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第二十六節「白日の下へ 信念と現実 黒き爪痕は深く遠く」

~これは夢翔け抜ける物語~

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 あれだけの激戦があっても、非常階段路は無事だった。
 上層部こそ亀裂などが浮かんでいたが、少し降りればもう綺麗な石肌が見えていて。
 無機質な蛍光灯の明かりと、冷たく静かな閉鎖空間が寂しささえ呼び込むかのよう。

 そんな中を、勇がそっと一歩一歩踏みしめて降りていく。
 胸に抱く亜月の亡骸を僅かに揺らさせながら。

 長い長い折り返しの階段が続く。
 まるで延々と続いているのかとさえ思える程に。
 同じ景色がずっと続くから、今どこに居るのかさえもうわからない。

 でも、そんな事なんてどうでもいいのだろう。
 ただ無心に、数える事も無く降りていくだけで。
 今の勇にはもう、思考を巡らせる程の気力も残されていなかったから。

―――タァン、タァン、タァン……
 
 するとその時、静かだった空間に意図しない反響音が僅かに響いてきて。
 その音が徐々に階上へと向かう様に大きくなっていく。

 それは足音だった。
 不揃いな複数人の足音が響いて来たのだ。

 その中で勇がふと折り返しから顔を振り向かせると―――

 視線の先にはなんと、茶奈達の姿が。

「勇さんッ!?」

「おおっ、勇じゃねぇか!!」

 どうやらギューゼルとの決着後、この非常階段を見つけたのだろう。
 揃ってボロボロだが、ここまで登って来る元気だけはあった様だ。
 勇を見つけるや否や、たちまち大喜びで駆け登っていく。
 足元がおぼつかなかろうがお構いなしに。

 喜ばずにはいられなかったのだ。
 勇が生きてこの場に立っているからこそ。

 例え満身創痍でも、激戦だったのだとしても。
 その戦いを乗り越え、こうして戻って来たのだから。

 それだけでもう充分なのだと。

「ここに居るって事は、デュゼローをやったんだね?」

「ああ。 全部、終わったよ」

 そんな仲間達に向け、勇が微笑みを返す。
 疲弊の伴う、眉の下がった力無き微笑みを。

 その微笑みを前に、瀬玲もようやく安堵を得たらしい。
 たちまち疲弊した体を壁に預け、その足を留めていて。
 彼女も相当に無理をしていたのだろう。

「お、あずじゃねぇか!?」

 それでも心輝は相変わらずな様だ。
 足が震えていようとも構う事無く、いの一番に勇へと駆け寄っていく。
 その胸に抱えられた亜月に気付いたからこそ。

「ああ。 あずが、助けに来てくれたんだ……」

「そうなんですね。 じゃあ二人で戦ってたんだ」

「マジかよ! だから勝てたんだなぁ、よくやったじゃねぇか!」

 でも、亜月が返事する事は決して無いだろう。
 明るく笑う兄を前にしてもなお、虚ろな目を虚空に向けたままで。

「そんで最後はお姫様抱っこかよぉ! オイオイ、よかったじゃねぇか! んなっはっは!」

 例え幾ら褒め称えようとも。
 幾ら茶化そうとも。

「おいおい、相当疲れたのかぁ? 仕方ねぇなぁ、命力分けてやっかぁ―――」

 幾ら頭を撫でようとも。
 幾ら顔を覗き込もうとも。

 亜月から言葉が返る事はもう、無い。
 


「違うんだシン……あずはもう、動かないんだ……」



 その現実を今、勇が重い口で知らしめる。
 詰まる声を、枯れた喉から精一杯に引き出して。

 この一言がどれだけ非情か。
 どれだけ口にしたくなかったか。
 そう悩んでいたから足取りも重くて。
 どう切り出したらよいかもわからなくて。

 けれどその機会がこうして自ら歩んできてしまった。
 だからこそ伝えねばならないと、覚悟を決めた。
 
 亜月はもう、この世には居ないのだと。

 勇の一言は茶奈達の思考を止めるには充分だった。
 それ程までに信じられなくて、理解出来なくて。

 あの亜月が死んだなんて、どうしても嘘としか思えなくて。

「―――は? ど、どういう事だよ? 何の冗談だよ、なぁ……」

 堪らず心輝が動揺を露わに。
 戸惑いと、不安の入り混じった疑問を、震えた声でぶつけながら。

 それでも勇が表情を変える事は無い。
 申し訳なさそうに視線を外し、悔しさを噛み締めるだけで。
 茶奈も瀬玲も勇の一言でわかってしまったから、声を震わせる事しか出来はしない。

 現実は残酷である。
 例え〝殺しても死なない奴だ〟と言われても、心臓を貫けば立ち所に死んでしまうだろう。
 何が起きても平気な娯楽漫画カートゥーンとは違うのだ。

「嘘だろ……ほら、ドッキリって、そういう事だよな? なぁ!?」

 間も無く心輝の手が伸び、亜月の頬を撫でて摘まむ。
 嘘なのだろうと勘ぐって、その血と埃塗れの顔をこねくり回して。

 そして冷めた肌の感触を感じ、震えた手が遂にその動きを止める。

 現実が、心に伝わっていく。
 信じたくも無い現実が。
 有り得るはずも無いと思っていた現実が。

 次第に唇の震えは目元にも及んで。
 たちまち瞳に、心に涙を誘う。

 背後に立つ茶奈や瀬玲も同様に。
 ただ非情な現実を受け入れて、悲しみに打ちひしがれよう。

 その溢れる悲哀を塞き止める事は叶わない。
 悲しみ尽くして枯れた勇でさえも。



「嘘だって……嘘だって言ってくれぇーーーーーーッ!!」



 この時、心輝の悲壮の叫びが石に囲まれた場に木霊する。
 涙の海へと心口を浸し、妹に帰って来いと訴えんばかりに。

 でももう亜月はその涙海の底へと沈み、溶けて消えたから。
 幾ら訴えようとも、その声が届く事は決して無い。

 あの眩しい笑顔で笑う者はもう、帰ってこないのだ。


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