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第一篇
33.翠月の世話係・梓
しおりを挟む今日の夜には、初めて淡雪の見世に入る。今までずっと星羅の見世で、見習いながらも御客と食事を楽しみ、筝曲を聞いてもらって経験を積んできた。星羅や黎明、緑翠からの事前情報によると、淡雪の見世は高確率で床見世がある。そのせいで、妙に落ち着かず、天月も翠玉宮に来なかったから、君影と食堂で話した後は梓に話し相手を頼んでいた。
「梓に聞いていいことか分からないけれど」
「言ってみてください、翠月さま。答えられるかどうかは、聞かれた私にしか分からないですよ」
梓が年上であることは分かっているけど、翠月の世話係として、「芸者とは口調を分けて欲しい」と言われ、従っている。翠月は侍女の春霖・秋霖にも敬語を使っていないし、世話係の立場であれば、梓がそうされたいのも理解できた。自分から頼むことには慣れない翠月だが、聞き入れるのは難しくなかった。
「前任者はいたの? 夕星さんの世話係」
梓は少し息を潜めたあと、慌てて「聞いてはいけないことではないですよ、ただ想定していなかったので驚いただけです」と、嫌ではなかったことを伝えた。
星羅の世話係の菘は二十六、三十二の星羅と近い。梓は十八、天月と同い年で、三十で身請けされた夕星よりも十四の翠月の方が歳が近い。だから、夕星の世話係には前任者がいたのではないかと思ったのだ。黄玉宮の三番手だった夕星も、星羅や淡雪同様、芸者としての歴も長いはずだから。
「私の前、夕星さまにお仕えしていた世話係、確かにいらっしゃいました。幼馴染と結ばれたと聞いています」
「幼馴染?」
「ええ、実家が隣で幼い頃から仲が良かったそうです」
世話係や侍女として深碧館で働いている者は、親に捨てられた妖ばかりだと思っていた。でも、そうではないパターンがいてもおかしくはない。芸者志望で来て、稽古についていけず料理番や風呂番などの働き手になった妖がいるとも聞いたことがある。その前任者は、自分の意思で働きに来たのかもしれない。
翠月の疑問を汲み取って、「翠月さまは、まだまだ知らないことも多いですものね」と、梓は先を続けた。
「世話係も、様々な経緯でここに来ていますよ。親に捨てられたと言う者が多いですが、それ以外にも、家計を助けたくて自分から働きに来たという話も耳にしたことがあります」
梓の言葉に頷いて、話を続けてもらう。
「許嫁がいれば結婚相手は決まっているので、芸者になって身請け先を探す必要はありません。教養は関係なく、親が決めた縁談があるので」
「なるほど」
「前任の方はその経緯で、深碧館で稼いだ銭を持参金として嫁がれたと聞いています。芸者ほどではないですが、軽く送り出しもあって幸せそうでした」
「想い合っていた?」
「おそらく。私は幼かったので、その方ときちんと話をしたことはありません。星羅さまの方がお詳しいはずです」
夕星の送り出しには、翠月も参加した。だから余計に、深碧館に関わった妖でも幸せな結婚ができることに、少し戸惑った。芸者じゃなければ、そういったことも可能ということだろうか。
「梓は、どうして深碧館に?」
「私は…」
「言いにくかったらいい」
「いえ、せっかくの機会ですから」
梓とは、明確な上下関係がある。春霖・秋霖もそうだけど、翠月が言うことに反発しようとしない。だから、したくないことには従わなくていいと、翠月が伝えてあげる必要がある。それでも大概、聞き入れてくれる妖ばかりだ。
「…従兄と婚姻するはずだったのですが、好意を抱けなくて」
「許嫁?」
「ええ…。芸者を生業とされる方に言うのは失礼なのも分かっているのですが、体型が生理的に受け入れられなくて」
「ああ…」
確かに、芸者として座敷に上がると、常連客でない限りは初めて会う妖と数時間一緒に過ごすことになる。その見た目がどんなものであっても、だ。次回の見世を拒否することはできるが、初回は受け入れるしかない。
「平民なので仕方ない部分も大きいのです。明らかに痩せていて、とても毎日見るのは耐えられないと思ってしまって」
「うん、それで深碧館に?」
「はい、逃げてきました…。でも後悔はしていません。従兄には悪いと思いますが、夕星さまにお仕えできて、私は光栄です。結婚よりも、ずっと」
自分の選択で実家から離れて、深碧館で働くことを決めた妖。親に捨てられて、深碧館で働くしかなかった妖。共存しているのが不思議なくらいだ。
いや、考えたことがなかっただけかもしれない。向こうの世界でも、みんなそれぞれ何かしらの背景を持って学校に来ていたと思う方が自然だ。
「…翠月さまは、夕星さまが本当に想っていた妖が誰か、ご存知ですか?」
「うん、星羅さんから聞いた」
黄玉宮の宮番、黎明のことだ。黎明自身は全く気付かず、自分の宮で育った芸者が華々しく身請けされるのを明るく見送っただけだ。
星羅や淡雪、梓を含め、黄玉宮の芸者や世話係は、夕星の希望する送り出しの場を演出するために必死だったのを翠月が知ったのは、送り出しの翌日、星羅と話した時だった。
「私は自分に素直に、我儘を言ってここに来て、救われた妖です。私の身の上話は夕星さまにも聞いていただきましたが、夕星さまは芸者としての誇りを選ばれました。世話係で年下の私が強く、直接言えるものでもなかったので」
つまり、梓としては、夕星にも自分に素直になって欲しかったのだろう。梓は、従兄から離れたことで幸せを感じているから。
ただ、芸者として働いていた夕星が、黎明との仲を望まなかったのも、なんとなく理解できる。もし芸者と宮番の関係が明らかになれば、紅玉宮が黙っていないだろうし、そうなれば深碧館の見世に関わる大きな事態になるだろう。
「…それは仕方ないんじゃない? 夕星さんの選択だって、星羅さんも楼主さまも言ってた」
「言葉では分かります。でも前任の方が嫁いでから、あの方を一番近くで見ていたのは私です。近況を聞きたくて手紙を出そうにも、もうここを離れて暮らす方ですし、私が何か言える立場でもありません」
「……」
翠月には、梓が自分に言い聞かせているようにしか思えなかった。無理に割り切ろうとしている。手紙を出すことも梓が戸惑うなら、より付き合いの浅い翠月は、余計に出せる立場にない。芸者になるからといって、代わりに出してあげることもできない。
「今は翠月さまがいますから。見習いの今も、芸者になってからも、よろしくお願いしますね」
「…うん、こちらこそ」
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