上 下
2 / 6

縁談 1

しおりを挟む
父の部屋を退出して、そのまま自室に向かう。
夕日を受けた廊下で、壁にずらりとかけられた絵画に直接光が当たらないように計算された光が床にさしている。
色の違う大理石で、幾何学模様をベースに所々に植物のような装飾のモザイクがされた床。
壁紙も、一見ただの白い壁紙のようだがよく見れば繊細な白い装飾が入っている。
この家は一時が万事大仰だとショーンは思っている。
真に価値のある絵画は廊下になど飾られてはいない。
それでも気軽に廊下に飾られている絵画であっても、手に入れようと思えば庶民が数年働いて得られる程度のお金では足りない。
歴史ある家系には、その長さに従って様々なものが溜まっていく。
かたちあるものも、そうでないものも。
絵画しかり、人間関係然り。
衝動のまま絵画の一枚でも殴ったり落としたりしてみたいものだが、そんなわけにもいかない。
すれ違う使用人の目もある。
結局、自分もこの家の人間なのだ。
我が公爵家はこの国の始まりの王の兄弟を始祖に持つ、王家に並ぶ歴史と由緒ある家だ。
そう、歴史と由緒は。
自室に戻って、ソファに腰掛ける。
卒業まであと一年。
もう時期学年末の試験があるというところでの呼び出し。
なんとなくそうではないかと思っていた。
縁談。
貴族は意外と恋愛結婚が多い。
それは過去、とある国で起こった王朝の衰退と我が国でも起こったつらい過去のためであった。
一代男爵とは功績に報いるというだけでなく、新しい血を入れるという、その対策という一面もあったりするのだ。
もちろん、出会いそのものが貴族として、そのなかでもある程度階層に則ったものではあった。
主に茶会や夜会、競馬などの社交場、寄宿学校の同級生の兄妹などがある。
公爵家の後継ぎとして、いつか来るとは思っていた。
むしろ遅いくらいだ。
お相手は、子爵家のアリア嬢。
姉のメアリ嬢とともに何度か挨拶程度はしたことがあるの。
子爵家は早くにに夫人が亡くなったが、子爵は再婚することなく子女を育て上げたらしい。
派手な話は聞かないが、堅実で裕福な商人寄りの貴族という印象しかない。
取り立てて大きな武勲も功績もなく可もなく不可もない地味な家だ。
公爵家の相手としてはいささか家の格が釣り合わないが、しっかりした領地運営で基盤がしっかりした家。
亡くなった夫人が、ショーンの母の寄宿学校時代の友人。
というのは建前だ。
はっきり言ってお金目当てだ。
ここ数年、公爵家は大きな出費が続いた。
特別大きな災害や戰があったわけではない。
経営している繊維工場で大きな機械の入れ替えが必要だったり、祖母が亡くなり葬儀を執り行ったり、別荘の老朽化が予想より早く進み立て直したり。
それなりに見越して貯めていたものを上回る出費があったのだ。
そして、それがしばらく続きそうなのだ。
長い歴史を持つ家では、ままあることだ。
やらなくてもなんとかなるものもあるのだ。
我が家が公爵家でなければ。
貴族には、何より体面が大切なのだ。
払って払えなくはない。
客間のツボや絵画または母の宝石を一つ売り払えば工場一つ新設できる。
信用もある。
商人に一声かければ、ドレスだって宝石だってツケにできるだろうし借金だって可能だ。
だが、歴史ある我が家のものは何一つ減らしたくはないのだ。
減らすわけにはいかないともいう。
ツボを売ったとしよう。
貴族社会は狭い。
ツボを売ったという事実は、3日後には貴族中に広まり1週間後には国王の耳に入るだろう。
あることないこと尾鰭がついて。
そうなるとどうなるか。
噂の速さと怖さを侮る貴族はいない。
噂を疎かにするとそれが現実となっていくのが貴族社会だ。
ツボを売っただけなのに家宝(違う)のツボを売り払うくらいお金に困っているとなり、取引先から取引中止や前払いの要求が来るようになり、職人の引き抜き、噂を聞きつけた使用人が転職していく。
そして公爵家の困窮は現実化していく。
国王への申し開き、経営する商会の関係者全てに問題がないことを示し、噂を払拭できるもっともなさらに大きな話を貴族社会に流す。
少なくともそのくらいは必要となる。
目眩がするほど面倒である。
結局のところ、いくら資産があってもそれを活用することは許されないのである。
そうなると臨時をしのぐお金は他から作らなくてはならない。
それが持参金であり、格下の妻の実家からの援助である。
ノックの後ゆっくりと扉が開きショーン付きの執事が入り、その後にメイドがワゴンを押して入ってきた。
ワゴンにはお茶の用意と、サンドイッチと銀色の器に入ったスープポットが載っていた。
昼を食べていないショーンのために用意された軽食である。
執事がショーンを労い着替えを手伝っている間に、テーブルにはサンドイッチとスープ、デザートの果物が用意されていた。
朝、朝食を待たずに寄宿学校を出たので正直お腹は空いているので助かった。
気の利く執事とメイドは得難いものだ。
久しぶりの自室での食事は馴染みの味で少し気持ちが浮き立つ。
食べ終わった皿を片付けて、代わりにお茶を準備して、執事とメイドは退出していった。
その間際ちらりとメイド、マリーと目があった。
その口が小さく動いた。
“おかえり”
ちょっとくだけたその言葉はメイドが主人にきく言葉ではない。
マリーは乳母の娘つまり幼馴染の乳姉弟で、ショーンの気持ちが浮き上がる。
ショーンはマリーを好ましく思っていた。
マリーからの好意も感じていた。
このままずっと一緒にいたいと思っていた。
すこしだけ、ずっとこのままで居られるのではないかと思っていた。
ショーンはもう十七歳だった。
普通貴族は10代の初めに婚約することが多い。
そこから数年をかけて両家で条件を合わせたり、教育を受けたりその過程で婚約者同士としての関係を作っていく。
当人同士だけではなく家同士も同様である。
父も母も、マリーのことは気にいっている。
そもそもマリーの母親は伯爵令嬢だった。
ショーンの母とは親が従姉妹同士という関係だった。
婚約者のいるとある伯爵家の嫡男と駆け落ちして勘当されてしまった。
そこで生まれたのがマリーだった。
母子揃って捨てられて困窮する生活を知り、ショーンの母が乳母に雇った。
マリーの母は、数年前に亡くなった。
マリーはずっとこの家で育ち、働いてきた。
両親はショーンとマリーの気持ちを知っているはずだった。
ショーンは自分に婚約者がいないのは、そういうことだと思っていた。
それなのにいきなり決定事項として婚約が父親から告げられた。
期待していただけ、裏切られた気持ちが強くなる。
腹立たしい。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

君は妾の子だから、次男がちょうどいい

月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、マリアは片田舎で遠いため、会ったことはなかった。でもある時、マリアは、妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは、結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

ひとりぼっち令嬢は正しく生きたい~婚約者様、その罪悪感は不要です~

参谷しのぶ
恋愛
十七歳の伯爵令嬢アイシアと、公爵令息で王女の護衛官でもある十九歳のランダルが婚約したのは三年前。月に一度のお茶会は婚約時に交わされた約束事だが、ランダルはエイドリアナ王女の護衛という仕事が忙しいらしく、ドタキャンや遅刻や途中退席は数知れず。先代国王の娘であるエイドリアナ王女は、現国王夫妻から虐げられているらしい。 二人が久しぶりにまともに顔を合わせたお茶会で、ランダルの口から出た言葉は「誰よりも大切なエイドリアナ王女の、十七歳のデビュタントのために君の宝石を貸してほしい」で──。 アイシアはじっとランダル様を見つめる。 「忘れていらっしゃるようなので申し上げますけれど」 「何だ?」 「私も、エイドリアナ王女殿下と同じ十七歳なんです」 「は?」 「ですから、私もデビュタントなんです。フォレット伯爵家のジュエリーセットをお貸しすることは構わないにしても、大舞踏会でランダル様がエスコートしてくださらないと私、ひとりぼっちなんですけど」 婚約者にデビュタントのエスコートをしてもらえないという辛すぎる現実。 傷ついたアイシアは『ランダルと婚約した理由』を思い出した。三年前に両親と弟がいっぺんに亡くなり唯一の相続人となった自分が、国中の『ろくでなし』からロックオンされたことを。領民のことを思えばランダルが一番マシだったことを。 「婚約者として正しく扱ってほしいなんて、欲張りになっていた自分が恥ずかしい!」 初心に返ったアイシアは、立派にひとりぼっちのデビュタントを乗り切ろうと心に誓う。それどころか、エイドリアナ王女のデビュタントを成功させるため、全力でランダルを支援し始めて──。 (あれ? ランダル様が罪悪感に駆られているように見えるのは、私の気のせいよね?) ★小説家になろう様にも投稿しました★

婚約者が不倫しても平気です~公爵令嬢は案外冷静~

岡暁舟
恋愛
公爵令嬢アンナの婚約者:スティーブンが不倫をして…でも、アンナは平気だった。そこに真実の愛がないことなんて、最初から分かっていたから。

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

【完結】婚約破棄される前に私は毒を呷って死にます!当然でしょう?私は王太子妃になるはずだったんですから。どの道、只ではすみません。

つくも茄子
恋愛
フリッツ王太子の婚約者が毒を呷った。 彼女は筆頭公爵家のアレクサンドラ・ウジェーヌ・ヘッセン。 なぜ、彼女は毒を自ら飲み干したのか? それは婚約者のフリッツ王太子からの婚約破棄が原因であった。 恋人の男爵令嬢を正妃にするためにアレクサンドラを罠に嵌めようとしたのだ。 その中の一人は、アレクサンドラの実弟もいた。 更に宰相の息子と近衛騎士団長の嫡男も、王太子と男爵令嬢の味方であった。 婚約者として王家の全てを知るアレクサンドラは、このまま婚約破棄が成立されればどうなるのかを知っていた。そして自分がどういう立場なのかも痛いほど理解していたのだ。 生死の境から生還したアレクサンドラが目を覚ました時には、全てが様変わりしていた。国の将来のため、必要な処置であった。 婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。 後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。 「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。

婚約破棄から始まる恋~捕獲された地味令嬢は王子様に溺愛されています

きさらぎ
恋愛
テンネル侯爵家の嫡男エドガーに真実の愛を見つけたと言われ、ブルーバーグ侯爵家の令嬢フローラは婚約破棄された。フローラにはとても良い結婚条件だったのだが……しかし、これを機に結婚よりも大好きな研究に打ち込もうと思っていたら、ガーデンパーティーで新たな出会いが待っていた。一方、テンネル侯爵家はエドガー達のやらかしが重なり、気づいた時には―。 ※『婚約破棄された地味令嬢は、あっという間に王子様に捕獲されました。』(現在は非公開です)をタイトルを変更して改稿をしています。  お気に入り登録・しおり等読んで頂いている皆様申し訳ございません。こちらの方を読んで頂ければと思います。

婚約者に選んでしまってごめんなさい。おかげさまで百年の恋も冷めましたので、お別れしましょう。

ふまさ
恋愛
「いや、それはいいのです。貴族の結婚に、愛など必要ないですから。問題は、僕が、エリカに対してなんの魅力も感じられないことなんです」  はじめて語られる婚約者の本音に、エリカの中にあるなにかが、音をたてて崩れていく。 「……僕は、エリカとの将来のために、正直に、自分の気持ちを晒しただけです……僕だって、エリカのことを愛したい。その気持ちはあるんです。でも、エリカは僕に甘えてばかりで……女性としての魅力が、なにもなくて」  ──ああ。そんな風に思われていたのか。  エリカは胸中で、そっと呟いた。

【完結】え? いえ殿下、それは私ではないのですが。本当ですよ…?

にがりの少なかった豆腐
恋愛
毎年、年末の王城のホールで行われる夜会 この場は、出会いや一部の貴族の婚約を発表する場として使われている夜会で、今年も去年と同じように何事もなく終えられると思ったのですけれど、今年はどうやら違うようです ふんわり設定です。 ※この作品は過去に公開していた作品を加筆・修正した物です。

処理中です...