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22、ウォルナッツ地方の夜
しおりを挟むウォルナッツ地方は馬車で半日ほどの場所だった。慣れないフィリアに合わせて普段よりスピードを緩めてくれていたらしい。王宮を午前中に出て、つく頃には夕方だった。
気まずくなるかなぁと気を揉んでいたが、ダリルの方はいつもと変わらないように見えた。馬車の中でもダリルが治めている土地について教えてくれたので、ありがたくその話題に乗らせてもらう。
綺麗に舗装された道が終わり、やや馬車の揺れが大きくなってくる頃、窓の外には緑が多くなってくる。垣根仕立ての葡萄畑は遠目に見ても圧巻だった。
畑を抜けると街があり、名産だという葡萄酒で潤っているのかそこそこに賑わっていた。広場に差し掛かると「ダリル様ーっ」と声をかける人々の声。降りよう、とダリルに促され、フィリアも言われるがままに外に出ると、
「ご婚約、おめでとうございまーす!」
わぁっと歓声が上がる。呆気にとられたフィリアに、子供たちのフラワーシャワーが注がれた。
「歓迎ありがとう。皆、耳が早いな」
「何をおっしゃいます! ついにダリル様がご婚約なさったって、この街じゃ持ちきりですよぉ」
「若い娘っ子はガッカリしてますがね、がははは」
「さすがダリル様。べっぴんさんを嫁に貰いましたなぁ」
「魔法使いって本当ですか?」
口々に上がる祝いの声に圧倒されながらも、フィリアも自己紹介をする。皆、フィリアへ好奇の目を向けたが、悪意のない純粋な興味に満ちていた。
再び馬車に乗り込むと「驚いたか?」とダリルに問われた。珍しくフィリアが大人しいので心配したらしい。
「……ダリル様、街の人に慕われてるんですね」
「そんな大層なものじゃない。ここの連中とは付き合いが長いだけだ」
王宮では貴族に遠巻きにされているダリルだが、領地の住民とは良好な関係らしい。いつもよりも表情も柔らかい。
「明日は一緒に畑を見て回ろう」
「私もいいんですか?」
「ああ。――あ、いや、興味がなかったら無理しなくてもいいぞ」
思い出したかのように付け加えられたが、
「いえっ、ご一緒します!」
フィリアは急いで返事をした。その様子にダリルが苦笑する。
「汚れるぞ、と言おうと思ったんだが、そんなことを気にするような性格じゃなかったな」
笑ってくれたことにフィリアもほっとする。和解したいというサインはダリルに通じたらしかった。
*
領主屋敷と呼ばれている場所は広場を抜けた先にある。
王族が泊まるにしてはかなり質素な屋敷だが、掃除や手入れは十分に行き届いている。
夕食の後、イレーネを下がらせ、与えられた部屋で寛いでいると、窓の外に見慣れた人影が見えた。
(ダリル様……?)
屋敷を出ていくダリルの姿を目で追うと、街の賑やかな方――酒場のある通りへと入っていった。ラフな服装でロイドも付けていない。
どこへ行くのだろう。興味を覚えたフィリアは、そっと窓を開けると風魔法を使って飛び降りた。着地の時に茂みを揺らしてしまったが、幸い気づかれてはいない。
急いでダリルが向かった方へ足を進めると、突然脇から現れた人物に勢いよく衝突した。
「うわっ、すみません!」
顔を上げたフィリアに、
「……何をやっているんだ」
影を落としたのは追いかけていたはずのダリルだった。
「ダ、ダリル様、向こうへ行ったはずでは?」
「物音がしたから気になってな。まったく、ついてくるならちゃんと護衛を連れてこい」
「ダリル様こそ護衛なしじゃないですか。こそこそ出ていっちゃって怪しい……」
「こそこそしてない。堂々と正面から出て行っただろうが」
不毛なやり取りにため息をついたダリルは「ついてくるか?」とフィリアに手を差し出した。
「……今から刺客と一勝負……ではありませんよね?」
「酒場に顔を出しに行くだけだ。酔っぱらいも多いし、嫌ならいい」
「えーと、じゃ、ご迷惑でなければ一緒に行ってもいいですか?」
酔っぱらいと言われて一瞬躊躇ったが、興味の方が上回った。差し出されたダリルの手をとって、賑やかな声の聞こえる酒場へと入る。
「いらっしゃーい! おや、ダリル様! デートですかい?」
「お忍びだ」
「ははっ、かしこまりました。お二人さん」
テーブル席は満杯で、カウンター席に案内される。盛り上がっている客たちに背を向ける格好となったが、ダリルが来たことに客のほとんどが気づいていた。気づいていても、特に畏まったり気を使う様子もなく、明るい笑い声は途絶えない。
「お忍びって……バレバレですよ」
「俺がお忍びといえばお忍びだ」
酒場の主人も客も、わかっているのに知らないふりをしていてくれている。
二人の前にグラスに入ったワインが置かれた。色は赤。これもこの地で作られたものらしい。
「……美味しい」
果実の香りが瑞々しく、葡萄ジュースのように飲めてしまう。舌に残るえぐみもなく、飲み慣れていないフィリアでも美味しく頂けた。
「このワインは広く流通しているし、確かアルカディアにも輸出していたはずだぞ」
「飲んだことないです。あ、もしかしたら社交界とかで振る舞われてたのかもしれませんけど」
「ああ、……そうかもな」
白も飲んでみたいというフィリアに、ダリルが注文したのは、栽培する地域ごとに味が変わってくるという一杯だった。
香りを嗅ぐと果実の香りに混じって、柑橘類やハーブを感じさせるような匂いがする。飲み口もさっぱりしていて、程よい酸味が心地いい。
「わー、これも美味しいです。赤も美味しかったけど、こっちの方が好きです!」
客の手拍子が聞こえて振りかえると、テーブルが退けられて楽器隊が奏でる音楽に合わせて人々が踊っていた。
ふくよかなマダムと逞しい紳士。若い男女のグループに、酔ったおじさま同士まで。下町のダンスにやんやと声がかかり、笑い声が弾ける。
「一曲どうだ」
「えーっ、ダンスはしないっていったじゃないですか!」
言いつつも、陽気な音楽に惹かれて立ち上がる。
「こんなの、ダンスのうちに入らないだろ」
ダリルに手を引かれて踊りの輪に入ると、一層大きな歓声が上がった。見よう見まねで体を動かす。冷やかす声に、口笛。おかしくてフィリアも声を上げて笑う。
「魔法なしでも上手いじゃないか」
「こんなところで使いませんよ!」
魔法を使わなくても、羽根のように足が軽い。同じ動作の繰り返しなので、慣れてしまえばワルツよりも簡単だ。
アルコールも手伝って、フィリアのスカートはふわふわと舞った。
*
「あー……楽しかったー!」
「それは良かった」
すっかり上機嫌で歩くフィリアの後ろをダリルが見守るように歩く。あんなに大きな声を上げて笑ったのはいつ以来だろう。お忍び、と言ったダリルの気持ちがよくわかった。
「お忍びってこんなに楽しいんですね。癖になりそう」
「だからと言って一人でふらふらと出歩くなよ」
「わかってますよー。ちゃーんとダリル様もお誘いしますって! あはは、デートですね、これって」
普段は言えないような軽口も滑らかに出る。あっという間に領主屋敷に戻ってきてしまい、なんだか惜しいような気がした。
すっかり夜も更けている。門番はダリルが出歩くのに慣れているのか、特に咎め立てはしなかった。
「階段でこけるなよ」
「こけませんよ!」
振り返ったフィリアの目の前にはダリルの体があった。
「おやすみ」
ちゅっと唇が額に触れた気がして顔を上げると、ダリルは既に背を向けて歩き出していた。
「…………え?」
触れられた場所を手で押さえてフィリアは呆然とする。飲んでいた酒のせいか、体温が急激に上がったような気がした。
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