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 ああ、あのおふたりが見つかったのですか。

 長年氷に閉じ込められていたとは……。

 小舟の底に見えないほどの小さな穴が開いていたのですか……お気の毒に。


     ※    ※    ※    ※


 あれは20年前、例年よりも長い冬のさなかでした。

 夜と氷と雪に閉ざされる我が国では、この季節に貴族達が王宮に集うことは滅多にありません。
 おのおの領地に籠もり、冬をじっと耐えるのです。

 行き来が不可能というわけではありません。
 王都を貫く大河は凍らないので船は運航してますし、無数にある小さな川は凍り付いて冬の道になります。
 ですが、幾日もの暗闇と極寒を、雪狼の群や、羆王、白剣虎の襲撃を警戒してくぐりぬけてまで集う価値のある行事も用事も滅多にありませんから。

 ですがその日は特別でした。
 我が国の中でも更に北の方々は数人しか来られませんでしたが、それでも国中の貴族が集まっておりました。

 4年の留学を終えたエリク王太子殿下が一ヶ月前に帰国した祝賀会だからです。

 王太子殿下が留学されていたのは、遙か南にある豊かな国ポレント。
 行くだけでも大冒険なのだそうで、王都から大河を二ヶ月掛けて下り、海へ出て海路を半月、更に陸路で一ヶ月半。
 そこでは信じられないことに、冬でも昼と夜があり、海も川も凍らないし、雪もほとんど降らないそうです。
 そんな遙か遠い異国であるにも関わらず、文化の盛さがこんな辺境の国まで鳴り響いているのです。

 エリク殿下は、この国の貴族として初めて、ポレントの王に謁見し、王立の学園で学び、膨大な知識を携えて御帰還になったのです。
 そしてそれは、王太子殿下に随行していた私の婚約者ボレク・エクレツ様も帰国したということなのです。
 祝賀会のあと、私達は祝言をあげ、そのままボレク様の御実家へ嫁入りする手はずになっておりました。

 王宮の大広間の祝賀会場には、まだ王子は御来臨になっておりませんでした。
 ということは、ボレク様もまだなのでしょうか。
 いらしたとしても4年ぶりです。私にお顔が判るでしょうか?
 もしかしたらボレク様の方が私を判らないかもしれません。

 ですがそんな心配をする必要はありませんでした。

「セリーナ・ルブリンはいないのでざまぁすか! そこにいたでざまぁすね!」

 懐かしいボレク様の声が聞こえたからです。
 声を発した方は、人波をかき分けてこちらへ向かってきます。

 お声はそのままでしたが……お顔とお姿は喋り方は記憶と大違いでした。
 旅立たれる以前は、堂々たる偉丈夫で、歳に似合わぬ立派なお髭の渋い美男でしたのに、4年ぶりのボレク様は、ひとことで言えば異様でした。

 金髪を脂かなにかで固めて角のように大きく盛り上げているだけでも異様なのに、お髭がまったくありません。
 男は立派な髭をはやすのが決まりの我が国で、つるんとしたお顔は悪目立ちしています。
 しかも、両頬には赤い丸が描いてあるではありませんか。
 その上、鮮やかな青い生地に金の縁取りをあしらった上着。ボタンも金です。
 ズボンも妙にぴったりしていて、脚に赤い染料を塗ったみたいです。
 その服装もまた、白と茶色中心の地味な服装の中では、異様に目立ってしまっています。
 それに、お言葉の語尾も何か変です。
 
 ですがこれが、文明の高さで知られるポレント風なのでしょう。
 注意したりすれば、自分が野蛮人であるという証となってしまうかもしれません。
 ですから誰もが見て見ぬふりをしているのです。

 戸惑っていると、ボレク様らしき異様な男は目の前まで来て、ぶしつけに私を指さし、

「セリーナぁ・ルヴリぃン! 貴女とコンヤクハキするでざまぁす!」

 と妙になよなよした口調でおっしゃいました。
 こちらを指さす腕もまっすぐではなく、妙にくねっと曲がっております。
 体の角度も少し曲がっていて、なんか変です。ピシッとしたところがありません。

 私だけでなく周囲の方々も戸惑っておりました。

 百歩譲って異様な(正直きもちわるい)ポーズはポレント風だとして、言葉がよくわかりません。

 コンヤクハキってなんなのでしょうか?

 私に目で問うてくる方もいらっしゃいましたが、私も判りません。
 ボレク様は帰国なさったばかりですから、ポレント語なのかもしれません。

 私が思わず首を傾げると

「セリーナぁ。貴女はおバカですざまぁすか? コンヤクハキがわからないのでざまぁすか?」

 ボレク様が苛立っておられるようなので、みなさんを代表して

「ボレク様、つかぬことをお伺いしますが、コンヤクハキとは、どういう意味なのですか?」

 ボレク様は、会場中を見渡して大げさに溜息をつくと。

「これだから田舎くさい国はイヤざます……」

 と、ぼそりとこぼし。

「コンヤクハキというのは、セリーナと麻呂の婚約を破棄するという、そのまんまの意味でざまぁすよ!
 この場で、貴女との婚約を解消するということでざまぁす! あんだーすたぁんど?」

 と、唄うように宣言なさいました。

「麻呂とは……?」

「ポレントの尊い貴族達は、自分のことを麻呂と呼ぶのでざまぁすよ!」

「ええと……意味は判りました。つまり婚約解消のことですね」

 多分、ポレントのハイカラな言葉では婚約解消をそう呼ぶのでしょう。

 周りの方々も、うんうん、と頷いております。

 婚約を解消すると仰っているからには、この婚約をしても、我がルヴリン伯爵家とエクレツ伯爵家のあいだに益がなくなったということなのでしょう。
 なぜここで言い出されたのかはさっぱり判りませんが。

 ところがボレク様は顔を真っ赤になさって。

「ちがうでざまぁす! コンヤクハキと婚約解消は違うのでざまぁす!」

 理解できていなかったようです。

「どう違うのですか?」

「麻呂はこの場でと言ったのでざまぁすよ! 
 婚約解消は両家のしちめんどうくさい遣り取りが必要でざまぁすが、
 コンヤクハキは今この場でなのでざまぁす!」

 私の脳内には、大きな疑問符が浮かんでおります。
 周囲の方々も首を傾げるばかり。、

「ええと……まさかとは思いますが。
 我が父と、ボレク様の父のあいだで正式な交渉が行われてはいないのですか?」

「交渉! はふぅっ。そんなものは真実の愛の前には必要ないのでざまぁす!」

「シンジツノアイとはどういう意味でしょうか?」

 ボレク様は、哀れみをこめた目で私を見ます。 

「シンジツノアイとはざまぁすな! 心と心が真の愛情で結ばれた男女の愛のことなのでざまぁす!」

「はぁ……」

 周囲の方々はますます首を傾げます。

「セリーナぁ! 麻呂は、貴女を見ても何も感じないのでざまぁす! 
 ですが、イザベラとは運命を感じたのでざまぁす!」

 ボレク様の隣に立つイザベラ・ボズナン伯爵令嬢が、勝ち誇った顔で私を見ます。
 なぜそんな表情をするかさっぱり判りません。
 それに長い長いつけまつげが剣みたいに突き出していて、外れたらお顔に刺さりそうで心配になってしまいます。
 そもそもなぜボレク様の脇腹に密着しているのでしょう?
 結婚もしていない男女にしては距離が近すぎます。
 その上、イザベラ嬢の真紅のドレスの胸は大きく開いて、乳房が半分以上見えています。
 やたらとヒラヒラがついたスカートは長く大きく広がりすぎて、ボレク様と密着するためにお互いに寄りかかり合わねばならないくらいです。

 見たこともない仕立てのドレスですから、ポレントからの土産なのでしょう。

 すごく、はしたないです。それに王宮から一歩出たら体が凍ってしまうでしょう。
 ですが、これが華やかな文化を誇るポレント風であるというなら、はしたないと感じる私達の方が誤っているのでしょうか……。

 そして私はコンヤクハキという謎の言葉の意味を必死に推測します。

 コンヤクハキというのは、婚約解消と微妙にちがいますが、似たような言葉であるらしいです。
 ということは……。

「ええと……ボレク様の御実家のエクレツ伯爵家は、私の実家であるルヴリン伯爵家との婚姻を解消し、ボズナン伯爵家と結び直すということなのでしょうか?」

 周囲の方々も、なんだそういうことか、それなら判る、という顔をなさっております。
 なぜこの場で言い出されたかは、判らぬままですが。

「ちがうでざまぁす! 貴女との婚約を破棄して、愛しいイザベラと婚約すると言っているのでざます!」

「? 同じ意味にしか聞こえないのですが」

「くぅ、田舎者めぇぇぇ。
 ちがうざます! 家とかとは関係がないのでざます! 麻呂は貴女を愛していないのでざます!
 イザベっラを愛していると言っているのでざまぁす!」

「そうよ! 私達は愛し合っているの! じゃなくてざまぁす!
 だからさっさとコンヤクハキをしなさい!」

 イザベラ嬢もわめきます。はしたないです。
 もしかしてこれもポレント風なのでしょうか……そうだとしたらすっかり幻滅です。

「でしたら、3家のあいだでの話し合いののち、婚約を解消して婚約の相手を結び直せばいいのではないでしょうか?」

「そういうところでざまぁすよ!」

「そういうところとは?」

「セリーナぁ! 貴女は留学中の麻呂に毎月どうでもいいことばかり書いて寄越してきたでざまぁすた!
 互いの領地の収穫量がどおしたとか、どういう問題が起きたとかそういうことばかり! ポエムがありまっしぇん!
 そのうえ、うちの国の田舎くさいソーセージやハムやチーズを送ってきて、麻呂にさんざん恥をかかせたでざまぁす!
 麻呂に対する愛というモノが全く感じられまっしぇん!」

「そう言われましても……結婚して貴族としての務めを果たす為には重要なことですから」

「貴女は麻呂を愛していないのでざまぁす!」

「当たり前ではないですか。結婚もしていないのですから」

「麻呂は愛のない結婚などしまっしぇん!」

 愛という言葉は判ります。

 私の両親は、国でも評判の仲睦まじい夫婦で、結婚生活30年で、私を含めて5人の子を作りました。
 秋にはさらにもうひとり生まれるでしょう。両親のあいだに愛はありましょう。
 ですが、婚約していた間に愛はなかったと思います。
 婚約しただけで、ろくに知らない相手を愛することなど出来るのでしょうか?

「……婚約を解消なさりたいということですね?」

「田舎モノの不調法な貴女にも判ったようでざまぁすな! さぁ、この場で解消するというでざまぁす!」

「そうよ! 愛もない相手と結婚するなんてボレク様がかわいそうよ! じゃなかったかわいそうでざまぁす!」

 困ってしまいました。
 私にそんな返事をする権限はないのです。

「はっはっは。ボレクよ。セレーネ嬢が困っているではないか」

 ボレク様達の背後から爽やかな声がひびきました。
 
 エリク殿下です。

 太陽のような笑顔、変な化粧など一切ないうつくしいお顔。波打つ金髪。
 我が国の一般的な男性よりもお髭を短くしておりましたが、それがかえって美しいお顔を引き立てていて、思わず見とれそうになってしまいます。

 着ている服こそボレク様と似ておりましたが、ボレク様と違って不自然さがありません。
 生地が白なので金色の縁取りが安っぽく見えません。
 すらりとした長身にはえて輝いているようにすら見えます。

 全てが調和して、ぴったりです。

 遠くから商人が運んで来た絵画でしか見たことがない貴公子そのもの。
 これこそが文明の華であるポレント風なのでしょう。
 ボレク様の異様で駄目な着こなしのせいでポレントの文化を見誤ってしまうところでした。

 私や周りの人々は、ごく自然に最上級の礼を捧げました。
 ボレク様とイザベル嬢も、慌てて跪きます。

「ボレク。ポレント風にかぶれるのは良いが、覚えたばかりの言葉を振り回すのはいただけないな」

「で、殿下! 麻呂はただイザベラと真実の愛をみつけたことを――」

 エリク殿下は片手を優雅にあげて、ボレク様の言葉を遮り、

「皆の者も覚えておくがいい。ポレントの言葉でコンヤクハキとは……いや、実際に見て貰う方が早いだろう。
 セバスチャン!」

「はっ」

 黒で上下とも固めた老人が、エリク殿下の後ろに跪いております。

 周囲の方々から驚きの声が漏れます。
 我が国は文化果つる田舎ですが、武ではどこにも負けぬ尚武の国。
 過酷な国土に鍛えられ、男も女も一騎当千の猛者揃いです。
 それなのにこの老人の出現を誰も気づかなかったのですから。

「この者はセバスチャン。ポレントでも最高の執事のひとりだ。
 さる侯爵家に長年勤めていたが、老い先短い身、思い切って冒険をしてみたいと、
 私についてくることを了承してくれた変わり者なのだ」

 ボレク様の奇矯なふるいまいのせいでポレントを誤解してしまうところでした。
 私達の誰にも気づかれずに、エリク殿下の背後にあらわれる体術。
 なにひとつ無駄を感じさせない洗練された身のこなし。一目で判る出来る男という雰囲気。
 ポレントの執事はただものではないようです。ポレントすごいです。

「セバスチャン。ボレクとイザベルが王都を抜け出す手配を。
 コンヤクハキ、我が国の言葉で言えば駆け落ちをするそうだからな」

「承知いたしました」

 ボレク様はなぜか目を剥いて、

「か、駆け落ちっ!?」

 私はようやく理解しました。

「ボレク様! 私、ようやく判りましたわ!
 コンヤクハキというのは駆け落ち宣言のことだったのですね!」

 駆け落ちなら判ります。

 神官の方々は、人間は動物と違うように作られていると仰いますが、
 動物が春に発情するように、婚約もしていない男女が熱に浮かされて結ばれてしまうことがあるのです。
 それは婚前交渉を許さぬ我が国では、死罪になる恐ろしい罪。

 ですが、それは自然の気まぐれであり、仕方がない運命です。
 そうなって結ばれた以上、彼らは夫婦。二人で生きたいと思うのは当たり前です。
 だとすれば彼らは、この国から逃げるしかありません。
 極寒と夜と氷と雪を越えて生をつかみとるしかないのです。
 生死を賭けた悲劇的な逃亡。それが駆け落ちなのです。

 恐らく王都に帰還したボレク様は、どのような事情があったかイザベル嬢相手に発情し、
 夫婦の肉のちぎりを結んでしまったのでしょう。

「何を言い出すのよ! わたし達は――」

 殿下は、片手をすっとあげると、周囲を黙らせ。

「その通りだセレーネ嬢。
 もしコンヤクハキが、親の承諾なしに当人達が勝手に婚約を解消するという行為なら、
 この二人は死罪だ。だがボレクもイザベル嬢もそんなことをする愚かものではない。
 そうだなボレク?」

「わ、私、い、いや麻呂は――」

「だが、すでにふたりは神の気まぐれによって、夫婦も同然な関係になっているのだ。
 セレーネ嬢との婚約は解消せざるを得ないが、それも出来ない。
 例えそれが、やむを運命であったとしても、法では不貞。
 不貞による解消は、相手であるイザベル嬢もろとも死罪だ。
 全裸で北の大雪原に追放する、であったな」

「ぽ、ポレントではそんな野蛮な罰――」

 私は、元婚約者の思いがようやく判った興奮で、思わず。

「おふたりは不貞ではありませんわ!
 だってこうして堂々と告白しているのですから。
 そして、夫婦になりたくてもなれない二人が願いをかなえる唯一の方法といえば駆け落ちです」

 殿下は満足気にほほえんだ。

「そういうことだ。
 だが、突然の駆け落ちは周囲に多大な迷惑を及ぼす。
 そこでポレントではコンヤクハキというものがあるのだ。
 駆け落ちするふたりは事前に周囲に告げて、その迷惑を軽くするのだ」

「素晴らしいですわ! さすがは文明国ですわね!
 この国で駆け落ちは、見つかれば即死罪。
 全裸で丸太に縛り付け、深い谷底へ突き落とすという刑罰。
 それをされても良いという覚悟で、駆け落ちを予告するなんて!」

 それに比べれば、ポレントの遣り方はなんとスマートなのでしょう。
 我が国のような田舎とは違います。
 駆け落ちすらも、周囲の迷惑を考えて事前に予告して行うとは。
 しかも駆け落ちという重罪を示す言葉を使わず、コンヤクハキという隠語を使うなんて。

 ああ、なんて優雅なんでしょう。

「あ、すいません。間違えました。
 駆け落ちではなくて、コンヤクハキですわね。
 駆け落ちでは死罪になってしまいますから」

 うんうん。と周囲の方々もうなずいております。

「ななな何を納得しているんでざまぁすか! 麻呂はコンヤクハキ――」

 殿下に耳元でささやかれると、ボレク様は、ひっ、と悲鳴をあげて黙りました。

「さて、皆の者。
 確かに我が国の刑罰では、駆け落ちは死罪だ。
 だが、このふたりは勇敢にもそれをここで予告した! コンヤクハキしたのだ!
 その勇気に免じて、駆け落ちを成就させてやろうではないか!」

「ちがうんです! 駆け落ちとかそういうんじゃ!」

 涙目になってイザベラ嬢がなにか言います。

 殿下は、さわやかに笑い、

「そうだな。私とした事が間違えた。コンヤクハキだ。
 駆け落ちや勝手に婚約を解消しようとしているなら、君らは死罪だからね」

 殿下の背後に、セバスチャンが再び姿を現しました。

「御主人様。王都の港までの手配は済んでおります。
 港には小舟を用意し、三ヶ月分の干し肉も積み込んで御座いますれば、あとは川の流れのままに海へ」

 三ヶ月というのは、小舟で大河を下り海に面した港へつくまで十分な時間です。
 さすがはポレント仕込みの執事様です。何もかも心得ているのです。

 過酷ではありますが、この夜と氷と雪の国生まれのおふたりなら、港へたどり着けるでしょう。

「さぁ皆の者! ボレクとイザベル嬢の門出を祝って乾杯しようではないか!」

 私達は一斉にグラスをかかげました。

 みな感動しておりました。

 本来なら駆け落ちは死罪。
 ですが、おふたかたはわざわざ宣言をするという勇気をお示しになりました。
 なんという英断。なんという身の処し方!

 こんな勇気を示されて、告発する人間などおりましょうか?

「ボレク、イザベル嬢。些少だが餞別だ。受け取るがよい」

 殿下は、セバスチャンが差し出した小さな袋を受け取ると、おふたりの前に置きました。
 置いた時に金属の音がしたところからして、多分、金貨の類いが入っているのでしょう。

 おふたりは、跪いたまま、ぶるぶると震えて泣いております。
 感動しているのでしょう。

「さぁ、おふたりともこちらへ」

 泣いているおふたりをセバスチャンがうながして立たせようとします。
 ですが、殿下がお示しになった慈悲に対する感動のあまり立てないようです。

 殿下が、すっと手をお上げになると、セバスチャンは二人の腕をとり立たせてあげました。、
 その動きの優雅なこと!

 ボレク様は、振り返り、すがるような目で私を見ます。
 いえいえ、それは元婚約者である私の錯覚でしょう。
 ボレク様は、生まれ育った土地を離れることに、なにがしかの思いをおもちになって、振り返っただけなのでしょう。

 私は万感の思いを込めてお二人に告げました。

「幸運を!」

 周囲の方々も口々に叫びます。

「幸運を!」

 我々は去って行くおふたりを見送りました。


        ※    ※    ※    ※


 それが、おふたりの姿を見た最後。
 そして、我が国とコンヤクハキの初めての出会いでした。
 あれから30年経った今でも、昨日のことのように鮮やかに思い出せます。

 ああ。あれから30年も経ってしまったのですね。
 私が王太子妃になり、そして王妃となり、そのあいだに5人の子供を産んで、長女がもう25ですものね。

 婚約者がいなくなった私に、新たな婚約者として名乗りをあげてくださったのはエリク殿下でした。

 私のような田舎者でよいのかとお聞きしましたら、

「ポレントの全てが素晴らしいわけではないよ。この地では我が国の風俗のほうがすぐれていることも多いのだからね」

 と殿下は苦笑されました。

「確かに……殿下にボレク様のような髪型は似合いませんね。あの妙な言葉遣いも気持ち悪かったです。
 イザベル嬢のドレスも寒そうでしたし……」

「そういうことだよ。どれを取り入れてどれを取り入れないか吟味しなければね。
 そうしないと、小舟の底にあいた小さな穴から水が入ってくるように、我が国も沈んでしまうからね」


 小舟の底にあいた小さな穴……?

  
 ……ああ、そういうことですか。
 殿下とセバスチャンは全てを知っていたのですね。
 ボレク様とイザベル嬢がどうなるかを。

 残酷とは思いません。

 今や我が国にもコンヤクハキが婚約破棄であることが伝わって来ていますが、誰もしようとはしません。
 そのおかげで失われていない命の方が多う御座いましょうからね。

 今では、駆け落ちをする時は、コンヤクハキを行なうのが称賛されるべきこととなり、むごたらしい刑罰もなくなりました。
 実行した方々の大多数が過酷な大地で命を落とすという結果には変わらなくても、少なくとも後ろ指をさされることはなくなりました。
 それどころか、コンヤクハキのあと、過酷な旅を乗り切った二人は祝福さえされるようになっているのです。

 全て、最初にコンヤクハキを実行したおふたりのおかげです。
 せめて立派な墓を建てて、丁寧に弔ってさしあげましょう。

 墓碑銘は『愛に生き。愛に死ぬ』ですね。
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