氷の魔女と春を告げる者

深見アキ

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 *


 翌朝、ネージュが目を開けるともうすっかり日は高く昇っていた。
 いつもならヴェスナーが朝食を一緒に食べようと声をかけにくるのに、もしかしてもう発ってしまったのだろうか。

 ヴェスナーの部屋の前に行くと、昨夜ネージュが置いたセーターの包みがなくなっている。

「ヴェスナー?」

 ノックをしても返事がないので中に入る。

 彼はベッドで眠っていた。若草色のセーターを着て、若草色のマフラーを巻いたまま。
 その時ネージュは、はじめて彼に残された時間が僅かだということに気がついた。

「お前……、死ぬのか?」

 いや、もしかして既に……。
 頬にさわるとひんやりと冷たい。なぜ、気付かなかったんだろう。こんなに雪の深い凍えた大地に、人間が一人でふらりと来られる訳がない。
 尽きかけた魂が死に場所を求めるように、この地へ足を踏み入れてしまったのだ。

 ネージュの手のぬくもりに気付いたヴェスナーは、ゆっくりと瞼を押し上げた。

「あ、ネージュ。悪いなぁ、今日の朝飯、作ってないんだ」
「別にいい」
「このセーター、ありがとな。ぴったりだし、模様もすごく凝ってるなぁ」
「……私の、自信作だ。だってそのセーター、おまえの一張羅にするつもりなんだろう?」

 そう言うとヴェスナーはふわりと笑った。

「そう。ほら、ここぞと言うときに着るんだ。今日みたいな、旅立ちの日に」

 そうだな、とネージュは頷く。眠そうなヴェスナーの枕元に背を向けるように腰かけた。

「……何か、してほしいことはあるか?」

 ネージュの問いに、ヴェスナーは「あはは」と笑い声を上げた。ネージュがそんなこと言うなんて、と吐息のように言葉を漏らす。自分でも、らしくないことを口にしているという自覚はあった。

「そうだなぁ。ネージュ、俺の墓標でも作ってくれる?」
「……いいぞ。どこに?」

 ふつうは思い出の場所や故郷だろう。場所を問うと、ヴェスナーはきっぱりと告げた。

「ライラックの花が咲いているところがいい」
「……それってどこだ?」
「どこだろう。探して、ネージュが」
「……ええ? 面倒だな。まあ、いいけど……。でもなんでライラックなんだ?」

 振り向いて問いかけると、ヴェスナーからはもう返事は帰ってこなかった。若草色に包まれて、彼は穏やかな顔のまま旅立っていった。


 *


 ――さて、私はヴェスナーとの約束を果たすべく、数百年ぶりに領地を出ることになった。

 領地の外への道はヴェスナーがせっせと雪かきをして作ってくれていた。
 わたしは手製のセーターと手袋とマントを巻いて黙々と歩く。
 魔法で飛んでいくことも出来たが、今は、亡き彼を偲んでこの道を歩くのが正しいような気がしたのだ。

 そこでわたしが目にしたのは、想像もしなかった光景だ。

 領土の外は荒れ果てていて、花どころか草木の一本も生えていない。
 乾いた大地に、転がる髑髏。
 わたしがあの城に閉じ込もっている間に、世界は大きく変わってしまっていた。

「……ライラックの花なんて、絶対にないだろう」

 ヴェスナーの頼みはなかなかに無理難題だった。あちこち探し回っても、ライラックどころの話ではないのだ。ひび割れた荒地は水を求めて、深く深く傷ついている。

 わたしはライラックの花を探すのを諦めることにした。

 ないのなら作ればいい。ちょうど編み物に飽きてきたところだし、園芸に手をだすのもありだ。

 凍った領地を溶かすと、もうずっと顔を出していなかった地面が顔を出す。溶けた雪は大地に染み込み、やがて川を作るだろう。
 ライラックの種を蒔き、ついでに他の花の種も蒔く。

 花が咲くのを待っている間、わたしはヴェスナーを真似て食事を作ったり、溶けきらなかった雪をどけたりした。
 食事しなくても死にはしないが、なんとなく食べることは習慣になった。わたしのほうがヴェスナーよりも料理はうまいはずなのに、不思議と彼と一緒に食べた食事のほうが美味しかった。

 そうして千年のうちのごくわずかな時間の中で、凍った大地は若葉が萌える土地へと生まれ変わった。どこからやってきたのか、動物や虫たちが勝手に領地に住み着くようにもなった。これでやっと、ヴェスナーの頼みを果たすことが出来る。

「どうだ、これでいいだろう」

 若草色の絨毯に、ところどころ大地の茶色が見える。そして、咲いているのはライラックの紫。ヴェスナーに贈ったセーターと同じ、春を告げる色彩だ。
 凍える大地に、ヴェスナーが訪れた。

「わたしは約束を守ったぞ、ヴェスナー」

 ヴェスナーここに眠る、と建てた墓標はネージュの魔法で作った氷だ。やがて溶けてなくなるだろうがそれでいい。今も、日の光で溶けたら端っこが、ぽたりぽたりと涙のように花弁を濡らす。

「――でも、どうしてライラックの花だったんだ?」

 問いかけた先の墓標に、光に反射したネージュの顔がうつる。
 その瞳の中に、濡れたライラックが揺れていた。


 ***


 四月は最も残酷な月
 ライラックの花を凍土の中から目覚めさせ、
 記憶と欲望をないまぜにし
 春の雨で生気のない根をふるい立たせる。

 T.S.エリオット『荒地』より
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みんなの感想(1件)

ひつじ
2019.04.05 ひつじ

良かったです!感動しました
(ToT)感涙

深見アキ
2019.04.05 深見アキ

ありがとうございます!
さっそく読んで下さって嬉しいです~\(^o^)/

解除

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