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第二十六節「白日の下へ 信念と現実 黒き爪痕は深く遠く」

~〝ありがとう〟~

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 あれから同様の攻防が続いた。
 人知のみならず理をも凌駕した戦いが。

 勇が追い詰め、輝光剣を奮い。
 デュゼローが躱し、魔剣を焼かれ。
 床や壁や天井を斬り裂きながら駆け巡る中で。

 もはや展望台は原型を留めていない。
 今にも壁や天井が崩れ、地上へと落下しそうな程に。

 その様な状況は階下から見ても明らかで。
 既に報道陣や野次馬達は都庁から離れ、状況を静観している。
 配信された動画を前に、固唾を飲んで見守りながら。



 でも、それでも二人の戦いはまだ終わらない。
 どちらもまだ、心も体も折れていないからこそ。



カララァーーーンッ……

 これで何度目だろうか。
 刃を失った魔剣が床を打ち転がっていく。

 デュゼローが握るのはもう既に一本の魔剣のみ。
 加えて、片手を懐を探ろうとも出て来る物は無い。

「クッ、もう無いか」

 数を数える余裕さえ無かったのだろう。
 今更気付いた事実に、その顔が苦悶で歪む。

 合計で一一本。
 勇が斬り裂いた魔剣の数だ。

 ここまでで四分。
 勇が輝光剣を顕現してからの時間だ。

 たったそれだけの攻防の中で、その全てが溶断し尽くされた。

 でも勇の力は衰えるどころか力を増している。
 剣柄からは今なお光が溢れ、床と大気を削り続けていて。

 その圧倒的な力を前にして、デュゼローの顔に焦燥感が滲む。
 
―――状況は圧倒的に不利、ここは一旦引くか?―――

 その中で脳裏を巡ったのは、自問自答。
 追い詰められた心が不屈を揺るがしたが故に。
 じりじりと詰め寄って来る勇を前に、焦りさえ抑えられなくなったのだろう。

―――いや、時間を与えれば状況は悪化するだけだな―――

 ただその退案も更なる思考が覆す。
 撤退の先に見えた更なる不安を拭えなくて。

 勇の謎の力の秘密がわからない以上は。

―――もし奴が今の力をモノにしてしまえば、勝機は無い―――

 勇の力は本人もが与り知らない事だ。
 でももしここで見逃し、その力を理解する時間を与えてしまったならば。
 その結果、今以上の力を手に入れてしまったならば。

 また戦った時に勝てる可能性は、皆無。
  
―――ならば全てを賭すしかあるまい。 計画をやり直してでも―――

 それにデュゼローも勇の速度に目が馴れつつある。
 完全回避は出来なくとも、反撃の糸口が見えるくらいには。

 だからこそ光明を手放すつもりは無い。
 例え費やした三〇〇年が無駄に消える事になろうとも。
 
 その決意がまたしてもデュゼローを奮い立たせる。
 目の前の脅威を全力で振り払う為に。



 勇の心は今、この上無く穏やかだった。
 まるで同じ形の雲をいつまでも残し続ける青空の様に。
 その心に先程の夜の如き暗闇はもうどこにも残されてはいない。

 全てはあの時始まったのだ。
 命力を全て失った時に。

 亜月を失った悲しみも。
 世界を混乱に陥れた事への怒りも。
 信念を砕かれて生まれた失意も。
 あの時何もかもが心の中で混ざり、溶け合って。

 虹の一雫ひとしずくとなって、心の闇空に落ちて消えた。

 でも雫はただ消えた訳じゃなくて。
 たちまち暗闇に波紋を誘い、反射し、うねりと成って光を呼び込んだ。
 そしてその光はとても眩しく、暖かったのだ。

 それは、青の空を願う心を取り戻す程に。
 覆っていた暗闇を溶かし尽くす程に。

 心の奥底に潜んでいた奇跡の光を汲み取れる程に照らしてくれた。

―――あずは本当は戦いを好む様な子じゃなかったんだ―――

 そんな心の青空に勇の声が響いていく。
 青空を揺らす波紋をとなって。

―――それなのに、俺を助ける為に来てくれた―――

 波紋の影に、かつての記憶がちらりと映る。
 亜月と紡いだ思い出が。
 仲間と共に歩んできた姿と共に。

―――ありがとうな、あず―――

 その時映り込んだ亜月の笑顔はどれも眩しくて。
 もしかしたら、暗闇を照らしたのはその眩きだったのかもしれない。

 そう思えてならなかったから。
 だから今、自身を導いてくれた亜月に感謝の言葉を贈る。
 
 光をもたらしてくれてありがとう、と。

―――だから後少し待っててくれ。 すぐに終わらせるから―――

 その光を以って、勇は行く。
 湧き上がる自信をも胸に秘めて。
 助けに来てくれた亜月へ報いる為にも。

 安寧の未来への可能性を諦めない為にも。



 荒れ果て、暗闇に堕ちた展望台に三つの輝きが灯る。
 闇夜を照らす月明かりと、デュゼローの迸る命力光と。
 そして、そのどちらをも押し退けて煌めき輝く、勇の輝光剣である。

 そんな二人を高空の強風が煽り、髪を、服を、外套を靡かせて。
 沈黙が誘ったはずの静寂をも拭い去っていく。
 まるで、二人の決着を今かと急くかの様に。

 でもそう煽る必要も無いのかもしれない。
 もうどちらも、次の一撃に賭けているからこそ。
 故にどちらも静かに心を昂らせ、来たるべきその時に備えているのだろう。

 もう、どちらも覚悟を決めたから。
 互いの目指す未来へと進む為に。
 この戦いに己の全てを注ぐのだと。

「まさかこの様な事に成るとは思ってもみなかった。 全ては順調だった」

 そんな中、風切り音に誘われたのかデュゼローがポツリと零す。
 恨み節にも足る思いの丈を。 

「お前を死に追いやり、共存の道が誤りであると証明し、戦いの世界を安定させる事で、この計画は不動となるはずだったのだ……!」

 それも当然か。
 この日の為にずっと心血を注ぎ続けて来たのだから。
 その積年の努力を無為にさせられれば恨みもしよう。

 それもただ憎むのではなく。
 怨恨から生まれた怒りさえも力と換える為に。

「だがまだ間に合うだろう。 今ここでお前が死にさえすればまだ矯正は出来る―――いいや、成さねばならん!! だからお前はここで倒れねばならない……絶対にッ!!」

 その怒りが、憎しみがデュゼローの魔剣を輝かせる。
 たった一本となった今でも、前以上に強く眩く。

 でも勇がそんなデュゼローの言動に反応を見せる事は無い。
 静かに意識を集中し、五感を鋭くさせていたからだ。
 もう戯言に付き合うつもりは無いのだから。
 
 今はただ、剣を交える瞬間を待つのだと。
 


 そして、その時は突如として訪れた。



 二人が再び床を蹴り、同時に飛び出したのだ。
 恐れる事も、怯む事も焦る事も無く。
 ただその手に握る剣の一閃を叩き込む事だけを一心に。

「倒れろォ!! フジサキユウゥゥゥーーーッ!!」

「やらせるものかデュゼロォォォーーーッ!!」

 その叫びが木霊した時。
 間も無く二人が肉迫し、互いの刃が交差する。

キュゥィィィンッ!!

 打ち合ったのではない。
 これは初手の牽制だ。
 刃を擦れ違い流しただけの。

 間も無く共に足で床を踏み抜き、その力を急転の突撃力へと換える。
 その中で先に振り切られたのは―――勇の返し刃による斬光一閃。

 斜に刻まれた一閃である。

 ただ、それはデュゼローの予想通りだった。
 空かさず身体を捻らせ、紙一重で躱していて。
 それも捻った勢いのまま、その身に弾丸の如き回転力さえ与えよう。

 そうして体現せしは渦斬り。
 勇の隙だらけの脇腹へと抉り込む様に刃が襲う。

 しかし勇はその斬撃を驚くべき手段で躱していた。

 なんとデュゼローの拳を蹴り上げていたのだ。
 あろうことか魔剣の掴んでいた拳を。
 それも剣が届くよりも速く、跳ね上げる程に強く。

「くおおッ!?」

 たちまちデュゼローの体が不自然に跳ね上がる。
 突撃力さえも無為にする程の蹴り上げだったが故に。

 そしてこの機会を逃す勇ではない。

 その瞬間、二人の間に真円の残光が刻まれる。
 勇が蹴り上げた勢いのまま回転斬撃を放っていたのだ。
 
キュォォォーーーーーーンッ!!!

 万物を焼き切る一撃が今再び。
 床を抉り、溶断する程の一撃が振り上げられたのである。

 でもデュゼローはその斬撃さえも躱しきる。
 魔剣で床を突き、急転回避行ったが故に。
 外套を、片腕の肌を焼かせながらであるが。

 それでも魔剣は無事なままだ。
 最後の武器を易々と失わせる程、この男は甘くないからこそ。

ズザザッ!!

 再びデュゼローが床へと足を付く。
 石床を削り飛ばして。

 石面から反射し瞬く輝きを眼に納めながら。

 この時、デュゼローは垣間見る事となるだろう。
 そのまま見上げた先に映る光景を。

 太陽の如き輝きを放ち、極限までに体を捻り振り絞る勇の姿を。

 今までの攻防はただの前準備に過ぎない。
 全てはこの一閃へと繋ぐ為の。

 そうして放つ光全てが力。
 何者をも断つ剣となろう。



 その力を以って今、究極の一閃を解き放つ。

 だが―――



 なんとデュゼローはその一閃を前に、臆する事無く踏み出ていた。

 デュゼローはもう既に見切っていたのだ。
 この輝光剣がもたらす威力を、速さを。
 その斬撃の有効範囲までをも何もかもを。

 故に、例え極限の一撃であろうとも躱せよう。

 振り切られたのは横薙ぎの一閃。
 しかしその一閃も、デュゼローに届く事無く空を切る。
 寸前で躱したのだ。
 斬撃圏内へと踏み込んだにも拘らず。

 上半身だけを仰け反らした事によって。

 まさに紙一重だ。
 外套の襟さえ消し、首の皮一枚を焼き取らせただけに留めて。
 それでもなお、前進の勢いは止まらない。
 全ては狙い通りだったからこそ。

 それを成したこの時こそ、デュゼローにとって最大の好機となろう。

 勇の閃光一閃は威力こそ高いが、打ち放った後の隙が限り無く大きい。
 全身のバネを利用した大振りの一撃であるからこそ。
 よってもしその攻撃を躱しつつ突撃出来れば、勝機は充分。

 そして時宜を得た。
 狙いは完璧である。

 ならばもう後は勝利を手にするのみ。
 その想いが魔剣の切っ先を勇へと伸ばさせる。

 全身全霊の刺突。
 これこそがデュゼローの狙う集大成だ。

 何よりも速く。
 何よりも鋭く。
 何よりも瞬いて。
 雷光を纏った一撃は全てを穿つ。
 渾身の余りに背を向ける今の勇ならば、もはや躱す事さえ叶わないだろう。



 〝勝ったあッ!!〟
 今この時、デュゼローが心中でそう叫ぶ。

 勝利を確信した雄叫びが―――
 


 ―――いつからだろう?

 いつから、思考を止めていたのだろうか。

 いつから〝何故?〟と思う事を止めたのだろうか。 

 〝勇の力の根源は何か〟という疑問を捨てたのは。



 今見せるモノが全てだと、いつからのだろうか。



「な に―――ッ!?」

 そう気付かされた時はもう、何もかもが手遅れだった。
 それだけの刹那の中だったから。
 何もかもが覆せぬ事だったから。

 そう、悟ってしまったから。



 勇のに輝き瞬く激光を前にして。



 それは右手に掴む剣とは違う、全く新しい光の剣。
 剣柄を必要とせず、勇自身から放たれた―――二本目の輝光剣。
 
 そしてその希望の剣が今、振り切られる。

ギュィィィィィーーーーーーンッッ!!!

 刹那、超速の一閃再び顕現す。
 その力、万物をも焼き尽くそう。

 突き出された魔剣を。
 剣を奮う右腕を。

 その果てに、デュゼローの身体をも。



 今、全てを斬り裂いて、一刀の下に―――両断する。
 


バンッッッ!!!!!



 凄まじい威力だった。
 あの強靭なデュゼローの身体を一瞬にして上下に分ける程に。
 その身二つを宙へと跳ね上げる程に。

バチャッチャッ……

 たちまち鮮血を撒き散らしながら床へと転がり落ちて。
 その場に、臓器を撒き散らした無様な姿を晒す事となる。

 こうなればもう、デュゼローとて命を繋ぐ事は叶わないのだろう。

 「も、ウ……終わ、ガブッ……貴様が、せか、イを……」

 その眼は掠れて虚ろで、意識ももはや乏しく。
 唇も震え、溢れる鮮血さえ抑える事も出来ない。

 それでも、青ざめた顔には無念を滲ませて。
 うめきと共に、感情が声となって溢れ出す。

「終わ……せ、た―――」

 それを辞世の句として。

 大義を成し得なかった事への無念は、最後まで男を奮わせた。
 その大義こそが信念であり、人生であり、悲願だったからこそ。

 しかしその想いが与える力もここまでだったのだろう。
 間も無く瞳孔が開き、筋肉を弛緩していく。
 持ち上がっていた指も倒れ、肩が沈んでいく。
 もうその心に光は灯されていない。



 こうして今、デュゼローは息絶えた。
 救世主になろうとした男は、その一歩を踏み出す事も無いままこの世を去ったのである。



 風切音が虚しく場に響く中、勇がデュゼローの亡骸に哀しみの視線をただ向ける。
 勝利に浮かれるどころか、むしろ後悔さえも滲ませて。

 ここに至るまで、全てが長く苦しい戦いだった。
 力及ばぬ相手に苦戦を強いられ、殺され掛けて。
 その末に亜月の命まで失われてしまったから。

 故に喜べる訳も無かったのだ。
 この戦いで得られた事など何も無かったから。
 失われた事の方がずっと多かったから。

 そう、勇は何も得られていない。
 デュゼローが秘めていた世界救済の手段も。
 【フララジカ】の原因も、根源も。
 剣聖達の求める答えの真偽も何もかも。

 残ったのは、亜月の死と混沌の世界という現実のみで。
 本当に勝って良かったのか、という愚かな疑問さえ過る。
 だから哀しまずには居られなかったのだろう。

 自分の勝利に意味さえ感じなかったのだから。

 そんな無念を胸に、踵を返す。
 端に倒れた亜月の亡骸へと向けて。 

「あず、一緒に帰ろう。 皆の所に」

 もう亜月の体に纏った血は固まり、冷え切って。
 僅かに開かれた瞼からは力の失った瞳が覗く。
 激戦に晒された所為か、無数の埃さえ被ったまま。

 そんな埃を払い、亡骸を大事に抱きかかえて勇は行く。
 ただ静かに、仲間達が待つであろう階下へと向けて。

 全てが終わった事を伝える為に。



 そうして非常階段へと去っていく勇を、千野とモッチはただ静かに見つめていた。
 ただ茫然としたままに。

 動かなかった事が功を奏したのだろう、二人とも無事だった様だ。
 カメラもなお、そんな勇の背を撮り続けていて。
 でもその事さえつい忘れ、思わぬ呟きがポロリと漏れる。

「ち、千野さん、彼にインタビューしなくていいんすか?」

 しかし千野はそれでも動く事は無かった。
 それは決して恐れたからでも、腰が抜けたからでも無い。

「出来る訳ないじゃない……こんなの、見せられたらさ……」

 彼女もまた人間だから。
 他者の心を見る事が出来る人間だから。

 勇の悲哀を読み取ったからだろう。
 亜月を抱えた姿に、これ以上無い悲壮感を感じてしまったから。
 幾ら千野でも無神経な声を掛ける気にはなれなかったのだ。



 この二人のやりとりを最後に、動画は終わりを告げた。
 そしてこの動画は以後、長年に渡って多くの人々の眼に留まる事となるだろう。

 世界を救済しようとした男の、凄惨な末路を遺した映像資料として。


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