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第1章

03 心の準備

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「レティシア・オルティースですわ」
 へルマン侯爵家へ着いたレティシアが、馬車から降り挨拶をする。
(うわぁ……)
 ラズベルトが、近距離で真っ正面からレティシアを見たのは、実はこれが初めてだった。見かける時はいつも後ろ姿や横顔で、それもかなり遠くだったのだ。
 陽の光を浴びて輝く金髪に、長い睫毛に縁取られた蜂蜜を固めたような琥珀色の瞳。色白できめの細やかな肌、薄桃色の艶やかな唇に小さな鼻梁──まるで人形のように均整の取れた美しい姿に、ラズベルトは思わず見とれていた。
(すごくキレイだな)
 「キレイだな……」
 心情がそのまま言葉として口に出てしまったことに気が付いたのは、レティシアが表情の読めない視線をラズベルトに向けたからだった。
「あ、いや……」
 慌てて顔を反らしゴホンッと咳払いをして誤魔化す。視界にとらえた両親が面白そうに笑っているのが見えてしまい、居たたまれない気持ちになった。
 気取られない程度に一息呼吸を整えてから、レティシアに向かい会う。
「ラズベルト・へルマンです」
 恥ずかしさから、少しぶっきらぼうになってしまったが、レティシアは特に気にした様子はなく、ただ「宜しくお願い致します」と言いお辞儀をした。
 義務的な挨拶が終わると、レティシアはラズベルトの母に連れられ、彼女のために用意した部屋へ向かっていった。
 母はレティシアが訪れるのを、「私に娘が出来るのね!」と、とても楽しみにしていた。
(いや、まだ婚約だから気が早いよ。それに娘じゃなくて、嫁では? いや「嫁」も気が早いか)
 そうラズベルトは思ったが、嬉々としてレティシアの部屋を準備する母にツッコミを入れることは出来なかった。
「旦那様が言い忘れていたのも悪いけれど、屋敷の中が慌ただしくしているのに気が付かなかった貴方も大概よ」
 と母に言われてしまえば、ぐうの音も出なかった。
 確かに二週間前くらいから、屋敷に商人や業者が出入りしていることが多かった。レティシアの部屋を準備するために家具を移動したり、母が色々と張り切って調度品を買い揃えたりとバタバタとしていたらしい。これまで学園生活で屋敷を離れていたこともあり、ラズベルトは、これが通常なのだろうと思っていたのだ。

 そんなわけで、婚約者が到着する三日前に自分の婚約について知るという冗談みたいな展開になってしまったのである。
 因みに父も母同様に楽しみにしていたようだ。
 レティシアと共に訪れたオルティース公爵家の従者と、事務的な手続きがあるといって書斎に向かっていった父の表情は、にこやかだった。
(あれは愛想笑いじゃなくて、本当に嬉しいときの顔だったな)
 公爵家との縁ができることに喜ぶ父ではない。貴族のしがらみに捕らわれることが嫌で、領地に引っ込んでいるような人物だ。ただ単純にラズベルトの婚約を喜んでくれているのだろう。
(それはそれでむず痒い気持ちになるな。というか、僕以外のみんなが婚約の事を知っていたっていうのが衝撃だったんだけど)
 そう、両親だけでなく、屋敷の人間みんながラズベルトとレティシアの婚約のことを知っていたのだ。
 どうして教えてくれなかったのかと数人の使用人に聞いてみたところ、一様に「知っていると思っていました。え? 本当に知らなかったんですか?」と驚かれてしまった。

 つまり、心の準備をする余裕がなかったのはラズベルト一人だけだったというわけである。
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