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ミュート神殿にて
秘密からの解放
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メイナは神殿の奥の部屋で、リティのとなりに立っていた。
リティの奥側には、まるで神殿の柱のようにエイハズが立っていた。
周囲には棚や机が並び、メイナの手元の明かりによって照らされていた。影はくすぐったそうに、ちらちらと揺れた。
それにミラナクの花の、甘いにおいがした。衣服や布のにおい付けに使っているのだろうか。そのおかげで、メイナは少し落ち着いていられた。
リティは例の木箱を見下ろしていたが、やがて膝を曲げて座り込んだ。そして、木箱へと両手を伸ばした。銀髪がさらりと動き、光を攪拌した。
メイナはそれらの情景に、不思議な神聖さを感じた。
そのとき、リティは目を閉じて薄く唇を開いて、すう、音をたてて空気を吸い込んだ。
そんなリティの横顔を見ながら、メイナは心の中で語りかけた。
(リティ、ごめんね。また、魔法を使わせちゃうね……。具合、悪くなっちゃうね……)
それから罪ほろぼしの代わりに、手元の明かりを強めた。オレンジ色の光を浴びて、リティの銀髪が輝いた。棚に置かれた金属の水差しや、工具なども輝いた。
リティの口元から、「あ……」という声が漏れた。
すると、木箱の一部――リティの手が添えられた箇所が白っぽくなった。木材は薄茶色になり、金具は銀のような灰色になった。
木箱の端が灰になってこぼれてゆく。白い灰は光を吸って、石の床に落ちていった。
やがて箱の中から、巻物みたいなものが現れた。リティはそれにも手を添えて、同じようにした。
巻物は青い紐で巻かれ、赤い封蝋は破れていた。すでに誰かが――エイハズが中を読んだのだろう。おそらく手紙みたいなものだ。
その証拠に、灰になってゆく紙面の端々に、文字の連なりがときおり見えた。
(見ちゃだめなんだよね。わかってるよ……)
メイナはそう心の中でつぶやいて、右手の明かりを巻物へと近づける。リティは目を閉じて、顔や首筋に汗を浮かべて、灰の魔法に集中している。ときおり顔をしかめて、頭痛や気持ち悪さと戦っている様子だった。
エイハズはリティの向こうで、その儀式が滞りなく、不正なく行われることに、目を光らせている。
――そんなとき、巻物へ絡んでいた青い紐がほどけて、紙面がはらりとめくれた。
そこから、文字の並びがメイナの目に飛び込んできた。
『……王妃は道ならぬ恋のために聖地にて……』
『……ゆえに氷の災厄が世界を……』
メイナはどきりとして、目をこらしてもっと読もうとした。しかし、紙面は枯れるように白くなり、すぐに灰となって落ちた。
明かりが揺れないように、消えないように注意しながら、メイナはずっと、先ほど目にした言葉の意味を考えた。しかし、まったく頭が回らなかった。
メイナの目の前でリティが立ち上がった。リティは膝や手についた灰を払うと、青ざめた顔をして、頭を押さえながら言った。
「終わりね。これで……」
メイナはなにか、途方もない罪を犯したかのような気分を抱えたまま、小さくうなずいた。
「おつかれさま、リティ。終わったね」
エイハズを見ると、穏やかな表情をして、堆積した灰の塊を見下ろしていた。やがてリティを見るとこう言った。
「小さき魔法使いたちよ……。礼を言うぞ」
リティはそれに答えた。
「いえ。これで司祭さまの心残りがなくなるなら、なによりです」
「ああ。もう、思い残すことはあるまい。そろそろ、行くとしよう……」
すると、エイハズは古木の幹のように皺が刻まれた顔を緩ませ、笑顔を見せた。そして、目を細めて顔を上に向けてつぶやいた。
「いざ、御元に参ります。――万物の母にして、慈悲深き女神ミュート……。その御元に…………」
その言葉を最後に、エイハズの姿はうっすらと溶けていった。メイナが思わず光を近づけると、夏の日の陽炎のように揺れて、ふわりと消えた。
夕焼けに染まりゆく神殿に向かって、リティは枯れ枝を抱えて歩いていた。
神殿の広間の片隅には古びた暖炉があり、そこで火を熾すことにしたのだ。
リティが神殿の広間にくると、メイナはベンチに座って、ミュート像を見上げていた。
リティは暖炉の手前に枯れ枝を積んで一呼吸すると、メイナへと振り返った。――まだメイナはぽかんと、女神を見ていた。
「ちょっと、メイナもさ、手伝いなよ」
そう呼びかけると、「うん……」と気のない返事が聞こえた。
「なに……。どうしたの?」
すると、メイナはやっと振り向いた。
「んー。ちょっとね。なんとなくさー。氷の年って、本当にミュートが起こしたのかな」
「どういうこと?」
「うん。もしかしたらさー、人間がやったのかもしれないよね」
「え? 人間が氷の年を? 世界を覆う冷気と吹雪を? まさか……」
「そうだよね。だからさ、なんとなくだよ」
そう言って、メイナは「よっ」と声を出して、弾みをつけて立ち上がった。
「リティ、今夜はなに食べる?」
「なによ、いきなり。今夜か……。そうね、マクナと香草の雑炊かな。奥の部屋に、いい鍋があったんだ」
「レガーダ! 悪くないね!」
「もう。そんなことよりさあ、暗くなる前に手伝ってよ。水も汲んでこなきゃ。使える井戸があればいいけど」
「へいへい、わかってるって」
「早くしないとさ、暗くて見えなくなるよ」
そんなふうに答えながら、リティは安堵していた。いつものメイナの声に戻っていたからだ。
開いた神殿の扉や小さな窓から斜陽が差し込んで、メイナの赤い髪や頬を明るく染めた。
メイナは余裕そうな笑顔を浮かべて言った。
「へへっ、大丈夫だよ。あたしが照らすからさ」
ミュート神殿にて おわり
リティの奥側には、まるで神殿の柱のようにエイハズが立っていた。
周囲には棚や机が並び、メイナの手元の明かりによって照らされていた。影はくすぐったそうに、ちらちらと揺れた。
それにミラナクの花の、甘いにおいがした。衣服や布のにおい付けに使っているのだろうか。そのおかげで、メイナは少し落ち着いていられた。
リティは例の木箱を見下ろしていたが、やがて膝を曲げて座り込んだ。そして、木箱へと両手を伸ばした。銀髪がさらりと動き、光を攪拌した。
メイナはそれらの情景に、不思議な神聖さを感じた。
そのとき、リティは目を閉じて薄く唇を開いて、すう、音をたてて空気を吸い込んだ。
そんなリティの横顔を見ながら、メイナは心の中で語りかけた。
(リティ、ごめんね。また、魔法を使わせちゃうね……。具合、悪くなっちゃうね……)
それから罪ほろぼしの代わりに、手元の明かりを強めた。オレンジ色の光を浴びて、リティの銀髪が輝いた。棚に置かれた金属の水差しや、工具なども輝いた。
リティの口元から、「あ……」という声が漏れた。
すると、木箱の一部――リティの手が添えられた箇所が白っぽくなった。木材は薄茶色になり、金具は銀のような灰色になった。
木箱の端が灰になってこぼれてゆく。白い灰は光を吸って、石の床に落ちていった。
やがて箱の中から、巻物みたいなものが現れた。リティはそれにも手を添えて、同じようにした。
巻物は青い紐で巻かれ、赤い封蝋は破れていた。すでに誰かが――エイハズが中を読んだのだろう。おそらく手紙みたいなものだ。
その証拠に、灰になってゆく紙面の端々に、文字の連なりがときおり見えた。
(見ちゃだめなんだよね。わかってるよ……)
メイナはそう心の中でつぶやいて、右手の明かりを巻物へと近づける。リティは目を閉じて、顔や首筋に汗を浮かべて、灰の魔法に集中している。ときおり顔をしかめて、頭痛や気持ち悪さと戦っている様子だった。
エイハズはリティの向こうで、その儀式が滞りなく、不正なく行われることに、目を光らせている。
――そんなとき、巻物へ絡んでいた青い紐がほどけて、紙面がはらりとめくれた。
そこから、文字の並びがメイナの目に飛び込んできた。
『……王妃は道ならぬ恋のために聖地にて……』
『……ゆえに氷の災厄が世界を……』
メイナはどきりとして、目をこらしてもっと読もうとした。しかし、紙面は枯れるように白くなり、すぐに灰となって落ちた。
明かりが揺れないように、消えないように注意しながら、メイナはずっと、先ほど目にした言葉の意味を考えた。しかし、まったく頭が回らなかった。
メイナの目の前でリティが立ち上がった。リティは膝や手についた灰を払うと、青ざめた顔をして、頭を押さえながら言った。
「終わりね。これで……」
メイナはなにか、途方もない罪を犯したかのような気分を抱えたまま、小さくうなずいた。
「おつかれさま、リティ。終わったね」
エイハズを見ると、穏やかな表情をして、堆積した灰の塊を見下ろしていた。やがてリティを見るとこう言った。
「小さき魔法使いたちよ……。礼を言うぞ」
リティはそれに答えた。
「いえ。これで司祭さまの心残りがなくなるなら、なによりです」
「ああ。もう、思い残すことはあるまい。そろそろ、行くとしよう……」
すると、エイハズは古木の幹のように皺が刻まれた顔を緩ませ、笑顔を見せた。そして、目を細めて顔を上に向けてつぶやいた。
「いざ、御元に参ります。――万物の母にして、慈悲深き女神ミュート……。その御元に…………」
その言葉を最後に、エイハズの姿はうっすらと溶けていった。メイナが思わず光を近づけると、夏の日の陽炎のように揺れて、ふわりと消えた。
夕焼けに染まりゆく神殿に向かって、リティは枯れ枝を抱えて歩いていた。
神殿の広間の片隅には古びた暖炉があり、そこで火を熾すことにしたのだ。
リティが神殿の広間にくると、メイナはベンチに座って、ミュート像を見上げていた。
リティは暖炉の手前に枯れ枝を積んで一呼吸すると、メイナへと振り返った。――まだメイナはぽかんと、女神を見ていた。
「ちょっと、メイナもさ、手伝いなよ」
そう呼びかけると、「うん……」と気のない返事が聞こえた。
「なに……。どうしたの?」
すると、メイナはやっと振り向いた。
「んー。ちょっとね。なんとなくさー。氷の年って、本当にミュートが起こしたのかな」
「どういうこと?」
「うん。もしかしたらさー、人間がやったのかもしれないよね」
「え? 人間が氷の年を? 世界を覆う冷気と吹雪を? まさか……」
「そうだよね。だからさ、なんとなくだよ」
そう言って、メイナは「よっ」と声を出して、弾みをつけて立ち上がった。
「リティ、今夜はなに食べる?」
「なによ、いきなり。今夜か……。そうね、マクナと香草の雑炊かな。奥の部屋に、いい鍋があったんだ」
「レガーダ! 悪くないね!」
「もう。そんなことよりさあ、暗くなる前に手伝ってよ。水も汲んでこなきゃ。使える井戸があればいいけど」
「へいへい、わかってるって」
「早くしないとさ、暗くて見えなくなるよ」
そんなふうに答えながら、リティは安堵していた。いつものメイナの声に戻っていたからだ。
開いた神殿の扉や小さな窓から斜陽が差し込んで、メイナの赤い髪や頬を明るく染めた。
メイナは余裕そうな笑顔を浮かべて言った。
「へへっ、大丈夫だよ。あたしが照らすからさ」
ミュート神殿にて おわり
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