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第13編「ぜひまた来たい店でした」

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 ただ今、恋幸は葛藤かっとう最中さなかにあった。

 歌詞はよくわからないがとてもシャレた英語の曲が流れる店内で、目の前の3段パンケーキにゆっくりとメープルシロップをかけ頭を働かせる。


(……どうしよう……)





 車内で起きた『出来事』に脳みそを乗っ取られていたせいで、駐車場に入ってからこの店に着くまで裕一郎の話に対しても上の空。
 うなじを眺めながらぼーっと後ろをついて歩き、筆記体で書かれたスタンド看板を見た瞬間に恋幸はようやく我に返った。

 しかし、店の入口まで来て「やっぱり別の所が良いです! ハンバーガーとか食べませんか!?」と言うのも躊躇ためらわれ、店員に促されるまま扉をくぐり案内された席へ腰を下ろして熱々のおしぼりで手を拭いてからメニュー表を開く。

 運ばれてきたお冷を見た時点で薄々“そう”だろうなと勘づいていた恋幸だが、メニューに目を通したとき改めて現実を突きつけられた。


(や、やっぱり……ここ、『良いお店』だ……っ!!)


 そういえば、裕一郎が先ほど「以前から気になっていたお店があるんです」だとか「男1人で入るのははばかられまして」などと話していた気がしなくもない。
 それに、これほど見目麗しい彼が昼食としてファストフード店を指定するはずがないしイメージもできない、と恋幸はパンケーキの写真に目を奪われながら考える。


(プレミアムパンケーキ……)
「……食べたい物はありましたか?」
「えっ……!? あっ、えっと……」


 対面側の席に座る裕一郎は適当に畳んだおしぼりをテーブルの右端に置き、言いどもる彼女の顔をまっすぐに見据えて不思議そうに首を傾げた。
 その表情は相変わらず“無”だが、透き通った空色の瞳にどこか心配の色が滲む。


「……目当ての物がありませんでしたか? でしたら、昼食は別の」
「いえ! ありました! これが食べたいです!」


 店内の雰囲気を損なわないよう恋幸が声を潜めてメニュー表の写真を指差すと、裕一郎は「よかった」と呟き、席に用意されていたベルをチンと鳴らした。
 少しの間を置いてやって来た店員に慣れた様子で注文を済ませた彼に対し、恋幸はときめくと同時に心の中で軽いパニックに陥る。

 見間違いでなければ、自分が注文したパンケーキはなんと1000円もする代物だった。さらに、「飲み物はどうします?」と聞かれつい一緒に頼んでしまったクリームソーダが650円。


(これ、全部私が払うんだよね……?)


 恋幸が抱いている不安は決して所持金の心配ではなく、「もしも裕一郎様が『全額払います』と言い出したらどうやって断るべきなんだろう」といったたぐいのものだった。

 厚さ約3センチのパンケーキをナイフで切りつつ、良いオンナらしいセリフを考える。


(ここは私に払わせて……私の奢りよ……うーん、恩着せがましく聞こえるかな……割り勘にしましょ、これもなんか違うし……)
「甘さも丁度良くて美味しいですね」
「……っ、……っ!!」


 口の中いっぱいにふわとろパンケーキが詰まっていた恋幸は、裕一郎の言葉に対し片手で口元を隠したまま大きく頷いて同調の意思を示す。
 蛇足だそくではあるが、裕一郎が注文したのは820円のプチハニートーストコンビと550円のブレンドコーヒーだ。

 彼はそんな彼女の姿を見てわずかに口の端を持ち上げる。


「すみません。ゆっくり食べてください」
「……っ、は、はい……!」


 そうだ、私には前回裕一郎様と交わした約束の「次は私に払わせてください」という最強の切り札がある!!

 解決策を見つけ安堵あんどする恋幸の心を見透かしたかのようなタイミングで、先に食べ終えていた裕一郎はコーヒーカップをソーサーに置くと、伝票を手に取り立ち上がってしまった。
 とうぜん、焦った恋幸は小声で裕一郎を呼び止め彼の服を軽く摘む。


「……どうしました? 食べていて構いませんよ。……ああ、まだ他に食べたい物がありましたか?」
「そ、そうじゃなくて……! 今日は私が払います! 車を出してもらってるのに、昼食代まで倉本様に払わせるわけには……っ!」


 彼女の手を優しく掴んだ裕一郎の体温が、その先の言葉をいとも簡単に溶かしてしまう。

 彼は少し体を屈めて恋幸の瞳を覗き込むと、ほんの少しだけ表情をやわらげ落ち着いた低音で囁いた。


「……ささやかではありますが……いつも、素敵な作品を読ませて頂いているお礼です。ここは大人しく、“ファン”の厚意こういに甘えてくれませんか? 日向ぼっこ先生」
(……ずるい)


 そんな風に言われてしまったら、恋幸が断れるはずもない。
 静かに頷いた彼女の頭をぽんと撫でてレジに向かう裕一郎。彼の後ろ姿を見送りつつ、恋幸は頬の熱を冷ますためにお冷をぐいと飲み込んだ。

 まったく……ワイングラスに注がれた水なんて初めて見た、と心の中で適当な悪態を吐いておかなければ、彼女は今なおばくばくとうるさい心臓を落ち着かせることができない。


(まだ本来の目的も果たせてないのに……! 私もときめき返ししたい……! 裕一郎様、ずるい……! かっこいい! 大好き!!)


 パンケーキにソフトクリームを絡ませて口へ運びながら、恋幸は『裕一郎様をときめかせる100の方法』を目論もくろむのだった。
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