠のようにきらめき、私を映す紫の双眸はアメシストをかぱりと埋め込んでいるのではないかという錯覚に陥らせた。
 そして、エルフのように尖った耳と頭の両側からそびえ立つツノの存在が、幻想的な雰囲気に拍車をかけている。

「……何じゃ? 無遠慮にじろじろと見おって……」
「……あっ……ごめんなさい。あまりにも……その、美しくて……つい……」
「……ほう? そう言われると、悪い気はせぬ」

 口角を持ち上げて腕を組み、少し首を傾けながら私を見下ろす彼。その一挙手一投足にすら目を奪われてしまうほど美しい男性だ。

「……あの、」
「おい……貴様の小さい脳みそで思いついた話をするのなら『発言しても宜しいでしょうか?』と問うのが先じゃろうが……私を誰だと思っておる? 礼儀を弁えんか、小汚い小娘め」

 しかし……容貌からは想像もできないほど口が悪く、思い返せば初めに声をかけてきた時から言葉に棘があり、常にイライラしているかのようなオーラが漂っている。

「……発言しても宜しいでしょうか?」
「許す。何じゃ?」

 口頭では許可をくれたものの、苛立ちを隠そうともしない彼の指先はトントンと繰り返し二の腕を叩いていた。

「まずは自己紹介を、」
「必要ない」

 食い気味に私の言葉を遮った彼は、深い皺を眉間に刻んでこちらを見下ろす。

「貴様もどうせ『アリス』じゃろう?」
「……!? え……ええ、そうよ。どうして知って、」
「あの老いぼれめ……私の元へ『アリス』と名の付いた人間の娘を寄越しておけば、己が森で息をしていても許されるなどと舐め腐った勘違いを起こしおって……」
「!?」

 美しいその男性が恨み言にも似た独り言をぶつぶつと呟き落とし始めた途端、今まで晴れ渡っていた青空は黒い雲に覆われ、湖全体が夕闇のように薄暗くなると同時に青い鳥は一斉に羽ばたいて姿を消してしまった。

(な、なに……?)
「貴様らのような『アリス』と名付けされただけの汚らわしい小娘を、この私が求めると思うのか……? 凡庸ぼんよう凡夫ぼんぷ風情が……真の『アリス』であると……? どいつもこいつも……ああ、苛立たしい……苛立たしい……っ!!」

 湖がボコボコと音を立て始め、何が起きているのだろうかと振り返って視認した時にはすでに『湖』は失われており、代わりに湧いた真っ赤な液体が湯気を立てる様はまるでいつか絵本で読んだ『血の池地獄』そのものである。

(もしかして、彼の怒りで“こう”なっているの……?!)

 確証は無いけれど、状況から判断するにそう考えるのが妥当だろう。
 それなら、どうにかして彼の機嫌を直すことができればこの不気味な空間も元の幻想的な湖へ戻るのかもしれないと思い口を開いた。

「発言しても宜しいでしょうか?」
「何じゃ!?」
「貴方のお名前を教えてほしいの。ほら……私、まだ聞けていなかったでしょう?」
「……そうじゃな……」

 彼の表情が少しだけ和らぐと、暖かい風がふわりと通り過ぎていく。

「私の名は『ユニコーン』……誇り高きユニコーンじゃ」
「ユニコーン……?」

 ああ、いけない。私の悪い癖だわ。
 わかっていても、細かいところが気になってしまうのはどうしようもない。

「ユニコーンって、一角獣のことでしょう……?」
「……」
「貴方、ツノが二本あるじゃない。それなら、二角獣――バイコーンと呼」

 一瞬、ピリッとした熱を両頬に感じた……と、そう認識した時にはすでに、傷口から大量の血が溢れ出していた。

「~~っ!?」

 痛い……痛い、痛い、痛い……!!
 恐る恐る指先で触れてみると、両側の口角から頬の中心あたりまでナイフで切られたかのようにざっくりと裂けてしまっているため、喋ることもままならない。
 両手で口元を覆い隠したままパニックに陥っている私を、男性――ユニコーンは冷たい眼差しで見下ろし、自身の鋭い爪先についた血を振り払いつつ吐き捨てるようにこう言った。

「……脳みその腐った小娘が……」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

【お願い】この『村』を探して下さい

案内人
ホラー
 全ては、とあるネット掲示板の書き込みから始まりました。『この村を探して下さい』。『村』の真相を求めたどり着く先は……? ◇  貴方は今、欲しいものがありますか?  地位、財産、理想の容姿、人望から、愛まで。縁日では何でも手に入ります。  今回は『縁日』の素晴らしさを広めるため、お客様の体験談や、『村』に関連する資料を集めました。心ゆくまでお楽しみ下さい。  

ゾンビだらけの世界で俺はゾンビのふりをし続ける

気ままに
ホラー
 家で寝て起きたらまさかの世界がゾンビパンデミックとなってしまっていた!  しかもセーラー服の可愛い女子高生のゾンビに噛まれてしまう!  もう終わりかと思ったら俺はゾンビになる事はなかった。しかもゾンビに狙われない体質へとなってしまう……これは映画で見た展開と同じじゃないか!  てことで俺は人間に利用されるのは御免被るのでゾンビのフリをして人間の安息の地が完成するまでのんびりと生活させて頂きます。  ネタバレ注意!↓↓  黒藤冬夜は自分を噛んだ知性ある女子高生のゾンビ、特殊体を探すためまず総合病院に向かう。  そこでゾンビとは思えない程の、異常なまでの力を持つ別の特殊体に出会う。  そこの総合病院の地下ではある研究が行われていた……  "P-tB"  人を救う研究のはずがそれは大きな厄災をもたらす事になる……  何故ゾンビが生まれたか……  何故知性あるゾンビが居るのか……  そして何故自分はゾンビにならず、ゾンビに狙われない孤独な存在となってしまったのか……

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

膀胱を虐められる男の子の話

煬帝
BL
常におしがま膀胱プレイ 男に監禁されアブノーマルなプレイにどんどんハマっていってしまうノーマルゲイの男の子の話 膀胱責め.尿道責め.おしっこ我慢.調教.SM.拘束.お仕置き.主従.首輪.軟禁(監禁含む)

甦る妻

星 陽月
ホラー
【あらすじ】  その日、会社をリストラされた中沢は、夕食のステーキを口に運びながらも喋りつづける妻の蠢く唇を見ていて殺意をいだく。中沢は「妻が浮気をしている」そう思いこんでいた。  殺意をいだきながら、中沢もまたステーキを口に運び、赤ワインを飲んでいるうちに酔いが回ってしまった。妻に支えられながら2階の寝室に入り、ベッドに倒れこむように横になると、急速に闇に引き込まれてしまったのだった。  ふと目を覚まして時計を見ると10時を過ぎており、中沢は3時間ほど眠ってしまっていた。  ベッドから出て、1階に下りリビングに入ると、妻がスマートフォンで誰かと話していた。  中沢はとっさにキッチン身を隠すと、神経を集中して聞き耳を立てた。  相手の話しにうなずきながら、妻の声は歓喜していた。  浮気相手の男なのだと中沢は確信した。そのとたん、胸に狂気が芽生え、それは嫉妬の炎となり、こみ上げる怒りと憎悪が中沢の理性を断ち切った。中沢は妻の背後へと近づいていき、それに気づいてふり返った妻の首を絞めて殺害した。  殺してしまった妻の身体をシーツにくるみ、車のトランクに入れて山林へと運ぶと、中沢は地中に埋めて自宅へともどった。  翌日、解雇されたにもかかわらず、会社のあるオフィスビルの前まで来てしまい、しばらくそのオフィスビルを眺めていた。行くあてもないまま新宿の街を徘徊し、夕刻にになって自宅へともどってリビングのソファに坐っていると、死んだはずの妻が姿を現したのだった。  パニックに陥る中沢だったが、キッチンで夕食の料理を作っている妻の背を見ていて、「妻を殺したのは、悪い夢だったのだ」と思うようにした。しかし、中沢はまた、妻を殺してしまう。  中沢はそうして、妻を殺すという日々をくり返すこととなってしまった。 まるでメビウスの環のように、そこから逃れることは出来ないのだった。

「こんにちは」は夜だと思う

あっちゅまん
ホラー
主人公のレイは、突然の魔界の現出に巻き込まれ、様々な怪物たちと死闘を繰り広げることとなる。友人のフーリンと一緒にさまよう彼らの運命とは・・・!? 全世界に衝撃を与えたハロウィン・ナイトの惨劇『10・31事件』の全貌が明らかになる!!

性奴隷を拒否したらバーの社畜になった話

タタミ
ホラー
須原幸太は借金まみれ。 金貸しの元で無償労働をしていたが、ある日高額報酬の愛人契約を持ちかけられる。 『死ぬまで性奴隷をやる代わりに借金は即刻チャラになる』 飲み込むしかない契約だったが、須原は気づけば拒否していた。 「はい」と言わせるための拷問が始まり、ここで死ぬのかと思った矢先、須原に別の労働条件が提示される。 それは『バーで24時間働け』というもので……?

処理中です...