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第52編「来年からはもっとはしゃいでくださいね」
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質問に質問で返した恋幸に対し、裕一郎は淡白に「はい」と返して彼女の顔から両手を離す。
(な、なんだろう!?)
聞きたいこと、と切り出された瞬間――恋幸の脳内に浮かんだワードは『婚姻届を出す日』『新作の締切について』『今日の朝食べた物』の3つであった。
内、1つ……いや、2つは絶対に今このタイミングで聞かれるわけが無いだろうという大前提はさておき、恋幸は先ほどのあれこれで熱を持つ頬に片手を当てたまま心臓を高鳴らせて次の言葉を待つ。
数秒の間を置いてゆっくりと唇を持ち上げた裕一郎は、
「小日向さんの誕生日、教えてくれませんか?」
体勢を変えながらひどく穏やかな声で問いを投げると、先ほど脱がせた恋幸の靴を片手で拾い上げ、丁寧な手つきで履かせてから再び彼女に向き直った。
まさに紳士……いや、恋幸目線では『童話・シンデレラの王子様』としか思えない行動に、彼女の瞳孔はハート型になってしまう。
(裕一郎様、素敵すぎでは……? かっこよすぎてされるがままになっちゃった……はっ!? そうじゃなくて!)
頭の中が花畑になる直前で恋幸は一度瞼を閉じて大きく息を吐き、いったん脳を落ち着かせてから裕一郎に視線を向けた。
しかし、不自然に空白の時間を作ってしまったせいかその間に彼は何か勘違いをしたらしく、恋幸が口を開くより先に「その、」と切り出す。
「は、はいっ!」
「以前、保険証を見せて頂きましたが、あの時は西暦しか見ていなかったものですから」
「なるほど!」
恋幸は「もっと上手い相槌があったでしょ」と自分に対してツッコミを入れつつ、眼鏡の奥にある彼の青い瞳を真っ直ぐに見据えて、あまり無い胸をドンと張り元気に言い放った。
「4月15日、苺大福の日です!」
「15……来週ですよね?」
「あっ、そっか! そういえばそうですね!」
にこにこと能天気に笑う恋幸とは対照的に、つい先ほどまで穏やかに微笑んでいた裕一郎は途端に表情を失ってしまう。
その様子に漫画的効果音を付けるのであれば、スンッ……だ。
「……小日向さん」
「はい!」
「強めに額を弾いてもいいですか?」
「えっ!? いいですけど、どうしてですか!?」
裕一郎は右手の人差し指と親指で輪を作り、恋幸の額に近づけていわゆる“デコピン”の構えを見せたものの、すぐに手を下ろして「はあ」とため息を吐く。
一連の挙動に恋幸は彼の整った顔を見上げたまま首を傾げることしかできないでいたが、そんな彼女の様子に裕一郎は綺麗な眉を八の字にして片手で頬を撫でた。
「そういうことは、事前にアピールしてくださらないと……」
「えっ、だって、もう誕生日にはしゃぐような年齢でもないですし……」
「貴女の謙虚なところも魅力的だと思っていますが、私の前ではもっと貪欲になってください」
「……でも、」
裕一郎がそうさせているのだろうか? 空気が、ひどく甘ったるいように感じる。
恥ずかしさで反射的な言い訳を並べかけた恋幸の唇に、彼の親指がなぞるように触れて言葉の投下を牽制した。
「大切な恋人の誕生日は、きちんと祝いたいんですよ」
「……っ、すみ」
「はい。貴女が悪くない事で謝らない」
長い指先が唇に押し当てられたかと思えば、裕一郎の大きな両手がまるで犬や猫でも可愛がるかのように恋幸の頬を包み込んで柔く揉み始める。
(な、なに……!? なに!? 裕一郎様、今日はスキンシップ多すぎませんか!?)
「失礼。触り心地が良いものですから、つい」
「触り心地……」
彼が手を離した後、今しがた言われたことを反芻しながら恋幸は自身の頬に触れてみるが、裕一郎の好む(らしい)『触り心地』とやらを同じように感じ取る事はどうにも難しかった。
そして、
「……花ちゃんにも、こういう風に触れるんですか?」
頭に浮かんだ小さな疑問が、ほとんど無意識のうちに口からぽんと出てしまう。
(あっ!?)
内容そのものは、とくべつ彼を困らせてしまうようなものではない。だが、そこに込めてしまった感情が煩わしいものであるのは確かだった。
「その、ちょっと今、私……変でしたね! えへへ」
黙ったまま瞬きを繰り返す裕一郎を見ていると気持ちだけが先走り、言わなければバレないままでいられたような事まで脳みそが勝手に体を動かして発信してしまう。
押し寄せる恥ずかしさがストッパーとなりようやく唇を引き結べた時、察しのいい――いや、もしかすると恋幸の表情が全てを物語っていたのかもしれないが、裕一郎は目を細めてわずかに首を傾けた。
「……花に、嫉妬したんですか?」
表情自体は変化を見せていないがその声音はどこか嬉しそうで、恋幸は耳の熱さを感じつつ彼の胸元に目線を落とす。
「はい」
ウサギ相手にほんの一瞬でもやきもちを妬いてしまうなど、穴があったら入りたい。
肩を縮こまらせてそんな風に考える彼女の頭を裕一郎はひどく優しい手つきで撫でると、余った片腕を背に回しておもむろに抱き寄せた。
「く、倉本さん?」
「よしよし、可愛い可愛い」
(へ!?)
「花にも同じように触れている……と、思いますが、貴女とあの子では別々の可愛がり方をしているつもりですよ」
「!!」
さすがの彼も、呆れるなり困惑するなりマイナス方面の反応をするのではないだろうか? と身構えていただけに、予想外の方面から包み込まれてしまった恋幸はきゅうと胸が締めつけられるような感覚をおぼえる。
「……倉本さん、好きです。大好き」
「はい、知っていますよ」
「倉本さんの良い匂いも大好きです」
「ありがとうございます。今晩帰った時に、香水もお見せしますね」
「えへへ、楽しみにしてます」
衝動に任せて抱きついた彼の服からはどこか懐かしい金木犀の甘い香りがほのかに漂い、恋幸は「このまま時間が止まってしまえばいいのに」と今この瞬間の幸せを静かに噛み締めていた。
(な、なんだろう!?)
聞きたいこと、と切り出された瞬間――恋幸の脳内に浮かんだワードは『婚姻届を出す日』『新作の締切について』『今日の朝食べた物』の3つであった。
内、1つ……いや、2つは絶対に今このタイミングで聞かれるわけが無いだろうという大前提はさておき、恋幸は先ほどのあれこれで熱を持つ頬に片手を当てたまま心臓を高鳴らせて次の言葉を待つ。
数秒の間を置いてゆっくりと唇を持ち上げた裕一郎は、
「小日向さんの誕生日、教えてくれませんか?」
体勢を変えながらひどく穏やかな声で問いを投げると、先ほど脱がせた恋幸の靴を片手で拾い上げ、丁寧な手つきで履かせてから再び彼女に向き直った。
まさに紳士……いや、恋幸目線では『童話・シンデレラの王子様』としか思えない行動に、彼女の瞳孔はハート型になってしまう。
(裕一郎様、素敵すぎでは……? かっこよすぎてされるがままになっちゃった……はっ!? そうじゃなくて!)
頭の中が花畑になる直前で恋幸は一度瞼を閉じて大きく息を吐き、いったん脳を落ち着かせてから裕一郎に視線を向けた。
しかし、不自然に空白の時間を作ってしまったせいかその間に彼は何か勘違いをしたらしく、恋幸が口を開くより先に「その、」と切り出す。
「は、はいっ!」
「以前、保険証を見せて頂きましたが、あの時は西暦しか見ていなかったものですから」
「なるほど!」
恋幸は「もっと上手い相槌があったでしょ」と自分に対してツッコミを入れつつ、眼鏡の奥にある彼の青い瞳を真っ直ぐに見据えて、あまり無い胸をドンと張り元気に言い放った。
「4月15日、苺大福の日です!」
「15……来週ですよね?」
「あっ、そっか! そういえばそうですね!」
にこにこと能天気に笑う恋幸とは対照的に、つい先ほどまで穏やかに微笑んでいた裕一郎は途端に表情を失ってしまう。
その様子に漫画的効果音を付けるのであれば、スンッ……だ。
「……小日向さん」
「はい!」
「強めに額を弾いてもいいですか?」
「えっ!? いいですけど、どうしてですか!?」
裕一郎は右手の人差し指と親指で輪を作り、恋幸の額に近づけていわゆる“デコピン”の構えを見せたものの、すぐに手を下ろして「はあ」とため息を吐く。
一連の挙動に恋幸は彼の整った顔を見上げたまま首を傾げることしかできないでいたが、そんな彼女の様子に裕一郎は綺麗な眉を八の字にして片手で頬を撫でた。
「そういうことは、事前にアピールしてくださらないと……」
「えっ、だって、もう誕生日にはしゃぐような年齢でもないですし……」
「貴女の謙虚なところも魅力的だと思っていますが、私の前ではもっと貪欲になってください」
「……でも、」
裕一郎がそうさせているのだろうか? 空気が、ひどく甘ったるいように感じる。
恥ずかしさで反射的な言い訳を並べかけた恋幸の唇に、彼の親指がなぞるように触れて言葉の投下を牽制した。
「大切な恋人の誕生日は、きちんと祝いたいんですよ」
「……っ、すみ」
「はい。貴女が悪くない事で謝らない」
長い指先が唇に押し当てられたかと思えば、裕一郎の大きな両手がまるで犬や猫でも可愛がるかのように恋幸の頬を包み込んで柔く揉み始める。
(な、なに……!? なに!? 裕一郎様、今日はスキンシップ多すぎませんか!?)
「失礼。触り心地が良いものですから、つい」
「触り心地……」
彼が手を離した後、今しがた言われたことを反芻しながら恋幸は自身の頬に触れてみるが、裕一郎の好む(らしい)『触り心地』とやらを同じように感じ取る事はどうにも難しかった。
そして、
「……花ちゃんにも、こういう風に触れるんですか?」
頭に浮かんだ小さな疑問が、ほとんど無意識のうちに口からぽんと出てしまう。
(あっ!?)
内容そのものは、とくべつ彼を困らせてしまうようなものではない。だが、そこに込めてしまった感情が煩わしいものであるのは確かだった。
「その、ちょっと今、私……変でしたね! えへへ」
黙ったまま瞬きを繰り返す裕一郎を見ていると気持ちだけが先走り、言わなければバレないままでいられたような事まで脳みそが勝手に体を動かして発信してしまう。
押し寄せる恥ずかしさがストッパーとなりようやく唇を引き結べた時、察しのいい――いや、もしかすると恋幸の表情が全てを物語っていたのかもしれないが、裕一郎は目を細めてわずかに首を傾けた。
「……花に、嫉妬したんですか?」
表情自体は変化を見せていないがその声音はどこか嬉しそうで、恋幸は耳の熱さを感じつつ彼の胸元に目線を落とす。
「はい」
ウサギ相手にほんの一瞬でもやきもちを妬いてしまうなど、穴があったら入りたい。
肩を縮こまらせてそんな風に考える彼女の頭を裕一郎はひどく優しい手つきで撫でると、余った片腕を背に回しておもむろに抱き寄せた。
「く、倉本さん?」
「よしよし、可愛い可愛い」
(へ!?)
「花にも同じように触れている……と、思いますが、貴女とあの子では別々の可愛がり方をしているつもりですよ」
「!!」
さすがの彼も、呆れるなり困惑するなりマイナス方面の反応をするのではないだろうか? と身構えていただけに、予想外の方面から包み込まれてしまった恋幸はきゅうと胸が締めつけられるような感覚をおぼえる。
「……倉本さん、好きです。大好き」
「はい、知っていますよ」
「倉本さんの良い匂いも大好きです」
「ありがとうございます。今晩帰った時に、香水もお見せしますね」
「えへへ、楽しみにしてます」
衝動に任せて抱きついた彼の服からはどこか懐かしい金木犀の甘い香りがほのかに漂い、恋幸は「このまま時間が止まってしまえばいいのに」と今この瞬間の幸せを静かに噛み締めていた。
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