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第二話 家族

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 八年前。私が十二歳になったばかりの冬の日に、突然の事故で両親が他界した。
 雪の降る山道で対向車線を走っていたスピード違反の車が、曲がり角でスリップし両親の車と衝突。その衝撃で弾き飛ばされ、車もろともガードレールを越えて両親は崖の下へ転落したらしい。遺体は目にしていないが、即死だと聞かされた。
 それからは姉妹二人で手を取り合い、金銭的余裕は無いものの、仲良く平穏に暮らしてきた……と、そう思っていたのは、どうやら私だけのようだ。
 彼女の様子がおかしいと気づいたのは、私が十四回目の誕生日を迎えた頃。

「いつになったら居なくなってくれるの?」
「……え? な、何を言っているの?」

 はじめは小さな違和感だった。不確かで、不明瞭で、ただ「なんとなく」としか言い表せないものが私の背筋を駆け抜け、全身の肌をあわ立てる。
 私は、その原因を見つけようと思った。

「ねえ、一度お医者さんに診てもらわない?」

 そう言って笑いかけると、『彼女』は落書きだらけの絵本を手に抱えたまま、にこりと笑顔を返して見せる。
 私の大好きな、不思議の国のアリスの絵本。今ではどのページを開いても、主人公である『アリス』の顔が真っ黒いクレヨンでぐちゃぐちゃに塗り潰されてしまっている。どう考えても、異様な行動だ。
 初めはただ、突然両親を亡くしたショックやストレスで精神面に異常を来したのではないかと、そう思っていたのだが、

「診断結果は――……」

 そうではなかった。
 私が歪みに気付いた時には、もう遅かったのだ。

(どうしよう、どうしよう)

 私達は二人暮らし。頼れる親戚も、相談できる親しい友人も、私には一人もいない。
 私が唯一、助けてくれと縋ることのできる相手は……。

「……アリス、」

 医師の話を聞いたあの日から、毎晩同じ夢を見る。高い場所から突然、天使様が降ってくる夢。飛び降り自殺を目にするわけではなく、ただ単純に“降ってくる”だけ。
 私は昔から夢占いが好きで、初めてその光景を見た翌朝も、いつも通り軽い気持ちで夢占いの辞典に目を走らせた。
 何度も何度も文字を目で追い、指先でなぞりながら確認するけれど、そこに書かれた内容が変わる事はない。そんなのは、私が魔法使いでもない限り至極当たり前の現実なのだが、違っていて欲しかった。
 だって、誰だって信じたくないはずだもの。

(自分自身の、突然死を暗示……?)

 ああ、やっぱり。やっぱり!そうなのね!?
 どうしましょう、私はどうしたらいいの。どうすれば、私は。

(お願い、早く。早く……!)

 どうか、早くアリスを迎えに来て。
 そして誰か、早く気づいてほしい。

「あの人は、狂ってる……!」



***



 八年前。二人暮らしを始めた頃から、お母様はおかしくなっていった。
 いや……正しく言うならば、苛立っている事が多くなっていた、ような。それでも、彼女が狂い始めていた事実に相違はない。
 一番最初は本当に、とても些細な事だった。

「フォークを左手に持つのはやめなさい」

 私が左利きである事を、今まで一度も咎めなかったくせに。
 お母様は、二人で暮らしはじめた途端に細かい部分へのこだわりを見せ、私の所作一つ一つに駄目出しをするようになった。

「スカートのまま、ソファに寝転がらないで。お行儀が悪いわよ」

 なんてみっともない。そう言って、お母様はわざとらしく声に出して深いため息を吐く。

「スカートの端に皺がついているわ。どうしてきちんと確認しないの?」

 アイロンの一つもかけられないの?ああ……まあ、貴女にそこまで期待しちゃいけないわよね。
 お母様は横目に私を見ながら口元に三日月を描いて、

「使った物は、用が済んだら元あった場所に戻しなさい。この前も同じことを言ったはずよ?」

 何回言えば覚えるのかしら?この低脳は。ああ、それとも、人間様の言葉じゃ伝わらないの?ごめんなさいね、豚語は私にもわからないの。

「……ごめんなさい」

 謝るだけなら馬鹿でも出来るわ。猿だって反省するって言うのに……あはは、貴女は猿以下ね?

(……っ、)

 そうやって、毎日毎日。お母様は八年の月日をかけて少しずつ、毒で蝕むように私の人格を否定し、自尊心を傷つけてきた。

「いい? よく聞いて?」

 お前の頭が悪いから、私が矯正してあげているの。
 お前の物覚えが悪いから、私が何度も教えてあげているの。
 お前の出来が悪いから、私がいつも恥をかくの。
 でも、わかる?これは全部、

「あなたのために言っているのよ?」

 お母様はいつもそうだ。二言目にはあなたのため、あなたのため。私のためだとのたまいながら、私を指差してあざけるくせに。影で悪口も言っていると、ロリーナ姉さんが教えてくれた。
 ロリーナ姉さんが言うには、お母様はいつも私を馬鹿にして楽しんで、笑いながら紅茶を飲んでいる。私の頭の悪さときたらあまりにも可笑しいものだから、最近は近所中に言い触らし、ラジオにも匿名で投函して、深夜にDJが読み上げた日なんてそれはもう涙が出るほど笑い転げていたそうだ。

「大丈夫……?」
「……うん、大丈夫。ありがとう、ロリーナ姉さん」

 ロリーナ姉さんだけは、いつだって私の味方。
 私がお母様に頬を叩かれた時も、衣服を脱がされて家から追い出された時も、二週間食事を抜かれた時も。ずっとずっと、私の側に居てくれた。

(ロリーナ姉さんのことは大好き。でも、お母様なんて大嫌い)

 私が脇役だから、お母様は馬鹿にして下に見ている。

(許せない)

 お母様が私を追い詰めるための執念深さったらいっそ感動すら覚えるほどで、寝る前も起きた時も食事中もお風呂に入っている間も、絶えず延々と悪口を言い、指さして嘲笑あざわらってくるのだ。
 私はもう、そんな日々に疲れてしまった。

「ロリーナ姉さん、私……」
「大丈夫、大丈夫よ。私はわかっているわ。何があっても、私だけは貴女の味方だから。ね? だから、大丈夫」
「うん、うん……ごめんね、ロリーナ姉さん」

 あとどれくらい、お母様からの悪口と嘲笑を我慢したらいい?
 あと何日、お母様が振るう暴力に耐えたらいい?
 どれだけ待てば、白ウサギは助けに来てくれるの?

(誰か助けて)

 このままじゃ私は、お母様に殺されてしまう。

(もう、無理よ)

 一階の柱時計が、ボーンボーンと鳴いて夜の訪れを告げる。時刻は零時一分過ぎ、ちょうど十八回目の誕生日を迎えた日。
 私は今夜、『お母様』を殺すことにした。
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