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ふたりは互いに、愛をささやく

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 太陽は徐々に沈んできて、差し込む夕陽も力をうしなっていきます。
 うつろな部屋で対面する男女は、名匠が描いた一幅の歴史画を思わせる豪奢さがありました。

「貴女のお望みの通り。そうなるでしょう」

「……わたくしは、そのような事を望んではおりません。いくさは人の血を欲する魔物。しかも理由はどうあれ不忠のいくさなど……」

「いや、貴女が望んだ通りだ。あそこで貴女が何も弁明せず立ち去り、周囲を巻き込まなかった瞬間から、全てが動き出したのだから」

「見苦しい弁明はあのような場にふさわしくない、と考えただけでございますよ」

 黒の貴公子は宝石姫をじっと見ると

「貴女がひとこと、違う、と言いさえすれば、偽の証言者どもが次々と現れ、あの場は裁きの場になったはずだ。実際そういう根回しがされていた」

「ですがそうなれば、わたくしの親しい者たちが黙ってはおりません。国王陛下の祝いの場がいさかいの場に。ですからわたくしは――」

「周囲の貴族達が弁護を始めたら、彼ら彼女らも貴女と組んで牝狐にいやがらせをしていた。という証言者までが用意されていたのですよ」

 男は言葉を続ける。

「貴女がたは一味として処分され、彼ら彼女らの実家も、貴女の実家と同じく取り潰される筈だった……あのような理不尽、弁護せずにはいられぬのが普通ですからね」

 宝石姫はうつむき、

「それを察してわたくしが何も言わずに立ち去ったと? わたくしは何もかも見通す神ではありませんわ……」

「貴女が見通していたのは、それではありませんよ。私が兵を挙げたことをです」

「どうしてそう考えるのですか」

「貴女が、あの牝狐のことをしきりと手紙に書くのかが気になっていたのですよ。しかもひとをそしることのない貴女らしくもなく、正体が知れない。悪い予感がすると」

「……わたくしが貴方にあの女のことを調べさせようとしたと仰るのですか?」

「貴女は薄々察していたのでは? 実家が弱小貴族であるにも関わらず、貴女の実家に仇をなそうとするかの行動の裏に何かがあるのでは、と」

 ふけばとぶような男爵家の娘が、国一番の大貴族の娘と張り合うのがどんな危機を実家にもたらすか、わからない筈がないのです。
 それなのに、王太子の婚約者としての地位を奪おうと企む……裏に何かがあると考えるのが自然です。

「そして……その裏を知った私が、今回の騒ぎでどう動くか……予測していたのではありませんか?」

「……準備していたのでございましょう?」

「誰が、何を」

 宝石姫は顔をあげた。そこには笑みさえも浮かんでいた。

「王家に対する反逆をでございますわ。貴方は口実を探していただけだったのではありませんか?」

「これはこれは、とんだ言いがかりですね」

「そうでなければ、こんなに早く挙兵はできませんでしょう?」

 黒の貴公子と宝石姫の視線が絡み合いました。

「……私が軍を率いて現れても貴女は驚かなかった。だから確信したのです。貴女は予期していたと。恐ろしい方だ」

「貴方の方こそ恐ろしい方ですわ。予想より少し早かったですもの」

 男は立ち上がり女を見下ろした。

「なぜ、ですか? こうすれば貴女の実家が滅ぼされるのは予測がついたはずだ」

 女も立ち上がり、男を正面から見た。

「あの女の正体を知りながら、いい口実になるからと告発しなかった貴方に言われたくありませんわ」

「……王家に愛想を尽かしたのですか?」

 宝石姫はあやしげな笑みを浮かべました。男なら誰でも、しびれがはしるような笑みを。

「愚問ですわ。あんないやしい女を怪しみもしない愚鈍な男が跡継ぎでは国のためになりませんもの。それにわたくしにもふさわしくない」

 宝石姫はテーブルから離れ、鉄格子のはまった窓から外を見ました。
 夕暮れの光が薄れゆく荒野に、黒の貴公子が率いてきた軍勢が整然と並んでおりました。
 王宮に雇われた無頼どもとは違う、一糸乱れぬ真のつわものども。
 あの軍勢が王家の軍と戦えば勝敗は明らかでありましょう。黒の貴公子の軍が近づいただけで逃げ出す者すら出るかもしれません。

「確かにあの男は、貴女にはふさわしくない」

「わたくしがあの赤毛から離れるには、こうするしかなかった……と貴方は考えたからこそ、ここへ来たのではありませんか?」

 宝石姫は男の方を再び見ました。
 夕暮れの残り火を浴びた姿は、燃えているようです。

「王家は滅びる。私が滅ぼす。だがそこでは終わらない。乱れた国を立て直さなければならない」

「それは大仕事ですわね。一人では手に余るのではありませんこと?」

「貴女が受け入れてくれるなら、私は貴女と共に国を立て直したい」

「わたくしの実家は滅んでしまいましたわ。貴方の助けにはなりませんわよ?」

「貴女の実家が欲しいのではない。貴女が欲しいのだ」

「それはわたくしに対する求婚の言葉と考えてよろしいので?」

「そう思ってかまいません」

「わたくしが恐ろしいとは思いませんの? 実家が血の海に沈むと判っていた上で平然と事をなしたわたくしを」

「その覚悟と大胆さこそが必要なのです……返事は如何に?」

 宝石姫は無言のまま大きく腕をあげると、髪を結っていたわらしべをほどいた。

「これだけは必死に隠し通しましたのよ」

 彼女の左手にちいさな銀のロケットが現れました。それは黒の貴公子が首からさげたロケットとお揃いでした。

「わたくしが本当に心にかけていたお方は、常にここにおりました」

 黒の貴公子は、珍しく頬を紅潮させ、お揃いのロケットを握りしめました。

「それは私も同じです」

「うれしうございます」

 宝石令嬢は、はしたなくも大胆に粗末な服を脱ぎ捨てました。 
 生まれたままのすがたが、夕日の残り火の中でひかりかがやきます。
 それは、なまめかしくもうつくしすぎて、黒の貴公子さえ、眼がくぎづけとなり、他には何も見えず何も聞こえなくなってしまいます。

「わたくしは、ずっと心にかけているお方に、この身を全てささげますわ」

 ふたりは一歩、二歩、三歩とお互いに歩み寄り、たちまちその距離を縮めていきます。
 そして、気高い顔と顔が近づき、くちびるとくちびるの距離がなくなる寸前。

 宝石姫の右手が黒の貴公子の脇腹におしつけられたのです。 

「ぐっっ」

 と男はうめき声をあげ。女は手をねじるようにして押しつけつつさらに踏み込んでいきます。
 たおやかな右手の中には小さな懐剣が隠されていて、それが男の脇腹に深々と突き刺さっていたのです。

「なにを……」

 男はよろめき後じさりながら小さな悲鳴のような声をあげました。

「こうでもしなければ、貴方の体に毒の刃を突き立てることはかないませんでしたもの」

 脇腹を押さえる手の下から、鮮血が服をにじませて広がっていきます。
 男は痛みのためか、それとも心に打撃を受けたのか、その場に座り込んでしまいました。

「どうしてこんな、だって貴方は……」

 夕日はさらに衰え、その残光で蒼く染まり始めた部屋のなか、白い肌をほのしろくひからせた女は冷たく告げました。

「わたくしが心にかけているのは、貴方が吐き捨てるように言う赤毛のお人。殿下ですもの」
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