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それぞれの過ごす冬
お母様のヒミツ
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真夜中にひとりきりで歩くと、ちょっとだけ不思議な思いをする。人けがまったくなくて、俺だけしかいない気がするんだ。
普段ならあまり気にしなかったけど、今夜だけは人の目がなくて助かった気がする。
風の冷たさに身震いをひとつして、手にしたカップを落とさないように気をつけて歩く。するとウィンカーを明滅させて路肩に停まっている車が見えた。
近づくと、運転席の窓をコンコンと叩く。ハンドルにもたれかかってうなだれる女性がそこにおり、上げた顔はやはり困り果てている表情をしていた。
がとっ、と車のロックが外れる音がして、俺は助手席に乗り込んだ。
「志穂さん、どうぞ」
紙コップに入ったカフェラテを差し出すと、しばしの間を置いてから「ありがとう」と彼女は言う。
恐る恐る手を伸ばして受け取ると、指先がほんの少し触れ合った。
「……ごめんなさい、徹君。その、酔ってからほとんど記憶がなくて」
つっかえながら話す様子に、どうしたものかなと俺は思う。いまにも泣き出してしまいそうだし、先ほどからあまり目を合わせてくれない。
下手なことを言うと傷つけるだけだな。そう思い、安心させることを第一に考えることにした。
「身体が温まります。飲んでください、志穂さん」
そう促すと、ためらいながら彼女はカップに唇をつけた。
ミルクたっぷりの優しい甘みが口内に流れ込み、ほうと彼女は息を吐く。ちびちびと飲むたびに肩の力が抜けていく様子を眺めて、こちらも口をつける。俺たちは静かな時間をしばらく過ごした
夜明けまでもう少しある。
しかしこんな時間まで起きていて、俺はともかく志穂さんは大丈夫だろうか。そう考えていると、志穂さんは瞳を閉じて天を仰ぐ。
「あぁーー……、やっちゃったーー……」
「や、やってしまいましたね」
「ええ、最悪……って、いまのは徹くんのことを言ったわけじゃないのよ。誤解しないで」
瞳を開き、くるっと俺を見てそう言う。腕を撫でて気づかってくれる様子に、少しだけ安心したかな。
近くで見ると志穂さんは少し疲れている様子で、同じように彼女からもしげしげと観察されていた。伸ばされた指がまぶたに触れて「早く寝たほうがいいわ」と言われたけれど、いまの距離感の危うさに彼女は気づいているだろうか。
近くのバッグを取り寄せて、口紅を手にしながら志穂さんは口を開いた。
「積もる話はあとよ。徹君、近いうちに時間はある? このことについて口裏を合わせる話をしたいわ」
「え? ええ、大丈夫です。明日……ではなく今日は休みですし」
「そう。なら買い物のとき、徹君の都合が合うなら夕方にでも待ち合わせましょう?」
すっかり落ちてしまった口紅をぬぐい、猫に似た大きな瞳で見つめられる。
誘いに即答できない理由はいくつかあって、気のせいか仕草のひとつひとつに色気があるんだ。じいと見つめられていることに気づいて、ぎこちなくうなずいた。
「分かりました。では夕方に」
「ええ、静かに話せるならどこでもいいわ」
くるんと瞳をバックミラーに向けて、大したショックなど受けていなそうな口調でそう言われた。
別に落ち込んで欲しいわけじゃないけど、その彼女の態度は少しだけ気になった。
そのときに彼女の瞳が再びこちらを向く。ほんの少し楽しそうな瞳であり、口紅で塗られてゆく唇もまた笑みを浮かべた。
「もう私をお母様と呼ばないのね」
あ、と思わず声が出た。
弁明しようにも彼女はくぐもった笑い声を漏らす。くつくつと笑ったあと、志穂さんから「もう寝なさい」と囁かれた。
§
「はああああーーっ!?」
驚愕の表情を浮かべているのは妹の鵜鷺だ。対面に座った志穂はというと、これ以上ないほどバツの悪そうな顔をしていた。
あれから一晩休み、すぐにこの喫茶店で待ち合わせをした。昨夜の件で相談できる相手なんて妹しかいないからだ。
しかし、事情を伝えるなりまじまじと見つめられてしまい、恥ずかしくて顔が熱くなる。化粧などではごまかせないほど頬は赤いに違いない。
居心地悪そうに、もじもじと志穂は腰を揺すった。
「う、鵜鷺だって彼と、その、したじゃない」
「してないわよ」
「えっ? だってこのあいだ……」
「だから言ったでしょう。触られただけだって。あーー……、姉さんは昔からむっつりだったし、なんとなく想像がつくわね」
む、むっつりなんかじゃないわ、と蚊の鳴くような声で文句を言い、かーーっと志穂は頬を赤くさせてうつむいた。
しかしと鵜鷺は気を取り直して、そんな姉の様子をじっと見る。困り果てているのは分かるけど、なんとなくそれは本心からではない気がする。
さて、それはなぜだろう。探ってみようかしらと思い、そっと姉の手に触れた。
「ひどいことをされた?」
ぱっと弾けるように姉は顔を上げる。そして驚いた表情のまま手を左右に振った。
「う、ううん、そんなことはないわ。彼、すごく優しかったし……」
つまり拒もうと思えば拒めたってことね。そう内心でため息を吐きながらアイスコーヒーをストローでかき混ぜる。
たぶん姉はまだ根本的な問題に気づいていない。いまの返答だけでも罪の重さが増していることにさえ。
まんざらでもない態度。困り果てているけれど、それは夫や娘に対しての罪悪感に過ぎず、自分の身のことを脇に追いやっている感じがした。
「……そう、してしまったのは仕方ないとして、姉さんはこれからどうするの?」
「ええ、とりあえずこのあと彼と待ち合わせをしているから相談しようと思うわ」
なんでもないその言い方に、鵜鷺は思い切りのけ反って仰天した。瞳を見開いてもいたし、あんぐりと口をあけることにもなった。
「す、すぐにまた会う約束をした!?」
「大きな声を出さないで、鵜鷺。お願い」
恥ずかしさでいたたまれない様子だけど、しかし鵜鷺は驚愕からまだ立ち直れない。かあっと顔を赤くして涙目になってゆく女性は、自分がなにをしたのかまるで分かっていないらしい。
「そんな風に誘ったら、徹君に気があると思われるわよ」
「まさか! だって娘の彼氏よ。昨日なんて私たちの前で結婚したいとか言っていたし、聞いているこっちが恥ずかしくなるわ」
もじもじとお尻を揺らす様子を見て、これは重症だとようやく気づいた。
姉は昔から真面目だった。性に興味を示すのは良くないことだと考えて、己から遠ざけている人だった。面倒見が良くて人気もあったけれど、異性と手を繋ぐだけで顔を真っ赤にするくらいウブだった。
押しやっていたぶん反動で性欲が強くなり、いわゆる「むっつり」という言葉こそが当てはまる。
これは鵜鷺の予想に過ぎないが、清純そのものの志穂は、いざセックスを始めると動物のように荒々しい行為を好むと思う。
ストローに指をかけて、そんな姉に鵜鷺は呆れの瞳を向けた。
「じゃあ、またエッチしたいと誘われたら姉さんは断るのね?」
「だ、だからあり得ないわ! こんなに歳の離れたおばさんよ。絶対にそんなこと起きないわ」
「あ、そう……。それで、気持ち良かったの?」
そう問いかけるなり志穂はぱくぱくと口を動かして、先ほど以上に真っ赤になってうつむいた。
もしもこの表情にセリフをつけるとしたら「すっっっごく気持ち良かった」がピタリと合いそうだ。
確定かしら、と鵜鷺はひっそりと思う。
先ほどの返事は彼が求めさえすれば応じるという風にも聞こえる。そして遠ざけるべきなのに、次に会う約束をさっさと決めた。
「あーあ、姉さんって昔っから私より凄いことをしでかすのよね。だから心配でたまらないし、守ってあげたいと思うわ」
まだ赤い顔をした志穂が瞳を向けると、妹は近くのバッグに手を伸ばしていた。ゴソゴソと漁って取り出したものをテーブルに置き、ぽそっと小さな声で「アフターピルよ」と告げた。
なにも言えないまま志穂は指先で薬に触れて、ありがたく受け取る。まさかこんなもののお世話になるなんて、という表情で。
「鵜鷺、準備がいいのね」
「いいからすぐに飲んで。そのあとならちゃんと話を聞いてあげる。間違っても姉さんが後悔する生き方をしないように」
冷たい言い方だなと志穂は思うが、重ねてきた指は温かい。うん、と小さな声で返事をして、お水と一緒にピルをごくんと飲み込む。
今日、妹と会えて良かった。おかげで押しつぶされそうな罪悪感が少し軽くなってくれた。なんでも相談に乗ってくれるし、冷たい態度でも愛情をいつも感じる。
瞳を開くと、鵜鷺は優しく笑ってくれていた。やっぱり大事な妹だなと思うのは、少しばかり早かったかもしれない。妹はさらに笑みを深めてこう言ったのだ。
「それで、大きかった?」
「え?」
「ここにきてとぼけないで、姉さん。ペニスのことに決まってるでしょう」
「い、言えないわ。あんまりいじわるしないで、鵜鷺。お願い」
顔をまっかっかにさせて、涙目で抗議をするも妹の構えは崩せない。しばらくそんなやり取りが続き、やがて長さと太さを指で伝えるまで志穂が解放されることはなかった。
これくらいの役得がないとつき合えないわ、などと鵜鷺は思ったらしい。真っ赤な顔をしているときの姉はすごく可愛らしいのだ。
§
温かいニット、それに巻きスカートを選んだ志穂は、ゆっくりと喫茶店を歩く。客がまばらなのは高い値段によるものであり、だからきちんとした服装の者が多い。
徹君は約束通り静かな店を選んでくれたのね。
そう思いながら一席ずつ見て彼を探す。
この席は……違う。2人分の荷物があるし、たぶん彼はもっと落ち着いた鞄を好む。
その隣も違う。
こっちも違う。
などと人を探しているだけで、なぜか胸がドキドキする。昨夜あんなことをしたせいだわと思い、また同時に暗い照明のおかげで助かったとも思う。でないとたどり着くころには顔が赤くなっているに違いない。
徹君は優しかった。
疲れて息も絶え絶えになったときは休ませてくれて、すごく近くで話をしてくれた。
とりとめのない会話であり、もうすっかり忘れてしまったのは少し惜しい。さて、あのとき彼はなんて言っていたのかしら。
思い出そうとするあまり、ぼうっとしていたかもしれない。向こうの席に座っていた徹に気づき、こちらに手を振ってくるのを見て、意識せず志穂は笑いかけていた。
この表情は、たぶん娘の彼氏にするものではない。もっと親密で、これからデートでもするのかなと周囲の客は思ったに違いない。
「徹君! ごめんなさい、待たせてしまったかしら」
話しかけた声もまた魅力的だ。しかし徹はすぐに返事できなかった。いいえ、いま来たところですと答えるのが当たり前だというのに。
ちらちらと彼は視線を彷徨わせて、それから気を取り直すと頭を下げた。
「こんにちは、志穂さん、鵜鷺さん。そういえばお二人は姉妹でしたね」
カツッとヒールを鳴らして前に立ったのは、彼の言う通り妹の鵜鷺だ。じろじろと無遠慮に徹を見て、それから呆れまじりの声でこう言う。
「さすがにバカらしいかなと思ったけど、ついてきて良かったと心から感じたわ。なに不思議な顔をしているの、姉さん。さっきの声を再現しないと分からない?」
とおるきゅーん、という声マネに志穂は「違う違う!」と思い切り首を左右に振って、徹もまた「いやいやいや!」と手を振る。
まったく、どこの中学生カップルよ、と鵜鷺は内心でムカっとした。
普段ならあまり気にしなかったけど、今夜だけは人の目がなくて助かった気がする。
風の冷たさに身震いをひとつして、手にしたカップを落とさないように気をつけて歩く。するとウィンカーを明滅させて路肩に停まっている車が見えた。
近づくと、運転席の窓をコンコンと叩く。ハンドルにもたれかかってうなだれる女性がそこにおり、上げた顔はやはり困り果てている表情をしていた。
がとっ、と車のロックが外れる音がして、俺は助手席に乗り込んだ。
「志穂さん、どうぞ」
紙コップに入ったカフェラテを差し出すと、しばしの間を置いてから「ありがとう」と彼女は言う。
恐る恐る手を伸ばして受け取ると、指先がほんの少し触れ合った。
「……ごめんなさい、徹君。その、酔ってからほとんど記憶がなくて」
つっかえながら話す様子に、どうしたものかなと俺は思う。いまにも泣き出してしまいそうだし、先ほどからあまり目を合わせてくれない。
下手なことを言うと傷つけるだけだな。そう思い、安心させることを第一に考えることにした。
「身体が温まります。飲んでください、志穂さん」
そう促すと、ためらいながら彼女はカップに唇をつけた。
ミルクたっぷりの優しい甘みが口内に流れ込み、ほうと彼女は息を吐く。ちびちびと飲むたびに肩の力が抜けていく様子を眺めて、こちらも口をつける。俺たちは静かな時間をしばらく過ごした
夜明けまでもう少しある。
しかしこんな時間まで起きていて、俺はともかく志穂さんは大丈夫だろうか。そう考えていると、志穂さんは瞳を閉じて天を仰ぐ。
「あぁーー……、やっちゃったーー……」
「や、やってしまいましたね」
「ええ、最悪……って、いまのは徹くんのことを言ったわけじゃないのよ。誤解しないで」
瞳を開き、くるっと俺を見てそう言う。腕を撫でて気づかってくれる様子に、少しだけ安心したかな。
近くで見ると志穂さんは少し疲れている様子で、同じように彼女からもしげしげと観察されていた。伸ばされた指がまぶたに触れて「早く寝たほうがいいわ」と言われたけれど、いまの距離感の危うさに彼女は気づいているだろうか。
近くのバッグを取り寄せて、口紅を手にしながら志穂さんは口を開いた。
「積もる話はあとよ。徹君、近いうちに時間はある? このことについて口裏を合わせる話をしたいわ」
「え? ええ、大丈夫です。明日……ではなく今日は休みですし」
「そう。なら買い物のとき、徹君の都合が合うなら夕方にでも待ち合わせましょう?」
すっかり落ちてしまった口紅をぬぐい、猫に似た大きな瞳で見つめられる。
誘いに即答できない理由はいくつかあって、気のせいか仕草のひとつひとつに色気があるんだ。じいと見つめられていることに気づいて、ぎこちなくうなずいた。
「分かりました。では夕方に」
「ええ、静かに話せるならどこでもいいわ」
くるんと瞳をバックミラーに向けて、大したショックなど受けていなそうな口調でそう言われた。
別に落ち込んで欲しいわけじゃないけど、その彼女の態度は少しだけ気になった。
そのときに彼女の瞳が再びこちらを向く。ほんの少し楽しそうな瞳であり、口紅で塗られてゆく唇もまた笑みを浮かべた。
「もう私をお母様と呼ばないのね」
あ、と思わず声が出た。
弁明しようにも彼女はくぐもった笑い声を漏らす。くつくつと笑ったあと、志穂さんから「もう寝なさい」と囁かれた。
§
「はああああーーっ!?」
驚愕の表情を浮かべているのは妹の鵜鷺だ。対面に座った志穂はというと、これ以上ないほどバツの悪そうな顔をしていた。
あれから一晩休み、すぐにこの喫茶店で待ち合わせをした。昨夜の件で相談できる相手なんて妹しかいないからだ。
しかし、事情を伝えるなりまじまじと見つめられてしまい、恥ずかしくて顔が熱くなる。化粧などではごまかせないほど頬は赤いに違いない。
居心地悪そうに、もじもじと志穂は腰を揺すった。
「う、鵜鷺だって彼と、その、したじゃない」
「してないわよ」
「えっ? だってこのあいだ……」
「だから言ったでしょう。触られただけだって。あーー……、姉さんは昔からむっつりだったし、なんとなく想像がつくわね」
む、むっつりなんかじゃないわ、と蚊の鳴くような声で文句を言い、かーーっと志穂は頬を赤くさせてうつむいた。
しかしと鵜鷺は気を取り直して、そんな姉の様子をじっと見る。困り果てているのは分かるけど、なんとなくそれは本心からではない気がする。
さて、それはなぜだろう。探ってみようかしらと思い、そっと姉の手に触れた。
「ひどいことをされた?」
ぱっと弾けるように姉は顔を上げる。そして驚いた表情のまま手を左右に振った。
「う、ううん、そんなことはないわ。彼、すごく優しかったし……」
つまり拒もうと思えば拒めたってことね。そう内心でため息を吐きながらアイスコーヒーをストローでかき混ぜる。
たぶん姉はまだ根本的な問題に気づいていない。いまの返答だけでも罪の重さが増していることにさえ。
まんざらでもない態度。困り果てているけれど、それは夫や娘に対しての罪悪感に過ぎず、自分の身のことを脇に追いやっている感じがした。
「……そう、してしまったのは仕方ないとして、姉さんはこれからどうするの?」
「ええ、とりあえずこのあと彼と待ち合わせをしているから相談しようと思うわ」
なんでもないその言い方に、鵜鷺は思い切りのけ反って仰天した。瞳を見開いてもいたし、あんぐりと口をあけることにもなった。
「す、すぐにまた会う約束をした!?」
「大きな声を出さないで、鵜鷺。お願い」
恥ずかしさでいたたまれない様子だけど、しかし鵜鷺は驚愕からまだ立ち直れない。かあっと顔を赤くして涙目になってゆく女性は、自分がなにをしたのかまるで分かっていないらしい。
「そんな風に誘ったら、徹君に気があると思われるわよ」
「まさか! だって娘の彼氏よ。昨日なんて私たちの前で結婚したいとか言っていたし、聞いているこっちが恥ずかしくなるわ」
もじもじとお尻を揺らす様子を見て、これは重症だとようやく気づいた。
姉は昔から真面目だった。性に興味を示すのは良くないことだと考えて、己から遠ざけている人だった。面倒見が良くて人気もあったけれど、異性と手を繋ぐだけで顔を真っ赤にするくらいウブだった。
押しやっていたぶん反動で性欲が強くなり、いわゆる「むっつり」という言葉こそが当てはまる。
これは鵜鷺の予想に過ぎないが、清純そのものの志穂は、いざセックスを始めると動物のように荒々しい行為を好むと思う。
ストローに指をかけて、そんな姉に鵜鷺は呆れの瞳を向けた。
「じゃあ、またエッチしたいと誘われたら姉さんは断るのね?」
「だ、だからあり得ないわ! こんなに歳の離れたおばさんよ。絶対にそんなこと起きないわ」
「あ、そう……。それで、気持ち良かったの?」
そう問いかけるなり志穂はぱくぱくと口を動かして、先ほど以上に真っ赤になってうつむいた。
もしもこの表情にセリフをつけるとしたら「すっっっごく気持ち良かった」がピタリと合いそうだ。
確定かしら、と鵜鷺はひっそりと思う。
先ほどの返事は彼が求めさえすれば応じるという風にも聞こえる。そして遠ざけるべきなのに、次に会う約束をさっさと決めた。
「あーあ、姉さんって昔っから私より凄いことをしでかすのよね。だから心配でたまらないし、守ってあげたいと思うわ」
まだ赤い顔をした志穂が瞳を向けると、妹は近くのバッグに手を伸ばしていた。ゴソゴソと漁って取り出したものをテーブルに置き、ぽそっと小さな声で「アフターピルよ」と告げた。
なにも言えないまま志穂は指先で薬に触れて、ありがたく受け取る。まさかこんなもののお世話になるなんて、という表情で。
「鵜鷺、準備がいいのね」
「いいからすぐに飲んで。そのあとならちゃんと話を聞いてあげる。間違っても姉さんが後悔する生き方をしないように」
冷たい言い方だなと志穂は思うが、重ねてきた指は温かい。うん、と小さな声で返事をして、お水と一緒にピルをごくんと飲み込む。
今日、妹と会えて良かった。おかげで押しつぶされそうな罪悪感が少し軽くなってくれた。なんでも相談に乗ってくれるし、冷たい態度でも愛情をいつも感じる。
瞳を開くと、鵜鷺は優しく笑ってくれていた。やっぱり大事な妹だなと思うのは、少しばかり早かったかもしれない。妹はさらに笑みを深めてこう言ったのだ。
「それで、大きかった?」
「え?」
「ここにきてとぼけないで、姉さん。ペニスのことに決まってるでしょう」
「い、言えないわ。あんまりいじわるしないで、鵜鷺。お願い」
顔をまっかっかにさせて、涙目で抗議をするも妹の構えは崩せない。しばらくそんなやり取りが続き、やがて長さと太さを指で伝えるまで志穂が解放されることはなかった。
これくらいの役得がないとつき合えないわ、などと鵜鷺は思ったらしい。真っ赤な顔をしているときの姉はすごく可愛らしいのだ。
§
温かいニット、それに巻きスカートを選んだ志穂は、ゆっくりと喫茶店を歩く。客がまばらなのは高い値段によるものであり、だからきちんとした服装の者が多い。
徹君は約束通り静かな店を選んでくれたのね。
そう思いながら一席ずつ見て彼を探す。
この席は……違う。2人分の荷物があるし、たぶん彼はもっと落ち着いた鞄を好む。
その隣も違う。
こっちも違う。
などと人を探しているだけで、なぜか胸がドキドキする。昨夜あんなことをしたせいだわと思い、また同時に暗い照明のおかげで助かったとも思う。でないとたどり着くころには顔が赤くなっているに違いない。
徹君は優しかった。
疲れて息も絶え絶えになったときは休ませてくれて、すごく近くで話をしてくれた。
とりとめのない会話であり、もうすっかり忘れてしまったのは少し惜しい。さて、あのとき彼はなんて言っていたのかしら。
思い出そうとするあまり、ぼうっとしていたかもしれない。向こうの席に座っていた徹に気づき、こちらに手を振ってくるのを見て、意識せず志穂は笑いかけていた。
この表情は、たぶん娘の彼氏にするものではない。もっと親密で、これからデートでもするのかなと周囲の客は思ったに違いない。
「徹君! ごめんなさい、待たせてしまったかしら」
話しかけた声もまた魅力的だ。しかし徹はすぐに返事できなかった。いいえ、いま来たところですと答えるのが当たり前だというのに。
ちらちらと彼は視線を彷徨わせて、それから気を取り直すと頭を下げた。
「こんにちは、志穂さん、鵜鷺さん。そういえばお二人は姉妹でしたね」
カツッとヒールを鳴らして前に立ったのは、彼の言う通り妹の鵜鷺だ。じろじろと無遠慮に徹を見て、それから呆れまじりの声でこう言う。
「さすがにバカらしいかなと思ったけど、ついてきて良かったと心から感じたわ。なに不思議な顔をしているの、姉さん。さっきの声を再現しないと分からない?」
とおるきゅーん、という声マネに志穂は「違う違う!」と思い切り首を左右に振って、徹もまた「いやいやいや!」と手を振る。
まったく、どこの中学生カップルよ、と鵜鷺は内心でムカっとした。
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