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第5話 ばしんばしん
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「ばしん」
「?」
7月10日。もうすぐ夏休みだ。高校生最初の夏休み。……特に予定はないけど。
結局部活も入らなかった。特にやりたいこともないし、優愛の面倒を見なくちゃいけないし。
「ばしんばしーん。やー」
17時52分。
優愛が、パニピュアと違う歌を歌っていた。どうにもそれが、気になった。
「それ、新しい歌?」
パニピュアのOPが変わったとか、そんなところかなと、思ったんだ。
「んーん。『こーちゃん』」
「えっ?」
優愛は、こちらを向かずに答えた。今日は、ぬり絵ではなく自由帳に絵を描いている。いつものクレヨンで。
「ばしんばしーん。いたいいたいー」
「…………それ」
真剣な表情で。クレヨンを握りながら。
「……おかあさん、叩かれてるのか?」
「んー。そう。ばしんばしーん」
「…………大丈夫なのか」
「んー。だいじょぶよっておかあさんゆってるよ」
「……!」
恐らく、優愛はまだ『それ』がどういうことか分かってない。
真愛さんが、彼氏から暴力を受けてるんだ。でもなんで、急に優愛が。
「ばしーん。いたいたいー。だいじょぶよー」
「…………優愛さ」
「はーい」
一昨日に。
お呼ばれして、ご飯を食べたんだ。綺麗に掃除された、ワンルームに。男物の靴とか服とかあったけど。あれは彼氏のものだろう。
僕は。
これ以上無いくらい、気持ちが沈んだ。あずまやのベンチに、物理を無視して沈み込むくらい。
「……パニピュアの歌、歌ってよ。聞きたいな」
「いいよ!」
「今日は2番まで」
「うんー! ぱにっぱに~っ! あっちがう! ちゃらちゃっちゃちゃらーん! ぱに~っ」
それから、一言も喋れなかった。ご機嫌に歌ってくれる優愛の隣で、時間を忘れるくらい考えていた。
——
——
「やっ。お待たせーっ。今日はあのお客さん来ない日だったー。って、重明くん?」
あっという間に、時計は回って。真愛さんに声を掛けられてようやく、現実に戻ってきた。
「真愛さん」
「ん?」
見る。……最大限、お化粧で隠してるのが分かった。他の人や、僕も普段なら気付かないと思うけど、僕はずっと、真愛さんを見ていたから。
頬に。うっすら赤い、痕が。
「……僕の、せいだ」
「!」
バレたんだ。僕(男)が、部屋に来たことが。だから、手を上げられたんだ。優愛にまで、影響して。
「違うよ」
「でも今まで無かったじゃないか」
それで全部察した真愛さんは。即答して。僕も応えて。
「…………違うよ」
再度、そう言って。僕にもたれ掛かっている優愛を挟んで、ベンチに座った。
21時10分。
「……あったよ。今までも」
「えっ」
ぽつり。
「だから、重明くんのせいじゃない」
ぽつりと。
「けどね。昨日は。……うん。優愛の前では、本当にやめてって前から言ってたんだけどね。……優愛からも聞いた?」
「……叩いてるって」
「うん。……そうだよね。思いっきり、見られちゃったな」
今まで、僕に話してくれたことは無かった。『こーちゃん』という存在について。
真愛さんは、ぽつりぽつりと少しずつ、話し始めた。
「あんな人だと、思わなくってさ。重明くんと初めて会った時も。優愛を待たせてるのにって言っても、聞いてくれなくて。……わたしのこと知って、理解して、優しくしてくれたなって、最初は思ってたんだけど。多分、違った」
「…………」
「わたしの、身体目当てだったんだなって。最近気付いたんだ。優愛をね。全然可愛がってくれなくて。それよりどこかに預けてホテル行こう、みたいなさ」
僕は黙る。こういう時は、最後まで聞くべきだと思ったから。
「あの人もあの人で、30歳手前でフリーターで、苦労してるんだとは思うけどさ。年下の社員さんに上から言われたりさ。でも。それを。……わたしにぶつけるんだ」
じっと、地面を見詰めている。殆どひとりごと。だけど聞く。聞かなきゃいけない。
聞いたところで、僕ができることは、無いかも知れないけど。少しでも、真愛さんが楽になるなら。
「首とか。絞められるんだ。顔はね、あんまり。昨日はちょっと、酷かったけど。……隠せて、無かったかな」
「……ここ」
「…………あー。バレちゃったか」
僕が気付いた所を自分の頬で指差す。それを見るために、真愛さんがこっちを向いた。
辛そうな笑顔を、僕に向けた。精一杯、心配させないとするような、そんな笑顔。
「誰か、相談する相手は?」
「居ないよ。あのね。わたし、優愛を産んですぐ、こっちに来たんだ。逃げるように。言ってなかったね。○○県から来たんだよ」
「……警察は」
「…………あのね。実はね。わたし、ふたつバイトしてるでしょ? それって、ちょっと駄目な業種同士なんだよね。だから、それがバレちゃうと生活費が稼げなくなっちゃうの」
「えっ」
「……知らなかった、ってのは言い訳にしかならないんだけどさ。でも、今以上に良い環境のバイトは、多分無くて。今でも既にさ。ちょっときつくて。引っ越ししたいけど、今よりお家賃安い所も無くて、引っ越し費用も無いしさ」
「…………っ」
言葉が詰まった。何か、言わなきゃと思ったのに。
こんな状況でどうすれば良いかなんて。16歳の僕がこの場で思い付く訳もなくて。
「?」
7月10日。もうすぐ夏休みだ。高校生最初の夏休み。……特に予定はないけど。
結局部活も入らなかった。特にやりたいこともないし、優愛の面倒を見なくちゃいけないし。
「ばしんばしーん。やー」
17時52分。
優愛が、パニピュアと違う歌を歌っていた。どうにもそれが、気になった。
「それ、新しい歌?」
パニピュアのOPが変わったとか、そんなところかなと、思ったんだ。
「んーん。『こーちゃん』」
「えっ?」
優愛は、こちらを向かずに答えた。今日は、ぬり絵ではなく自由帳に絵を描いている。いつものクレヨンで。
「ばしんばしーん。いたいいたいー」
「…………それ」
真剣な表情で。クレヨンを握りながら。
「……おかあさん、叩かれてるのか?」
「んー。そう。ばしんばしーん」
「…………大丈夫なのか」
「んー。だいじょぶよっておかあさんゆってるよ」
「……!」
恐らく、優愛はまだ『それ』がどういうことか分かってない。
真愛さんが、彼氏から暴力を受けてるんだ。でもなんで、急に優愛が。
「ばしーん。いたいたいー。だいじょぶよー」
「…………優愛さ」
「はーい」
一昨日に。
お呼ばれして、ご飯を食べたんだ。綺麗に掃除された、ワンルームに。男物の靴とか服とかあったけど。あれは彼氏のものだろう。
僕は。
これ以上無いくらい、気持ちが沈んだ。あずまやのベンチに、物理を無視して沈み込むくらい。
「……パニピュアの歌、歌ってよ。聞きたいな」
「いいよ!」
「今日は2番まで」
「うんー! ぱにっぱに~っ! あっちがう! ちゃらちゃっちゃちゃらーん! ぱに~っ」
それから、一言も喋れなかった。ご機嫌に歌ってくれる優愛の隣で、時間を忘れるくらい考えていた。
——
——
「やっ。お待たせーっ。今日はあのお客さん来ない日だったー。って、重明くん?」
あっという間に、時計は回って。真愛さんに声を掛けられてようやく、現実に戻ってきた。
「真愛さん」
「ん?」
見る。……最大限、お化粧で隠してるのが分かった。他の人や、僕も普段なら気付かないと思うけど、僕はずっと、真愛さんを見ていたから。
頬に。うっすら赤い、痕が。
「……僕の、せいだ」
「!」
バレたんだ。僕(男)が、部屋に来たことが。だから、手を上げられたんだ。優愛にまで、影響して。
「違うよ」
「でも今まで無かったじゃないか」
それで全部察した真愛さんは。即答して。僕も応えて。
「…………違うよ」
再度、そう言って。僕にもたれ掛かっている優愛を挟んで、ベンチに座った。
21時10分。
「……あったよ。今までも」
「えっ」
ぽつり。
「だから、重明くんのせいじゃない」
ぽつりと。
「けどね。昨日は。……うん。優愛の前では、本当にやめてって前から言ってたんだけどね。……優愛からも聞いた?」
「……叩いてるって」
「うん。……そうだよね。思いっきり、見られちゃったな」
今まで、僕に話してくれたことは無かった。『こーちゃん』という存在について。
真愛さんは、ぽつりぽつりと少しずつ、話し始めた。
「あんな人だと、思わなくってさ。重明くんと初めて会った時も。優愛を待たせてるのにって言っても、聞いてくれなくて。……わたしのこと知って、理解して、優しくしてくれたなって、最初は思ってたんだけど。多分、違った」
「…………」
「わたしの、身体目当てだったんだなって。最近気付いたんだ。優愛をね。全然可愛がってくれなくて。それよりどこかに預けてホテル行こう、みたいなさ」
僕は黙る。こういう時は、最後まで聞くべきだと思ったから。
「あの人もあの人で、30歳手前でフリーターで、苦労してるんだとは思うけどさ。年下の社員さんに上から言われたりさ。でも。それを。……わたしにぶつけるんだ」
じっと、地面を見詰めている。殆どひとりごと。だけど聞く。聞かなきゃいけない。
聞いたところで、僕ができることは、無いかも知れないけど。少しでも、真愛さんが楽になるなら。
「首とか。絞められるんだ。顔はね、あんまり。昨日はちょっと、酷かったけど。……隠せて、無かったかな」
「……ここ」
「…………あー。バレちゃったか」
僕が気付いた所を自分の頬で指差す。それを見るために、真愛さんがこっちを向いた。
辛そうな笑顔を、僕に向けた。精一杯、心配させないとするような、そんな笑顔。
「誰か、相談する相手は?」
「居ないよ。あのね。わたし、優愛を産んですぐ、こっちに来たんだ。逃げるように。言ってなかったね。○○県から来たんだよ」
「……警察は」
「…………あのね。実はね。わたし、ふたつバイトしてるでしょ? それって、ちょっと駄目な業種同士なんだよね。だから、それがバレちゃうと生活費が稼げなくなっちゃうの」
「えっ」
「……知らなかった、ってのは言い訳にしかならないんだけどさ。でも、今以上に良い環境のバイトは、多分無くて。今でも既にさ。ちょっときつくて。引っ越ししたいけど、今よりお家賃安い所も無くて、引っ越し費用も無いしさ」
「…………っ」
言葉が詰まった。何か、言わなきゃと思ったのに。
こんな状況でどうすれば良いかなんて。16歳の僕がこの場で思い付く訳もなくて。
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