2 / 9
2
しおりを挟む着いたのは、カポックと呼ばれる街だった。
レンガ造りの建物が、整然と立ち並んでいる。道行く人々は店の前で足を止め、思い思いに買い物を楽しんでいた。安穏とした雰囲気の漂う、豊かな街だ。
瑞樹と榊は道沿いの店に視線を向けながら、街の中へと足を進める。
「飲食店は色々あるようですね。どこにしますか?」
「オレが選んでいいのか?」
「ええ。もうお昼は過ぎていますし、この時間帯ならどの店も空いていると思いますよ」
「そうだな……」
選んでいいと言われ、瑞樹は早速店を探す。
どうせなら、安い食堂ではなくそれなりの店でたらふく食ってやろうと考えていた。
「あっ、あそこがいい!」
瑞樹が指を差したのは、道の角にある店だった。外観がお洒落で、清潔感溢れている。高級過ぎないので瑞樹も気軽に入れるが、料理の値段はそこそこに高そうな雰囲気の店だ。奢りでなければ、瑞樹は絶対に選ばなかった。
「じゃあ、入りましょう」
榊は文句も言わず、店のドアを開けた。彼に促され、瑞樹は先に中に足を踏み入れる。
店内は、可愛らしい雰囲気に包まれていた。白いレースのテーブルクロスがかけられたテーブルが並び、鮮やかな花が壁に飾られている。
他に客はいなかった。
「あらぁ、いらっしゃぁい」
そう言ってカウンターから出てきたのは、フリフリの純白エプロンを身につけた逞しい体格の大男だった。どうやら彼がこの店の店主のようだ。鍛えられた肉体とレースとリボンがふんだんに散りばめられたエプロンは誰が見ても違和感しかなかったが、瑞樹も榊もそのことについて一言も触れなかった。
二人は窓際のテーブル席に着く。店主が近づいてきて、水の入ったグラスをテーブルの上に置いた。
「あらあらあら」
店主は榊を見つめ、頬を染めて身をくねらせる。
「やだぁ。なんてステキな神父サマなのぉ。アタシ、すっごく好みだわぁ」
「ありがとうございます」
にこりと穏やかに微笑む榊を、瑞樹はメニュー越しに、呆れたような感心したような眼差しで見つめた。
フリフリエプロンを身につけたゴツい男に言い寄られて少しも笑顔を崩さないなんて、さすが神父と言うべきなのか。
「で、ご注文は?」
尋ねられ、榊は店主から瑞樹へと顔を向ける。
「どうしますか?」
「なに頼んでもいいのか?」
「構いませんよ」
榊が頷くのを確認し、瑞樹はメニューを見ながら軽く息を吸い込んだ。
「んじゃ、クリームきのこのパスタにトマトのドリア、魚のホイル焼きとレモンバターのステーキ、それにカボチャのスープと海藻サラダ」
「…………それ、まさかアンタ一人で食べる気?」
「当たり前だろ」
頬をひきつらせる店主に、瑞樹は事も無げに頷いた。
店主が尋ねるように榊に視線を向ければ、彼はにこりと笑顔を浮かべる。
「私はコーヒーをお願いします」
動じることもなく、榊は自分もオーダーを済ませる。
「…………わかったわ。注文されたものを作るのがアタシの仕事ですもの。ただし、残したら承知しないわよっ」
ビシッと指を差してポーズを決めてから、店主は厨房へと姿を消した。この店は彼が一人で切り盛りしているのだろうか。
それから、次々と料理がテーブルに運ばれてきた。大変そうな店主を尻目に、瑞樹は嬉々としてそれらに手をつけていく。
そんな瑞樹を、榊は唇に笑みを乗せて眺めていた。
「瑞樹さんはとても嬉しそうに食事をなさいますね」
「美味いもんを食べてるときが一番幸せだからな」
「そうですか」
「女のくせに、とか思ってんだろ」
ステーキを切りながら、瑞樹は榊に視線を向ける。すると榊は、柔らかく目を細めて微笑んだ。
「そんな風には思いませんよ。楽しそうに食事をする瑞樹さんを見ていると、こちらまで楽しくなります」
そう言う榊の笑顔は本当に綺麗で、瑞樹はドキッとする。
金塊や宝石よりもずっと美しく、清らかだ。
今まで生きてきて、こんなに綺麗な人間を見たことがなかった。
瑞樹を盗賊と知って尚、こんなに優しく微笑みかけてくれる者など一人もいなかった。
(変なヤツ……)
それとも、神父とは皆こうなのだろうか。
他人の物を盗む罪人にも、平等に優しさを振り撒く。それが彼らの仕事なのだろうか。
(哀れんでるってことか?)
もしそうならば不愉快だが、わざわざ口に出して指摘することはしなかった。せっかくの楽しいランチタイムを台無しにしたくない。だから瑞樹はそれ以上余計なことは考えず、食事に専念することにした。
黙々と食べていると、厨房から人が出てくるのが見えた。
新しい料理が運ばれてくるのかと思ったが、現れたのはゴツい店主ではなく栗毛の少女だった。歳は十五歳くらいだろう。
「それじゃあ、私はこれで失礼します」
少女は厨房の奥に向かってペコリと頭を下げる。店主に言っているのだろう。彼女はこの店の従業員のようだ。店主一人で営業しているわけではないらしい。
振り返った少女の顔はひどくやつれていた。憔悴しきった様子で、覇気がない。
少女は顔を上げ、瑞樹達の姿を目に映す。すると、少女の双眸がハッとしたように大きく見開かれた。
「神父様!?」
少女は叫び、こちらに駆け寄ってくる。
「神父様、私、霞・ディルフィスと申します。どうか、どうかお祈りをお願いしますっ」
胸の前で両手を組み、少女は榊に懇願する。彼女はとても思い詰めた表情をしていた。
榊は少女を安心させるように、大きく頷く。
「もちろん構いませんよ」
「ありがとうございますっ」
霞は涙を浮かべ、大仰に頭を下げる。
「とりあえず場所を移動しましょう。ここでは無理なので」
「はい。私の家へご案内します」
榊は立ち上がり、瑞樹の方を振り返る。
「すみません、一人にしてしまうことになりますが……」
「いいから、さっさと行ってこいよ。オレは別に、金さえ払ってもらえればそれでいいし。たぶん、お祈りが終わってもここで食べてると思うから」
「そうですか」
瑞樹が気にするな、というように手を振れば、榊はほっと頬を緩めた。
そこへ、霞が遠慮がちに口を挟んでくる。
「あの、神父様、こちらの方は……?」
怪訝そうに、チラリと瑞樹へ視線を向ける。どうやら、カツアゲでもされているのかと心配しているようだ。
「私の命の恩人なんです」
榊はさらりと言う。
「は、あ……」
冗談とも本気ともつかない答えに、霞は曖昧に首を傾げた。
瑞樹は敢えて口を挟まず、ただひたすらに食事を続ける。
「そうだ、瑞樹さん」
「んあ?」
「これをあなたに預けておきます」
そう言って、榊は首に提げていた十字架を瑞樹に渡す。
「私がここへ戻ってくる証明に」
「別に疑ってねーよ」
他の人間ならばその可能性は充分に考えられるが、教会に属する榊が人を騙すような真似をするとは思えない。
返そうとするが、榊がそれを遮った。
「一応、預かっていてもらえませんか? その方が、私が安心できるので」
「…………まあ、そう言うなら」
別に預かるくらい大したことではないので、瑞樹は受け取った十字架をポケットに押し込んだ。
「お待たせしてすみません。行きましょう」
「は、はい」
榊は霞を促し、連れ立って店をあとにした。
「霞ちゃんも、可哀想にねぇ……」
いつの間に近づいてきたのか、傍らに立つ店主が頬に片手を当ててほう……と溜め息を零した。もう片方の手に持っていたスープの皿を、テーブルに置く。
「なんかあったのか?」
パスタを啜りながら、瑞樹は何気なく尋ねた。
「霞ちゃんのお姉さん、行方不明になっちゃったのよ」
「行方不明?」
「そう。用事があって出ていったっきり、帰ってこないんですって。どこにいるのか、手掛かりもなにも見つからないのよ。それで霞ちゃん、すっかり元気なくしちゃって……」
「ふーん……」
だから、あんなに切羽詰まっていたのだ。霞の様子を思い出し、瑞樹は納得した。
今、彼女は正に、神に縋る思いなのだ。
「見てて本当に可哀想で……。アタシに力になれることがあればいいんだけど……」
店主はエプロンのポケットからレースのハンカチを取り出し、目尻に浮かぶ涙を拭う。
「やだわ。アタシってば、お客様の前で……。顔洗ってこなくちゃ」
奥へ引っ込もうとする店主を、瑞樹は引き止めた。
「あっ、待っておっちゃん。チーズハンバーグ追加で」
次の瞬間、可愛らしい店内に似つかわしくない野太い怒声が店中に響き渡った。
「おっちゃんって呼ぶんじゃねぇっ!!」
────────────
読んでくださってありがとうございます。
0
お気に入りに追加
50
あなたにおすすめの小説
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
婚約破棄されたら魔法が解けました
かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」
それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。
「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」
あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。
「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」
死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー!
※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です
【完結】傷物令嬢は近衛騎士団長に同情されて……溺愛されすぎです。
早稲 アカ
恋愛
王太子殿下との婚約から洩れてしまった伯爵令嬢のセーリーヌ。
宮廷の大広間で突然現れた賊に襲われた彼女は、殿下をかばって大けがを負ってしまう。
彼女に同情した近衛騎士団長のアドニス侯爵は熱心にお見舞いをしてくれるのだが、その熱意がセーリーヌの折れそうな心まで癒していく。
加えて、セーリーヌを振ったはずの王太子殿下が、親密な二人に絡んできて、ややこしい展開になり……。
果たして、セーリーヌとアドニス侯爵の関係はどうなるのでしょう?
ぽっちゃりな私は妹に婚約者を取られましたが、嫁ぎ先での溺愛がとまりません~冷酷な伯爵様とは誰のこと?~
柊木 ひなき
恋愛
「メリーナ、お前との婚約を破棄する!」夜会の最中に婚約者の第一王子から婚約破棄を告げられ、妹からは馬鹿にされ、貴族達の笑い者になった。
その時、思い出したのだ。(私の前世、美容部員だった!)この体型、ドレス、確かにやばい!
この世界の美の基準は、スリム体型が前提。まずはダイエットを……え、もう次の結婚? お相手は、超絶美形の伯爵様!? からの溺愛!? なんで!?
※シリアス展開もわりとあります。
伝える前に振られてしまった私の恋
メカ喜楽直人
恋愛
母に連れられて行った王妃様とのお茶会の席を、ひとり抜け出したアーリーンは、幼馴染みと友人たちが歓談する場に出くわす。
そこで、ひとりの令息が婚約をしたのだと話し出した。
王子好きすぎ拗らせ転生悪役令嬢は、王子の溺愛に気づかない
エヌ
恋愛
私の前世の記憶によると、どうやら私は悪役令嬢ポジションにいるらしい
最後はもしかしたら全財産を失ってどこかに飛ばされるかもしれない。
でも大好きな王子には、幸せになってほしいと思う。
あなたは推しません~浮気殿下と縁を切って【推し】に会いに行きたいのに!なぜお兄様が溺愛してくるんですか!?
越智屋ノマ@甘トカ【書籍】大人気御礼!
恋愛
――あぁ、これ、詰むやつ。
月明りに濡れる庭園で見つめ合う、王太子とピンク髪の男爵令嬢。
ふたりを目撃した瞬間、悪役令嬢ミレーユ・ガスタークは前世の記憶を取り戻す。
ここは恋愛ゲームアプリの世界、自分は王太子ルートの悪役令嬢だ。
貴族学園でヒロインに悪辣非道な仕打ちを続け、卒業パーティで断罪されて修道院送りになるという、テンプレべたべたな負け犬人生。
……冗談じゃありませんわよ。
勝手に私を踏み台にしないでくださいね?
記憶を取り戻した今となっては、王太子への敬意も慕情も消え失せた。
だってあの王太子、私の推しじゃあなかったし!
私の推しは、【ノエル】なんだもの!!
王太子との婚約破棄は大歓迎だが、断罪されるのだけは御免だ。
悠々自適な推し活ライフを楽しむためには、何としても王太子側の『有責』に持ち込まなければ……!
【ミレーユの生き残り戦略】
1.ヒロインを虐めない
2.味方を増やす
3.過去の《やらかし》を徹底カバー!
これら3つを死守して、推し活目指してがんばるミレーユ。
するとなぜか、疎遠だった義兄がミレーユに惹かれ始め……
「王太子がお前を要らないというのなら、私が貰う。絶対にお前を幸せにするよ」
ちょっとちょっとちょっと!?
推し活したいだけなのに、面倒くさいヒロインと王太子、おまけに義兄も想定外な行動を起こしてくるから手に負えません……!
ミレーユは、無事に推し活できるのか……?
* ざまぁ多めのハッピーエンド。
* 注:主人公は義兄を、血のつながった兄だと思い込んでいます。
【完結】この冤罪の多い世界で生き抜くには、優秀な部下が必要だったようです
Cattleya
恋愛
スカーレット・ルナーティア伯爵令嬢である。
父譲りの鋭い目付きと口下手が災いして婚約者からは疎まれる続ける日々。
知らぬ間に浮気されていて、冤罪を押し付けられてしまう。
社交界では婚約破棄ブームが流行っており、このままではスカーレットもその被害者の1人になってしまう。
自分はやっていないと言おうとしているのに相手は聞く耳を持たない。
スカーレットは、冤罪で断罪される運命だと悟る。
その絶望で、目の前が真っ暗になった時、
「救ってあげましょうか。」
彼女がよく見知った天使のような容姿をした青年が声をかける。
====================================
ゆるゆる設定。
ショートショート。
※息抜きに書いた作品です。
※執筆初心者なのでお手柔らかに。
※ご都合主義的展開あります。
※誤字脱字がありましたら申し訳ないです。
※感想やコメントがありましたら、今後の執筆の励みになりますので嬉しいです。特別な事情がない限り感想は全て公開します。
※4話完結の予定。
※ファンタジー要素あり。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる