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2 頼りになるのはお前だけ

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「っで、明日、一番下っ端の俺が、頭お花畑を噴水に突き飛ばす役を仰せつかったんだが……聞いてるか?」



 窓がひとつしかない狭い部屋。



 目の前には帳簿が並んだ机と女。



 話してる間も 手を休めず目を通してるんで心配になる。



「バカばっかりね」



 的確な評価ありがとう。



 婚約してから4年。長い付き合いなんで聞いてくれてるのは判ってるんだが、俺もせっぱつまってるんで。



「お前くらいにしか相談できないんだよこんなこと。親に言ったら、家臣なら命をかけて王子をおいさめしろとか言われかねねぇ。穏便に波風たたずにどうにかしたいわけ」



「まぁいいわ。あんたが勝手におしかけてくるのはいつものことだし。仕事はパパが帳簿回収に来る前に片付ければいいし」



 ようやく顔をあげてくれた。



 同じ婚約者殿でも月とすっぽんだ。



 黒い髪はくせっけで肩の辺りで釣り針みたいにはねてるし、後ろでざっくり結んで垂らした長い髪もはねまくりだし。



 目は細くて垂れ気味だし、黒い瞳は小さいし、顔は丸いし、そばかすだらけの鼻は低いし、とにかく地味。



 その上、女にしては背が高く、俺と大して変わらない。



 しかも口うるさいし、気は強い。さらに付け加えれば無愛想。悪そうな笑み以外、笑うのを見たことがない。



 特に最近は、化粧っ気も全くなくて、飾り気のない灰色のもんばっかり着てる。首から上と手以外は肌がなんにも見えない。お前は修道女か。



 いつも仕事してるとこしか見たことないからってだけかもしれないが。





 俺の婚約者は、貴族の娘でもない。一代でなりあがった商人の娘だ。



 うちの実家の借金をチャラにする代わりに俺と婚約したというわけだ。つまり俺は家柄以外何の期待もされていなかったりする。



 まぁこっちだって相手のことは言えない。



 うちの両親が俺に、婚約が解消されたらうちが破産するから成り上がりの卑しい相手でもせっせとご機嫌をとれと口を酸っぱくして言われてる。



 そんだもんで、面倒くさいと思いつつも、ちょくちょく顔を出していたわけだ。



 今となっては面倒ってわけでもないんだが。



 向こうにとっちゃ迷惑なんだろうけど、ちゃんと相手はしてくれる。



 今だって、帳簿の仕事の手を休めて考えてはくれている。



「穏便に波風たたずねぇ……」



 かなり前から気づいてたんだが。考える時、テーブルに肘をついてくちびるに人差し指をそっとあててる仕草がかわいらしい。



 それに、ついた肘でおっぱいがぎゅっと潰れてはみだしてるのも、なんか、いい。



 胸おおきいよな……。さわったらやわらかいんだろうなぁ……。



 机越しでも手をのばせばつかめるかなぁ……。いやいや。



「なに見てんの」



「いい女がいるな、と思って」



 とっさに口を突いた言葉だけど、別にうそってわけではない。



「はいはい。あんたの目、薬師に診てもらったほうがいいわ」



「まにあってるんで」



 彼女はためいきをつくと、



「結論から言えば、望みうすね」



「まだ起こってないんだからなんか手があるだろ!」



「このことをその婚約者さんに報せて、向こうからも手を打ってもらおうとか考えてるんでしょ」



「それそれ! でも俺にはツテがないんだよ。お前のパパならなんかあるだろ」



「あの家、要求は厳しいけど払いはべらぼうにいいから、ツテなんてもんがあったらパパは今頃狂喜乱舞で、ほっくほくね」



 ないんかー。まぁポッと出の商人だからなぁ。



「あたし個人としても、あのお嬢さんの知り合いの知り合いの知り合いすらつきあいないわ」



 あっちは昔っからの貴族、俺の婚約者は学校にさえ行ってないからなぁ。



「貧乏男爵家とはいえ、あんたのほうがまだ可能性あるんじゃないの?」



「さっきも言ったが」



「ああ。命をかけておいさめしろ、だったわね」



 俺はためいきをつくと、



「自然消滅してくんねぇかなぁ……」



「あんた。よほど動転してんのね。いつもなら気づくでしょう。それか、認めたくないか」



「なにをだよ」



 彼女は机にひじをつくと、こちらへ少し身を乗り出してきて、重ねた手の上に顎をのせ。



「あんたからさんざん聞かされた愚痴の内容から判断して、あの王子、顔はいいけど顔だけ。自分が望めばなんでもかなうと思ってるバカチンボンボンよ」



「うっ……」



 自然消滅はムリかぁ。



「だっ、だが三ヶ月あれば飽きることもあったりなかったり……」



「ないわね。取り巻きの前でそこまで宣言して撤回できると思う?」



「……いや、でも、まだなんとか」



 彼女は、少し悪い顔をして、



「いっそ婚約破棄させちゃえば? そうすればバカ王子は破滅。利発でまともだって噂の弟が王子になるわよ。それが商売……いえ国のためよ」



 さすがは商人の娘。俺が当事者じゃなければ同意するのにやぶさかではないが、



「俺が巻き添えになるだろう!」



「運が悪かったとあきらめれば」



「思えるかよ!」



「あんたが貴族じゃなくなったら、パパにとって利用価値ゼロだから、あたしとの婚約も解消よね。くふふ。そうなればあんたの実家もおしまい」



「……」





 そうなったら。こいつ、俺以外の誰かとくっつけられちまうんだろうなぁ。



 そんで、俺しか知らない、ちょっとかわいいところも、そいつが知るんだな。



 あのおっぱいも。そいつが好き放題するんだろうなぁ。



 なんか、いや、だな。



 それ、すごく、いや、だな。





「どうかした?」



「……いや、そうなっちまうだろうなぁ、たしかに」



「世の中は非情なのよ」



 ソウデスネ。そのとおりでゴザイマス。



「それにしても、今日のあんたは本当に頭がまわらないのね」



「今日は特にバカで悪かったな」



「すねないでよ。そもそも。このことを婚約者さんに何かの方法で伝えたとするわよね。それでどうにかなると本気で思ってる?」



「え……それはどういう……あ」





 王子はふだつきのバカだ。



 すでに亡国の君主の素質ありとまで言われてる。



 幸い今は平和だ。



 長年の宿敵である北の国は更に強大な騎馬の国に圧迫されて余裕がない。



 その上、王家の間での度重なる婚姻で身内も同然だ。



 彼女の話だと、資源とかそういうのでもちつもたれつなりまくりで、戦争したら共倒れ確定だそうだし。



 あの王子が王になってもなんとかはなるかもしれない。



 だが、自分のミスであのバカが自滅の道を歩むとしたら……。あえて止める奴なんているか?





「いやいや、でも、あのバカや、俺みたいなペーペーはともかく、ブタ、いや大臣の息子や、良心様じゃなくて騎士団長の息子もいるんだぜ?」



 彼女はまたちょっと考えた。くちびるを指がおさえると、白い歯がちらりと覗いた。



「……うちさ、つい最近、青の騎士団に兵糧を大量に納入したのよね」



 青の騎士団は、騎士団長直属の部隊だ。



 食料じゃなくて兵糧ってわざわざ言うってことは、何らかの軍事行動。とすると考えられるのは。



「訓練のための遠征か……となると、騎士団長は王都を離れる」



「ご子息はそれに同行するか」



「休学して領主代行って線もあるな……」



 逃亡準備万全ってことじゃねぇか! つまり、良心様は逃げられるんだ。



 実際、良心のくせにバカをたしなめさえしなかった……見捨てたってことかい。



 良心じゃないじゃん! いや、あの人ですらバカを諦めたってことか。



 友情なんてもろいね。



「ブタもか……? いやあのブタ積極的に媚びてたよな……」



「あの大臣、投資で大損してるんだって。ツケまくられて困ってる商人が続出してるって」



 だからか。だからこそ、王子にあれだけ媚び媚びしてたのか。次の世代でも筆頭大臣になれれば、あの家も安泰だからな。



 確か、婚約者殿の実家は、あの大臣のライバル……と言っても大臣とブタが一方的にそう見てるだけっぽいけど。



 ここで一発逆転ってか?



 でもなー。相手が悪いだろ相手が!



「大臣ごと斬り捨てるつもりかよ……ああ、大人って汚い! ずっと子供でいたかった!」



「だいたい、腐ってもバカでも王子なのに、その素行を王家が把握していないなんてありえないわよ」



 不意に、紅茶をいれてくれたメイドさんの顔が思い浮かんだ。



 あの人、ずっと側にいたよな。



「……はは。密談してるつもりのバカちんぽんどもだったわけか」



 俺もだけどなー。



 バカ王子あーんどバカたちが破滅するのをみんなが煽ってなまあたたかく見守ってる図。



 乾いた笑いをおさえられんぜ。



「ご愁傷様。そもそも、あんな王子の取り巻きになったあんたが悪いのよ。つきあう相手は選ぶべきだったわね。もう遅いけど」



「貧乏貴族の息子にとっちゃ、バカだからこそチャンスと思ったんだよ」



 想像をはるかに上回るバカだったとは!



 それにバカでも王子とのつながりがありゃ、こいつのパパにもちょっとは役に立つと考えてもらえると思ったんだけどなぁ……。



 こいつが俺を見る目も、少しは変わってくれるかもって……。





「でも……あたしだけを頼ってくれて信頼して相談してくれたのに、あんたが破滅するのも……ちょっと、その、いや、ね」





 彼女は、再びくちびるに人差し指をあてた。



 俺があのバカに巻き込まれて破滅したら、この顔を見ることもなくなっちまうんだな。 



 なんだか胸がいっぱいになった。



 なぜだろう。婚約してから4年間。週に一度は見ている顔なのに。



 うちの実家は借金を消したくて、彼女の実家は、俺の貴族の家柄だけが欲しくて、それだけの関係なのに。



 少なくとも彼女はそうとしか思っていないだろうに。





「即刻、学園辞めたら? あと三ヶ月で辞めるのはもったいないけど、あんた勉強は真面目にやってるから知識は身についてるでしょ」



「親にどう説明しろってんだよ。バカ王子に巻き込まれないためにやめますってか? 忠臣なら命をかけておいさめしろって言われるだけだ!」



「そうなのよね……別の理由が必要よね……いっそ、パパに頼んで無理矢理借金を引っ剥がしてもらおうか?」



 確かに。実家が破産すれば退学だ!



「その手があったか!」



「じゃあ、さっそくパパに」



 立ち上がりかけるのを慌てて止めて、



「い、いやいやいやいやだめだろ。俺とぼんくらな下の兄さんとダメ両親はともかく、真面目で苦労人の上の兄さんと、気立てのいい義理の姉さんと、生まれたばかりの甥っ子まで巻き添えになる!」



「あんたってそういうとこマトモなのよね。知ってたけど……だとすると、残ってるのは失踪するくらいかしら」



 不祥事だと家族に迷惑がかかるもんな。



 消去法で失踪か。それしかないのか。



「あんたにひとりで自活する能力ないの知ってるから、とりあえずうちの支店のどっかに新米の丁稚として押し込んであげる」



 実家にかかる迷惑も、不祥事よりはぜんぜんマシだ。



 だけど。



「実家に迷惑かからないし、うちのパパだって、息子が失踪した気の毒な家から借金毟り取ったりしないわよ」



「……」





 俺が失踪したら。



 この女は、俺以外の奴と婚約させられてしまうんだろう。





「もしパパが万一そうしようとしても、あたしがなんとかするから! そうだ! あたしが貯めたお金を使えば借金を消すことだって――」



「いやだ」



「なに言ってるのよ! 他に手はないでしょう! 少なくともあんたは死なないで済むのよ」



「いやだ」



 ああ。これじゃ俺は駄々っ子だ。



 でも、



「いやなんだ」



「だから、実家の借金のことは心配しないでいいし、あんたの生活が立つようにだってするわ。ほとぼりが冷めればここに戻れるようにもするし」



「お前の婚約者でいられないじゃないか!」



 口から出てしまった瞬間、自分で自分に驚いたけど、その瞬間には納得していた。



「でも、実家の借金の問題さえなければ、あたしと婚約してる意味ないでしょ? 親御さんだって本当は卑しい生まれの娘と結婚させたくなんかないんだし」



「俺がお前と結婚したいんだ! 他の女じゃなくてお前と! お前のことが好きだから!」



 ああ。そうだったんだ。



「あ。そうなんだ。へぇ……って、いま、さらっとなに言ったのよ!」



「俺はお前と結婚したい。婚約者だからとか実家の都合とかじゃなくてだな、おっお前のことが好きだからだ!」



 意識して言うと、ちょっとどもってしまった。



 だけどかまうものか、もうかなり前から、この女が好きだったんだ。 



 他の誰でもない、この人が。



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