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 ヴィルヘルムの意識が戻ったとき、手足は痺れ寝返りも打てないほどだった。無理に動けば痛みが走るが、落ち着いている時間もない。服がはだけ汚れていて、ぼんやりと頭に浮かぶ姿が現実だと悟った。使用人を呼ぶと同時に、アルフォンソも呼んだ。

 首をできる限り捻って見た屋根裏への扉は、閉まっていた。ベアトリスは夜伽係であって、専属使用人ではないため、使用人が必要な場面では降りてこない。少なくとも、ヴィルヘルムはそう扱っている。

(この場に、あいつがいなくてよかった。見られてないよな?)

「ヴィルヘルム…、身体は? 違和感はないか」

 眉間に皺を寄せたアルフォンソが、私室に入ってくる。ヴィルヘルムが私室へ入るのを許可しているのは、アルフォンソとベアトリス、それから数人の使用人だけだ。

「まだ動かしにくいが、とりあえずは何とかなる」
「執務室へついてこれるか。フリードリヒとソレール子爵が待っている」
「だろうな…」

 痛みに耐えながらゆっくりと身体を起こし、アルフォンソが差し出してくれた水を口に含む。毒消しが入っているのだろう、ただの水にしては苦く、アルフォンソと使用人しかいないのもあって、顔を歪めた。

「…何があったのか、聞かないのか」

 グラスを返しながら尋ねた。使用人によって軽く身体を拭かれたあと、執務室へ向かうためのきっちりした王家と分かる服を纏う。

「ヴィルヘルムがやってないことくらい、信じさせてくれ。それとも、本当だったのか?」
「いや、意識が朦朧としてたことしか分からない。俺の故意じゃない」
「だろうね、安心したよ」
「兄様、いざとなれば俺を切れよ」
「…分かっている」


 ◇


「この責はどのように? もし御子が宿っていたら? あの子はフリードリヒ殿下の婚約者だぞ!」
「……」

 アルフォンソは婚約者を隠し、逆にフリードリヒは公表している。出たがりな婚約者の性格も、フリードリヒは利用しているのだ。

 アルフォンソの立場をこれ以上悪くしたくない。そもそも記憶も混濁して、本当にあったことかすら明言ができない。貴族が王家の言葉を素直に聞き入れるほど、権力は安定していない。何もなかったとすら、言うこともできない。

 確かなのは、ソレール子爵令嬢が夜会後にヴィルヘルムの私室に入ったことと、ヴィルヘルムの着衣が乱れていたこと。どちらも、王家の使用人が証人だ。

(子爵としては娘をフリードリヒの婚約者のままにしたいが、難しければどうにかその相手である俺に収めたいんだろうな。派閥は異なるが、負い目のある俺を過激派に取り込むこともできる…)

 もともと過激派のこの令嬢とヴィルヘルムが婚姻を結べば、過激派がより勢いづいて、穏健派のアルフォンソの立場は揺らぐ。そもそも、ヴィルヘルムがこういった嫌疑をかけられた時点で、アルフォンソの立場は傾いてしまう。

 毒消しが効いてきたのか、足を組み替えても痛みが来ない。この場でヴィルヘルムが取れる選択はひとつで、あとはどう誘導するかだけだ。口元を隠して、アルフォンソを見、ソレール子爵を見やる。

「殿下、何も言葉はないのですか。せめて言い訳を伺いたい」
「……別に。言えることは何もない。どうせ俺は幽閉だろう? それで本当に居たいやつと一緒に居られるなら、そっちのほうがマシだ。私室に許可なく立ち入るような女と居るよりはな」

 アルフォンソには、それが誰を指すのか分かるだろう。ヴィルヘルムを切るしかないアルフォンソが、その手筈を取ってくれると信じている。

「貴様っ!」
「ソレール子爵」

 手を上げて制したのは、フリードリヒだ。過激派とはいえ、王子教育はしっかりと受けていたらしく、賢く策を講じてくる。今回の件も、あのグラスを手に取って口に含むように、ヴィルヘルムがフリードリヒの手のひらの上で転がされたのだ。

(まさか、婚約者を送り込んでくるとは思わなかったが…)

「俺は妥当だと思う。ヴィルヘルムを追いやれるだけではない。アルフォンソも牽制できる」
「くっ、殿下は、それで?」
「ああ、問題ない。ロベルタはずっと俺のものだ」
「…体調は注視して参ります」
「ああ、頼んだ」

 年の離れた同腹の弟に対しての慈悲を見せたと、子爵から貴族内へと話が回るだろう。フリードリヒがさらに、その立場を強固なものにする。

「ヴィルヘルム、いいんだな」

 空気のように座っていたアルフォンソから、声を掛けられた。第二王子フリードリヒとその婚約者の父親ソレール子爵との取引は、どうやら満足に終わりそうだ。

「ああ、ただ…」

(ベアを、頼む)

「分かった、手配する」
「迷惑をかけて悪かった、アルフォンソ殿下」

 フリードリヒの不機嫌な顔が、ヴィルヘルムに向いた。当然だ、ヴィルヘルムが他人の前で敬称を使う相手は、アルフォンソと国王のみである。
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