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本編:第一章
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「それ、毛だよな」
二時間に亘る外表検査を終え、強烈なライトと二台の記録用カメラのフラッシュの下、裸にされた遺体から遺留品と微物の採取をしている時だった。
泥や枯葉、虫、木片などを次々と摘み上げていた月見里のピンセットが、一本の黒く硬い毛を採取した。
「毛だね。でも、人間の毛髪でも、体毛でもなさそうだ。獣……かも」
滴る汗をワイシャツの肩で拭うと、高瀬は月見里を見た。月見里はこのサウナのような解剖室において、一滴の汗も掻いていない。
お前、本当に人間か?と言いたくなるのをぐっと堪え、高瀬は別の質問を投げかけた。
「やっぱ食害か?」
「いや、それはないよ。動物に襲われたって線も、状況から言うと……ちょっとね」
「先生、それも病理に回しますか」
採取した微物を入れた試験管にラベルを貼っていた宮下が、新しい試験管を差し出しながら聞くと、月見里はその試験管に採取した毛を入れ頷いた。
「そうですね、お願いします。あと、傷の周囲を綿棒で拭って、それも回して下さい」
「了解です」
宮下は直ぐに綿棒を数本用意すると、遺体の傷の周囲を撫でるように拭ってから、それぞれ別の試験管に収め、ラベルを貼った。
「それじゃ、解剖に入ります」
そう言うと、月見里は改めて遺体に向かい一礼した。それに倣い、全員が一礼する。
その後、宮下が新しい器具を揃えたワゴンを月見里の右手に備えると、柴田の喉がごくりとなった。二時間に亘った外表検査のお陰で多少の我慢が利くようになって来たとは言え、やはり切るところを見るのは怖い。
「い……いよいよですね」
「おう。でも、腹はもうパックリ開いてるからな」
「あ。そうか……」
高瀬の言葉になんとなくホッとした柴田だったが、それが何の意味も成さないと気付くのに時間は掛からなかった。
「切開します」
そう言った月見里の手に握られたメスが遺体の喉に当てられ、それがスッと動いた瞬間、柴田の意識も、ふぎっ!と言う情けない悲鳴と共にスッと抜けた。
「あ」
その場にいた全員がそう言って、倒れていく柴田を見ていた。
二秒も経たない内に、ガシャンとワゴンが倒れ、ゴンと言う派手な音の後、ステンレスの皿が床を転がり、カラカラと音を立てた。勿論、ゴンと言うのは、柴田が床に頭を打ち付けた音である。
そんな一連の騒音が収まると、解剖室が水を打ったようにしんとなった。
「いやあ……」
最初に静寂を破ったのは宮下だった。
「パーフェクトな卒倒でしたなあ」
その一言で、重い空気の立ち込めていた解剖室が、一気に和やかになった。
「凄かったな。スローモーションみたいだったぜ」
高瀬が言うと、シュライバーの庄司も興奮したようにクリップボードを振る。
「マネキンが倒れるみたいでしたね!」
「直立不動で真後ろに倒れたもんね!記念に一枚撮っておきますか!」
そう言うと、品川は倒れている柴田をパシャパシャと撮影した。悪乗りした鑑識員も、自分の携帯電話で撮影している。
「怪我は無いの?凄い音したけど」
唯一露出している目に苦笑いを浮かべ、皆の様子を見ていた月見里だったが、手にしていたメスをトレーに戻すと、カメラを抱えた品川に声を掛けた。
「見たところ外傷はないですよ。後でスゴイ瘤になると思いますけど」
完全に意識を失っている柴田の髪に指を突っ込み、わしわしとその頭を探ると、品川は月見里を見上げて言った。
「そっか。文孝、事務室に運んでやりなよ。栞が見てくれる。宮下さん」
月見里が呼ぶと、宮下はガラガラとストレッチャーを運んできた。
「取り合えず、こいつに乗せますか。手伝いますよ」
「お願いします」
ゴム人形のような柴田を高瀬と二人でストレッチャーに乗せると、宮下は柴田の顔を眺め、楽しそうにクスクスと笑った。
「懐かしいですなあ。高瀬さんもこいつで退場したんですよ?柴田さんより、もう少しもちましたけどね」
「そう……ですか。ははは」
柴田のバカ面に己の過去の醜態を重ねられ、高瀬は力無く笑うより無かった。
二時間に亘る外表検査を終え、強烈なライトと二台の記録用カメラのフラッシュの下、裸にされた遺体から遺留品と微物の採取をしている時だった。
泥や枯葉、虫、木片などを次々と摘み上げていた月見里のピンセットが、一本の黒く硬い毛を採取した。
「毛だね。でも、人間の毛髪でも、体毛でもなさそうだ。獣……かも」
滴る汗をワイシャツの肩で拭うと、高瀬は月見里を見た。月見里はこのサウナのような解剖室において、一滴の汗も掻いていない。
お前、本当に人間か?と言いたくなるのをぐっと堪え、高瀬は別の質問を投げかけた。
「やっぱ食害か?」
「いや、それはないよ。動物に襲われたって線も、状況から言うと……ちょっとね」
「先生、それも病理に回しますか」
採取した微物を入れた試験管にラベルを貼っていた宮下が、新しい試験管を差し出しながら聞くと、月見里はその試験管に採取した毛を入れ頷いた。
「そうですね、お願いします。あと、傷の周囲を綿棒で拭って、それも回して下さい」
「了解です」
宮下は直ぐに綿棒を数本用意すると、遺体の傷の周囲を撫でるように拭ってから、それぞれ別の試験管に収め、ラベルを貼った。
「それじゃ、解剖に入ります」
そう言うと、月見里は改めて遺体に向かい一礼した。それに倣い、全員が一礼する。
その後、宮下が新しい器具を揃えたワゴンを月見里の右手に備えると、柴田の喉がごくりとなった。二時間に亘った外表検査のお陰で多少の我慢が利くようになって来たとは言え、やはり切るところを見るのは怖い。
「い……いよいよですね」
「おう。でも、腹はもうパックリ開いてるからな」
「あ。そうか……」
高瀬の言葉になんとなくホッとした柴田だったが、それが何の意味も成さないと気付くのに時間は掛からなかった。
「切開します」
そう言った月見里の手に握られたメスが遺体の喉に当てられ、それがスッと動いた瞬間、柴田の意識も、ふぎっ!と言う情けない悲鳴と共にスッと抜けた。
「あ」
その場にいた全員がそう言って、倒れていく柴田を見ていた。
二秒も経たない内に、ガシャンとワゴンが倒れ、ゴンと言う派手な音の後、ステンレスの皿が床を転がり、カラカラと音を立てた。勿論、ゴンと言うのは、柴田が床に頭を打ち付けた音である。
そんな一連の騒音が収まると、解剖室が水を打ったようにしんとなった。
「いやあ……」
最初に静寂を破ったのは宮下だった。
「パーフェクトな卒倒でしたなあ」
その一言で、重い空気の立ち込めていた解剖室が、一気に和やかになった。
「凄かったな。スローモーションみたいだったぜ」
高瀬が言うと、シュライバーの庄司も興奮したようにクリップボードを振る。
「マネキンが倒れるみたいでしたね!」
「直立不動で真後ろに倒れたもんね!記念に一枚撮っておきますか!」
そう言うと、品川は倒れている柴田をパシャパシャと撮影した。悪乗りした鑑識員も、自分の携帯電話で撮影している。
「怪我は無いの?凄い音したけど」
唯一露出している目に苦笑いを浮かべ、皆の様子を見ていた月見里だったが、手にしていたメスをトレーに戻すと、カメラを抱えた品川に声を掛けた。
「見たところ外傷はないですよ。後でスゴイ瘤になると思いますけど」
完全に意識を失っている柴田の髪に指を突っ込み、わしわしとその頭を探ると、品川は月見里を見上げて言った。
「そっか。文孝、事務室に運んでやりなよ。栞が見てくれる。宮下さん」
月見里が呼ぶと、宮下はガラガラとストレッチャーを運んできた。
「取り合えず、こいつに乗せますか。手伝いますよ」
「お願いします」
ゴム人形のような柴田を高瀬と二人でストレッチャーに乗せると、宮下は柴田の顔を眺め、楽しそうにクスクスと笑った。
「懐かしいですなあ。高瀬さんもこいつで退場したんですよ?柴田さんより、もう少しもちましたけどね」
「そう……ですか。ははは」
柴田のバカ面に己の過去の醜態を重ねられ、高瀬は力無く笑うより無かった。
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