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 ほんのり残酷表現あります。



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 目覚めると、真っ先に飛び込んできたのはクリスの顔だった。

「叶愛! 目が覚めたんだね!」
「ん……クリス……?」

 ぼんやりと彼の顔を見つめながら体を動かそうとして、痛みに顔を顰めた。顔も体もどこもかしこもズキズキする。

(なんで……)

 叶愛はベッドに寝かされている自分の体を見た。布団から出ている腕は包帯を巻かれ、その隙間から痣が覗いていて痛々しい。
 そんな己の惨状を見て、自分の身に起きたことを思い出す。
 叶愛はぽつりと零した。

「僕、殺されなかったの?」
「そうだよ……っ」

 答えるクリスの声は不自然に震えていて、思わず視線を向けてぎょっとした。クリスの双眸から、ぼたぼたと涙が溢れている。

「え、なんで泣いてるの……?」
「だって叶愛、一日経っても目を覚まさないし、こんなに傷だらけで、ぼろぼろで……見つけたときなんてぐったりして名前を呼んでも全然反応が返ってこなくて……っ」
「クリスが見つけてくれたの?」

 唇も口の中も切れているようで、話すだけでも痛みが走る。

「ごめん、叶愛っ……。もっと早く助けられれば、叶愛がこんなに傷ついて痛い思いをすることなんてなかったのに……っ」

 クリスの綺麗な碧眼が、涙で濡れてキラキラと輝いている。
 彼は酷く自分を責めているようだが、騙されたとはいえ叶愛が自分の意思で城を出たのだ。狙われたのがクリスのせいだとしても、彼女の言葉に唆されたのは叶愛だ。

「僕、自分でここから逃げようとしたんだよ」
「それは違うよ。叶愛は薬を飲まされたんだ」
「薬……?」
「その薬のせいで叶愛は相手の言葉に従ってしまったんだよ」

 言われて、あの元婚約者にもらった水を飲んだことを思い出す。あれは薬を飲ませるためだったのかと納得した。あのとき、彼女の言葉をすんなりと受け止め、彼女の言うことが正しいのだと信じ、行動してしまったのはそのせいだったのか。
 思えば、不自然なことは色々あった。疑問は感じていたのに、叶愛はそれを気にしなかった。もっと警戒すべきだったのだ。
 自分の迂闊さに呆れる。前世では周りからとにかく大事にされてきたので、警戒心が薄いのかもしれない。

「叶愛、ごめん、ごめんねっ……私のせいで、可愛い叶愛が……私の叶愛が、こんなに酷いことをされて……っ」

 さりげなく「私の」とか言ってくるところがクリスだ。
 こうして助かった今、叶愛に彼を恨む気持ちはなかった。あのまま殺されて、殺されたことも気付かれず、クリスがあの元婚約者と幸せになっていたら恨んだだろうが、クリスは叶愛の危機に気付きこうして助け出してくれたのだ。
 前世だったら顔を少しでも傷つけられようものなら烈火のごとく怒り当たり散らしただろうが、モブ顔の今は別に顔を傷だらけにされてもそこまで感情的にはならない。
 だから、別にもういいか、という気持ちだった。助けてくれたということは、あの三人の男も捕まってきちんと処罰してくれるのだろう。叶愛はもうそれでよかった。
 痛みを我慢して腕を持ち上げ、いつまでも泣き続けるクリスの頬に触れる。指で涙を拭えば、クリスは目を丸くする。

「叶愛……」
「別に謝んなくていいよ、クリスのせいとか思ってないし」
「叶愛……私のことを怒っていないの……?」
「怒ってないよ。でも、身体中痛いんだから、クリスがちゃんと僕の面倒見てよ」
「もちろんだよ! 四六時中、付きっきりで叶愛のお世話するね!」
「そこまでしなくていい。幸い、骨折とかはしてないみたいだし」
「ええっ」
「仕事はちゃんとしなよ。しないならクリスにお世話してもらわないから」
「………………………………わかったよ」

 クリスはしょぼんと肩を落とし、頷いた。





 今までもクリスにあれこれしてもらう生活を送ってきたので、体を満足に動かせないこと以外は特に不満もなかった。
 クリスにご飯を食べさせてもらうのもすっかり慣れている。ただ口の中があちこち切れて料理を口に含むだけで沁みて痛い。優しい味付けの料理を、涙目になりながら少しずつ少しずつ食べる。
 毎日の着替えや包帯を替えるのもクリスがしてくれた。面倒を見てと頼んだのは叶愛だが、全ての包帯を替えるのはなかなかに時間がかかり大変な作業だ。さすがにそこまでさせるのは申し訳なく、それは医者にしてもらうと言ったのだが、クリスがやると言い張って聞かないので仕方なく彼にしてもらっている。
 そうして甲斐甲斐しくクリスに世話を焼いてもらいながら数日が過ぎ、体に巻かれる包帯は減り、赤黒かった痣も薄くなってきた。

「大分マシになってきたね。痛みもなくなってきたし、ご飯も美味しく食べられるようになったし」

 叶愛は包帯のほどかれた自分の体を見下ろし、微笑んだ。
 未だ残る傷を消毒してから、クリスが新しい包帯を巻き直す。

「ねえ叶愛、傷が完治したら一緒に旅行に行かない?」

 そう言われて、叶愛はぱちぱちと瞬いた。まさかそんな誘いを受けるとは思わなかったので、驚いてしまう。

「え、なんで?」
「あんなことがあったし、叶愛のいい気分転換になるかなって思って……。叶愛は部屋でゆっくり過ごす方がいいかな?」

 どうやら気を遣ってくれているようだ。クリスは変態で自分の欲望に忠実だけど、こうして叶愛の為にも色々考えてくれるのだ。

「でも、大丈夫なの? クリスは仕事あるのに」
「それは大丈夫だよ。ちゃんと許可はもらってるし、私が数日いなくなっても問題はないよ」

 どうやら既に根回しは済んでいるようだ。叶愛の為にと考えて提案してくれたのだ。断る理由はない。ずっと部屋に籠りっぱなしで、確かに気分転換はしたかった。

「それなら行きたい!」
「よかった。じゃあ怪我が治ったら行こうね」
「うん、楽しみにしてる」

 叶愛の言葉に、クリスは嬉しそうに相好を崩した。





 叶愛との旅行に備え、クリスは精力的に仕事に取り組んだ。叶愛の為ならばこれくらい苦ではない。
 一人で執務室に籠り、ただひたすらに仕事をこなす。叶愛の笑顔を思い浮かべながら、サラサラと書類にペンを走らせていった。

(可愛い叶愛、私だけの叶愛……)

 外見だけは完璧な王子様のクリスが、でれでれした脂下がった顔で仕事をしている姿は幸いにも誰にも見咎められることはなかった。
 その可愛い可愛い叶愛を貶めようとしたユーフェミアのことは許せないが、それなりの身分の家の娘である彼女を罪に問うのは難しい。だが、彼女はあの一件ですっかり怯えクリスの顔を見ただけで顔面蒼白になり震えだすようになっていた。あの様子では二度と叶愛に手出しすることはないだろう。寧ろもう関わりたくないと思っているはずだ。元には戻っても、舌を切られる恐怖と痛みは刻まれ消えることはない。充分に心に傷を負ったであろう彼女のことは、放置することにした。
 だが、叶愛に直接暴力を振るったあの三人の男は今も城の地下牢に繋いでいる。クリスが切り落とした腕は元に戻したので、三人とも五体満足で生きている。簡単に殺すつもりはない。死なないように水と食事を与え、自ら命を絶ってしまわないよう鎖に繋いで口に布を詰め込んでいる。
 三人を捕らえてから、クリスは護衛や兵士や使用人を連れて何度か地下牢へ足を運んでいた。そして彼らの前で、第三王子の婚約者に暴行を働いた罰として三人の男のあらゆる箇所を切り落とした。元に戻してはまた切り落とす。最後はきちんと元に戻して終わらせる。別にクリスが痛みに悶え苦しむ様を見て楽しむためではない。護衛達に見せつけるためだ。
 叶愛を傷つければこうなると、教えているのだ。
 ユーフェミアに協力した、あの兵士のような者が二度と現れないように。因みにあの兵士には三人の男の見張りを命じている。日に日に精神が壊れていく男達を見て、彼自身も徐々に憔悴していってるようだ。
 これで、叶愛を害そうなどと考える者はいなくなるだろう。叶愛を傷つけたり、侮る者はいなくなるはずだ。
 けれど、すすんで叶愛に近づこうともしないだろう。
 叶愛の不興を買い、クリスに告げ口でもされたらどんな罰を受けることになるかわからないのだから。実際、叶愛は余程のことがない限り告げ口などしないだろうが、叶愛の性格なんて誰も知らない。だから不用意に近づけない。
 それでいい。
 叶愛を大切に愛でるのはクリスだけでいい。
 叶愛の存在を蔑ろにはせず、だが過保護に構わない、一定の距離を保って接してくれればそれでいい。
 叶愛を構うのはクリスだけの特権なのだ。
 叶愛が信じ、頼れる者はクリスだけ。そう本人に思い込ませれば、叶愛の世界はクリスの存在で占められる。
 クリスだけを見て、クリスだけに話しかけ、クリスだけに触れてくれる。
 叶愛を自分に依存させたい。
 必要なのはクリスだけだと叶愛に思ってほしい。
 けれどやはり、一人くらいは叶愛を命懸けで守ってくれる護衛は必要だ。クリスは常に叶愛の傍にいられるわけではない。今だって、叶愛は部屋に一人きりだ。こんなとき、陰ながら叶愛を見守ってくれる存在がほしい。決して裏切らず、無闇に近づかず、迷わず叶愛の為に命を捨てられるような存在が。
 それについては今度じっくり考えることにして、クリスは無心になって仕事に取り掛かった。
 もうすぐ叶愛の怪我も完治する。そうしたら、叶愛とラブラブ二人旅行に行ける(実際には護衛がついてくるので二人きりではないが、クリスの中では護衛の存在は無視されている)。その日が今から待ち遠しかった。
 


 
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