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ドイエベルンの知、ドイエベルンの武

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 自分の屋敷から飛び出したフランツが向かったのは、貴族の邸宅が集合する地域から少し離れた、閑散とした一帯だった。そこは夜になると煌びやかになる貴族街と違い、明かりがついている邸宅も少なく、落ち着いた雰囲気の場所だった。

 主にそういった社交界を忌避する田舎の貴族たちが、首都に行く用事があるときに使用する別荘などがある一帯なのだが、フランツの目的はそんな別荘の一つであった。

 一帯の中でも、緑に囲まれ、ひと際落ち着いた雰囲気のある屋敷の前で、フランツは下馬すると、屋敷の扉をこんこんと叩いた。

「夜分遅くに失礼する。フランツ・ビルフェルト・ハイデッカーだ。ルードブルク殿は在宅か!?」

 一声呼びかけると、中から人の動く気配がした。その気配は扉の前で止まると、中からゆっくりと扉を開いた。

 扉から恐る恐る顔を出して、こちら側を伺ってきたのは眼鏡をかけた、どこかあどけない様子のメイドであった。ハイデッカー家の洗練されたメイドたちと違い、どこかあどけない様子であった。

 フランツは彼女のことを知っていたため、ドネルへの怒りを押し隠して、優しく声をかけた。

「お久しぶりですな。マリベル殿。ルードブルク殿は在宅か?」

 マリベルと呼ばれた少女はどこか緊張した面持ちでこくこくと頷くと、フランツをそのままにして、屋敷の奥へ向かっていった。恐らく屋敷の主人に確認しに行ったのであろう。

 公爵を扉の外で待たせるなど、本来はあってはならぬことだが、フランツはそのようなことを気にすることはなかった。大貴族として、貴族のことだけでなく、市井の民がどういう反応をするかということを、この男はよく理解していた。

 数刻後、ようやくマリベルは戻ってきて、どうぞと屋敷の中へ通された。

 フランツは屋敷の奥の書斎らしき部屋の前まで案内された。

 そして、マリベルが扉をこんこんとノックすると、中から

「どうぞ?」

 と、声がした。

 フランツはマリベルに爽やかに「ありがとう」と声をかけると、彼女はぽっと顔を赤くして、ぱたぱたと走り去っていった。

 フランツはその彼女の姿を見送ると、扉をがちゃっと開けた。

 中には二人の男がいた。

「おお? なんと、まさかレーム候までいらっしゃるとは」

 フランツは驚いた。こんな夜分にこの屋敷に、しかもで訪ねる人がいるとは思わなかったのだ。

「どうかされましたか? ハイデッカー公」

 まるで弦楽器の演奏のような落ち着いた流麗な声で、フランツに話しかけたのは、長い艶やかな黒髪を後ろで束ねて、中世的な顔をした男であった。

「宰相。実は少々お知恵を借りたく参りました」

「もう宰相ではありませんよ? 今は王室の司書官長です」

 そう言って、男はにっこりと笑った。彼こそ、諸外国からドイエベルンの智嚢と言われ、ペルセウスにその地位を追われる前の宰相---ルードブルク・ファン・ロッソその人であった。

 そして、もう一人の男、騎士の鎧を着こんでいるが、どこか学者然とした落ち着いた茶髪の壮年の男もまた、若いフランツを落ち着かせるように笑顔で話題に入ってきた。

「いやいや、宰相という地位に相応しいのはあなたしかいないでしょう? 殿下に与する者はみなそのように思っていますよ?」

「レーム候......元来私に宰相などという地位は不向きなのですよ。司書として歴史を編纂しているくらいが丁度いいのです」

「ならば私の近衛総司令という地位も不相応でしたよ。私こそ総司令の職を辞した後はその地位をと狙っていたのですけどね」

「いやいや。あなたの人望がなければあの癖の強い近衛軍団長たちをまとめることなぞできますまい」

「いやいや。政治・軍事両面で活躍できるルードブルク殿こそ、宰相に相応しいでしょう」

 茶髪の男はバウワーにその地位を追われる前の近衛総司令レーム・ギルハウンドだった。一兵卒から叩き上げで、着実にその地位を上げていった苦労の人であったがゆえに、近衛軍団の中での信頼は厚かった。その二人が王室図書館の司書長という閑職を奪い合っているのだから不思議な光景である。

 フランツはため息をついた。

「この国の知識と武力のトップ同士が変な争いをしないでいただきたい。それよりルードブルク殿に至急話さなければいけないことがあるのです」

「ほう? どうやら只事ではない御様子。一体どうしたのでしょう?」

 フランツは先ほどドネルが家に来て、とんでもない命令を自分に下したことを語った。あまりのことに二人の顔も途端に険しくなった。

 ルードブルクは羽扇で口元を隠しながら、その国一番の思考をまとめ始めた。

「それはペルセウスとは思えない愚策ですね。国土は国の血肉。それを他国に売り渡すとは」

「まさに! 陛下のこともペルセウスのこともまったく理解できません! いったい何を考えているのか!?」

 フランツが机をどんっと叩き、おかれていた茶器がふわっと宙に浮いて、がちゃんと音を立てた。

「ペルセウスは決して愚かな男ではありません。やることには何かしらの意味があるはずです。もしかしたら彼の思考は相当深いのかもしれませんね」

「ですからルードブルク殿の知恵を借りに来たのです。このままでは私は殿下と戦わざるを得ません」

「ふーむなるほど......しかし情報が足りませんね。下手に策を打てばペルセウスの手の平で踊ることになるかもしれません」

 ぐぐぐっとフランツは唇を噛んだ。こうしている間にもロザリーが外国の兵士に蹂躙されているかもと思うと、忸怩たる思いであった。

 すると、レームが突然驚きの提案をした。

「いっそ、殿下に任せてみてはどうだろうか?」

「何を言っているのですが、レーム候。そのようなことをすればそれこそペルセウスの思うつぼでありませんか」

 フランツは呆れたように言ったが、ルードブルクはそうではなかった。羽扇を手の平でぽんっと叩いて、感心したようにうなずいていた。

「それはもしかしたら妙案かもしれません」

「ルードブルク殿まで!?」

「いや、ハイデッカー公。最後まで聞いてくだされ。今我々に必要なのは兵力です。一刻も早く、ペルセウスの支配から脱却しなければ、この国は内部から瓦解するばかりです。それならば一旦、兵の動員権を持っている今こそ出陣し、『紫鷹団』とハイデッカー家の兵力を集めるべきです」

「ですが、それでは私は殿下と戦うことに......」

「諸外国の連合軍に殿下が勝利するまで戦わなければいいのです。御三家には自分と合流するまで本格的な戦いは避けろと厳命すればいいでしょう」

「だが、殿下が連合軍に勝てる保障は......」

「そこは殿下を信じるほかありません。しかし、我々は現王制を打倒しなければいけない身です。それぐらいの無茶を通せないのであれば、そもそも目的を果たすことは無理でしょう。勿論ただ殿下に任せるだけではありません。私が同士の部下に通じて、ミッテラン公爵の領兵を集めれるだけ集めましょう。それで殿下に連合軍を打倒してもらいます」

「なるほど......殿下であればそれぐらいの戦力があればどうにかできるかもしれませんね。何せあの人は戦いの神に愛されていますから」

 フランツが納得すると、レーム候がすくっと席を立った。

「ならば私の役目はきたる最終決戦に向けて、城内の殿下派の兵を集めておくことですね」

「レーム候。しかしそれは危険な任なのでは?」

 ルードブルクが心配そうにすると、レーム候は首を横に振った。

「なに。皆に戦わせて、私だけ何もしないということはできぬでしょう。任せてください。これでも近衛軍内での政治活動は得意なのです」

 流石は近衛総司令を10年務める男の言葉には重みがあった。フランツは二人の協力にぺこりと頭を下げて、これからどう動くかを三人で煮詰めていった。
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