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マランダ
第59話
しおりを挟む城壁の門を通過する時、ドンマルさんと談笑していたトーマさんが突然言いました。
「あっ! 王都に行くなら逆の門だよ?」
「ええっ? そうなんだか?」
驚くドンマルさん。
実は僕も変だと思っていたのですが、余りにも自然に同行してくるのでどこかに寄り道でもしていくつもりなのかと思っていました。
表情からして、みんなも同様だったようです。
「うっかりしてただよ」
ドンマルさんが馬首を返そうとした時。
「そこの騎士っ!」
呼び止める黄色い声。
「ん? 騎士? おらか?」
中途半端な体勢でドンマルさんは動きを止めました。
「せや! うちと尋常に勝負せいっ!」
見ると町の外へと続く広い路上の少し先に、門前のこちらを睨んで立つ一人の美少女の姿。
一行のみんなは一斉にドンマルさんに注目します。
「……勝負? おらがお嬢ちゃんと?」
「何をやらかしたんだい?」
フィンさんが聞きました。
「え? なっ、何も」
答えるドンマルさんの声は上擦っています。
「だって、つけ狙われてたわけでしょ?」
「お、おら、誰かに恨まれるようなことなんてした覚えないだ」
「あんな可愛い女の子に決闘を申し込まれるようなことって……」
ドン引いた感じでドンマルさんを見つめるトリアさんの冷たい視線。
決闘となると仇討ちか、もしくは彼女自身の尊厳を汚されたことに対する名誉の回復が考えられます。
「しっ、しっ、知らないだ! おらホントにあんな子知らないだ! 人違いだよ」
「そんな珍しい甲冑姿、どう人違いするのよ」
「そう言われても、おら……おら……」
ドンマルさんの声はもう泣きそうです。
「武者修行中の旅人はんやろ? その格好なら腕に覚えがあるんちゃうか? 強いとみたで!」
少女はドンマルさんの混乱に構わず言い募りました。
「そ、そりゃ腕に覚えはあるだよ。おら強えだ」
オロオロと答えるドンマルさん。
「なら、うちと勝負してやっ!」
キリッと大きなつり目の少女は両手に持ったダガーを構える。
その目を引く真紅の服は股ぐらまでの短い丈で前開き。それを腰紐で閉じています。腕は肩から剥きだしで、脇腹まで深く切り込みが入っている。頭には茶色の頭巾。素足にわらじ履き。
そして服はそんなに汚れてないのですが、頭巾と伸びやかな手足、それに服から覗く横腹はなぜか泥まみれ。
それにしても少女の言い方からすると、どうやら本当にドンマルさんと彼女の間に何らかの因縁があったわけではなさそうです。
でも、じゃあなぜ?
ドンマルさんは馬に乗ったままランスを構えて僕らの前に出ていきました。
「おっ、お嬢ちゃん、待ってくんろ。何でおらが勝負せんとならんのか分からんだ」
「強い武芸者を探しとんねん」
「おら強えだ」
「せやから、それを確かめさせてもらうんやて!」
「困っただ。おなごに槍先を向けるなと、おらを鍛えてくれたひいひい爺ちゃんは口癖のように言うとっただよ」
え、ドンマルさんのひいひいお爺さん、どれだけ長命だったのでしょう。
「げに面白そうじゃのう」
つぶやいて、馬から下りたガンプさんが前へ。
「娘っ子、代わりにわしが相手じゃ不服だか?」
ガンプさん、もう訛り移ってます。
「あんさんは強いんか? 強いな」
「もちろん強いぜよ」
「ほんならあんさんでもかまへん。武器構えぇや」
「わしゃ素手でええねん」
「……ナメたらあかんで?」
「全力で来いや」
すぐさま勝負が始まります。
「ツジカゼ流カヤネ! 参る!」
カヤネと名乗った少女が高く飛ぶ。
「ガンプじゃ!」
ガンプさんは頭上のカヤネさんを無視し、見当違いの地面すれすれを足で払う。
いや、飛んだカヤネさんは空っぽ。
赤い服だけがひらひらと落ちてきます。
そして、離れた路上に土色の下着姿で横たわるカヤネさんの本体。
ガンプさんに蹴っ飛ばされたんだ。
「ふふ。器用じゃが子供騙しやのう」
無精髭の顎をさすりながらガンプさんは笑いました。
カヤネさんがムクリと体を起こします。
「お見事。上下分身の術を見破ったのは、あんさんが8人目やで」
「分母が分からんち」
「とにかく合格や言うてんねん」
石に引っ掛けた目立つ服を上空に投げて敵の目を引きつけ、同時に極限まで姿勢を低くした泥んこの体で地面に溶け込みながら相手の足元に突進して切りつける。
彼女の術は僕の見立てではそういうことのようです。
勝負を黙って見ていた皆はそれぞれ馬を下り始めました。
タオルを持ってカヤネさんに近付いていくのはルキナさん。
「大丈夫ですかしら? 怪我は?」
「平気やで。こんくらいで怪我せえへん」
ルキナさんはタオルでカヤネさんの体の泥をごしごし落とし始めました。
「ひぎゃっ!! そっ、そこ、擦りむいとるて……」
「で? 何だったの? 合格って?」
腕組みしたトリアさんが聞きます。
「あっ!」
小さく叫んでカヤネさんは駆け出し、ガンプさんの前で土下座しました。
「変な格好のお武芸様! どうか頼みを聞いとくんなはれ!」
「まずどんな頼みか言うがぁ先ぜよ」
「服を着るのが先ですわ」
ルキナさんが赤い服を拾って土下座したままのカヤネさんのもとへ。
泥を落とされ服を整えられたカヤネさん。
頭巾を取った頭は黒髪のハイポジションポニーテールで、真っ赤な大輪の花を一つ挿しています。左目の下に泣きぼくろ。
歳は僕と同じくらいでしょうか。
「はい。話していいですわよ」
ルキナさんが許可を出します。
「あ、ああ……」
何だか毒気を抜かれたカヤネさん。
「じっ、実はその、お武芸様にうちの村を助けて欲しいねん」
「ほう。そういう話ならぎっちり聞いてきたがや。何があっちゅう?」
ガンプさんは優しく尋ねます。
「もうすぐ村が、ワタリ熊の群れに襲われるんや」
「ワタリ熊! あの凶悪なA級害獣……」
ラミアさんが声を上げました。
みんなが集まってカヤネさんを囲みます。
僕はワタリ熊を図鑑でしか見たことがありません。
でも帝王教育の動物学で、ある程度の知識は学んでいます。
ワタリ熊は別名を長腕の亜熊と呼ばれる、熊の亜種です。
体高は2メートルを超え、全身を黒く短い毛で覆われた肉食の猛獣。
体つきは逆三角形で、首は短く、頭は丸い。その上にピンと立つ先の尖った耳。
短い足に比して太い腕は胴よりも長く、まるで丸太のようだといいます。
そして前傾姿勢で丸めた手の甲を前方へ交互に突きながら、短い足で地を蹴って走る。固い筋肉に包まれたボリューム豊かな上半身に重心があるので、その走り方で猛スピードが出ます。
特徴的なのは体前面の筋肉をある程度移動できること。腹の筋肉を胸に上げたり、胸の筋肉を腹に下ろしたりします。上半身に筋肉を集中させれば前傾姿勢で移動する速さを大幅に上げることができるわけです。
また、五本の指は人のように長く、出し入れできる鋭い鈎爪を持っています。
太い腕の破壊力と鋭利な爪の切れ味が合わさり、人は軽く撫でられただけで引き裂かれてしまう。
雑食ですが肉を好み、獲物の頭部をちぎって好物の脳をすするので首取り熊という俗称もある恐ろしい獣なのです。
「ハッタリ熊なんて大したことないやい!」
テンテが大声を出しました。
「うちの山にもいたけど、家くらいデカいのは長ぁい毛を膨らませてるだけなんだ。水をじゃんじゃん掛けてやれば一気にしぼむから!」
「テンテ。ワタリ熊よ」
トリアさんが静かに言います。
「ふぅん」
僕にはカヤネさんに聞きたいことがありました。
「カヤネさん」
「カヤネでええよ」
「えと、カヤネ。村がワタリ熊に襲われそうなのは今回が初めて?」
「ちゃう。毎年のことや」
やっぱり。
ワタリ熊はボス熊に率いられ群れをなして山から山へと渡り歩く習性を持ちます。それでワタリ熊と呼ばれます。
一つの山で食料となる獣を狩り続け、獲物の数が減ってくると次の山へ移る。
そうやって一年の間にいくつかの山をローテーションでぐるりと渡っていくのです。そしてまた、元の山に戻っていく。それを同じルートを辿って毎年繰り返す。
問題は渡りを行う時に群れで平地に下りてくること。平地には人の里があります。
ワタリ熊は次の山へ着くまでの間は平地の動物を狩って食べる。
その獲物の中には家畜や人間も含まれるわけです。
つまり、移動経路の中に村があれば毎年ワタリ熊の害をこうむることになる。
最近できた村でなければ初めてということはありません。
「じゃあ、今まではどうしてたの?」
質問を続けました。
「数年前までは治安隊のおっちゃん達が追っ払いに来てくれてたんや」
「……そうか」
「来てくれんようなった最初ん年、えらい被害が出たねん。戦こうた若い衆はいっぱい殺されてもた」
「………………」
「ほんでな、防衛のための傭兵はんを雇うようになってん。でも初めはけっこうな数雇ってんけど、今はもうそない雇われへん」
「何で?」
「治安隊が今度はうちらから重税取り立てるようなって、村に金がのうなってん。特に去年今年と不作やし……。ようしてくれはった治安隊の隊長はんはとっくに首になってもうてたらしいわ」
そうか。想像はしていましたけど、やはり地方管轄の治安隊も王都治安隊と同じなんだ。
きっと他の地方も同様だ。憂鬱になります。
「やもんで少数精鋭で腕の確かな武芸者はんを見極めてお願いするようになったちゅうわけや」
「うん。だからいきなり勝負を申し込んできたんだね」
「それに実力を測らずに雇って、口だけの傭兵はんが死んでまうのも気の毒やしな」
「やって来る渡り熊の数は?」
「いつも20頭から30頭くらいやな」
ガンプさんがぐいと身を乗り出しました。
「よし。話は分かった。引き受けた!!」
「えっ、おっ、おおきに!」
カヤネの顔が輝く。
「でもさぁ」
フィンさんが口を開きます。
「武芸者の試験官がキミってのはどうなの? 村ではキミが最強なの?」
「不満か? まぁ、うちは最強やで。でも試験官は他にもおって、あちこちで強そうな旅人に声掛けしとるわ」
「へぇ。ツジカゼ流なんて聞いたことないけどローカルな武術なのかい?」
「ん? うちが始祖の流派やで? 6人の弟子の子らがよそで武芸者集めやっとんねん」
「……あ、そうなんだ」
「まぁ、弟子達はまだヒヨッコやからほとんどは村の若い衆に手伝ってもろて2対1や3対1で試させてもろとるけど」
「なるほどね。でも、ボクらが行けばあとは必要ないよ。全員強いんだから」
「えっ? いや、それは無理や」
「あれ? 信じないの?」
「ちゃう。一人分しか雇う金持たされとらんねん。弟子達もみんなそうや」
「お金なんかいらないよ」
ラミアさんが言います。
「ええっ! 命懸けの仕事やのにそんな……」
「わしもいらんちや」
ガンプさんも当然のように言う。
「おらもいらねぇだ」
「………………ん?」
みんな一斉に振り返ります。
少し離れて立っているのはドンマルさん。
「あ、まだいたの?」と、トーマさん。
「そらおるだよ。元々おらが指名された話だで」
「だって王都行くでしょ?」
「行くけんど、困ってる人を助ける方が先だっぺ?」
「うん、そうだね! あははは!」
僕達はカヤネの村に向かうことになりました。
幸い、方向はドモラ方面でしたのでそれほど遠回りにはなりません。
村の名は、フルト。
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