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にゃんぱらん上人伝

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 以下は切支丹版の『れげんだ・おうれあ』異本の中にある話を翻案したものである。



 昔々、よをろっぱの海に猫のいない小さな島国がありました。
 猫はいませんが、代わりに鼠が大層増えておりました。

 穀物を食い荒らす鼠の害は実に酷いものです。
 その為島国の人々は常に食糧の不足に悩まされ、餓死する者さえいました。
 そんな訳で空気はどんよりと陰鬱、世を儚む暗い声ばかりが聞こえてくる。
 それがこの島国でした。

 もっともこうなったのは猫がいないせいばかりとも思えません。
 なぜならたった一つあるこの国の教会は廃墟寸前、祈りを捧げる人の数は減り、神の御加護から遠ざかっていたのですから。
 それを知らずにか、海外より訪れる旅人達は国の有様を見て皆口々に言います。
 猫さえおればこのような飢餓はあるまいに。
 彼らの呟きは島国の王様の耳に届きました。

 猫とは何ぞ?

 王様の問いに答え、召し出された旅人達は猫について語ります。
 人を癒し、明るくし、鼠を退ける動物。その愛らしいエピソードの数々。
 その話に心奪われ、王様は猫との対面を切望するようになりました。

 ああ、何と魅力的な動物、猫。
 願わくば是非とも見てみたいものだ、飼ってみたいものだ。

 ならばと商人達は猫の輸入を試みます。
 ところが猫を乗せた船は島国に着く前に不可解な大波に遭って必ず沈んでしまうのです。
 猫を乗せた船だけがです。
 こうなるともう何やら神秘的な領域の因縁があるようにしか思えません。
 商人達は触らぬ神に祟りなしと猫の輸入を諦めてしまいました。

 一方、王様の渇望は狂おしいばかりに高まります。
 欲しいものを得られないとなると、その欲求はどんどん際限なく膨らんでいってしまうものです。

 猫を! 猫を見たい! 
 触って撫でて抱き上げたい!

 噂を耳にした一人の詐欺師がニヤリとほくそ笑みました。


 猫を売りに来た異国の者がいると聞いて王様は飛び上がって喜びました。
 待ちに待った時が遂に来たか!

 さて、謁見の間に現れた異国衣装の青い目の男。
 両手にベールで覆った鳥籠のようなものを抱えております。

「その中に猫が入っておるのかの?」
 王様がそわそわと聞きます。

「左様で御座います」
 慇懃に頭を下げる異国の商人。

「早ぅ、早ぅ見せるがよい」
「その前にお値段の交渉をしとう存じます」
「ん・・・幾らを所望じゃ?」
 商人は目ん玉が飛び出るような金額を口にしました。
 大臣達の間にざわめきが広がります。

「そのような額、なりませぬ」
 大臣の一人が叫びました。
「昨今増えに増えた鼠の害ひどく、民草は飢え、年貢の取り立てもままなりませぬ。王宮の財政も火の車です」
 粛清覚悟の訴え。

 けれど王様は聞く耳持たず、あっさりと言われた額を受け入れました。
「構わぬ。猫大事じゃ」


 ベールに手を掛けた異国の商人の口上が始まります。
「さても、さても、皆様ご存知か知れませぬが、猫とは極めて繊細な生き物で御座います」
 ふむふむ、と王様は頷きます。

「純粋で清らか、甘く優しく、時には猛々しく、例えるならば天使の如し」
 なるほど、と王様は手を打ちます。

「なればこそ。よこしまな心を持つ者には決してその姿を見せませぬ。触れさせもしませぬ」
 それは初耳だったが猫ともあらばそうなのであろう、と王様は納得。

「では御覧あれ」
 異国の商人が籠を覆ったベールをサァッと引きはがします。

 現れた籠、その中。
 居合わせた誰一人としてそこに猫の姿を見ることはできませんでした。

「いかがです? この素晴らしい毛並み、優雅な身のこなし、極上の美しさで御座いましょう」
 異国の商人の言葉に王様は汗をだらだらと流しながら唸ります。
「う・・・ううむ、まさにそう、その通りじゃな・・・」

「でしょう、でしょう。ほら、鳴き声もこんなに愛らしく」
 異国の商人が言うと籠の中から「ミャア~」と、かつて話に聞いた通りの声。

 姿は見えなくとも声は聞こえる。確かにそこにいるのだ、と王様も大臣達も思いました。
 見えないのは自分が邪な心を持っているから。思い当たる節もある。
 まずい、それを周囲に悟られてはいけない。
 これはその場にいた大臣達も召し使い達も全員が同じように考えていました。

 皆が口々にわざとらしく目の前の猫の素晴らしさを褒めそやします。
 もう誰もが後には退けません。

 ところでもちろん、鳴き声は籠に仕掛けがしてあったのです。
 こうして異国の商人は籠一つで大金をせしめてホクホク顔で去って行ったのでした。


 猫は自由を望むので決して室内に閉じ込めてはいけない。
 放し飼いにし、食べ物は外に置いてあげるように。
 気が向けば飼い主の膝上に乗って甘えてくるものですよ。
 そう異国の商人は念を押していったので、籠は外に出して扉を開け放たれました。

 所定の場所に朝晩置かれる豪華な食事。それがちゃんとなくなっていく。
 つまり姿は見えずとも猫の飼育はうまくいっているのだ。
 そのように王様は思っていましたが、言うまでもなく食べ物は野生の獣達がこっそりいただいているのです。


 それにしても猫を見たい。
 膝の上で寝かしつけたい。
 王様は猫を手に入れる前よりも更にいっそう強くそう願うようになりました。
 だってすぐそこにいるものに手が届かないのですから。

 望みを叶えるには自分の中にある邪な心を完全に消し去ってしまわなければならない。
 王様は熟考します。
 そしてとうとう王様は固い決意のもと、日々の行動を改めることにしました。

 誰にも分け隔てなく優しく。下々の者にも優しく。
 そして、裏切らない。怒らない。妬まない。怠けない。自惚れない。欲張らない。欲情しない。
 民の声に耳を傾け、善政を敷く。
 自分は粗食に耐えても年貢を軽減。
 そして神への敬虔な祈りを欠かさず、疎かになっていた信仰心を悔い改めて強固なものに。

 王様は古く朽ち果てていた教会を綺麗に修復する作業に取り掛かりました。
 その為に王宮に使われていた高価な材木や石材は引き剥がして補修の材料に当てます。
 更には自らも率先して力仕事に参加し、汗水流して働きました。


 さて。
 長く祈りの声を失っていた島国には、実は鼠の王と呼ばれる悪魔が人知れず居着いておりました。
 居心地の良い場所に悪魔は降り立つのです。
 彼は蝿の王と並び立つ大物悪魔だといいます。

 鼠の王は魔力を使って猫を島に寄せ付けないようにし、着々と鼠軍団を育て上げているところでした。
 その大軍団が完成したら人間共を襲わせ食わせ、一気に国を制圧する腹積もりです。
 そうして島を拠点として足固めをし、いずれは超巨大軍団を率いて海の向こうの国々へも攻め込む予定でいました。

 食物を食い荒らし、家を齧り、疫病を流行らせ、水を汚す。
 そうやって人類の世界をひっくり返してやろう。

 ところがところが、島に猫が一匹入って来たとの報告。
 青天の霹靂。
 まさか。結界を破ってどうやって入ったのか。
 腑に落ちませんでしたが、すぐに始末してしまえば良いことと刺客を放ちます。
 が、その猫の行方がようとして知れません。
 探しても探しても見つからない。
 けれど人間共の様子からして猫がいるのは間違いのない事実としか思えないのです。

 蟻の一穴天下の破れ。
 猫一匹とはいえ、放っておくといつしか思いがけない障壁になりかねない。
 そう考えた鼠の王は軍団育成を一時休止し、全力を挙げて猫の捜索に当たりました。

 聖なる聖なる聖なるかな。
 鼠の王がそんな事に腐心しているうちに、島には徐々に神の御力が及び始めていたのです。


 大切な猫に与える食事も質素なものになるほど王様は困窮していました。
 猫に対し申し訳ないとは思いましたが、後悔はしていません。
 だってほら、何となくぼんやりと猫の輪郭が見え始めているような気がするのです。

 もう少し。もう少し。

 王様は修行者のような日々を過ごしています。
 私有財産は貧しい国民の救済の為に売り払いました。
 身なりはボロボロ、痩せ衰えた姿はもうとても一国の王には見えません。

 そして、やがてのこと。
 遂に教会の補修が終わりました。
 聳え立つ教会はいにしえの荘厳な佇まいを取り戻したのです。

 その日、王様は過労と栄養失調で倒れました。


 木賃宿にあるような粗末なベッドに横たえられた王様。
 豪華な天蓋や装飾は教会の飾り付けに流用してしまったのです。

 仰向けの王様は苦しそうに荒い呼吸を続けています。
 それがふと静かになり、やがて大きく目を見開きました。

 宙の一点を見つめます。
 そして、叫びました。

「見えた、見えたぞ! ああ、何と汚れなく慈愛に満ちていることか。想像していた通りの姿じゃ」

 近習の者達が駆け寄ります。
「王様! お気を確かに!」

 王様は微笑み、言いました。
「もう分かっておる。お前達にも本当は見えていなかったのであろう? だが今、わしには見える」
 王様は自分の胸の上のくうを慈しむように撫でています。

「飛び乗ってきたのじゃ。光り輝く小さな天使。ああ、主よ・・・」

 そう嬉しそうに呟くと、王様は静かに息を引き取りました。


 島の上空を純白の厚い雲が覆います。
 その雲が風もないのにうごめき、凝り固まり、やがて巨大な肉球の形となりました。
 そして。

 ウニャーオ!!

 凄まじい咆哮と共に白い肉球はズズンと地上に落下したのです。
 その下にいたのは鼠の王とその手下達。
 肉球はそやつらを押し潰し、そのまま地獄の深い底へと突き落としてしまいました。

 島国の空気は一変しました。
 立ち込めていた瘴気を払うかのように、清らかなそよ風が国の隅々へと吹き流れていきます。
 透き通った風の音は聖歌を奏でる楽器の音色のように聞こえました。

 やがて島国の鼠の害はぴたりと止みました。
 何しろ沢山の猫達が一斉に海を泳いで渡って来たからです。


 亡くなった王様は後に奇跡を認定され、列聖されたといいます。
 猫を抱いた姿で描かれる聖にゃんぱらんこそがその王様なのだそうでごぜます。

 あーめん。

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