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第一篇
49.黒曜宮での変化 1
しおりを挟む露台で風に当たりながら記録を確認していた緑翠は、妖力を感じて目を外に向けた。翠玉宮に結界を張っている緑翠でなければ気付かないほどに、弱いものだ。
(烏夜だな。この折に…。いや、翠月が目を覚まして落ち着くまで待ったのか)
翠玉宮の結界が届かない位置に、烏夜の出す烏が見えた。緑翠の狐と同じく妖力で作ったもので、翠月が翠玉宮から離れているのを狙って飛ばしたのだろう。緑翠と目が合うと、その烏は姿を消した。
記録を書斎へ片付け、その足で黒曜宮へ向かった。烏夜が階段下で出迎えてくれ、烏が戻って知らせたのが分かる。書斎で話を聞くと、久々、食事を取らない女がいると言う。
(……徴か)
*
烏夜から事情を聞いた後、翠玉宮へ戻り、見世の準備のために朧がいる書斎へ入る。裏家業としても医者をやっている瑠璃を呼んでもらい、徴を確認してもらうのだ。
緑翠の裏家業を知っている瑠璃とは、手紙のやり取りもあるが妖力での連絡手段も持ち合わせている。緑翠は皇家で、高位貴族の中でも最上位のため、公には妖力を行使しづらいことも瑠璃は分かっている。代理として朧が、自身の妖力で連絡を取る。
裏家業でのやり取りに手紙を使う場合も当然あるが、それもまた、裏家業としても飛脚をやっている孔雀が絡み時間がかかるため、妖力を使うことがほとんどだ。緑翠の狐や烏夜の烏のように、動物に模したものを目印として送れば、相手にも用があると伝わる仕組みを、前もって示し合わせてある。
孔雀が、地下の裏口から来ることは滅多にない。裏家業として子払いの御子を平民の夫婦の元へ送り届ける際には、裏口から入ってくるが、手紙を届けるだけの用件で、孔雀が深碧館に来たのを見たことがない。
夜光からの機密情報を預かってくる孔雀は、御客として深碧館に来るついでの割に、夜光の筆跡からも日数が空かずに届けられていることが分かる。深碧館の御客としてしか手紙の配達をしていない割に、天皇と貴族最高位を繋ぐ裏の情報網は機能している。御客として来る方が、手紙を渡していることが外に漏れにくいとも言えるのだろう。
宵や天月、君影も、座敷で緑翠と孔雀が手紙を渡す場面に何度も遭遇しているが、内容については触れてこない。孔雀も高位貴族であることから、緑翠が話せないことを察してくれているのだろう。
(その意識や教養が、深碧館の芸者全員に備わっていれば…)
*
妖力での意思疎通は簡単ではない。相互ではなく交渉はできないため、瑠璃が出向いてくれる日取りまでは分からないのだ。数日後、再び烏夜からの烏を見つけ、黒曜宮へ下りると、裏口から来た瑠璃が書斎で茶を啜っていた。
「お待たせいたしました、瑠璃さま」
「こちらでお会いするのは久々ですね」
烏夜が瑠璃を座敷へ案内し、食事を取らない女を診察してもらう。緑翠はそれを背後から確認しているだけだ。烏夜によれば、その芸者はここ暫くの間、汁物を啜ったくらいで食事もまともに取れていないらしい。子を宿した女によって様々だが、確定だとすれば、少々酷くなりやすい体質だったのだろう。
瑠璃は、身体の異変を妖力で感じ取り、それを自らの知識と合わせて治療を行っている。緑翠のように妖力の使い方を工夫する場合もあるが、高位貴族はその妖力の大きさから、代々伝わる使い方があるのが一般的だ。医者としての妖力は、楪家に伝わるものなのだろう。
「妖力を流しますので、何か異変があればおっしゃってください」
返事をしない女と手を重ね、瑠璃が目を伏せ意識を集中させている。何を感じ取ったのか、目を開けた瑠璃は、緑翠を見て頷いた。その瞳から、子が宿っていると確定したのだと理解した。そのやり取りを見た烏夜が、座敷から出て行くのが見える。この後の手配をするために、月白を探しに行ったのだろう。
「相手が誰か、分かるか?」と聞いても、女は首を横に振る。ここは黒曜宮で、紅玉宮よりも激しい床見世を毎日のように行っている。芸者ひとりに対しての御客の数も多い。相手が分かるなら、身請けの話を持ちかけることもできるが、分からない以上は、女が黒系宮にいたいかどうかを問うのが基本だ。当然だが、身請けの話ができたとしても、上階の倫理に反した黒曜宮の芸者の身請けが成立することは、滅多にない。
「これを機に、産んだ後にお前を砕くこともできるが、どうする?」
「…お願いします」
「承知した。黒曜から瑪瑙に移すが、手枷は残ったままだ。いいな」
「…はい」
子払いのための御子だ。宿している間に流されては困る。過激遊戯のない座敷に移動させなければならないが、黒曜宮にいた芸者だから、枷は外せない。
芸者と緑翠が話している間、瑠璃はその会話を聞いていた。黒曜宮に入った芸者が身籠り、その後の希望を聞けば多くは出産と共に命を散らせたいと言う。その最後を看取るのも、瑠璃の裏家業の範疇だ。瑠璃を見やると、頷かれた。
烏夜が戻ってきて、芸者を一番逃げにくい、宮番の書斎から近い位置の座敷に移した。廊下に面した襖が全て閉まっているから、どこが空いているのかは瑪瑙宮の宮番・月白にしか分からない。この先の世話は月白が担当することになるため、瑠璃も含め顔合わせが行われた。
「深碧館で面倒を見る最後の仕事だ。変な気を起こすな」
「…はい」
たまに、胎内の御子の命を奪おうとする芸者もいるが、何をしても上階の華々しい芸者には戻れない。子払いは夜光も認めていることゆえ、故意に御子の命を絶てば死罪となる。それは、下町の子どもを攫って殺しても、同様の罪となる。
自死を図ろうとする場合もあるが、刃物や紐など、加工の可能性も含めできる限り排除された座敷が、黒系宮だ。手段として残るのは、食事を摂らないことくらいだろうか。御子が関わっていなければ、そのやり方も意思次第では叶えられるだろう。
結局、今回徴のあったこの芸者が、黒系宮で一生を終えることに変わりはない。これが、緑翠と楼主代理の朧、烏夜と月白が知る、深碧館の黒系宮なのだ。
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