聖女のち性欲処理からの

よしゆき

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 夢の中でテオドールに伸ばした手を握られて、体を引き寄せられ、蒼は迷わず彼の胸に飛び込んだ。
 現実だったらできない。でもこれは夢の中だから。
 ぴったりと体を重ね、彼に抱きつく。

「テオドールっ」

 ぎゅうっと、力いっぱい彼の体を抱き締める。

「アオ……」

 夢の中のテオドールは、優しく抱き締め返してくれた。
 だから蒼は、めいいっぱい彼に甘える。すりすりと彼の胸に頬擦りした。
 自分勝手なわがままも、夢の中ならば口にできる。

「テオドール、会いたい、会いたい、テオドールに会いたいよ……っ」
「ああ」
「テオドールに会えなくて、寂しい……すごく寂しくて……っ」

 泣きそうな顔を彼の胸にうずめる。
 このまま離れたくない。ずっとテオドールと一緒にいたい。夢の中ならば、こうして、なにも考えず、彼の傍にいられる。夢の中のテオドールは、蒼を拒絶したりしないから。

「テオドールの顔が見たい、声が聞きたい……会いたいよ、テオドール……」
「アオ……」
「テオドールの傍にいたい……テオドールと、ずっと一緒にいたい……っ」

 現実では決して口にできなかった気持ちを、彼に伝える。

「性欲処理でも、なんでもするから……テオドールの傍にいさせて……」
「…………それはできない」

 きっぱりと断言され、蒼は愕然とする。
 自分は、夢でまで彼に拒絶されるのか。
 夢ですら、彼の傍にはいられないのか。
 涙が溢れ、頬を伝って流れていく。
 テオドールを抱き締めていた腕から力が抜け、だらりと落ちた。
 テオドールの指が、頬を濡らす涙を拭う。
 顔を上げれば、切なげな瞳でこちらを見下ろす彼と目が合った。
 どうしてそんな顔をするのだろう。
 自分で拒絶したくせに。
 傍にいさせてはくれないくせに。
 それなのに、こんな風に優しくするなんて。
 そんなことをされたら、余計に辛いだけなのに。
 無性に腹が立った。
 夢だとわかっていても苛立ちはおさまらず、夢ならば我慢する必要はないと、感情を爆発させる。

「テオドールは勝手だ! 今までずっと、僕を傍に置いてたくせに! 移動中も食事中も、ずっと傍に置いてくれてたのに! それなのに、飽きたからっていきなりそうやって突き放すなんて酷いよ!」
「はあ!? 誰が飽きたなんて言ったんだよ!!」

 言い返されて、ビクッと肩を竦める。
 けれど蒼も、負けじと更に言い返す。夢の中でしか言いたいことが言えないのだ。遠慮しないで吐き出してしまえばいい。そんな心境だった。

「だったらなんで急に帰れなんて言ったの!? 僕に飽きたからでしょう!? 僕が必要なくなったって、そういうことじゃないか!」
「違う! そうじゃねーよ!!」
「嘘だ!」

 蒼はぽろぽろと涙を零す。
 感情のままに喚き散らして、まるで子供のようだ。
 彼の前では、取り繕うことができなくなる。

「嘘つかなくていいよ。自分でもわかってるから。僕は男で、綺麗でも可愛くもないし、なんの取り柄もないし、飽きられたって仕方ない平凡な男でしかないってことは、自分でよくわかってるから」

 蒼の自虐に、テオドールは声を荒げる。

「嘘じゃねーよ! なんで俺が嘘つかなきゃなんねーんだよ! 確かに最初は平凡な男だって、そう思ってたけど、なんの取り柄もないだとか、そんな風に思ったことは一度もねーっつの! 毎日毎晩何回も俺に抱かれて、なんで急に飽きられたなんて勘違いするんだよ!」
「だってっ……じゃあなんでいきなり帰れって……もう必要ないって言ったの!?」
「こっちの世界が、お前にとって危険だからだよ!」
「…………え?」

 予想外のことを言われ、蒼はポカンとテオドールを見つめる。

「お前は、なんの力も持たないただの人間だ。魔物から自分の身を守る術も持たないお前が、俺達に同行してればまた危険な目に遭うかもしれねー。そしたら、今度こそ、殺されるかもしれねーんだぞ」

 テオドールの言葉の意味を、すぐに理解することができなかった。
 時間をかけて理解して、でも信じられなくて、呆然と彼を凝視する。

「テオドール…………僕のこと、心配してくれたの……?」

 テオドールは、顔を歪めた。怒っているような、泣きそうな、そんな表情を浮かべる。

「俺が、お前を心配しないとでも思ってるのか?」

 彼の顔に、言葉に、心臓がぎゅっと締め付けられる。
 魔物に襲われ怪我をしたあのとき、彼が怒っていたのは、蒼が迷惑をかけたからだと思っていた。すぐに助けを求めず、勝手な判断で余計なことをして、子供も危険な目に遭わせてしまった。だからあんな風に蒼を責めたのだと、そう思っていた。
 彼があのときどんな気持ちでいたのか、全くわかっていなかった。

「ごめ……ごめんなさいっ……心配かけて、ごめんなさい……っ」

 泣きじゃくる蒼を、テオドールが抱き締めてくれた。
 蒼の背中を撫でる手は優しくて、心まで包み込まれているような気持ちになった。
 もう夢の中だとか、そんなことは頭になくて、蒼はただ自分の気持ちを吐露する。

「お願い……テオドールの傍にいたい、傍にいさせて……」
「だから、それは……」
「テオドールが好き」
「っ…………」
「好きだから、一緒にいたい……性欲処理じゃなくても、雑用係でもなんでもいいから……テオドールの傍にいたい……」

 言いながら、漸く蒼は自分の気持ちに気づいた。
 彼が好きだ。無口で無愛想で、でもちゃんと相手を気遣って行動する、不器用で優しいテオドールが好きなのだ。
 だから、彼と離ればなれになってこんなにも辛い。悲しくて寂しくて、胸が苦しい。

「好き、テオドールが好き、ずっと一緒にいたい……」

 ぐしゃりと、テオドールの大きな手が蒼の頭を乱暴に撫でた。

「馬鹿だろ、お前。俺を、好きなんて……」
「馬鹿でもなんでも、テオドールが好き」
「っ…………今まで散々、お前を性欲処理として扱ってきた男だぞ、俺は」

 性欲処理とは言われてきたが、彼が独りよがりな行為を蒼に強いたことはない。蒼をただのオナホールのように扱ったことなどない。
 だからこそ、蒼は彼を一度も拒まなかった。
 本当に「物」のように蒼で性欲処理をするような相手だったら、さすがに拒絶していただろう。
 テオドールはいつも優しかった。自分だけでなく、蒼を感じさせてくれた。セックスが気持ちのいいものなのだと、蒼に教えてくれた。
 羞恥を感じることはあっても、嫌だと思ったことはない。痛みを与えられたこともない。
 彼が相手だから身を任せられた。体を明け渡して、怖いほどの快楽も、羞恥も受け入れられた。
 テオドールだから。

「性欲処理でも、僕は、テオドールにされるの、嬉しかった」
「それは……」
「僕が淫乱だからじゃないよ! 感じやすいのかもしれないけど……でも、テオドールだから、抱いてもらえたら嬉しいし、抱かれたいって思うんだ……テオドールが、好きだから」
「っアオ……」

 痛いくらい強く抱き締められる。
 胸に押し付けられて彼の表情はわからないけれど、蒼の名前を呼ぶ彼の声音は切ない熱を孕んでいた。

「テオドール……?」
「っくそ……なんで夢ん中で、そんなこと言うんだよ……っ」
「え……?」
「こんなん、起きたら辛いだけじゃねーかっ」

 どうして夢の中の彼がそれを言うのだろう。

「そ、それはこっちのセリフだよ……! テオドールが先に、僕のこと心配したとか言ってくるから、だから僕も……っ」
「人のせいにすんなっ」
「テオドールのせいだもん! 夢だからって、都合よく僕の喜ぶようなこと言うから!」
「それこそ俺のセリフだろ! なんだよこの夢!」
「だからなんでテオドールが言うの!」
「お前こそなんでそれをお前が言うんだよ!」

 気づけば、なぜか言い合いになっていた。
 そんな無駄な争いを止める第三者の声が頭上から降ってくる。

「はいはーい、そこまでですよ、二人とも」
「ユリアルマ!?」
「なんでテメーが俺の夢に出てくんだよ」
「いや、これは僕の夢だから」
「はあ?」

 蒼はテオドールと顔を見合わせる。お互い怪訝な表情を浮かべていた。
 どうにも会話が噛み合わない。夢だから仕方がないのかもしれないけれど。けれど夢にしては違和感がありすぎるような気がする。
 するとユリアルマが得意気に胸を張って説明をはじめた。

「これは二人の夢であって、夢ではないのですよ」
「あ?」
「え? どういうこと……?」
「私が二人の夢を繋げて、二人を引き合わせたのです。ここは夢の中の世界ですが、二人は夢の中の登場人物ではなく、現実の二人です。二人の言動はお互いの願望でもなんでもありません」

 蒼はまじまじとテオドールを見上げた。

「じゃあ、テオドールが僕のことが心配で、だから帰れって言ったのは、ほんとのことなの……? ほんとに僕に飽きたからじゃなくて……?」

 信じられない気持ちで見つめていると、彼も同じような顔で蒼を見つめ返す。

「じゃあ、こいつが俺のことが好きだとか言ってたのも、夢じゃなく、全部ほんとなのか……?」
「あっ……」

 言われて、蒼は自分がとんでもないことを口にしてしまったことを思い出す。夢だからと、遠慮も恥じらいもなく気持ちを暴露してしまった。
 途端に羞恥が込み上げる。赤面し、話を逸らしたくてユリアルマに声をかける。

「ゆ、ユリアルマ、な、なんで、こんなことしたの……?」
 
 動揺のせいで思い切り声は上擦っていた。
 ユリアルマは肩を竦ませる。

「お二人が、それはもうこの世の終わりのように落ち込んでいるからですよ」
「んな落ち込んでねーよ」
「そんなに酷くなかったよ。ちゃんと日常生活送れてたし」

 蒼とテオドールが否定すると、ユリアルマはやれやれと嘆息した。

「いーえ! 廃人のように落ち込んでました!」

 きっぱりと言い切られ、落ち込んでいたのは確かなので蒼は口を閉ざす。
 そして、ユリアルマの言うことが大袈裟だとしても、テオドールも落ち込んでいたのだと思うと嬉しくなった。蒼がいなくなって、彼も少しは寂しいと感じてくれたのだろうか。会いたいと思ってくれていたのだろうか。

「それで、見るに見かねてこういった手段に出たわけです。夢を繋げてお二人を会わせて、話をしてもらおうと思いまして」

 ユリアルマはテオドールに顔を向けた。

「テオドール、蒼さんの気持ちは聞きましたね」
「…………」
「貴方はどうなんですか? このまま、蒼さんと離ればなれのままでいいんですか?」
「それは……」

 テオドールは逡巡するように口を閉ざす。
 蒼は黙って彼の答えを待った。また、突き放されてしまうのだろうか。このまま、会えないままでいいと言われてしまうのだろうか。

「俺が、なんの為にこいつを元の世界に帰したと……」

 テオドールはユリアルマを睨み付け、絞り出すように言った。

「ああ、テオドールは蒼さんを危険な目には遭わせたくないのですね」
「そうだ」

 ユリアルマの言葉をテオドールがきっぱりと肯定する。それを聞いて蒼は胸がきゅんとなった。
 心がときめいてしまうのを止められない。一人できゅんきゅんしてしまっているのを知られたくなくて、蒼は赤くなる顔を俯けた。
 そんな蒼を気に留めず、二人は会話を続けている。

「蒼さんの安全が保証されればいいんですね」
「そんなことできるのかよ」
「貴方の守りの魔力を込めた指輪を蒼さんに身につけてもらえば大丈夫ですよ。蒼さんに危険が迫れば魔力が発動して蒼さんを守ってくれます」

 ユリアルマはにっこり笑って言った。

「私が作ってもいいのですけど、蒼さんを守りたいと思っているのはテオドールなので、貴方が用意した方がいいでしょう」
「…………」
「それがあれば、蒼さんは大丈夫です」
「…………」
「さあテオドール、貴方の正直な気持ちを聞かせて下さい」

 テオドールは、ユリアルマではなく蒼に顔を向けた。
 蒼をまっすぐに見つめる。その瞳は今まで見たことがないくらい真剣な色を帯びていた。

「俺は、アオに傍にいてほしい」
「っ……」

 言葉にできないほどの歓喜に胸が締め付けられる。喜びに、じわりと涙が浮かんだ。

「なに泣きそうになってんだよ」
「だ、だって……嬉しくて……っ」
「お前俺のこと好きすぎだろ」
「うんっ、好き……」

 思わず素直に口にしてしまい、言ってから羞恥が押し寄せ、顔を赤くする。
 するとテオドールの頬も僅かに紅潮していた。照れたような彼の顔を見て、蒼の胸はドキドキと高鳴った。

「お前、自分で言って照れるなよ」
「だ、だ、だってっ……」
「はいはいはーい、そこまでにして下さいね」

 なんとも言えない甘酸っぱいやり取りを、ユリアルマの抑揚のない声が遮った。

「私の存在を忘れてイチャイチャしないで下さーい」
「してねーよ」
「してないからっ」
「はいはい息ぴったりお似合いですよお二人さんひゅーひゅー」

 ユリアルマは真顔で感情のない棒読みで言った。
 蒼は無性に恥ずかしかったが、テオドールはもういつものように平然としていた。

「結論も出ましたし、一度目を覚まして下さい。ここは夢の中なので、目を覚ましたら蒼さんを改めて迎えに行きますから」
「あ、うん……」

 頷きながらも、蒼は不安げにテオドールを見つめた。
 本当に、またそちらの世界に行ってもいいのだろうか。足手纏いの蒼がいても迷惑にならないか。
 ネガティブな蒼は、今さらそんなことを考えてしまう。
 そんな蒼の不安を掻き消すように、テオドールは口を開いた。

「待ってる」

 いつもの無表情で、ただ一言そう言った。
 けれどそのたった一言に、蒼の気持ちは容易く浮上した。
 自分でも単純すぎると思うが、嬉しいのだから仕方ない。
 テオドールがそう言ってくれるのなら、蒼はどこにだって行く。

「うんっ、待ってて!」

 満面の笑顔を彼に向けて。
 次の瞬間、蒼は現実に戻っていた。
 見慣れた自分の部屋の天井が目の前に広がっている。
 ベッドの上で、ゆっくりと体を起こした。
 もちろんテオドールの姿はない。
 暗い室内に一人きり。
 ぞわっと悪寒が背筋を走り抜けたとき。

「蒼さん、お迎えにあがりましたよー」

 パッと目の前に、見惚れるほど可愛らしい美少女が現れた。

「ユリアルマ……」

 蒼の双眸にじわりと涙が浮かぶ。
 ぐすっと鼻を啜る蒼を、ユリアルマは優しく見守っていた。

「ほ、ほんとに、夢じゃなかったのっ……? ほ、ほんとに、僕、また、テオドールに会えるのっ……?」
「ええ、そうですよ」

 ユリアルマの手が蒼の頬を包む。しっかりと彼女の温もりが伝わってきて、これが現実だと教えてくれる。
 ぶわっと、涙が溢れた。

「目、覚めたら、一人きりでっ……し、心臓に悪いよっ……また、ただの夢で……あれは都合のいい夢で……テオドールの言葉も、全部、夢だったのかと、思ってっ……」

 夢が幸せであればあるほど、目覚めたときの絶望は大きい。
 感情が昂って、蒼は子供のように泣きじゃくる。

「うぅっ、こわ、怖かったよぉっ……」

 ユリアルマの小さな手が、優しく頬を撫でてくれる。

「大丈夫。夢ではありませんよ。テオドールと会ったことも、彼の言葉も、全部」
「ほんとっ……?」
「ええ。テオドールは向こうの世界で、蒼さんを待っていますよ」

 ユリアルマの言葉に、更にぽろぽろと涙が零れた。
 泣きながら、蒼はユリアルマの手に自分の手を重ねる。

「ありがとう、ユリアルマっ……テオドールに、会わせてくれて……」
「お礼なんていいんですよ」

 ユリアルマは慈愛に満ちた笑顔を浮かべ蒼を見つめる。

「元はと言えば、私が無理やり蒼さんを巻き込んだのが発端ですからね。そのせいで、蒼さんにもテオドールにも、辛い思いをさせてしまいました。お二人の苦しむ姿は見たくありませんから」
「ユリアルマのせいじゃないよっ……ユリアルマのお陰で、テオドールに会えたんだからっ……だから、ありがとう、ユリアルマ」

 蒼が強くそう言うと、ユリアルマは優しく目を細めた。

「さぁ、涙を拭いてください。遅くなるとテオドールに怒られてしまいます」

 ユリアルマに手渡されたハンカチで涙を拭う。

「もう一度蒼さんのコピーを作って、こちらの世界で蒼さんとして生活してもらいますね。コピーは蒼さんと同じように歳を取って、こちらの世界での蒼さんの人生を全うすることができます。もちろん、蒼さんが戻りたくなれば、すぐにこちらの世界に戻ってくることは可能ですよ。ご家族にも会いたいでしょうし」
「えっ……それって、大変なことじゃないの……? ユリアルマの負担になるなら、僕は……」
「いえ、全く。私は秩序を司る大精霊ですから、無茶とかはしません。大変なことではないことしかしません」
「そ、そうなの……? 世界を何度も行ったり来たりするのって、すごく大変なことなのかと……」
「全然大したことではありませんよ」

 ユリアルマはけろりと言ってのける。
 背筋を伸ばし、蒼は頭を下げた。

「それじゃあ、よろしくお願いします」
「はい。ではテオドールのところへ行きましょう」
「えっ……」

 心の準備を整える間もなく、次の瞬間には蒼は違う場所にいた。
 恐らくどこかの宿屋の一室だろう。目の前には、ベッドに腰掛けるテオドールの姿があった。ユリアルマはいない。室内には蒼とテオドールの二人きりだ。

「て、テオドール……」

 そっと声をかけると、ギロリと睨まれた。
 蒼はビクッと肩を竦める。

「おせーんだよっ」
「あ……」
「夢かと思っただろーがっ」

 悪態をつくテオドールに、彼も蒼と同じ不安を抱いていたのだと気づいた。

「ご、ごめ……んわっ……!?」

 謝罪の途中で腕を引っ張られ、彼の胸に飛び込む。そのまま、倒れるように二人でベッドに転がった。
 テオドールの指先が、赤くなった蒼の目元を撫でる。

「また泣いてたのか」
「う……」

 顔を覗き込まれ、蒼は言葉を詰まらせた。
 いい歳して、最近泣きすぎだ。
 恥ずかしくて顔を隠したいのに、テオドールの手に頬を押さえられ動かせない。
 真正面からテオドールと見つめ合う。
 思えば、こうして現実で彼と顔を合わせるのは久しぶりだ。夢ではない。本当に目の前に彼がいるのだ。蒼を見つめ、蒼に触れている。
 ずっと焦がれていた相手と、また会えたのだ。
 実感すると、また涙が浮かんでくる。

「テオドール……っ」
「また泣くのかよ」

 呆れたように言いながら、テオドールは抱き締めてくれた。体を包む彼の腕は優しい。
 蒼は彼の胸に顔を埋めた。温もりを求めるように、彼にしがみつく。

「会いたかった、ずっと……っ」
「ああ。俺も、会いたかった」

 その言葉に、また新たな涙が溢れて止まらなくなる。
 彼に会えたことも、彼が会いたいと思ってくれていたことも嬉しくて、胸にぽっかり開いていた穴が満たされていくのを感じた。
 テオドールの掌が、背中を撫でてくれる。
 彼の体温が心地よくて、蒼はぴったりと身を寄せた。
 互いの体を抱き締め、寄り添いながら、二人はそのまま眠りに落ちた。久しぶりの穏やかな眠りだった。




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 読んでくださってありがとうございます。



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