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環の場合
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しおりを挟む女子高生の山崎環はサッカー部のマネージャーだ。
サッカー部の部員である村上直也は一つ下の後輩。
環は何度も彼に告白されていた。そしてそのたびに軽くあしらっていた。それでも彼はめげずに告白してくる。
環は彼のことが嫌いなわけではない。恋愛対象として見ていないわけでもない。寧ろ逆だった。彼のことが好きなのだ。彼に本気で恋をしている。
体つきはがっしりしていて、整った容貌は喜怒哀楽をわかりやすく表現する。子供のように無邪気な笑顔が可愛い。人懐っこい大型犬のようだ。
普段は明るくてお調子者で、誰にでも気さくに接する裏表のない性格。サッカーが大好きで、こと試合になるといつものひょうきんな雰囲気がガラリと変わる。最初はそのギャップに惹かれた。それから目で追うようになり、誰よりも努力し、常に何事にも真っ直ぐに向き合う彼を自然と好きになっていった。
まずいと気づいたときには、完全に彼に恋をしていたのだ。
必死に自分の気持ちを押し殺そうとしているのに、彼は何度も告白してくる。
「環先輩が好きです、付き合ってください」
ストレートな告白に、環の心は毎度歓喜に震える。それを決して態度に出さず、「はいはい、あたしががあんたを好きになったらね」と素っ気ない返事で答える。
もうとっくに好きになっているのに。身も心も捧げても構わないくらい、彼に恋い焦がれているというのに。
環は絶対に、彼の気持ちに応えてはいけないのだ。
彼に好きだと言われるたび、環は理性を総動員させ、それを突っぱねる。好きな人が傍にいて、好きだと言ってくれる状況で、それがどんなに辛いことか彼は気づかない。環の努力も知らず、何度もこちらの心を揺さぶってくる。
自分のことは早く諦めてほしいという思いと、このまま好きでいてほしいという思いがせめぎ合う。彼が自分以外の人を好きになりその人と付き合うことになったらと思うと、胸が潰れるように痛んだ。本気で告白してくれる彼を何度も傷つけておいて、自分に悲しむ権利などないとわかっている。
苦しむだけだとわかっていたから、恋をしてはいけないと、今まで自分に散々言い聞かせてきたのに。一度好きになってしまったら、彼への思いは大きくなる一方で。応えることもできないまま、ただただ思いを募らせる。
傍にいるだけでも辛いのに、名前を呼ばれ、好きだなんて言われてしまえば、どうしても体が反応してしまう。
正直、限界が近づいていた。
このままでは、マネージャーをつづけるのは難しいかもしれない。
環が危機感を覚えはじめた、ある日のこと。
その日は大雨でグラウンドが使えず部活が休みだった。放課後、環が部室に向かったのは掃除のためだ。まめに掃除はしているが、使っているのが十人以上の男子高校生ともなると、すぐに汚されてしまうのだ。
マネージャーは環の他にも二人いるが、部活が休みの日まで彼女達を付き合わせるのは申し訳ない。わざわざ休みの日に部室の掃除をするのは、掃除が環の趣味だからだ。一人で、徹底的に掃除をしたかった。だから、環は一人で部室に入る。
当然、室内には誰もいなかった。
腕捲りをしながら、イスの上のTシャツに気がついた。誰かがしまい忘れたのだろうと、何気なく手に取る。
広げて持ち主を確認し、環はハッと息を呑んだ。
村上のTシャツだ。しかも、洗濯前。昨日部活で着ていたものだろう。
環はTシャツを手にしたまま、動けなくなった。
村上のTシャツ。彼が着たTシャツ。彼の汗を吸い込んだTシャツ。彼の匂いが染み付いたTシャツ。
呪文のように、ぐるぐると頭の中を駆け巡る。
ダメだ、と冷静な自分が制止の声を上げる。今ならまだ引き返せる。お前は変態になりたいのか、今すぐこの手を離すのだ、と。
わかっている。わかっているけど、環の手はTシャツをしっかりと掴んだまま離れない。
少しくらいいいじゃないかと、囁く声が聞こえる。ちょっと匂いを嗅ぐくらい、許されるはずだ。だってどんなに好きでも本人とは付き合えない。最近では目を合わせることも我慢しているのだ。指一本触れないように気をつけているし、不用意に近づかないよう細心の注意を払っている。必死に彼への思いを抑えているのだ。
溜まりに溜まった村上への欲求が、環を変態の道へと誘う。
少しだけ。ほんの少しだけだから、と言い訳を繰り返す。ちょっと匂いを嗅げば、満足できる。村上にも、誰にも気づかれずに済ませればなんの問題もない。Tシャツを盗もうってわけではないのだ。舐めたりしゃぶったりするわけでもない。ただ匂いを嗅ぐだけ。それだけなのだ。
ごくりと喉が鳴る。
ゆっくりと、Tシャツを顔に近づけた。
村上の匂いが鼻を掠める。
それだけで、環は発情した。そうすると、もう我慢なんてできなかった。
彼の匂いを思い切り吸い込む。
とろりと思考が蕩けてゆく。
少しだけ、と言うにはあまりにも長い時間、環はTシャツの匂いを堪能しつづけた。完全に理性を手離していた。
頬は紅潮し、瞳を潤ませ、発情した顔でTシャツの匂いを嗅ぐ環は、端から見れば紛うことなき変態だった。当の本人はその事実に気づかず、ひたすら匂いを嗅いでいる。
体が火照り、お腹の奥が疼く。無意識に太股を擦り合わせた。溢れた蜜で、下着はすっかり汚れていた。
もはや自分では止められなくなっていた。すでに止めるつもりもなくなっていた。
だから、部室のドアが開けられても、環はTシャツを手離さなかった。ぼんやりと、現れた人物に目を向ける。
「っと……、環先輩、いたんですか」
「むらかみ……」
幸か不幸か、部室に入ってきたのはTシャツの持ち主である村上だった。
彼は嬉しそうに笑顔を浮かべ、近づいてくる。環の異変には気づかず、いつものように声をかけてきた。
「部活休みなのに、どうしたんですか?」
「むらかみ……」
「俺は、昨日Tシャツ持って帰るの忘れちゃって……。って、環先輩が持ってるの、俺のTシャツですか?」
「ん……」
「……先輩? どうしました?」
漸く、環の様子がおかしいことに気づいたようだ。
「顔、赤くないですか? もしかして、熱があるんじゃ……」
村上は無防備に環の顔を覗き込んでくる。
すっかり発情している環にとって彼が近くにいるだけでも堪らないのに、こんなに間近から見つめられ、もう我慢などできない。Tシャツじゃなく、直接彼の匂いを嗅ぎたい。彼に触れたい。触れてほしい。村上が欲しい。
「村上……」
欲望の赴くまま、彼に手を伸ばす。
「先輩……?」
村上の顔に戸惑いが浮かんだ。
環は構わずに彼の頬に触れる。ただ触れただけでゾクゾクと背筋が震えた。
「村上……」
顔を近づけ、キスをしようとして、ぐいっと肩を押し返された。環の手から、Tシャツが落ちる。
「ちょ、なに考えてるんですか、先輩!?」
信じられないようなものを見る目で村上が自分を見ていた。
肩を掴む彼の手には痛いくらい力が入っている。それは、環を拒絶する強さだ。
そこで環は理性を取り戻す。同時に、拒絶されたショックに襲われる。
涙が零れた。
自分は遂にやってしまったのだ。取り返しのつかないミスを犯してしまった。
「ご、ごめん……!!」
謝罪を残し、環は逃げた。部室を飛び出す。呼び止める声が聞こえたが決して足は止めなかった。
家に帰り、環は泣いた。
村上の顔が頭から離れない。信じられない、という彼の表情が。
軽蔑された。今まで告白を受け流してきたくせに、Tシャツの匂いを嗅いで欲情し、キスをしようと迫るはしたない淫乱尻軽女だと思われたに違いない。
もう無理だ。とてもじゃないが、村上と顔を合わせられない。彼の反応を考えたら、怖くて顔なんて見られない。
泣いて泣いて泣き疲れ、いつの間にか眠っていた。
そして、望んでもいないのに当然のように朝はやってくる。
翌日。登校してすぐ、環はサッカー部の顧問に退部届けを渡した。突然のことに驚き引き止めようとする顧問に、適当な理由を告げて強引に退部届けを押しつけた。色々と言いたそうな顧問を無視してさっさと職員室を後にする。
無責任なのはわかっている。こんなやり方は間違っている。でも、どうしてもダメなのだ。
幸い、環が辞めてもマネージャーは二人残っている。サッカー部のマネージャーになりたがっている女子生徒も多い。環の代わりはすぐに見つかるだろう。
迷惑をかけてしまうサッカー部員とマネージャーには大変申し訳ないが、環はもうサッカー部に顔を出さないと心に決めていた。後日、個人的に謝罪をして回るつもりだ。もちろん、村上のもとへは行かないが。
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