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第七話 生きている

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「――……っは!!」

 なぜか私は、床に寝そべったまま頭を働かせる。

(なに? なに……? なにが、おき、て……)

 嗚呼、そうだわ。少しずつ思い出した……思い出してしまった!!刃が空を切る音、頭の転がる感覚、血の噴き出す光景。
 それから、それから……!!

「うわぁあああーっ!?」

 半狂乱で飛び起きて、自分の首に両手を当てたところでようやく気がついた。

「あ、れ……? くび、くびが……っ」

 あの時たしかに“彼”の持つ大鎌で一刀両断されたはずなのに、私の頭と胴体は相も変わらず文字通りの一心同体で仲良く一緒に暮らしているではないか。

「はぁっ……はぁっ……」

 指先の神経に集中しながら自分の首に触れて確認するが、切り傷らしき感触にはいっさい当たらず、次に付近の床へ目を走らせてみたけれど、血痕の『け』の字も残っていなかった。
 もしも、私が気を失っている間に彼が拭き取ったのだとして。あんなに噴き出していた血液が、絨毯や大理石に染みの一つも作っていない……そんな事、ありえるのだろうか?

(いいえ、いいえ……!! そうじゃないわ!!)

 そもそもの話、私は確かに首を切り落とされ絶命したはず。
 それなのにどうして今、まるで何事もなかったかのようにこの首と胴体は繋がって動き、頭が物を考え、唇と肺は協力して酸素を取り込んでいるのだろうか?

(なにが起きたの……?!)

 深呼吸を繰り返し、頭の中をクリアにして一から考え直してみることにした。

「……」

 まず、『このワンダーランドでは死ぬことがない』という仮説が真っ先に浮かぶ。
 しかし、死なないイコール切り落とされた首も元に戻る……とは、とても考えられなかった。

(ただ死なないだけなら、首は床に転がったままのはずよ……)

 だいたい、何度も言うけれど私はあの時たしかに“死んだ”のである。
 そう断言できる物的証拠は何もないけれど、自分の体と魂に関する事象くらいは把握できている。

(……それじゃあ、もしかして……)

 二つ目に思い浮かんだのは『私が黒蛇と会話し始めた時点から全ては夢だった』という仮説。これが一番ありえるのではないかと思った。
 白ウサギとこの部屋へ辿り着いたところまでは現実で、彼が姿を消した直後――……私は、なんらかの理由で眠りに落ちていたのではないだろうか?

(きっとそうね……)

 そうだわ。今この部屋には私以外に誰もいないし、リアルな夢を見ていたのだと思えば出来事の全てに合点がいくもの。
 黒蛇が口を聞いたり、人間に姿を変えたり、私が首を刎ねられたのだって全て夢。現実ではなかったから、私は今こうして脳みそでものを考えられているのだ。そうに違いない。

「ふーっ……」

 安堵に胸を撫で下ろしながら深く息を吐き、ゆっくりと立ち上がって辺りを見渡した。

(白ウサギが出て行ったのは……)

 シャンデリアに照らされた薄暗い室内を歩き、記憶を頼りに彼が姿を消した扉を見つけてそのすぐ前に立つ。

「……っ、」

 夢の中では開く気配など微塵も見せなかったドアノブを両手で握りしめ一つ息を吐いて回してみると、なんと扉はガチャンと音を立てていとも簡単に口を開けるではないか。

「開いた!」

 ほら!ほら……!やっぱり、全ては悪い夢だったのね!
 心が踊り始めるのを必死に抑えて平静を装い、目を瞑ったまま恐る恐る扉の向こう側へ足を踏み入れた。

「……!!」

 後ろ手に扉を閉めてから瞼を持ち上げた時、真っ先に飛び込んだのはたくさんの緑。

「ここは……」

 木立の密生するそこは、誰が見ても『森』としか言い表せない場所だった。
 ただ『普通』と違うのは、所々で存在を主張している花たちが私の身長をゆうに越しているということくらいだろうか。
 種類はユリやバラ、アサガオといった馴染みのあるものばかりで、一瞬「私が小さくなったのかしら?」と錯覚しそうになった。

(ヘンテコ森……これも、ワンダーランドだから……?)

 きょろきょろと周囲を観察しながら足を進めるけれど、どこまで行っても視界に映る景色は特別変化を見せず、体感で三分程度歩いたところで飽きてくる。

「……つまらないわ」

 チェシャ猫が現れたりディーとダムの双子が喧嘩をしているわけでもなく、上空から降り注ぐ光があたたかくて、風にそよいでじゃれあう草の笑い声が耳に届く……たったそれだけの綺麗な森。

「つまらない……」

 ため息混じりに再度呟いてから空を仰ぎ見て驚いた。

(な、なにあれ……!?)

 今いる場所からもう少し行った先に、とんでもないほどに巨大なエリンギが一つ生えている。
 いや、あれはもはや『エリンギ』と呼べるサイズではない。“ビル”と名付けるのが的確ではないだろうかと、そう考えるレベルだ。

(面白そう……!)

 好奇心に身を任せて森の中を全力で駆け抜け、巨大キノコのすぐそばまでやって来る。
 近くで見ればそれがキノコであると気づくことすら難しいであろう大きさで、周囲をぐるりと覆う顔面サイズのキノコたちはまるで螺旋階段のようだ。

「すごい……自然に生えたのかしら……?」

 もう一度頭上へ目線をやると、ビルキノコのてっぺんで『何か』がもぞりと動く。

「!?」

 その『何か』は人影に見える気もするが、こんなところから声を張り上げたところで『何か』の元まで届くとは思えなかった。

「……これ、登れるのかしら……?」

 先ほど螺旋階段を彷彿とさせたキノコに恐る恐る片足を乗せてみた途端、トランポリンのようにポヨンと揺れて私の足裏を弾き返してくる。

「わっ!? わっ、わ……っ!!」

 反射的に右足を出して二段目に乗れば、またポヨン。ポヨヨン、ポヨッ、ポン、ポヨンッ。
 そうして必死で左右の足を動かしている間に、気付けば私は巨大キノコのてっぺんに辿り着いていた。

「わあっ!?」
「!!」

 突然、足元の反発を失ってバランスを崩した体は前のめりに倒れこむ。
 少しのデジャヴが脳裏によぎりつつ、のそのそと起き上がった私の顔に『何か』の影が重なり、慌てて前方へ目をやった。
 すると、

「……おや……? 人の子か……? 随分……久しいな……」

 そこにあったのは、緑の髪を揺らし片手でモノクルのふちをついと持ち上げる男性の姿。
 おそらく、私が先ほど目にした『何か』の正体が彼だ。

「あっ……はじめまして、ごきげんよう」
「……ああ……はじめまして、人の子……」

 無表情のまま彼が少し肩をすくめると、ハイネックニットの首元で口が見えなくなってしまう。
 チェロのような低い声に、空白の多いのんびりとした口調が相まって、どこか眠気を誘う不思議な人だ。

「えっと……私は『人の子』という名前じゃないわ」
「……そうだろうとも……人の子は、生き物の種類だ……」
「そうね。だから、私のことは名前で呼んでほしいの。アリス……そう呼んでくれるかしら?」
「……アリス……?」

 不思議な彼は少し驚いた様子で黒い双眸を見開いたかと思えば、すぐに目を細めて短く息を吐き言葉を落とす。

「……そうか、それは……気の毒だ……」
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