上 下
119 / 144

ハイデッカー公爵の苦難

しおりを挟む
 時は遡りバウワーとミアがヘグネの谷で激突していた頃、ドイエベルンの王都ベルンで一人の男が鬱憤をためていた。

 ベルンの城は外郭に城民たちが住み、内郭に貴族や王族が住む二重構造である。

 その内郭でももっとも王城に近い場所に屋敷を構え、その男は日々上がってくる領地の陳情などに目を通していた。

 もっとも、その男は元来内務に向いている男ではないことは、服の上からでもわかる鍛え上げられた体躯を見れば一目瞭然であった。額にも青筋が浮かんでおり、明らかにストレスが溜まっていることは明白であった。

 その男---フランツ・ビルフェルト・ハイデッカー公爵は自ら進んで自宅に蟄居していた。表向きの理由は病状に付しているためだったが(親友のクリスが聞けば幽霊が出たという方がまだ信用できると一笑に付したであろうが)、本当の理由はペルセウス侯爵の政策に異を唱えているためであった。

 その日も領地経営の書類に決裁の判を押し終えたフランツはふーっと一息ついた。そのタイミングを見計らって、長年ハイデッカー家に仕える執事サザラは主人のためにハーブの香りのするお茶を出した。

「サザラ、俺はクリスが羨ましい」

 フランツは天井を見上げながら、横で控えるサザラに話しかけた。

「ほう? それは如何様な理由でしょうか?」

「決まっている。あいつは今、殿下の下で存分に力を発揮している。自らの武で敵を払い、刺激的な日々を送っている。それなのに俺を見ろ。こんなところに籠ってちまちまと書類仕事しかやることがない。剣の腕が鈍ってしまうわ」

「なるほど? であるならば、フランツ様しかできないことをすべきではないですか?」

 フランツは怪訝な顔をした。

「俺しかできないことだと?」

「左様でございます。フランツ様は『公爵』ですぞ? 今この場にあってもできることなど山ほどありますでしょう?」

 フランツは椅子に深く腰掛け直して、鼻からふーっと深く息をはいた。

「俺にこの城の中から切り崩せということか?」

「お嫌なので?」

「嫌というわけではないが......そういうことは向いていない。得意なのはクリスのやつだ」

「おや、嘆かわしい」

 サザラはそう言ってハンカチを出しながらおいおいと泣き真似をし始めた。

「クリス様を含め、多くの方々は自分たちができることを最大限成し遂げるために、おのが力を尽くしているのに、我が主人はよりにもよって好き嫌いで全力を出さないとは。先代も草葉の陰で嘆いておられましょう」

 その様子を見てフランツは露骨に嫌そうな顔をした。はあっとため息をついて、再度天井を見上げた。

「わかったわかった。その茶番はやめろ。俺もこのままではいかんと思っているさ。とりあえず今王都にいる貴族で中立を表明しているものをリストアップしてくれ」

 言われてサザラが泣き真似をやめて、かしこまりましたと恭しく礼をしたその時であった。

「ご主人様! 大変です! 大変な方が!」

 屋敷のメイド長が慌ててフランツの部屋に飛び込んできた。普段粛々と仕事を行う彼女にしては珍しい慌てようである。これはただ事ではないと、サザラが事情を聞こうとしたその時であった。

「ほう? 病状だと聞いていたが、随分と元気そうじゃないか?」

 現れた男、いや男たちを見てこの執事にしては珍しきことだが、サザラは飛び上がった。それもそのはず、目の前に立っている男はこの国でもっとも高貴な身分、ドイエベルン国王ドネル・オーランド・グレイス・ロンバルトその人であったからだ。

 後ろにペルセウス侯爵を従え、餓えた獣のような鋭い眼光で、フランツを真っ向から見据えていた。

「陛下!?」

 流石にこの来客は予想外だったのか、フランツもすぐに椅子から立ち上がり、急いでやってきてドネルの前に膝まづいた。控えるサザラとメイド長も、自分たちの主の姿にすぐに習った。

 ドネルは自分の目の前で頭を垂れるフランツをつまらなさそうに見下ろしていた。まるで今襲い掛かって来れば楽しいものをと言わんばかりの眼だった。

 フランツも動揺を、頭を下げることですぐに押し隠して、ドネルに挨拶の口上を述べた。

「はっ。陛下もご健勝でなりよりです。自分も暇をいただき平癒に務めることができましたので、ここからまた自分の遅れを取り戻し、陛下への忠義を示したいと存じております。陛下におかれましてはなぜ急に私の屋敷なぞへ足を運んでいただけたのか。お呼びいただければすぐにでもまいったものを」

 そのあからさまな嘘にも、ドネルは動じることがなかった。首をごきりと鳴らし、ただ淡々と用件だけを伝えることにした。

「インペリアル帝国とポーレン公国に援軍を頼んだ。協力の報酬はミッテラン公爵の領土すべてだ。止めたくばお前がミアを倒せ」

 フランツは言われて口をあんぐりと開けた。あまりにめちゃくちゃな話に何を言われているのか一瞬分からなかったのだ。

 ドネルは言いたいことを告げると、くるりときびすを返し、部屋から出て行ってしまった。ペルセウスもそれに合わせるように、一つぺこりと頭を下げると、ドネルに付いていった。

 後には膝まづいたままの、フランツとサザラとメイド長が残された。

 サザラは大変なことになったと、いち早く顔を上げて、ショックを受けているだろう主の元へと駆け寄った。

「ひっ!?」

 しかしそこで見た主の顔は、あまりのことに途方に暮れる顔ではなく、この世の全てを燃やし尽くそうとする『炎鷹』と呼ばれた戦士の怒りの顔であった。

 フランツは黙ったまますくっと立ち上がると、サザラのことを見ずに口を開いた。

「サザラ、すぐに馬を用意しろ」

「は......はっは! もしや出陣なさるので? 殿下を討ちに?」

「わからん。だがそれは後だ。それよりも行かなければいけないところがある」

 そう言ってフランツは部屋を飛び出した。長い間屋敷に閉じ込められた、迅速果断をもって知られた男が動き出したのだ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

僕の秘密を知った自称勇者が聖剣を寄越せと言ってきたので渡してみた

黒木メイ
ファンタジー
世界に一人しかいないと言われている『勇者』。 その『勇者』は今、ワグナー王国にいるらしい。 曖昧なのには理由があった。 『勇者』だと思わしき少年、レンが頑なに「僕は勇者じゃない」と言っているからだ。 どんなに周りが勇者だと持て囃してもレンは認めようとしない。 ※小説家になろうにも随時転載中。 レンはただ、ある目的のついでに人々を助けただけだと言う。 それでも皆はレンが勇者だと思っていた。 突如日本という国から彼らが転移してくるまでは。 はたして、レンは本当に勇者ではないのか……。 ざまぁあり・友情あり・謎ありな作品です。 ※小説家になろう、カクヨム、ネオページにも掲載。

王宮で汚職を告発したら逆に指名手配されて殺されかけたけど、たまたま出会ったメイドロボに転生者の技術力を借りて反撃します

有賀冬馬
ファンタジー
王国貴族ヘンリー・レンは大臣と宰相の汚職を告発したが、逆に濡れ衣を着せられてしまい、追われる身になってしまう。 妻は宰相側に寝返り、ヘンリーは女性不信になってしまう。 さらに差し向けられた追手によって左腕切断、毒、呪い状態という満身創痍で、命からがら雪山に逃げ込む。 そこで力尽き、倒れたヘンリーを助けたのは、奇妙なメイド型アンドロイドだった。 そのアンドロイドは、かつて大賢者と呼ばれた転生者の技術で作られたメイドロボだったのだ。 現代知識チートと魔法の融合技術で作られた義手を与えられたヘンリーが、独立勢力となって王国の悪を蹴散らしていく!

転生したら貴族の息子の友人A(庶民)になりました。

ファンタジー
〈あらすじ〉 信号無視で突っ込んできたトラックに轢かれそうになった子どもを助けて代わりに轢かれた俺。 目が覚めると、そこは異世界!? あぁ、よくあるやつか。 食堂兼居酒屋を営む両親の元に転生した俺は、庶民なのに、領主の息子、つまりは貴族の坊ちゃんと関わることに…… 面倒ごとは御免なんだが。 魔力量“だけ”チートな主人公が、店を手伝いながら、学校で学びながら、冒険もしながら、領主の息子をからかいつつ(オイ)、のんびり(できたらいいな)ライフを満喫するお話。 誤字脱字の訂正、感想、などなど、お待ちしております。 やんわり決まってるけど、大体行き当たりばったりです。

性的に襲われそうだったので、男であることを隠していたのに、女性の本能か男であることがバレたんですが。

狼狼3
ファンタジー
男女比1:1000という男が極端に少ない魔物や魔法のある異世界に、彼は転生してしまう。 街中を歩くのは女性、女性、女性、女性。街中を歩く男は滅多に居ない。森へ冒険に行こうとしても、襲われるのは魔物ではなく女性。女性は男が居ないか、いつも目を光らせている。 彼はそんな世界な為、男であることを隠して女として生きる。(フラグ)

チートがちと強すぎるが、異世界を満喫できればそれでいい

616號
ファンタジー
 不慮の事故に遭い異世界に転移した主人公アキトは、強さや魔法を思い通り設定できるチートを手に入れた。ダンジョンや迷宮などが数多く存在し、それに加えて異世界からの侵略も日常的にある世界でチートすぎる魔法を次々と編み出して、自由にそして気ままに生きていく冒険物語。

ユーヤのお気楽異世界転移

暇野無学
ファンタジー
 死因は神様の当て逃げです!  地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。

解呪の魔法しか使えないからとSランクパーティーから追放された俺は、呪いをかけられていた美少女ドラゴンを拾って最強へと至る

早見羽流
ファンタジー
「ロイ・クノール。お前はもう用無しだ」 解呪の魔法しか使えない初心者冒険者の俺は、呪いの宝箱を解呪した途端にSランクパーティーから追放され、ダンジョンの最深部へと蹴り落とされてしまう。 そこで出会ったのは封印された邪龍。解呪の能力を使って邪龍の封印を解くと、なんとそいつは美少女の姿になり、契約を結んで欲しいと頼んできた。 彼女は元は世界を守護する守護龍で、英雄や女神の陰謀によって邪龍に堕とされ封印されていたという。契約を結んだ俺は彼女を救うため、守護龍を封印し世界を牛耳っている女神や英雄の血を引く王家に立ち向かうことを誓ったのだった。 (1話2500字程度、1章まで完結保証です)

処理中です...