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第三十八節「反旗に誓いと祈りを 六崩恐襲 救世主達は今を願いて」

~先駆けに秘められし意思 イシュライト達 対 憎悦④~

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 イ・ドゥール族長、師父ウィグルイの敗北。
 その事実が、孫イシュライトの心を絶望へと叩き落した。

 それも、奥底に潜んでいた恐怖心もが露わとなってしまう程に深く深く。

「あ、ああッ、師父殿ッ!! しっかりしてください師父殿ォ!!」

 腕に抱いた祖父を懸命に揺する姿はまるで、助けを求めて縋るかの様で。
 共に打ち上がったこの声も、震えが混じって怯声となる。

 しかし幾ら頼り縋った所で、ウィグルイが動く事はない。
 イシュライトの胸に抱かれたまま、力無く項垂れたまま。
 その体からは既に命力も失われ、心の欠片も残されてはいないのだから。

「貴方が倒れては、一体誰が敵を倒すと言うのですかあッ!? どうか、どうか起きてください。 お願いします、どうか……ッ!」

 遂には必死に懇願し、有り得ぬ復活さえも請い願う姿が。
 例え叶わないとわかっていても、そう願わずにはいられなくて。
 それは単に、今抱いた恐怖をどうしても拭う事が出来ないからこそ。

 〝ジェロールには絶対に勝てない〟
 この言葉が心に深く刻み込まれた以上は。



 イシュライトにとって、命力拳とは絶対的な自信そのものである。
 その拳に砕けぬ物無し、巧みに奮えば全てに応え、あらゆる形を自由に成そう。
 そう信じて生来、同胞と共に拳を奮い、高め、打ち込んできて。
 グランディーヴァへと合流した後も、同志たる仲間と共に心血を注いできたものだ。

 だがそうして築き上げた確固たる自信は、突如として崩れ落ちる事となる。
 カイト・ネメシスの存在が、深い傷を刻み込んだのである。

 あの存在が纏う異質さは、確固たる自信を砕く事さえ容易だった。
 それ程までに自信の根源をも揺るがしかねない異能だったからこそ。
 何せ自慢の命力を纏えば漏れなく逆手に取られてしまうのだから。

 だからあの戦いの折、イシュライトは戦いつつも後方支援を優先した。
 それが最も効率の良い立ち回りだと判断したから。

 でも本当は違う。

 心では恐れていたのだ。
 この相手だけには自慢の拳が通用しないのだと、心が理解してしまったからこそ。
 積み上げてきたモノ全てが無駄になる事を恐れてしまったのだ。

 ただ、その後の結果は言わずと知れた事で。
 天力に目覚めた勇が間に合い、勝利に至ったのは記憶にも新しい事だ。
 これがどれだけのイシュライトに安堵をもたらしたか。

 しかしそれでも、刻まれた禍根は心の奥底に根強く残っていた。

 以降、イシュライトは何度も不安を抱き続ける事となる。
 またしても同様の力を持つ相手が立ち塞がったならばどうしたものかと。
 その言い得ない不安を解消する為に、思考を巡らせてはあらゆる事へと打ち込みもした。
 獅堂を鍛えたり、マヴォの魔剣テストに付き合ったり、生身の限界に挑戦したり。

 けれど答えは出なかった。
 己の根幹と言える命力拳を裏切る事が出来なかったから。
 そもそも、人生を懸けて身に付けた拳法を今さら覆す事など出来る訳が無い。

 影では相応に苦悩しただろう。
 周りにそんな素振りを見せないようにと強がりつつも。
 だから誰にも悟られないまま、決戦をも迎えてしまって。



 そしてまさか不幸にも、あの特性を持つジェロールと対峙する事になるとは。
 何の対策を講じる事も出来ないまま、恐れていた事が現実となってしまったのだ。



 頼みの綱だったウィグルイはもう居ない。
 それに【破神龍哮法】を知った今でさえ、恐怖を断ち切る事が出来ないでいる。
 恐怖が先行し、力を信じる事がどうにも出来くて。
 欠点さえ露呈し、敗北まで喫してしまったのだからなおさらに。

 もし裏の極致とその存在意義を最初から知っていれば、結果はまた異なっていただろう。
 でも、なまじ脅威を先に知ってしまったからこそ、心がもう委縮し尽くした後で。
 そんな心に今の絶望を拭えるだけの希望はもう、残されていなかった。

 動かない祖父に縋る姿がその証拠と言えよう。
 あの勇猛果敢な拳士の面影など、もう微塵も見えはしない。

「お願いです!! 起きて、起きてくださいよッ!! 起きてって言ってるだろォォォ!!?」

 それ程までに追い詰められているからこそ、誰にも見せた事の無い焦りさえ露わにする。
 そうして喚く姿はまるで駄々を捏ねる子どものよう。
 遂には嗚咽さえも漏らし、動かなくなった祖父の身体を力一杯に抱き締めていて。
 やがて焦りは嘆きとなり、一心に体を震わせる弱々しい姿がそこに。

 確かに、敵への恐怖はあったのだろう。
 けれどそれだけに限らず、師父の敗北と死という現実が受け入れられなくて。

 もしかしたら昔の様に駄々を捏ねれば起き上がってくれるかもしれない。
 実はまだ生きていて、驚かせる為に死んだフリをしているのかもしれない。
 そんな悪戯をしてしまう様なお茶目な人だったから、僅かな期待も抱いていて。

 だが、現実は非情である。
 抱いた体からは力も心も感じとれはしない。
 期待も、希望も可能性さえも。 

 故に、遂には悲しみに堪えて打ち震える。
 涙を流し、嗚咽を漏らし、無念の余りに歯を食い縛りさえして。
 そして咆え猛ろう。
 思いの丈のままに。

 かつてよりの祖父への想いを叫びに換えて。



「貴方は私が殺すと誓ったハズだあッ!! なのに何故死んだッ!! このッ、クソジジィィィーーーッッッ!!!!」



 イ・ドゥール族にとって、仲間・同胞の死とは糧である。
 拳を極める上で必要不可欠とも言える経験の礎である。

 だからこそ、イシュライトにとってはウィグルイこそが至高の目標。
 それも、敢えて当人に殺すと誓う程の。
 目上の存在を屠る事が、望みし〝最強〟への道の一つだったのだ。

 しかしそんな人生の目標がこうして不本意に断たれてしまった。
 嘆かない訳が無い。

 己の信じた拳を否定され。
 目指す目標さえ失って。
 敬愛するべき者との誓いも守れなくて。
 無念が重なり、無力感さえもが心を支配する。
 なれば戦意・闘志さえ萎え、戦う気力さえ消え失せよう。

 今のイシュライトはもう、戦えない。
 ただただ亡骸を抱き、項垂れる事しかもう出来はしないだろう。

「ハッハァー! どうやらジジィはくたばった様だな。 それはつまり、これで俺を脅かす奴は居なくなったという事だ。 ならばもう俺の勝利が揺らぐ事は―――無いッ!!」

 対するジェロールはと言えば、既に元の気力体力を取り戻していて。
 まるで息を吹き返したかの様に、先程までの怯えはもう見えない。
 それどころか自信までをも取り戻し、当初と同じ不敵な笑みまで見せつける始末だ。
 更には再生能力があるのか、あれだけ叩かれたにも拘らず傷らしい傷は消えている。

 あろう事か完全復活を果たしていたのである。
 再び筋肉をひけらかす程の自信に満ち溢れさせて。

「―――だが俺は徹底主義でなぁ。 僅かでも敗北の可能性が残っているのならば、その芽すら摘む事に余念は無いのだよ。 つまり、貴様も今すぐ死ぬという事だ」

 そして邪神の眷属であるからこそ、容赦もしない。
 ゆっくりと歩み寄りつつも、蹲るイシュライトに狙いを定める姿が。

 元より誰一人逃がす気は無いのだろう。
 こうして戦意さえ失った相手であろうとも。
 先程の様な無様な姿を晒さない為にも、徹底して脅威の芽を潰すつもりなのだ。
 イシュライトを殺し、ウィグルイの亡骸を潰すまでは―――

 止まる気など、毛頭無い。

「さらばだ屑肉どもーーーッ!! 俺の輝かしい未来の礎となれぇーーーッッ!!!」

 巨拳を振り上げ力を込める。
 己の野望を成就する為にも、全ての脅威を磨り潰さんと。



……ドゥルルルルーーーッ!!!



 だがその時、突如として異音が戦場に轟く。
 イシュライトどころかジェロールもが驚く程の、荒々しくも弾力に富んだ轟音が。

 その最中に現れたのは、巨大な砲弾の如く丸い黒影。
 なんとその影が夕焼けの彼方から飛び込んで来たのだ。
 それも凄まじい速度で、ジェロールへと向けて真っ直ぐと。

ズッッドォォォンッ!!!

 その砲弾のなんという肉厚感、重量感か。
 余りの突然の事で、躱す事さえままならなかった。
 それ程までに速く、強く、巨大で。

 その圧倒的な威力故に、たちまちジェロールが瞬時にして彼方へと弾き飛ばされる。

「ぐうおおおーーーッッッ!?」

 あのジェロールが弾かれるという事。
 それはすなわち、今の一撃に命力が籠っていないという事だ。

 なら今打ち当てられたのは、一体何だというのか。

 ―――その答えは、誰もが知っている。
 命力でないのならば、人知を超えし準神を退けられる物はただ一つ。

 それは張り裂けんばかりの、筋肉だ。
 黒光りした肌に幾重の筋をも刻み込み、余す事無く鍛え上げたその身体だ。
 マッスルアップに余念無く、あらゆるものに耐えうる様になったその肉体だ。
 ならば斜陽に当てられ生まれた陰りとて、肉体美を飾る輝きの礎となろう。



「ぬぅはははーーーッ!! 我が筋肉砲弾に撃てぬもの無しッ!! アルバ推参であぁるッ!!」



 その砲弾の正体こそ、あの筋肉巨人アルバ。
 なんと、自らの身体を丸めて砲弾の如く突撃して来たのだ。

 命力で鍛えに鍛え抜かれたその肉体強度は、もはや鋼鉄の硬度をも凌駕している。
 故に筋肉を引き締めるだけで、命力が無くとも相応の攻撃力を発揮出来るのである。
 まさに筋肉を愛し、敬い、信頼し尽くしたこの男だけに成せる技と言えよう。

 そう颯爽と現れては、早速の筋肉スマイルをイシュライトへと見せつける。
 調子の良い性格は相変わらずの様だ。

 そしてどうやら、駆け付けたのはこの筋肉だけではなかったらしい。

 その直後、彼方から一人の影が夕焼けの中で跳び上がり。
 間も無く、イシュライトの目前へと華麗に着地を果たす。
 しなやかに音も無く、備えた手甲を朱に輝かせながら。

 その艶やかな顔を向け、不敵な微笑みを見せつけて。

「やぁやぁ数日ぶりだねぇイシュライト。 思ったよりずっと早い再会じゃあないか」
 
 それはなんと、サイ 懍藍リェンラン
 デュラン達との戦いの後、姿をくらましていたあの男が何故か今ここに。

 とはいえ、彼もまた相変わらずで。
 フランスでの激闘の傷も癒え、綺麗な様相でのお出ましだ。
 以前同様にアルバと肩を並べ、今度はイシュライトを守る様にして構え立つ。
 その姿の如何に頼もしい事か。

「すまん、遅くなった。 道中に居た悪魔もどき共を駆逐するのに手間取ってな」

「ま、いい腕試しにはなったけどねぇ。 とはいえ全くツイてないよ。 ちょっと旅にでも出ようかとホームに戻ってきたらこれだからさ」

 二人はどうやら偶然再会し、一緒にここまで来たらしい。
 ただ、戦う理由は違えど目的は同じ。

 祖国の、ひいては世界の危機を救う為に。
 己の、更なる飛躍を成し遂げんが為に。
 二人は今こうしてジェロールの前に立ち塞がる。

 戦士らしく、その命を賭して。

「な、何故来たのですか!? 勝てる訳が無いじゃないですかッ!! 相手は命力が通じないのですよ!? なのにあれ程の破壊を見て、我々に一体何が出来ると思えるのですかッ!?」

 しかしそんな勇ましい姿の彼等に向けて、イシュライトの弱音が投げ付けられる。
 叫ぶ様でも震え、脅え、委縮し尽くした弱々しい一声が。

 でも、そんな弱気のイシュライトに振り向けられたサイの顔は―――笑顔だった。
 嘲笑った訳でも、失笑した訳でもなく、彼らしい穏やかな笑みを返していたのだ。

「おやや、らしくないねぇ。 あれだけ戦いに執着していた君は一体どこへ消えたのかな? 今の質問は、僕らみたいな人種に対しては愚問にしかならないと思うんだけども」

「その通ゥりッ!! 命力が効かない? だから何だと言うのだァ!! ならばこの筋肉で締め倒せば良い事よ!!」

 振り向かずとも、アルバも同様に。
 更には互いに拳を握り締め、戦意を露わにしていて。
 今迫り来る脅威に対し、臨戦態勢を如何無く見せつける。

 その姿に、怯えなど微塵も見えはしない。

「で、ですが、それでは勝つ事など―――」
「もう一度言う。 それが何だと言うのだ。 死力を尽くし戦う事に理論も理屈も必要無い。 己の力を振り絞る、ただそれだけだ」

 故に、二人はもう飛び出していた。
 今の一言をきっかけとして。
 走り来るジェロールへと立ち向かう為に。

 きっと二人には、命力が通じないという理屈など関係無かったのだろう。
 彼等はそんな力を得る前からずっと鍛え、戦い続けてきた者達なのだから。
 命力が効かなければ、自慢の肉体を奮えば良いのだと。

「ふははは!! 例え命力が無くともォ!! この俺の筋肉はそう易々と敗れはせんぞォ!! ふんぬッ!! マッスォォォーーールォ!!」

 アルバは元々マッスルビルダーで、戦いを目的として鍛えてきた訳ではない。
 けれどデュランと出会って命力の使い方を知り、その力を使った鍛え方も知った。
 お陰で己の肉体を武器と化す程に強靭強大へと進化させる事が出来て。
 だからこそ今、その肉体がジェロールを打つ。
 己の信念に従い、自慢の筋肉で神に抗う為に。
 
「僕の拳法はちょっと小賢しいよぉー!? ホゥオァッタァァァーーーッッ!!!」

 それはサイも同じだ。
 鍛え抜かれた技は幼少期から学び、鍛え、昇華させたもの。
 故に、ジェロールへと打ち付けるその拳にはもはや魔剣など備わっていない。
 必要無いのだ。
 そもそも魔剣など、命力を会得する為の手段に過ぎない。
 自慢の拳も身のこなしも、全ては己の肉体のみで再現出来るのだから。

 アルバの超重量チャージが炸裂し、サイの拳法が突き貫く。
 その一撃一撃は確実に不動不壊なはずの肉体を傷付けているのだ。

「ぐくっ!! 貴様等ァァァ!!」

 確かに、それらの攻撃ではまだジェロールに勝てるとは到底言い難い。
 しかしそれでも、通用しない訳でもない。
 例え勢いを止める事が出来なくとも、再生される事になろうとも。

 だからこそ二人は諦めず打ち込み続けるだろう。
 それが戦う力を得た彼等の覚悟だから。
 抗い、死力を尽くす事が宿命なのだと悟っているのだから。

 アルバが殴られ、その身を激しく後退させられて。
 それでも怯まず再び勇猛に立ち向かう。
 歯を食いしばり、吐血さえも堪え、気迫を咆哮へと換えながら。

 サイが打たれ、木っ端の様に宙を舞い。
 しかして体を捻っては力を受け流し、反撃の一撃を巨拳へと打ち抜いて。
 髪が乱れようが服が引き裂かれようが構わず、荒ぶり咆えて再び大地を蹴る。

 例え劣勢だろうと関係無い。
 勝ち目が無い戦いだろうと怯まない。
 それが、世界を救うと誓った戦士の在り方だから。
 それが、最強を目指すと願った戦士の在り方だから。

「あ、ああ、そんな、あれは……」

 そんな果敢に立ち向かう二人の姿に、ウィグルイの影が重なる。
 少なくともイシュライトにはそう見えていた。
 先程見せつけられた戦いと全く同じなのだと。

 ウィグルイも同じだったから。
 命力の通じない相手だろうが姿勢を変える事も無く。
 勝利の為でも無く、己の満足の為でも無く。
 ただただ、己のたった一つの目的の為に、全てを奮い尽くしたのだ。

 そして今この時、ようやくイシュライトは気付く。
 師父ウィグルイが死を賭して何を伝えたかったのかを。
 仲間達の戦う姿を通して、やっと気付く事が出来たのだ。



 裏の極致【破神龍哮法】を先奮った、その真意に。


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