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第28編「違う意味で眠れないかもしれませんね」

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 お風呂場で脱いだ服等をどうすればいいのか分からなかった恋幸は、「裕一郎様に聞くのはちょっと恥ずかしいし、星川さんに会ったら聞こう」と考えていったん自分用の部屋に持ち帰り、ドライヤーでしっかり髪を乾かしてから地図を頼りに裕一郎の部屋へ出陣。

 そして、辿り着いた時点で痛いほどに高鳴る心臓を深呼吸で落ち着かせ、緊張からわずかに震える手でふすまをスライドした。


「し、失礼します……!!」


 目を瞑ったまま一歩前に出て後ろ手に襖を閉めると、エアコンの暖かな空気が恋幸の頬を撫でる。
 ゆっくりとまぶたを持ち上げれば、そこには布団の上に胡座あぐらをかいて座り真剣な顔でノートパソコンに何かを打ち込む裕一郎の姿があった。

 彼は恋幸に気づくとその手を止め、「迷わなかったようで安心しました」と呟きノートパソコンを閉じて自身の枕元に置くと彼女に向き直る。


「んふーっ……んふーっ……」
「……? 大丈夫ですか?」
「だ、だいじょぶです……!」


 全く“大丈夫”ではない恋幸が鼻息を荒くしながらぐるりと見渡した室内には、星川が用意したのかそれとも裕一郎がしてくれたのか……敷布団が2組、しっかり隣同士でセッティングされており彼女の心拍数は再び急上昇。

 ロボットのごとくギクシャクした動きで裕一郎の隣にある布団へ向かう恋幸を見て、彼は座ったまま心配そうにその顔を覗き込んだ。


「……本当に大丈夫ですか? 星川さんから事情は聞いていますが、小日向さんがここで寝て私が貴女の部屋で眠ればいいだけの話なので、無理強いするつもりは」
「本当に大丈夫です!!」


 あの極寒の地で裕一郎様に睡眠をとらせるわけにはいかない!
 そんな強い意志を持つ彼女が食い気味に否定すれば、裕一郎はわずかな沈黙の後「そうですか、それなら良いのですが」と言って目を逸らす。


「んふーっ……んふーっ……」
「……電気、消しますね」


 相変わらず鼻息の荒い恋幸が布団に入ったことを確認した裕一郎は眼鏡を外して折り畳み、それを枕元に置いてリモコンを手に取ると親指でピッとボタンを押した。

 ――……瞬間。真っ暗闇に包まれる室内と、


「ひっ……!!」


 短く響く悲鳴。


「!?」


 そして、裕一郎の腕に『誰か』がしがみつく。


「……小日向さん?」
「ご、ごめ、ごめんなさい……あの、すみません、電気……電気を、つけてほしくて……常夜灯じょうやとうでいいので、すみません……お願いします……」


 かすかに震えながらそう訴えたのは恋幸で、裕一郎は初めて見た彼女のその様子に困惑しつつもリモコンを操作し、言われた通り常夜灯へ切り替え「これで大丈夫ですか?」と問いかけた。

 すると、恋幸は「はい、大丈夫です。お手数をおかけしてすみません」と笑顔を見せると同時に裕一郎の腕から両手を離し、引力で引っ張られるかのような勢いで後ろへのけぞる。
 なんとも奇っ怪な行動に裕一郎は思わず吹き出しそうになったものの、唇に力を込めてなんとか笑いを噛み殺した。


「すす、すみません……!! 私、倉本様の体に許可なく触れたりして……っ!!」
「いえ……小日向さんなら、わざわざ許可を取る必要はありませんが」
「なん……なっ……んん、なん……」


 布団に寝転んだまま久しぶりにナンの話しかできなくなった彼女を見て、彼はほんの一瞬だけ懐かしさに襲われる。


「すみませんでした。暗闇が平気かどうか、先に聞くべきでしたね」
「……!! 倉本様のせいじゃありません!! 私が先に……先に、暗所恐怖症だって、言わなかったせいです……」
「……」


 恋幸の視界のはしで何かが動き、大げさなほどに肩が大きく跳ねた。

 しかし、少しして室内の仄暗さにも目が慣れ、裕一郎が自身の上におおいかぶさる形で顔を覗き込んでいることに気がつくと、先ほどまで恐怖で高鳴っていた心臓が違う意味で鼓動を早める。


「……本当に、大丈夫ですか?」
「……く、くらもと、さ……」
「電気、つけましょうか?」
「だ、だいじょぶ、です……」


 彼の片手は恋幸の顔のすぐ横に置かれており、空いているもう片方の手が彼女の頬を優しく撫でた。


「もし『部屋が明るいと眠れないだろう』と考えて私に気を遣っているのだとしたら、“遠慮”なんてものは今すぐ捨ててください」
「……っ、」


 恋幸が躊躇ためらいがちに彼の手のひらへ顔を擦り寄らせると、動揺からかその長い指がぴくりと跳ねる。


「本当に、大丈夫です……倉本様が、一緒にいてくれるから……」
「……それが一番、危険だと思いますけどね」
「え……?」


 彼女の問いに対して答えが返ってこないまま、裕一郎の指先がその形を確かめるかのように唇をなぞり、


「……っ、へ……!?」


 一つ、二つ。恋幸の頬に口づけが落とされる。


「く、くら、も……」
「……はい、なんでしょう?」


 裕一郎の口元には三日月が浮かび、空色の瞳が窓から差し込んだ月明かりを反射してきらめくさまを、恋幸は「綺麗だなぁ」などと他人事ひとごとのように感じていた。
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